■俳句九十九折(89)
七曜俳句クロニクル XLⅡ ・・・冨田拓也
6月20日 日曜日
このところ「ゼロ年代の俳句100選」、『超新撰21』の応募作の締切、「第3回芝不器男俳句新人賞」など、俳句をめぐる状況が割合目まぐるしいものがあるように思われる。
本日は、愛媛県において第3回芝不器男俳句新人賞の選考会が行われた。
今回自分は選考会には参上せず、自宅に蟄居して報せを待つという結果となった。これは単に自分の従来の「引きこもり俳人」としての習癖とその本分が遺憾なく発揮されたがゆえの結果というわけではなく、単に今回の選考会には「呼ばれていない」ためであったということを、一言ここに付言しておきたい。実にどうでもいいことながら、このように断っておかないと、後々になって様々な関係者の人たちからの白い目や冷やかな目による無言の叱責やお怒りというものを、そのまま容赦なく蒙らなければならないという結果になるのである(笑)。
ということで、今日の午後はパソコンの前で、佐藤文香さんによるツイッターでの選考会の実況中継に釘付け。結果は既に周知の通りである。
しかしながら、この芝不器男俳句新人賞というもの、毎回3年か4年に1度しか開催されないというのは一体どうなのであろう。いくら選考委員の方々が一生懸命に作品を読んで下さるからといって、開催されるのが3年か4年に1度というのでは、どう考えても時間が開き過ぎなのではないかという気がする。
惜しくも落選した方にしても「いざ次回に挑戦」という気になったとしても、これでは次のチャンスがめぐって来るまで待ちきれないであろう。ということで、もはやいっそのこと毎年50句くらいで新人賞の選考会を行うことにして、受賞者を1名、副賞を1、2名としたほうが、新しい才能が登場してくる比率というものも高くなるのではないか、などと単なる外野の勝手な意見であるとは自覚しつつも、また担当の方々の大変さというものも認識しつつも、そういった思いというものを少なからず抱かざるを得ないところがある。
と、ここまで書いてきて思い出したのであるが、そういえば最近になって総合誌である『俳句界』において「北斗賞」という新人のための賞が創設されたのである。この「北斗賞」が一体どのような周期で開催されることになるのか自分は知らないが、不器男賞の開催されない期間における空白の問題というものは、今後この賞の存在によって解消される、ということになるかもしれない。
ともあれ、今回の受賞者の皆さまおめでとうございました。
現状は過酷であるが維持せよ凧 御中虫(第3回芝不器男俳句新人賞)
こないだはごめんなさい春雷だつたの 〃
抜けたての乳歯とならべ桜貝 成田一子(大石悦子奨励賞)
春爛漫ビニールくはへ猫走る 〃
手渡しの蛍の少しこそばゆい 岡田一実(城戸朱理奨励賞)
どかどかんと止まる極暑の洗濯機 〃
降りそそぐ雨と火の粉や秋津島 堀田季何(斎藤慎爾奨励賞)
ひとの敵かならずやひと苜蓿 〃
青き踏むくるしみの琴空にあり 中村安伸(対馬康子奨励賞)
万華鏡に詰めて胡桃と太陽と 〃
水替えて金魚が水をまぶしがる たかぎちようこ(坪内稔典奨励賞)
鹿の眼のつるりと吾をうつしけり 〃
今回の特別賞の園田源二郎さんの作品もここに取り上げたいところだが、作品が公開されていないため割愛せざるを得なかった。
6月21日 月曜日
よく考えれば、昨日の20日は『超新撰21』の2名の応募枠の締切日でもあったのである。
応募数は合計で63篇であったらしい。今回の芝不器男俳句新人賞の応募でも総計で106篇であったというから、これは結構な数の応募数ではないかと思われる。
そして、不器男賞と比べると信じられないスピードであるが、7月のはじめごろには早くもこの『超新撰21』に収録される該当者2名が発表されることになるそうである。
6月23日 水曜日
「歌謡」という言葉が思い浮かんできた。
野の涯に野火のはじまりさきくませ 加藤郁乎
ああ大和にし白きさくらの寝屋に咲きちる 折笠美秋
八千草の中おもひくさわすれくさ 本郷昭雄
初がすみうしろは灘の縹色 赤尾兜子
ふるくにに絵馬は古りにき降るは雪 坂戸淳夫
憶良らの近江は山かせりなづな しょうり大
このような歌謡的なリズムや語彙を取り入れた俳句表現というものは、古典的な作品世界が割合賛美される傾向にある現在の俳句の世界においても、意外なことにあまり見かけないタイプのものといえるかもしれない。
6月24日 木曜日
鯨の骨は櫂のかたさよ春の雷 山本紫黄
『山本紫黄全句集』というものは、今後どこかで刊行される予定はないものであろうか。自分はこの山本紫黄という俳人の句集については『早寝島』(1981年 水明発行所)しか手元に有していない。この作者の生涯における全句業というものは、一体どのような相貌を示すものであったのか、相当に興味のあるところである。
あと、『阿部青鞋全句集』や『西村白雲郷全句集』についても、どこかで刊行されないものであろうか、という思いがしきりである。
特に阿部青鞋については、今後もっともその全句業が纏められる必要のある作者の1人である、といっても過言ではなかろう。
西村白雲郷の方は、その全句業となると全体的な完成度の面において若干不安がありそうではあるが……。
かたつむり踏まれしのちは天の如し 阿部青鞋
水鳥にどこか似てゐるくすりゆび 〃
天国へブラックコーヒーのんでから 〃
名無し浜の汐干を一人ゆくは人 西村白雲郷
枝蛙居るところ生きて居るところ 〃
水涸れの水にて流れねばならず 〃
6月26日 土曜日
気が付けば、現在すでに6月の下旬である。
というわけでこの「―俳句空間―豈weekly」も、ラストまではや1ヶ月を切ったということになる。
残りは3号ということで、ゴールまであともう少しか……。
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