2010年6月28日月曜日

第97号

※第98号は7月4日夜以降の発行となります。

※6/28(月)「蛸とイヴのリアリズム」を追加

第97号

2010年6月27日発行(6月28日更新)


俳句九十九折(89)

七曜俳句クロニクル XLⅡ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔65〕ちかぢかと命を燃やす寒の星

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

「セレクション俳人」を読む 17 『正木ゆう子集』

拡散してゆくわたし

          ・・・藤田哲史   →読む

蛸とイヴのリアリズム

後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(後篇)

          ・・・高山れおな   →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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後藤貴子『飯蛸の眼球』後篇

蛸とイヴのリアリズム
後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(後篇)


                       ・・・高山れおな



句集のタイトルというのは当然、著者の意欲や批評意識(あるいはそれらの欠如)、機知や美意識、衒学趣味やナルシシズムなどを反映していて、それ自体しばしば興味深いものだ。後藤貴子の場合はどうか。第一句集のタイトルは『Frau』で、これは先週号で紹介した通り、若い女性の性がその主たるモティーフなのであってみれば、明確な主張を持ったネーミングということになるだろう。同じその人の第二句集の『飯蛸の眼球』という集名を、では如何様に受け取ったらいいのか。このタイトルは、

飯蛸の眼球饐える地球かな

という、集中の句のフレーズを典拠にしていて、これはもちろん句集の命名法としては最も普通のやり方だけど、それにしても色っぽくないというか、可愛げのないタイトルで、しかしそこに感じられる反骨の手応えはやはり『Frau』以来のものだと思う。そもそもこの句、例えば〈水の地球すこしはなれて春の月〉(正木ゆう子)や〈飯蛸に猪口才な口ありにけり〉(中原道夫)に、言葉の上でもまたそれを書いた意識についても少しもわかりにくいところがないのと比べると、いささか不透明な印象がある。「飯蛸の眼球饐える」なる、どちらかといえば不快な些事がなぜ「地球」への意識を呼び出してしまうのか。いやむしろ話は逆で、「地球かな」のロマンティシズムに冷水を浴びせる形で出て来た上五中七なのかもしれない。といってそこにシニシズムがあるわけでもない。いっそこれはリアリズムなのであろうか。飯蛸の眼球と地球の両者にピントが合ってしまうような異常な焦点深度を持ったカメラによるリアリズム。そのイメージの中で、やがて飯蛸の眼球と地球とは、一個の饐えた球体として分かち難く重層しはじめるだろう。どろどろに濁り、生臭い匂いを発するその球体こそ後藤が、そしてあなたや私が暮らす星なのである。

『飯蛸の眼球』は全部で二十五編の連作を、七章に分ける構成をとっている。連作といっても各句が相互に補完する体のものではなく、ゆるやかに主題を共有するといった感じで、具体例をあげると、Ⅰとして纏められた三編(「MEGAMARKET」「厨俳句の今日」「肉を切る刃」)では、たべもの/たべることが、Ⅱの三編(「『ホテル・ロンドン』」「愛咬の喉」「二度寝ぬ」」では性愛が、共通のくくりになっている。巻頭に置かれた「MEGAMARKET」十一句のうち、以下は前半の五句。

手に余る巨大いちじく目に隠す
捌かれた手相が並ぶマーケット
あさりの死葱の死臭で消してある
ほるもんの法衣を放る美僧かな
愛ばかり包めば湿る新聞紙

一句目の「いちじく」は女性器の暗示でもあって、前句集以来のこの作者の強迫観念を示しながら食と生殖の関係性を一挙に前景化する。句に直接描かれているのは果実であろうが、「いちじく」と「隠す」の結び付きから葉の方への連想も生まれ、パラダイス・ロストの物語や西洋彫刻の股間表現のイメージが透かし見えるのもおもしろい。二句目の「捌かれた手相」は、食品売り場にならぶ捌かれた魚や動物の肉のイメージと、人間の身体を重ね合わせてさしだした按配だ。三句目は「葱の死臭」で消されたのが浅蜊の死臭ではなく「あさりの死」そのものだという形で、我々が目をそむけようとしているものを暴きたてる。四句目は「ほるもん」の頭韻から「法衣」が呼び出され、「法衣」の連想から「美僧」が登場したわけだが、「美僧」なのだからして生臭坊主を風刺したり揶揄したりという着地にはならず、食の欲望が性的な視線の欲望に回収されたことになろう。食料品を買うのはほとんどスーパーだからよくわからないのだが、今でも町なかの魚屋では五句目に詠まれた情景のように、魚を新聞紙で包んだりすることがあるのだろうか。新聞紙に包まれた小さな生き物の死骸というところまで矮小化された「愛」。しかし矮小化されたそれは、新聞紙を湿らせるという形で確かな実在感を伝える存在になった。

ちんすこう共寝のたびに音たてて
ばれいしょの飛翔や舌も胸も生え
あそびたりないタマネギの帯電ぞ
みみうらのあぶらたくさん湧く日かな
平らげし花の腐肉が舌なめて
死ねないほどの退屈もあるコンビニよ

引き続き「MEGAMARKET」の後半六句である。前半五句と同様に、食べものに性愛の暗示を結びつけるスタンスで書かれている。食べものとはイコール死せるものであり、死せるものを食べてやがて死にゆく己が身を養う、我々の在り方の淫靡さが浮き上がってくる、それがこの十一句の仕組であった。最後の「コンビニ」の句のみは、具体的な対象物を欠いたまま、そこで売られているのは「死ねないほどの退屈」だと言っている。それはもちろん、十一句の全体を蔽っている認識でもあるだろう。この連作に見られるサタイアは、必ずしも独創的な視点を持っているとは言えないのかもしれない。しかし、食べ物の物質感を写生的な方法とは異なるやり方で捉え、たくみに異化してみせた、したたかな俳句になっているのは間違いないだろう。

「MEGAMARKET」に「厨俳句の今日」が続くのは、マーケットで購入された食材のその後、という趣向と受け取れる。第一句集『Frau』が、富澤赤黄男の挑発にあえて乗っての討ち死にの記録であったように、厨俳句、台所俳句の現在を示そうとする本作もまた、後藤貴子の俳句史との野心的な切り結びを強く感じさせる。厨俳句という言葉が、場合によっては蔑称であったことを考えるとなおさらである。蔑称としての厨俳句の前提であった男性中心主義や文学主義の基盤はこんにちでは掘り崩されてしまったが、それにしても人間が厨=食べることから解放されることはないのだ。

まないたに等間隔の鯉の闇
煮るほどに聖痕しみるこんにゃくよ
ざるの穴は五芒星です台所
鍋底の塩の明滅山眠る
エーゲ海の分裂やまぬスープ皿
いやに皿汚すキクラゲどこが耳

「厨俳句の今日」十三句のうち六句。「厨俳句の今日」では、「MEGAMARKET」の段階から一歩進んで、切り刻み、煮込み、焼き、咀嚼する、より直接的な行為が描かれる。より猥雑で、より卑小であることが、かえって聖性への回路を開く機微を、これらの句から読み取ることができる。「闇」「聖痕」「五芒星」などの語は、その見やすい符牒である。

すでに述べたように、Ⅱとして纏められた「『ホテル・ロンドン』」「愛咬の喉」「二度寝ぬ」の三つの連作は、性愛が表現の軸になる。前句集『Frau』のモティーフを引き継ぐものであるが、さすがに対象に向かう手つきははるかに沈着になっている。なにしろ、

睾丸を運ぶ手筈を整える

などというのだから余裕ではないか。前句集にはあった、成功しようが失敗しようが、性愛を描こうとしてのめりこむような姿勢はもはやここにはない。

仏手柑をまたぐ姿勢にこだわりぬ
愛されて純物質がほとばしる

は、それでもなお直接性を残しており、特に後者は美しい句になっていよう。しかし、より強い欲望を感じさせるのは(なんならより猥褻と言い換えてもよいが)、一見さらりとした、

手が精悍「ホテル・ロンドン」出づる時

の方かもしれない。ラブホテルを出る時、男の手が精悍に見えたということであろうが、川端康成の『雪国』にある、指が覚えている云々の一節を思い出したことだ。ちなみに、後藤も越後の人なのであるが。それにしても、

瓦版に昨日の体位書いてある
天金の書の二度と寝ぬ男女
(なんにょ)かな

といった句を見ると、後藤にとっての性のモティーフが、一種の間接性を帯びはじめていることがうかがえる。秋風ぞ吹く凋落感のうちにも「瓦版」の句のふてぶてしい諧謔は、とても女性が書いたとは思えない感じではある。実際、渡辺隆夫あたりの川柳のテイストにとても近いのではないだろうか。

以下、興に入った句を幾つか、個別に見てゆく。

全力で少女であった日草の絮

連作「少女は少女に」より。こんな手放しの感傷は、この句集では珍しい。少女であったことはない当方であるが、とても共感できる。

真鍮の男根につくひかりごけ

本作を含む「ひかりごけ」および次の「三角サンド」は、歴史批判の連作となっている。ファリシズムの偶像のごとき「真鍮の男根」は、当然、戦争をはじめとする歴史の栄光と悲劇を駆動する男性性の象徴なのでもあろう。戦時下のカニバリズムを描いた武田泰淳の小説「ひかりごけ」から言葉を借りているわけだが、餓えとも愛とも無縁の「真鍮の男根」の永遠の屹立が空しくも可憐に荘厳されたおもむき。寂しく美しく、冷え冷えと可笑しい。

辻斬りのおまえの指の瀬音かな

本作の見える「魑魅(すだま)たち ~地球(テラ)へ~」のモティーフは芸能ということになろうか。寺山修司や岸田森などの芸能者が登場し、ヴァイオリンやコントラバスがもののけめいた相貌を見せ、曲馬団が駆け抜け、ヤクザ映画のワンシーンが突如大写しになる。掲句も時代劇めいた道具立てながら、「指の瀬音」とはまたすこぶる意味シンなフレーズではないか。ちょっとぞくぞくするようなエロティクな句だが、しかしどうも等身大の作者は今や、「家族の肖像」という連作中にある

切り株やイヴとアダムと欠け茶碗

の句あたりにいるような気がする。

『飯蛸の眼球』は、二十六歳から四十四歳までの作品を収めているという。その「あとがき」で、後藤は次のように述べている。

何度も、句作を断念しようと考えた。なまけものの私にとって、作句は楽しみというよりは苦行に近かったし、自分が俳句形式に選ばれた存在だとも思えなかった。しかし、私は俳句をやめることができなかった。この十八年間は、「自分自身にとって、俳句形式を通じた言語表現活動が必要である」ことを再確認するために必要な時間だった、と思う。

「切り株」をちゃぶ台代わりに「欠け茶碗」で食事する「イヴとアダム」。蛇に誘惑されて知恵の木の実を食べてしまったイヴは、なんと俳句を作っているらしい。彼女がいる場所はすでに楽園ではないから、それが苦行なのもいたしかたないだろう。彼女の俳句が描き出す世界もあきらかに楽園ではない世界だ。楽園ではないから俳句が「必要である」のだろう、後藤にも私たちにも。

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■関連記事

蛸の吸出し、ブログの討ち死に 後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(前篇)・・・高山れおな   →読む

2010年6月27日日曜日

あとがき(第97号)

あとがき(第97号)



■高山れおな

今週も拙稿は月曜日中の追加アップとさせていただきます。

昨年の『新撰21』に引き続き、筑紫磐井・対馬康子・高山れおなの三名で、『超新撰21』の編集作業を進めております。今回は入集する二十一人のうち二名を公募としましたが、つい先日締め切った時点で六十三編の応募がありました。その二、三日前には版元(もちろん前著と同じ邑書林です)から、だいたい三十編くらいになるのではないかという見通しを聞いていて、予想よりだいぶ多いなと思っておりましたら、締め切りまでのラスト四十八時間程で倍増したもののようです。

本日(六月二十七日)中に編者それぞれが推薦する五、六篇を決めて互いに通知、週末七月二日には都内某所で選考会議を行なう流れです。このあとがきを書いている時点では、どれを推薦作とするかはまだ決めておりませんが、すでに自分なりの一次選考は済ませて十数編までは絞っております。その十数編はまずは感服したもので、私としては全て入集の資格ありと考えるものばかり。そこから五編にし、さらに編者三名で二編にせねばなりません。何はともあれ、悔いの残らぬようにしたいと思います。多数のご応募、有難うございました。

『新撰21』『超新撰21』はいずれも、第一回及び第二回芝不器男俳句新人賞の選考を重要な情報源にしています。一方、現在話題沸騰中の第三回の成果については、時間的なタイミングの問題から編集に反映させることはできませんでした。第一回の冨田拓也氏、第二回の杉山久子氏という顔ぶれを見ると、前二回は少なくとも本賞に関してはある種の完成度をクリアしていることが要件になっていた印象があります。それに対して今回本賞を受賞された御中虫さんは、完成度とは異なる、いわば直接性の強度によって選ばれた感じがします。御中さんの作品のベクトルは個人的な背景に強く規定されているようですが、彼女のようなタイプの作品が大きく顕彰されたことに時代の流れが思われてなりません。比喩的にいえば、初諸子がどうしたというようなグルメ俳句に典型的な胎内ナルシシズムの夢破れ、リアルの星がコンビニのおでんの上に輝きはじめたようです。

芝不器男賞といえば、当ブログ管理人の中村安伸氏が対馬康子奨励賞を受賞しました。中村さん、おめでとうございます。



■中村安伸

第三回芝不器男俳句新人賞、対馬康子奨励賞を受賞いたしました。関係各位、祝福してくださったみなさま、まことにありがとうございました。

さて、今回の芝不器男賞の対象年齢は、ほぼ『新撰21』と重なるのですが、受賞者の顔ぶれ、作品の傾向ともに『新撰21』のそれとは大きく変化しているのが印象的でした。

これまで俳句甲子園組に押されるかたちで、すこし目立たない感のあった30代の作者が今後台頭し、いわゆる「俳句想望俳句」とは別の潮流が表面化していけば面白いのではと思います。

2010年6月26日土曜日

俳句九十九折(89) 七曜俳句クロニクル XLⅡ・・・冨田拓也

俳句九十九折(89)
七曜俳句クロニクル XLⅡ

                       ・・・冨田拓也



6月20日 日曜日

このところ「ゼロ年代の俳句100選」、『超新撰21』の応募作の締切、「第3回芝不器男俳句新人賞」など、俳句をめぐる状況が割合目まぐるしいものがあるように思われる。

本日は、愛媛県において第3回芝不器男俳句新人賞の選考会が行われた。

今回自分は選考会には参上せず、自宅に蟄居して報せを待つという結果となった。これは単に自分の従来の「引きこもり俳人」としての習癖とその本分が遺憾なく発揮されたがゆえの結果というわけではなく、単に今回の選考会には「呼ばれていない」ためであったということを、一言ここに付言しておきたい。実にどうでもいいことながら、このように断っておかないと、後々になって様々な関係者の人たちからの白い目や冷やかな目による無言の叱責やお怒りというものを、そのまま容赦なく蒙らなければならないという結果になるのである(笑)。

ということで、今日の午後はパソコンの前で、佐藤文香さんによるツイッターでの選考会の実況中継に釘付け。結果は既に周知の通りである。

しかしながら、この芝不器男俳句新人賞というもの、毎回3年か4年に1度しか開催されないというのは一体どうなのであろう。いくら選考委員の方々が一生懸命に作品を読んで下さるからといって、開催されるのが3年か4年に1度というのでは、どう考えても時間が開き過ぎなのではないかという気がする。

惜しくも落選した方にしても「いざ次回に挑戦」という気になったとしても、これでは次のチャンスがめぐって来るまで待ちきれないであろう。ということで、もはやいっそのこと毎年50句くらいで新人賞の選考会を行うことにして、受賞者を1名、副賞を1、2名としたほうが、新しい才能が登場してくる比率というものも高くなるのではないか、などと単なる外野の勝手な意見であるとは自覚しつつも、また担当の方々の大変さというものも認識しつつも、そういった思いというものを少なからず抱かざるを得ないところがある。

と、ここまで書いてきて思い出したのであるが、そういえば最近になって総合誌である『俳句界』において「北斗賞」という新人のための賞が創設されたのである。この「北斗賞」が一体どのような周期で開催されることになるのか自分は知らないが、不器男賞の開催されない期間における空白の問題というものは、今後この賞の存在によって解消される、ということになるかもしれない。

ともあれ、今回の受賞者の皆さまおめでとうございました。

現状は過酷であるが維持せよ凧       御中虫(第3回芝不器男俳句新人賞)

こないだはごめんなさい春雷だつたの      〃

抜けたての乳歯とならべ桜貝        成田一子(大石悦子奨励賞)

春爛漫ビニールくはへ猫走る          〃

手渡しの蛍の少しこそばゆい        岡田一実(城戸朱理奨励賞)

どかどかんと止まる極暑の洗濯機        〃

降りそそぐ雨と火の粉や秋津島       堀田季何(斎藤慎爾奨励賞)

ひとの敵かならずやひと苜蓿          〃

青き踏むくるしみの琴空にあり       中村安伸(対馬康子奨励賞)

万華鏡に詰めて胡桃と太陽と          〃

水替えて金魚が水をまぶしがる       たかぎちようこ(坪内稔典奨励賞)

鹿の眼のつるりと吾をうつしけり        〃

今回の特別賞の園田源二郎さんの作品もここに取り上げたいところだが、作品が公開されていないため割愛せざるを得なかった。



6月21日 月曜日

よく考えれば、昨日の20日は『超新撰21』の2名の応募枠の締切日でもあったのである。

応募数は合計で63篇であったらしい。今回の芝不器男俳句新人賞の応募でも総計で106篇であったというから、これは結構な数の応募数ではないかと思われる。

そして、不器男賞と比べると信じられないスピードであるが、7月のはじめごろには早くもこの『超新撰21』に収録される該当者2名が発表されることになるそうである。



6月23日 水曜日

「歌謡」という言葉が思い浮かんできた。

野の涯に野火のはじまりさきくませ    加藤郁乎

ああ大和にし白きさくらの寝屋に咲きちる   折笠美秋

八千草の中おもひくさわすれくさ    本郷昭雄

初がすみうしろは灘の縹色       赤尾兜子

ふるくにに絵馬は古りにき降るは雪    坂戸淳夫

憶良らの近江は山かせりなづな     しょうり大

このような歌謡的なリズムや語彙を取り入れた俳句表現というものは、古典的な作品世界が割合賛美される傾向にある現在の俳句の世界においても、意外なことにあまり見かけないタイプのものといえるかもしれない。



6月24日 木曜日

鯨の骨は櫂のかたさよ春の雷    山本紫黄

『山本紫黄全句集』というものは、今後どこかで刊行される予定はないものであろうか。自分はこの山本紫黄という俳人の句集については『早寝島』(1981年 水明発行所)しか手元に有していない。この作者の生涯における全句業というものは、一体どのような相貌を示すものであったのか、相当に興味のあるところである。

あと、『阿部青鞋全句集』や『西村白雲郷全句集』についても、どこかで刊行されないものであろうか、という思いがしきりである。

特に阿部青鞋については、今後もっともその全句業が纏められる必要のある作者の1人である、といっても過言ではなかろう。

西村白雲郷の方は、その全句業となると全体的な完成度の面において若干不安がありそうではあるが……。

かたつむり踏まれしのちは天の如し    阿部青鞋

水鳥にどこか似てゐるくすりゆび       〃

天国へブラックコーヒーのんでから      〃

名無し浜の汐干を一人ゆくは人      西村白雲郷

枝蛙居るところ生きて居るところ       〃

水涸れの水にて流れねばならず        〃



6月26日 土曜日

気が付けば、現在すでに6月の下旬である。

というわけでこの「―俳句空間―豈weekly」も、ラストまではや1ヶ月を切ったということになる。

残りは3号ということで、ゴールまであともう少しか……。

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■関連記事

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俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(50) 七曜俳句クロニクル Ⅲ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(51) 七曜俳句クロニクル Ⅳ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(54) 七曜俳句クロニクル Ⅶ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(55) 七曜俳句クロニクル Ⅷ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(56) 七曜俳句クロニクル Ⅸ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(57) 七曜俳句クロニクル Ⅹ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(58) 七曜俳句クロニクル ⅩⅠ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(59) 七曜俳句クロニクル ⅩⅡ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(60) 七曜俳句クロニクル ⅩⅢ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(61) 七曜俳句クロニクル ⅩⅣ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(62) 七曜俳句クロニクル ⅩⅤ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(63) 七曜俳句クロニクル ⅩⅥ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(64) 七曜俳句クロニクル ⅩⅦ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(65) 七曜俳句クロニクル ⅩⅧ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(66) 七曜俳句クロニクル ⅩⅨ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(67) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(68) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅠ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(69) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅡ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(70) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅢ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(71) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(72) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(73) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅥ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(74) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅦ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(75) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅧ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(76) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅨ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(77) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(78) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅠ・・・冨田拓也   →読む

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俳句九十九折(84) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅦ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(85) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅧ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(86) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅨ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(87) 七曜俳句クロニクル XL・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(88) 七曜俳句クロニクル XLⅠ・・・冨田拓也   →読む

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■関連書籍を以下より購入できます。

「セレクション俳人」を読む17 正木ゆう子集

「セレクション俳人」を読む17 『正木ゆう子集』
拡散してゆくわたし

                       ・・・藤田哲史

正木ゆう子が俳句に与えた影響、それは『新撰21』における「俳句甲子園組」の作品によく現われている。そう思うことがよくある。

そもそも、正木ゆう子の俳句に対するある種の気儘さは、かつて師事した能村登四郎についての追悼の文章を読んでいても肯える。正木は「じつに自由に気ままに俳句の道を歩き始め」「恋愛中に俳句どころではなくなると欠詠し、気が向かなければ欠詠し、結婚しては欠詠」していたようだし、登四郎に対して「あまり近づくこともなかったし、俳句のこと、まして自分の作句上の相談などしたこともなかった」。彼女はことさら盲目的に師弟愛を謳歌することはしなかったし、「沖」の気風をよく受け継ぎえたひとは、やはり中原道夫などに代表させておきたい。結社をある指標としながらも、彼女はひとりで俳句を作ってきたひとなのだ。

ひるがえって「俳句甲子園組」を考えてみると、彼らの大きな特徴は、俳句のつながりを結社以外の場所に得ることができた、作品発表の場を結社以外に設定できたところにある。しかも、その場所が、新聞の投句欄やインターネット句会でなく、「俳句甲子園」というお互いに面と向かえるような特殊な場であることに留意したい。「俳句甲子園」とは、読み手が即書き手である環境とも異なるし、一人の読み手のために書き手が書き続けるという関係性でもないのだ。そのような環境の類似性が、作品の類似性となって現れてくるのではないか、というのが、私の一つの仮定である。

以上のようなことを考えて、『正木ゆう子集』と『新撰21』をそれぞれ繰ってみると、類似した作品がときおり見えてくる。しかも、その類似点は、いわゆる従来の俳句で考えうるような類想の範疇をいささか脱したところに存在する。

摑み洗ひせしセーターの明日ふくらむ(『水晶体』)
毛皮コートの裏地ナイロン明日来るか 神野紗希
寒いねと彼は煙草に火を点ける(『水晶体』)
トンネル長いね草餅を半分こ 神野紗希
たんぽぽ咲きテッシュペーパーつぎつぎ湧く(『水晶体』)
鳥雲にテッシュ箱からティッシュ湧く 越智友亮
クリスマスイブ取り放題のサラダ取る(『水晶体』)
囀りやサラダのお代わりは自由 越智友亮

特に、現代かな遣いの作家である神野紗希と越智友亮の作品に正木に似通った文体、構成、内容があらわれる。(おそらく他の「俳句甲子園組」にも多かれ少なかれ影響は存在しているのだろうが、注意深くそれを避けていることもあるだろうから、ここでは例に挙げることはしない。)

そして、正木と「俳句甲子園組」の類似性を推したい理由は、先に挙げたような断片的なものだけでなく、俳句における一人称の扱い方(結果的には、季語の扱い方)にもよくあらわれると考えている。

わが肩に乗れよ蛍火見にゆかむ 『悠 HARUKA』
もつときれいなはずの私と春の鴨 『静かな水』

主人公が「わたくし」をことさら明確に主張する文体には、一見ナルシスティックな印象を覚えやすいが、一方では、「わたくし」と「あなた」の違いを改めて提示するという自己と他者を再確認する一手間がある。「わたくし」を省略可能な文脈は、読み手と書き手の関係性が密な場合で発生しやすい。それは一人で俳句作りに没頭するような読み手即書き手の場合は極限的にまさしくそうだろうし、投句というシステムにあるような、読み手が限られている場合もまた同様だ。改めて書くが、正木にとっての読み手は、それほど近くに密接に存在するものではない。(そして、「俳句甲子園組」にとっても、そうではなかったか、というのが私の考えなのだが。)

「わたくし」が非常に色濃く表出するのは、他者としての読み手が遠くに存在するからだ。順序を逆にして全く同じことを言えば、読み手がひじょうに遠い位置にあるために、テキストにおける「わたくし」という自己はきわめて淡い存在として読まれていくことになる。ここでの遠さとは、読み手と書き手の関係がひじょうに限られた文脈でつながっていることを意味するが、そういった読みのなかで淡くなりゆく「わたくし」とはまさしく無名性のことだ。だが、それにとことん抗ってゆくのが、正木ゆう子だった。

だからこそ彼女は読み手のために何度も「わたくし」を提示しなおす必要にせまられる。たとえば、彼女は一つの対応策として、あらかじめ意識が介入する範囲をかぎられた幅で設定しておき、そこから外界を「垣間見る」ことで「わたくし」の設定を解決しようとした。そして、その「垣間見る」行為において、はじめて自己を相対的に表出する。そういった手法で、「わたくし」の提示の必要性を解決している。少し、わかりにくい説明だったが、詳しい例を挙げると、次のようなものがある。

不知火でないかもしれぬ眠たくて『悠 HARUKA』
鹿の声われを呼ぶにはあらざれど

この句では、あらかじめまどろみという設定を置くことで、はじめて彼女はその意識の搾り具合の中に「眠たい」という主体を再確認できている。これこそ、彼女の「垣間見」の手法の典型だろう。二句目も鹿の声以外に外界の要素はない。ここにある主題は、「鹿の声」に仮託させた「わたくし」の「恋」心だ。

これは、スケッチするべき対象に大いにのめり込んでいって、そこに自己の表出という目的を果たす「写生」などという姿勢とは全く異なっている。正木の姿勢とは、対象(季語)を一旦ぞんざいに扱うことで、相対的に自己を担保させる姿勢にほかならない。要するに、彼女は、無名性から抗うように見せていながら、実は「垣間見」る程度に視界の大きさを限ることで私をはじめて担保できるくらいの淡さの私しか持ち合わせない作家でもあるのだ。(同じ句集の作品に、「霧の馬睫毛重たくもどりけり」(『悠 HARUKA』)などのような作品もあるのだが、こういったスケッチに徹した作品だけを見ると、彼女の作品は、他の同世代の作家とくらべて無名性が強いことに気づく。伝統的なうまさで言えば、こちらのほうが上だろうけれども。)

そして、その淡さがゆえに、「垣間見ている」はずがいつのまにか、今「見ている」そのものになりきってしまう場合すらままある。

蓬食べて少し蓬になりにけり『悠 HARUKA』

もはや、ここから先は、正木の独壇場といっていいだろう。ここですでに「垣間見」という視線とはかけ離れてしまってはいるかもしれないが、「蓬」以外に、彼女の知覚をさかなでるモチーフは現れてこない点で、やはりこれも一種の「垣間見」ではある。ただ、「垣間見」していた「わたくし」が垣根をとりのこし、いつのまにか外界のなかへ「拡散」しはじめてしまってもいる。垣根をとりのこすとは、人間の視覚や聴覚といった知覚の限界点をとびこえるということであり、実から虚への飛躍とも言い換えられよう。ここでの「拡散」とは、単なる「わたくし」からの決別にとどまらない。彼女は自己の描出を放下すると同時に、自己の知覚をも放下してしまう。そしてどこまでが自分でどこからか自分でないか制御不能となって、層転移するかのように、一気に描出するモチーフが宇宙スケールまで拡散していってしまう場合すらある。

水の地球すこしはなれて春の月『静かな水』

この句に至って、彼女は人間の知覚のほとんどを切除して、意識だけで俳句を構築しえている。たとえば、この句の視点を地球と月のはるか遠方に定めて、そこから地球と月を俯瞰している図式を考えるとする。このとき、「水の地球」には、季節を超越した生物万象のニュアンスがある。それは、もはや無季というより超季的なニュアンスであって、それに対置させた「春の月」という語に、本来の「春」の季節の意を重たく与えると、不釣合いな格好になってしまう。ここでは「春」という語に歓びの気分を第一義的に与え、「春」にことさら季節らしさを与えない読みが適切だろう。

つまりここでは、ある情趣を与えるツールとしての季語のはたらきが第一位に置かれているのだ。季語が実際のモチーフとして機能するのとパラレルに、暗喩的に「春」というフンイキが作品のバックグラウンドに自動設定される。そういう季語の暗喩としての働きをかなり意識的に使用しているのが、この「水の地球」の作品だ。そして、超季的な捕らえ方と、そのときの気分を「春」で補完するという技法は、引き続き、第四句集『夏至』においても現われてくる。

太陽のうんこのやうに春の島『夏至』

先ほどの句の「水の地球」と「太陽」をつけかえれば、全く同じ構成だということは明白かと思う。

以上のように、正木は「わたくし」に加え、超季的なモチーフのために、季語を運用したわけだが、ここで最も重要なのは、そこに季語を、季節感を信用しすぎていない何かが、正木にはあるということだ。季語以外の主題のために季語を運用する。その残像をあるいは、私は「俳句甲子園組」に見たのだろうか。とすれば、彼らもまた「わたくし」という主題に取り組むのは、よく納得できる。

寂しいと言い私を蔦にせよ 神野紗希
冬の金魚家は安全だと思う 越智友亮

彼らにとっても、主題は「恋」や「家族」、つまり「わたくし」であったりするわけだ。

とはいえ、私が、その主題なるものが、文学性と若さで素数分解できてしまうのかどうか、に思い悩でいるのも、また、確か、なのである。

[正木ゆう子略歴]一九五二年(昭和二七年)熊本生まれ。一九七三年(昭和四八年)、兄浩一のすすめで俳句を作りはじめる。「沖」に投句開始。一九八六年(昭和六一年)、第一句集『水晶体』刊行。一九九四年(平成六年)第二句集『悠 HARUKA』刊行。一九九九年(平成一一年)、俳論集『起きて、立って、服を着ること』を刊行。翌年、同書により第一四回俳人協会評論賞を受賞。二〇〇二年(平成一五年)、能村登四郎の後を継いで読売俳壇選者に就任。能村登四郎死去。第三句集『静かな水』刊行。翌年同書により第五十三回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

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ちかぢかと命を燃やす寒の星
     『雪嶺』所収

筑紫:昭和35年の作品です。この『雪嶺』の時期は星を詠んだ句が多く見られます。一気に上げてみましょう。

冬来るオリオン山に起き直り 31年
自転車を漕ぐ寒星の宙の中 32年
深夜にて雪上を匍ふさそり星
病む人に銀河を残し山を去る
夜寒さのオリオン諸星白く炎ゆ
中空にオリオン揚げて村凍てし
山の星ともしび凍るミサに侍す
 33年
冬ぬくし月にしたがふオリオン座
ゴッホの星八十八夜の木々の間に
 34年
星満ちて地にはこぼれずクリスマス
雪原に硬き闇あり星を嵌め 
35年
大流星砕けて消えて吾が立つ
寒波来る明星金の翼揺り
凍る闇シリウス光千変し
 36年
ぽつとりと明星ともる梅雨の果て 37年
木枯の野面や星が散りこぼれ 
凍る夜や星に牽かれて星出づる 
38年
荒星のいま大寒に入るひかり 39年
枯野行くまつはる星を眼にて逐ふ 40年
星が降る零下十度を予告して 41年
星白く炎えて雪原なほ暮れず 42年
水田辺の八十八夜星ゆたか 42年
寒星の真只中にいま息す 43年(遷子を読む15)
金銀の星を雲間に梅雨の月 44年

この多さはちょっと驚きです。

いや、第1句集の『山国』からそれは始まっているのです。

星天のおぼろに寒し隠密行 16年
行軍や古沼に夏の星一つ 17年
夜寒むさをめぐる星座とひた歩む
寝て仰ぐ星天雁の声過ぐる
片空に星座ひしめく野分かな 
20年
木枯に星斗爛○たり憎む 23年頃?
○=火偏に干(遷子を読む37)
ひとりゐに銀漢たはむ祭笛 24年頃?
夕星やおとろへそめし雪解風 26年
叢林に夜鷹鳴くより星隠る 26年
邯鄲や樅のほつ枝に星一つ
あをあをと星が炎えたり鬼やらひ 
28年
一寒星燃えて玻璃戸に炬のごとし 29年
星たちの深夜のうたげ道凍り(遷子を読む26)
火星燃ゆ阿鼻叫喚の蛙らに
山国や年逝く星の充満す
天鳴りて寒星青き火を散らす 
30年
露更けし野にぼうぼうと昴星
オリオンを九月の深夜見るかなしさ
長き夜に斎くと山河星を飾り
明星の銀ひとつぞや寒夕焼
 31年
  (波郷の跋文では「ひとつぶや」)
夜空澄み霜害過ぎし星湛ふ

そういえばいままで「遷子を読む」で取り上げた句にも星にちなむものがありました。60回の内3回もあるということはふつうの作家にはないことです。

    *    *    *    *

日本人は自然を愛好していると思われている割には、西洋人・中国人と比較して星を素材とした芸術作品が皆無に近いことがちょっとした驚きです。数ある自然の風物の中で(月には多大な関心があるものの)星には無関心でした。野尻抱影の星に関する美しい著述は世界中の星の伝説や物語で飾られていますが、エジプト、メソポタミア、ギリシャ、中国ばかりで日本の伝説はありません。日本に関しては、民間伝承で(それも星を航海の目印とせざるを得ない漁民のものがおおいようです)お茶を濁しています。

星が登場するのは近代となってから。代表は山口誓子(野尻抱影との共著句文集『星恋』があります)で、彼を頂点に草田男などいかにも近代的な視点から星の俳句をぽつぽつと詠み始めました。そうした意味では、遷子は異常であったのです。

遷子の句を見ると冬の星が多いようです。これは天体観測に向いている時期が日本では特に冬であることから当然かも知れません。またその故に、「春の星」のような情緒的なものではなく、リアリティのある星の姿を映しています。

星の作家と言えば、宮澤賢治を思い出します。彼は科学者(本当は技術者と呼ぶべきでしょうが、科学の勉強を晩年までしていました)の目で見た対象を再構築して独特の詩情を生みだした作家です。彼は存命中に評価されることもなく、貧しい生活の中で亡くなりました。賢治の理想や宗教に対する周囲の人々の無理解から、現実から離れた優れた詩や童話が生まれたと言えなくもありません。

賢治に比較すれば開業医として恵まれてはいたでしょうが、遷子も星のある自然に没入していくようです。遷子の周囲の(故郷ではあっても)人間には疎外感があり、自然に没入せざるを得なかったとすれば、最も純粋に没入できたのが(地上から最も遠い)星空であったかも知れません。

それは人間との葛藤に傷ついた賢治にも似たところがあり、「銀河鉄道の夜」「よだかの星」「双子の星」などで登場する魅力的な主人公はみな賢治の投影でありました。そして、よだかも、チュンセ童子とポウセ童子も、そしておそらくカムパネルラも命を燃やす星となって作者を見守っていたのでした。

「ちかぢか」にはそうした星に親近感を持っていた遷子の気持ちが伝わるようです。

    *    *    *    *

最後の句集『山河』を見てみましょう。

晩霜におびえて星の瞬けり 44年
西眩し夜半の星座の喟集して 45年
鳴く虫のひとつひとつに星応ふ 47年
凍る闇星座牝牛の目が赤し
明星いまだ金色保つ初明り 
48年
玻璃越しに寒星も身を震はせつ
巨き星めらめら燃ゆる木枯に
オリオン座天頂に年逝かんとす
直立の三つ星寒夜始まれり 
49年
寒星に爛たる眼全天に

これ以後の星の句は見当たりません。49年春から入院生活に入りますから、規則正しい入院生活により夜空を観察する機会がなくなったのかもしれません。あるいは、星を詠む緊張した精神を入院・闘病で維持するのは難しかったのかもしれません。

いずれにしても、軍隊で孤独な星天を仰いで始まった遷子の星の句は50余句を持って終わるのです。ここにも、遷子の、ある精神をうかがってよいでしょう。

中西:遷子の星の句の多いのには、佐久が星の降るように見える地域であることがまず言えるでしょう。また遷子が星の美しさを敏感にキャッチし得る美的センスがあったこと、思索好きだったこと、そしてロマンティストの一面があったことがあげられそうですね。星を美しいと陶然と眺めることが多かったのではないでしょうか。磐井さんの遷子全句集中の星の句一覧を見ますと遷子は星の俳人でもあるのですね。

日本はヨーロッパ、アメリカ、アラブに比べますとかなり湿潤だと言われています。東南アジアのモンスーン地域の湿潤に続く日本は、長雨の春と梅雨のある夏、台風のある秋は星が見えにくい、それに比べて日本より乾燥しているヨーロッパや、砂漠のあるアラブなどは、今も大気汚染さえなければ、星が美しいところなのではないでしょうか。星の伝説のあるところは広い空が見える平原(平野)ではないですか。あるいは大航海時代の海洋ですね。島国で山国の小さな日本では、星座という大宇宙が見られるほど広大な地面も空もありません。大陸の壮大な荒々しい景観に比べて、箱庭のような小さな穏やかな景色からは、星座の物語は生まれなかったのかもしれませんね。

宮沢賢治は夜中森を歩いて考え事をしていたらしいですし、遷子は夜の往診に行っていたようです。ふたりの文学的な星との出合いは、暗い夜道を独りで出歩いて得たもののようです。人間が住みにくいところは自然が美しいものです。冬が厳しいところの星はとりわけ美しかったことでしょう。

磐井さんが言われるとおり、星に親近感を感じる句です。「命を燃やす」に遷子の意気込みも投影されているように感じます。

原:「星」の句が多いとは思っていましたが、これほどの数に驚いています。

遷子の「星」の句が、「情緒的なものではなく、リアリティのある星の姿を映してい」るという磐井さんの指摘は大事だと思いました。そういえば、遷子には全くの想像や虚構で成った句はほとんどないようです。一見して観念的であったりすることはあっても、その根本のところでは自分の現実や生のありかたに必ず結びついている作家であって、読み手はその誠実に打たれますし、自然に対する場合も、そういう姿勢、つまり実際の対象を見据えて詠んでいるという信頼感があります。句集『雪嶺』では、社会の矛盾や、その渦中に在る個の生活が多く詠まれている中で、「雪嶺」の語は遷子にとっての精神的象徴のように現れますが、句集中に鏤められた「星」は彼のひとりごころに親しく表れるもののように感じています。

深谷:筑紫さんに、遷子が詠んだ星の句をまとめて掲載していただいたおかげで、その数の多さを実感することができ、あらためて驚きました。確かにこの多さは他の作家にはない特徴で、星は遷子にとって特別な句材だったと思います。そして、「その背景には周囲の人間に対する疎外感があり、最も純粋に没入できたのが星空だった」とする筑紫さんの御指摘に賛同します。その指摘を読んで、以前話題になった“遷子の人間嫌い”を思い出しました。

また「ちかぢか」という措辞が逆にそうした星への親近感を表すものであるという点もその通りでしょう。それに加えて、「命を燃やす」という中七にも注目しました。この表現も、以前採り上げた擬人法です。遷子は対象に没入した時しばしばこの手法を採ったように思えます。夜空の星を見た時、まるで星自身が生命を持ち光を発しているように感じたからこそ成った作品でしょう。遷子が同士愛に類した感情を星たちに抱いていたことを窺わせます。

結局、掲出句は一見メルヘンチックに見えますが、人間に対する遷子の複雑な思い(敢えて「絶望」とは言いません)の反作用として生れた作品であり、遷子の心のありようが反映した作品だったと思います。

仲:磐井さんのご指摘には虚をつかれた感があり、続いてなるほどと深く納得しました。それにしても遷子の星の句をこれだけ並べられると壮観です。日本の文芸では星はあまり扱われてこなかったとのご指摘にも感じ入りました。美術では高松塚やキトラ古墳の壁画、中世の仏像にも妙見菩薩など星を題材にしたものは散見されますがどれもルーツは大陸にあるようです。

さて、俳句をどういうシチュエーションで作るかは作家個人個人によって異なると思います。例えば私は吟行や句会の題詠を除けば大体風呂の中か寝床が多いような気がします。いずれにせよ仕事を終えて夜家に帰ってからです。働いている人は大概そうなのかもしれません。中には仕事中とかトイレの中とかいう人もあるでしょうが。遷子はどうだったのでしょう? 開業医としての仕事が忙しくなってからはやはり夜だったのではないでしょうか。

佐久の夜空は、今では大分明るくなってしまいましたが、それでも都会から比べれば美しいものです。遷子の住んでいた野沢から少し南に行くと臼田という町があり、JAXA臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナやうすだスタードームがあって「星の町」を名乗っているくらいです。

磐井さんの挙げられた星の句54句のうち実に35句が冬の句。残り19句のうち5句は佐久に戻る前の作ですし春の句でも鬼やらいや雪解、秋の句でも夜寒など寒い時期のものがあるのでほとんどが寒い時期の星を扱った句といってよいかもしれません。ここからは想像に過ぎませんが開業してからの遷子の日常の句作は深夜が多かったでしょう。彼の作り方は私のように浴槽に漬かりながら行ったこともない隠岐を想像して作るというようなスタイルではなく、見たもの、出会った人、今日あったことなどを思い起こしながらの行為ではなかったか。そうなると自然に窓の外を眺めたり、時には外へ出たりして夜空の星を見つめ、それに触発されて句をなすということもしばしばであったと思われます。彼の俳句に星が多く登場するのは彼の内面の事情(星が好き、凍て星の凄絶さが彼の感性にはまっていたなど)と環境の事情(仕事柄の句作の時刻、住んでいる町の星空が美しいなど)とが相俟った結果ではなかったかと思うのですが、どうでしょう。

[追加]
筑紫:『雪国』に収録されておらず、『草枕』に掲載されている句があります。

一つ星見えてすなはちおぼろなり
雲の峰昏れて明星をともしたり
月高く稀なる星のうつくしき

いずれも<草枕>の章で昭和11年~15年の作品です。遷子に若くから星への関心があったことはわかりますが、緊張した星の句は大陸へ行ってからの孤立した心境の中で生まれ始めたようです。

余談になりますが、戦争俳句や行軍俳句は現在でこそネガティブにしか受け取られないようですが、その作家がその場にいたことは紛れもない事実であり、人によっては大きな影響を戦争俳句から受けることだとてあるはずです。遷子が見た死は、戦場での死と佐久の貧しい医療現場での死であったとすれば、両者ともに不条理な中での死をみとっていたことになるでしょう。そしたとき仰いだものが、(多く)冴えわたる冬の星座であったと見れば、遷子の思いも分かるような気がするのです。星は自然の象徴ばかりではなくて、その瞬きは死の瞬間を、あるいは死への抗いを意味するのかもしれません。

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遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔48〕高空の無より生れて春の雲・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔49〕隙間風殺さぬのみの老婆あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔52〕家を出て夜寒の医師となりゆくも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔53〕かく多き人の情に泣く師走・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔54〕忽ちに雑言飛ぶや冷奴 ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔55〕障子貼るかたへ瀕死の癌患者・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔56〕自転車に夜の雪冒す誰がため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔57〕信濃びと我に信濃の涼風よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔58〕母病めり祭の中に若き母・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔59〕酷寒に死して吹雪に葬らる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔60〕患者来ず四周稲刈る音聞こゆ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔61〕ただひとつ待つことありて暑に堪ふる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔62〕雪嶺に地は大霜をもて応ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔63〕葦切や午前むなしく午後むなしく・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む
〔64〕炎天のどこかほつれし祭あと・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

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2010年6月21日月曜日

第96号

※6/21(月)「蛸の吸出し、ブログの討ち死に」「閑中俳句日記(38)」を追加

第96号

2010年6月20日発行(6月21日更新)

遷子を読む

〔64〕炎天のどこかほつれし祭あと

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

「セレクション俳人」を読む 16 『中原道夫集』

「蝶」はどこにいる?

          ・・・外山一機   →読む


俳句九十九折(88)

七曜俳句クロニクル XLI

          ・・・冨田拓也   →読む

蛸の吸出し、ブログの討ち死に

後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(前篇)

          ・・・高山れおな   →読む

閑中俳句日記(38)

第3回芝不器男俳句新人賞公開選考会・自宅観戦記

          ・・・関 悦史   →読む

おしらせ(第9回Twitter読書会「髙柳克弘+五島高資」)   →読む

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閑中俳句日記(38) 第3回芝不器男俳句新人賞公開選考会・自宅観戦記・・・関 悦史

閑中俳句日記(38)
第3回芝不器男俳句新人賞公開選考会・自宅観戦記

                       ・・・関 悦史


 昨日、第3回芝不器男俳句新人賞の公開選考会があった。
 季節の変わり目などに妙な熱を出すタチなので、今週の原稿を出すのが遅れてしまい、いつも通り何かの句集評を書いて追加してもらおうと思っていたのだが、ちょうどこの遅延の間に選考会が挟まった。昨日の今日で無関係なことばかり書くのも白々しいし、今回は昨日の模様をちょっと書いておく。

 前回の公開選考会は東京だったので立ち会えたのだが今回は松山である。私は行かずに家にいたが、ITの進化のおかげで、従来ならばありえない形で選考の模様を知ることとなった(以下、昨日ツイッターにかじりついていた人にとってはほとんど既知のことばかりになります)。

 最初は松山に行く知人の俳句関係者たちにUstream(ユーストリーム)で生中継は出来ないかという話をしていたのだが、これは現場にネット環境がない等の理由で挫折。
 あとは参加者各自が携帯電話から流すであろうバラバラのツイートを見て状勢の変化を窺うしかあるまいと思いつつパソコンの前に坐っていたら、ここで意外なことが起こった。
 ツイートを流し続けてくれたのは始まってみればただ一人しかいなかったのだが、そのただ一人である佐藤文香が信じがたい高速打ち込みの腕を見せ、選考経過をつぶさに全部実況してくれたのである。

 その佐藤文香全実況を始め、昨日の不器男賞関係のリンク先はウラハイ = 裏「週刊俳句」(http://hw02.blogspot.com/2010/06/news_20.html)にまとまっているので、ちょっとそちらをご覧いただきたい。


 選考の手順は、まず各選考委員がそれぞれ意中の5篇を選んでその長所を語り、次にそれを2編ずつに絞り、最後に1点、決を取るような形で上げていくと、概ねそういうものだったのだが、その発言要旨を佐藤文香が逐一拾い、ツイートしていった。

《大石委員長29。ドキドキしながら読んだ。劇画チック、動きをうまくとらえた表現。無季をカバーする作品。 #fukio》

《城戸委員85。口語による自由な現代感覚の表出。軽やかでありながら本質に触れる。 #fukio》

 とまあこういった調子。「29」とか「85」とかいうのは、候補作の作品番号である。
 この精度を保ったまま、選考開始の午後1時から終了の午後3時半過ぎまで約100分間をひたすら突っ走り、賞が決まった後も、前に呼び出された受賞者の写真などを織り交ぜて会場の模様を実況、さらにはそのまま終了後の大宴会「ガニア主催、審査員といっぱつじゃこてんを食べる会」の模様に至るまでツイートし続けてくれたのであった。

 番号を示しただけのツイート情報ではほとんど何もわからないのではないかと思われるかもしれないが、さにあらず。不器男賞の場合は予選通過作30篇各100句が全篇全句匿名のまま番号を振られ、ウェブ上で公開されているのである(http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/initial_screening_result.html)。
 これと組み合わせ、話の流れで番号が出るたび、こちらがその候補番号のpdfファイルを開けていけば、どの句について誰が何を言っているのか、かなりの程度追っていけるのだ。
 そういうわけで昨日実況につきあっていた人間はその早業に瞠目し、サトアヤ頑張れなどと実況者に声援を送ったりもしつつその成り行きを見守ることとなったのである。

 以下、選考過程の概略だけまとめておくので、委員の発言や雰囲気を知りたい方はぜひとも佐藤文香のツイートを追体験してください(http://twitter.com/#search?q=%23fukio)。

 まず各委員が最初に選んだ5篇。

・大石悦子委員長

12 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/012.pdf
18 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/018.pdf
29 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/029.pdf
72 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/072.pdf
78 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/078.pdf

・城戸朱理委員

03 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/003.pdf
29 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/029.pdf
44 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/044.pdf
72 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/072.pdf
85 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/085.pdf

・齋藤愼爾委員

02 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/002.pdf
29 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/029.pdf
58 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/058.pdf
72 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/072.pdf
88 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/088.pdf

・対馬康子委員

13 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/013.pdf
18 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/018.pdf
49 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/049.pdf
50 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/050.pdf
81 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/081.pdf

・坪内稔典委員

29 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/029.pdf
58 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/058.pdf
71 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/071.pdf
84 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/084.pdf
85 http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku2/result01/085.pdf

 そしてそこから各委員が絞り込んだ2篇。

城戸朱理 72と85
齋藤愼爾 58と72
対馬康子 49と81
坪内稔典 29と58
大石悦子 29と72

 熱い討議を経て、「3時半までに決めたい」と我尼吾さんから声がかかり、いよいよ最後の記名投票。

城戸朱理 29
齋藤愼爾 72
対馬康子 81
坪内稔典 29
大石悦子 29

 結果は既にあちこちに出ているが以下の通り。

芝不器男俳句新人賞=原田満智子さん(29番)
大石悦子奨励賞=成田一子さん(12番)
城戸朱理奨励賞=岡田一実さん(85番)
齊藤愼爾奨励賞=堀田善宇さん(72番)
対馬康子奨励賞=中村安伸さん(81番)
坪内稔典奨励賞=高岸容子さん(58番)
西村我尼吾特別賞=園田源次郎さん(60番)

 この豈weeklyの編集に当たってくれている中村安伸氏が対馬康子奨励賞に決まった。おめでとうございます(決まった早々この遅延原稿のアップ作業にも当たっていただかなければならないのでありますが)。
 本賞受賞の原田満智子さんというのが存じ上げない上にウェブ上でも情報があまり見当たらない方なのだが、この方、前回の不器男賞でも一次予選を通っていたようで、前回の選考結果ページでも当時の作品を見ることが出来る(http://www.ecf.or.jp/shiba_fukio_haiku/result.html)。
 西村我尼吾特別賞というのは今回新設されたもの。一次予選を通過しなかった作品から選ぶという敗者復活的な趣旨らしく、まことに我尼吾さんらしい。

 他の人のツイートもまるっきりなかったわけではない。
 どうでもよくもディテールや雰囲気の伝わる写真なども色々と逐次上がっており、例えば当日の城戸さんのお弁当(http://twitpic.com/1ybv3n)だとか、松本てふこが泊まった宿のものすごい調度だとかも知ることが出来る(http://photozou.jp/photo/show/561817/41081307)。テレビ台がビールケースですよ、あなた。

 私が第1回の不器男賞に応募したときは、確かフロッピーディスクを郵送とかいう変な手段で作品を送ったはずだ。
 メールでも良いことになっていたのかもしれないが、こちらにネット環境がなかったのかもしれない。賞新設の告知も雑誌でしか見た記憶がない。

 それが今回は現地に行かずともそれなりに臨場感をもって楽しめたわけで、第1回の頃からすると隔世の感がある。おかげで昨日は自宅でお茶を飲み、同時に別なサイトでトミタクとボソボソやり取りしたりもしつつナマの選考経過を知ることが出来たのであった。
 それはそれとして、現地に行けた人たちはぜひともそれぞれの立場で体験を書き残しておいてほしいところ。書いておくかおかないかで「歴史」になるか消えてしまうかが別れてしまったりもします。

 出来れば我尼吾さんを始めとした関係者へのインタヴューなどをまとめた、不器男賞の成立過程から現在までを通観できるドキュメントの冊子が見てみたい。これは俳句甲子園(こちらは私はご縁がなく、ほとんど何もわからない)についても同様。新書かムックか雑誌の増刊号みたいなものでも構わないから、どこか出してくれないものか。あとあと必ず史料になります。

後藤貴子句集 前篇

蛸の吸出し、ブログの討ち死に
後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(前篇)


                       ・・・高山れおな

後藤貴子の第二句集『飯蛸の眼球』(*1)が出たので感想をと思ったのだが、時間不足いかんともしがたく、前後篇にてお届けします。

そもそも後藤の名前が評者の脳裏にすりこまれたのは、ヌードとネイキッドがどうこうと述べている彼女の文章を読んだことによってだった。どうこうでははじまらないのでちゃんと探しますと、それが載っているのは「俳句空間」誌の第二十三号。一九九三年六月に出たその号の特集は「現代俳句の可能性――戦後生まれの代表作家――」で、攝津幸彦、西川徹郎ら団塊の世代から田中裕明、岸本尚毅たちまで、八十年代の俳句シーンに登場した十八人の中堅若手を、これも当時新進の書き手が論じている。その特集で、江里昭彦論を担当していたのが、すなわち後藤貴子なのである。

……先号の「俳句空間」を読んでいたら、意外な箇所があった。それは川名大が、八木三日女の「満開の森の陰部の鰓呼吸」をひいて、性表現を「白昼堂々のオモテ俳句としてフェティッシュにやったりする若者」の例として、江里と私の句を並列に扱っている点だ。句のレベルや作家としてのキャリアや、その他はっきりわかる江里と私の差をうんぬん言いたいのではない。言いたい事は、私と江里の句作の方法の確たる差異である。同じく同号の上野遊馬の言を借りるなら、セックスを俳句の題材として扱っていても、江里がnudeであるなら、私はnakedなのだ(と自分では思っている)。

後藤が言及している先号の川名大の文章とは、「俳句空間」第二十二号の、やはり特集中のもの。「俳句の新しい読み方――俳句をダメにした××――」というテーマのもとで長々と論じた仕舞いの方で、昨今(当時における)のダメな表現の例として引かれているのが江里と後藤の句というわけだ。

腰で番い夜へ漕ぎ出す楽器かな 江里昭彦
右曲りなる銀漢の灌(そそ)ぎ口 後藤貴子

なるほど、この二句に限れば特に弁護したい気にはならない。無論それ以上に、川名の非生産的良識派風シニシズムにはいささかの共感もおぼえないが。それはともかく、この際、あげつらいたいのは句ではなくて後藤の文章の方である。自分とあまり年齢も違わないらしい女性作者が、一回り以上先輩の俳人の作品と自作を比較して、「方法の確たる差異」を明言して一歩も引かない態度(いちおう謙辞らしきものはありますが)に打たれたからこそ、この一節が記憶に残ったものであろう。ちなみに、nudeとnakedとは、英国の美術史家ケネス・クラークが、名著『ザ・ヌード』(一九五六年)で提示した対概念で、服を脱いだ裸がネイキッド、人体を理想化して昇華したのがヌードということになる。この二句でいえば、江里の句の「夜へ漕ぎだす」や「楽器かな」のような文学性の強い表現がヌード的ということになるか。後藤の句だって、「銀漢」に同様の文学性への傾きが感じられるとはいえ、比較すればより即物的には違いない。

ところで川名大が引いた後藤貴子の句が収められているのは後藤の第一句集『Frau』(*2)で、一九九二年春に刊行されている。一九六五年生まれの後藤は二十七歳になったばかりだった。同書については、やはり「俳句空間」誌に橋本七尾子による書評が載り、また当時、後藤が所属していた「未定」誌の一九九二年十二月号では小西昭夫と豊口陽子が論じている。これらの書評が一様に帯びる熱っぽさゆえに『Frau』には大いに興味をそそられたものの、実際の入手はずいぶん遅れ、二〇〇〇年代に入ってからだった。それらの書評の熱っぽさのよって来たる所以は、それこそ「性表現を『白昼堂々のオモテ俳句としてフェティッシュにやったりする若者』」という川名の批判にもあるような性表現の問題がかかわっている。なにしろこの句集、富澤赤黄男の「ズロースを脱つた俳句」云々(*3)の発言をエピグラムに掲げ、「あとがき」ではそれを次のように受けているのだ。

「ズロースを脱つた俳句」を手中にすることを目標にして来ました。この処女句集は、そんな私の討ち死にの記録です。しかし、戦績は、なまあたたかいうちにまとめておいた方がよかろうと考えたので、本集を上梓することに決めました。全百七十句、年代的には、私の十六歳から二十五歳までの作品が収められています。……

自ら「討ち死にの記録です」というごとく、『Frau』における性表現はかならずしも成功を収めているわけではない。しかし、同じ討ち死にでもそれは逃げ隠れした末のものではなく、向こう傷を受けてのものであるのも確かで、上記の書評子たちも失敗は失敗として指摘しながら意気に感じた書きぶりになっているのである。とりわけ、小西昭夫と豊口陽子のものは長さも長く、滅多にないほど丁寧で愛情に満ちた書評であり、それがゆえに評者がようやく同書を読み得た時いささか失望を感じたほどである。つまり、こちらが読者として新たな発見をする余地がほとんど残されていなかったということなのだが。こんなふうに説明で引っ張るだけではなんであるから、作例を挙げよう。まずは、小西と豊口が揃って失敗作としている句。

放尿す貝うつくしくとぐろ巻き
(つま)という字の重心の股座よ
漆黒にわが陰浮かすような月
小便小僧のとがりに朱を塗りこまん
産道を駆けゆく亀よ文化の日
まんげつや骨太胡瓜Occupied
(使用中)

小西はこれらの句を、〈下品なだけの句である。女性が、男性でも口にしないような句を口にした面白さだけの句である。〉とし、豊口は豊口で、〈赤黄男の挑発に後藤貴子はまじめに反応したのだが、しかし下半身の構造や生理について開陳したところで、そんなものは人類発生時より先刻ご承知のことではないか。〉と手厳しい。彼らの言葉はその通りではあるだろう。とはいえまったく救いがないかといえばそうとも思えず、結構、惜しいところまでは行っている気はする。ただ、何かもう一歩が足りないのは確かで、その一歩が足りないことがかくも激しい反撥を買ってしまうところに、性という危うきに遊んだ後藤の面目があるのに違いない。中で、掲出した最後の句は女性の自慰を詠んでいるわけで、若気の至りというのは凄いものである。この句に関していえば、足りない一歩が上五「まんげつや」の曖昧さにあることははっきりしている。中七下五がここまでえげつない以上は、上五で強力に抑えこまなくてはならないのだが、現状ではまったく効いていない。ちなみに豊口はこれらの句を批判しつつも、〈ともかくも、これらの作品の救いはその句意にもかかわらずあっけらかんと開放的で卑しくないことである。〉とも述べていて、これも納得のゆく感想である。ひきつづき豊口、小西が賞賛している句も駆け足で紹介しておく。小西が挙げているのは、

疊のようにおんぶおばけのように雪
泣くだけ泣いて器用に乾く夏畳
春霞食べつくし舌残りけり
原爆忌 姉が乗りたる鬼やんま
つばくらめ津和野に指をくれてやる
念力をたくわえ鹿は鹿を待つ

特にラストの鹿の句について小西は、〈美しい句だ。とても美しい恋の句だ。〉と述べている。鹿/恋、というのは王朝古典以来の連想関係にあるが、なるほどその古い皮袋に新しみの一滴を加え得た句かと思う。次に豊口。彼女は、性的なモティーフの句のうちでも以下のものは、〈より詩的説得力を持っている。〉と評価する。

網目よりあらわれ男焦げており
尼寺や刈らずじまいの血止め草
美声挙ぐ三本杉の陰四つ
六月の水母のごときを産みおとせり
逆光の二人は葦でff
(フォルテシモ)

しかし、豊口がさらに強く推すのは、

さびしきとき 白く結球する双手

という句。自分で読んだ時には気になりながらもはっきり読み得た感じがしなかったのだが、〈ここには後藤貴子の一途な精神と肉体がある。正座した膝の上で、血の気も失せるほどに拳をにぎりしめ、さびしさに耐える女性の姿が《結球》一語に凝縮されている。〉という見事な鑑賞を得て、忘れ難い句となった。なんだか小西と豊口におんぶでだっこするばかりで恐縮である。今回、再読して評者なりに出会いの思いを持った句を幾つか挙げてみよう。

訃報はいつもやさしく腕を螺旋せり
こいびとの四肢で発酵するセロリ
たばこぐさつかむこの手の腕曲よ
ひとり寝の木は流される疊ごと
笹の葉づれの快楽
(けらく)の日々を集め来よ

冒頭のヌードとネイキッドの話題に戻れば、はたしてこれらはそのどちらに当たるのか。いやヌードとネイキッドが、所詮、油絵という共通の画材でどう描くかの違いだったとすれば、これらはさしずめ墨で描いたような、いわば前提から異なる俳句なのではないか、そんな気もする。「こいびとの」「ひとり寝の」「笹の葉づれの」の三句が直接的に性愛にかかわっているのはもちろんとして、「訃報はいつも」「たばこぐさ」もまた質感においてそれらと同じ世界を描いているとしか思えない。既出の「産道を駆けゆく亀よ」あたりとは格段に洗練された詠みぶりである。しかし、この水準の句が集中にかならずしも多くないのは、そのような完成度の獲得が困難であるからというのみならず、一方でこの作者に「産道を駆けゆく亀よ」と無残に討ち死にしてみせたい欲望が、それはそれで強固に備わっていたからではないかとも思う。

ところで、『Frau』という書名はドイツ語で、英語のミセスにあたる単語である。集中には、“Frau”という言葉を使った句は見当たらない。若い女性の性を柱のひとつにした句集なのだからこのタイトルが選ばれて別に不思議はないのだが、ひとつ気になる暗合に気づいた。句集の刊行は奥付に従えば一九九二年二月二十日日。一方、講談社から出ている女性誌「FRaU」の創刊は、一九九一年九月である。時間的なタイミングからすると、後藤が「FRaU」の創刊を見てこの句集名を思い付いたということもあり得るのだが、実際はどうなのだろう。もちろん単なる偶然かも知れない。あの「あとがき」のしたたかな書きぶりを見ると意図的だったとしても意外ではないし、鳴り物入りで創刊された(のであろう)華やかなファッション雑誌と同じタイトルを偶然に選んでしまう無意識のケレンもなにやらこの作者らしいようだ。

(*1)後藤貴子句集『飯蛸の眼球』
風の花冠文庫8 発行所=鬣の会
五月二十一日刊
(*2)後藤貴子句集『Frau』 冬青社
    一九九二年
(*3)〈僕は甚だ失礼ながら、俳句女流作家に失望しつづけている。しかし絶望はしない。が、彼女等の俳句の文学は衣裳の文学でしかない。――とはつきり申上げる。もし口惜しかつたら、ズロースを脱つた俳句を、ただの一作でも見せて頂きたいものである。〉富澤赤黄男「雄鶏日記」抄


2010年6月20日日曜日

あとがき(第96号)

あとがき(第96号)


■高山れおな

当ブログも今号を含め残すところ五号。もとより皆勤したいと思っているのですが、俳句も仕事も諸事繁多の死のロードと化しており、予断をゆるしません。早速ながら今週の拙稿は月曜日中のアップとさせていただきます。俳句甲子園の審査員を仰せつかっており、明日(六月二十日)はその地方大会があるためです。要は、いつもは日曜朝まで原稿を書いているところ、今日はもう寝なくてはならんというわけです。


■中村安伸

芝不器男俳句新人賞の最終選考会出席のため、松山に来ております。昨日(六月十九日)は『坂の上の雲』の秋山兄弟や子規ゆかりの地をめぐっての吟行会が行われ、有志が参加しました。私は舞い上がっていたのか、妙にひねりすぎた句を出し、三句すべてが無点という結果となりました。全句無点という句会は人生で二度目の経験ですが、本日(六月二十日)の選考会へのどんな予兆でしょうか。いずれにせよ候補者として今から出来ることは何もありません。


2010年6月19日土曜日

俳句九十九折(88) 七曜俳句クロニクル XLI・・・冨田拓也

俳句九十九折(88)
七曜俳句クロニクル XLI

                       ・・・冨田拓也


6月13日 日曜日

先週に引き続き、『現代詩手帖』6月号から波及しているゼロ年代の100句選について少しふれたい。

これまでの内容をわかりやすく俯瞰したいとの個人的な思いから、作者名のみではあるが以下に一応簡単に纏めてみた。

・高柳克弘選

宇多喜代子、友岡子郷、櫂未知子、宗田安正、辻征夫、大木あまり、金子兜太、飯島晴子、佐藤鬼房、岩田由美、土肥あき子、三村純也、田中裕明、正木ゆう子、三橋敏雄、高野ムツオ、永末恵子、桂信子、中原道夫、神野紗希、筑紫磐井、冨田拓也、石田郷子、片山由美子、大石悦子、深見けん二、奥坂まや、小澤實、池田澄子、大峯あきら、高山れおな、鴇田智哉、福田甲子雄、五島高資、対中いずみ、藤田湘子、高橋睦郎、八田木枯、長谷川櫂、井越芳子、小川軽舟、南十二国、佐藤文香、山上樹実雄、小島健、照井翠、綾部仁喜、杉山久子、榮猿丸、眞鍋呉夫、川崎展宏、津田清子、坪内稔典、今井杏太郎、加藤かな文、山西雅子、岸本尚毅、柴田千晶、相子智恵、越智友亮、関悦史、田中亜美、谷雄介、村上鞆彦、山口優夢、今井聖


・高山れおな選

角川春樹、小原啄葉、宇多喜代子、友岡子郷、、櫂未知子、岡井省二、宗田安正、星野石雀、辻征夫、大木あまり、金子兜太、飯島晴子、佐藤鬼房、なかはられいこ、坪内稔典、草間時彦、岩田由美、岩下四十雀、土肥あき子、山上樹実雄、矢島渚男、三村純也、正木ゆう子、三橋敏雄、高野ムツオ、佐藤成之、福田甲子雄、川崎展宏、竹中宏、永末恵子、安井浩司、中原道夫、神野紗希、筑紫磐井、冨田拓也、石田郷子、片山由美子、大石悦子、八田木枯、桂信子、田中裕明、深見けん二、奥坂まや、小澤實、満田春日、池田澄子、久保純夫、高橋修宏、大峯あきら、高山れおな、鴇田智哉、黒田杏子、宮崎斗士、五島高資、恩田侑布子、ことり、対中いずみ、藤田湘子、高橋睦郎、茨木和生、長谷川櫂、小野裕三、津沢マサ子、杉山久子、柚木紀子、田島健一、曾根毅、対馬康子、山本紫黄、九堂夜想、佐藤文香、水野真由美、照井翠、志賀康、小川軽舟、綾部仁喜、榮猿丸、眞鍋呉夫、阿部完市、大牧広、中岡毅雄、佐藤清美、山西雅子、岸本尚毅、柴田千晶、男波弘志、相子智恵、越智友亮、関悦史、田中亜美、谷雄介、村上鞆彦、山口優夢、北大路翼、西澤みず季、久保佳世子


・冨田拓也の補足

清水径子、鈴木六林男、小川双々子、和田悟朗、吉田汀史、手塚美佐、西村和子、坂本宮尾、中田剛、皆川燈、佐々木六戈、浦川聡子、小林千史、仁藤さくら、辻美奈子、山根真矢、高柳克弘

作者名だけを見るならば、ゼロ年代の俳句における成果というものはやはり大体このあたりということになるというべきであろうか。

あと他に名前が挙がってきてもよさそうなのは、柿本多映、澁谷道、斎藤慎爾、山本洋子、宮脇白夜、豊口陽子、大木孝子、千葉皓史、夏石番矢、鎌倉佐弓、江里昭彦、林桂、あざ容子、四ッ谷龍、今泉康弘あたりか、とも。



6月14日 月曜日

なんとなく「夢殿」という言葉が思い浮かんできた。

夢殿は奈良の法隆寺の東院の本堂で、739年に行信という僧が建立したとされる八角円堂。本尊は救世観音像ということになる。

夢殿の赤に世の冬永きかな     松瀬青々

夢殿やしぐれのあとの風が吹く   寺井文子

夢殿におのれを見付け涼しさよ   和田悟朗

夢殿へ雨よ跣足のともるなり    金田咲子

夢殿に失意の太陽ありぬべし    攝津幸彦

箱庭に置く夢殿のなかりけり    中田剛

夢殿を鎖につなぐ春の犬      あざ容子



6月16日 水曜日

邑書林から『浅井霜崖全句集』が出版された。

自分はこの浅井霜崖という作者の存在については、今回この全句集を手にしてはじめて知ることとなった。小川双々子の「地表」で活動していたとのことである。

そもそも小川双々子のみならず、その弟子たちの存在というものも、外部というか現在となっては、いまひとつ明確に把握し難いようなところがある。

浅井霜崖は、肺結核の療養中に加藤かけいに師事し、かけい没後、小川双々子に師事、双々子の「地表」に参加。平成7年に句集『黄沙茫茫』が限定出版されていたらしい。

今回の全句集の栞には、阿部鬼九男、伊吹夏生、中根唯生の三氏が文章を寄せており、阿部鬼九男の栞文には、「岡本信男」、「高桑星吐」などといった名前が登場してくるところが個人的には興味深い。二人とも「地表」のメンバーであり、現在ではすでに故人であるそうである。

また、本書には、作品として昭和28年以降の全1304句が収録されている。

まだこの全句集の作品をしっかりとは読んでいないのであるが、目についた句をとりあえずここにいくつか引いておきたい。

黒髪の一本づつに月明す

鶯のこゑ握り飯巖にのせ

自轉車の父きさらぎの空みがく

わが思考寒し溺るる空瓶と

雷雨後の聲つややかに通りけり

穂絮翔つ風の中なる出生地

風買ひがゐる八風街道眞冬

鶯のこゑ一巻の三千字

生前の時計がうごき水澄めり

うぐひすに組みし十指は定型か

人類の頭蓋こえゆく黄沙かな

がうがうと黄沙仰臥の胸の上

唐草模様に包みたるもの、魂

花ふぶき狂ひのたらぬ男かな




6月17日 木曜日

『現代詩手帖』の6月号を読んで以来、ついふらふらと岡井隆をはじめとする現在の短歌作品に手を伸ばすことが多くなってしまった。

そうなると、やはりつくづく俳句というものは、非常に制約の多い形式であるように感じられてしまうところがある。普段俳句に馴染んでいる者の眼から見ると、現在の短歌の世界というものは、なんだか言葉がさほど狭い枠組みの中に縛られることなく随分と伸び伸びとそれこそ「自由」にふるまっているように見えるのである。

いまさらのことかもしれないが、岡井隆にしてもその作品には口語の使用が目立ち、ほとんど「ライトヴァース」とでもいっていいような趣きを呈している。

そういえば、これに若干近い現象をどこかで見たような気がするな、と思うところがあった。そして、暫くしてから「金子兜太」という名前が思い浮かんできた。

よく考えれば、2人ともそれぞれ前衛短歌、前衛俳句の驍将であったわけであるが、岡井隆のみならず、近年の金子兜太にも口語的というか若干ライトヴァース的な表現の俳句が散見されるのである。

酒止めようかどの本能と遊ぼうか

春落日しかし日暮れを急がない

おおかみに螢が一つ付いていた

子馬が街を走つていたよ夜明けのこと

合歓の花君と別れてうろつくよ


金子兜太にも、岡井隆と同じく、時代による「ライト化」の影響というものがその作品に割合波及しているところがある、といっていいのかもしれない。



6月18日 金曜日

今日、テレビを見ていると、「神楽坂」についての放送をしていた。

この地において、尾崎紅葉が「原稿用紙」というものを最初に発案し、製品化されることになったとのことである。

そういえば、紅葉門の作者に次のような句があったということを思い出した。

秋の灯や藍摺にせし原稿紙    岡野知十

ということで、これは当時における「新しみ」の句ということになるようである。



6月19日 土曜日

明日の6月20日に、愛媛県で第3回の芝不器男俳句新人賞の選考会が行われるそうである。

自分は今回の選考会には赴かないので、明日は自宅に蟄居し、刮目して選考結果の報せを待つことにしよう。

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「セレクション俳人」を読む16 中原道夫集

「セレクション俳人」を読む16『中原道夫集』
「蝶」はどこにいる?

                       ・・・外山 一機

『中原道夫集』は一九九七年から二〇〇二年までの句集未収録作品八〇〇句と、中原の散文、および一〇の中原道夫小論からなる。「セレクション俳人」シリーズの他の集において処女句集あるいは第二、第三句集が収録されていることを鑑みればこれは本シリーズにおいてかなり特異な位置を占める一書であろう。このような齟齬がなぜ生まれたのかについての詮索はひとまず置き、ここでは収録作品の制作された年代について考えてみたい。

中原道夫は戦後生まれの俳人を代表する一人である。第一句集『蕩児』(平成二)では「白魚のさかなたること略しけり」をはじめとする機知や諧謔味を特徴とした句を提示してみせたが、本集収録作品のつくられた一九九七(平成九)年の前年には第三句集『アルデンテ』を刊行、「飛込の途中たましひ遅れけり」などそれまでとは異なる作風の展開を始め、また平成一〇年には「銀化」を創刊主宰している。

つまり、本集の作品はそれまでの諧謔味を中心とした作風からの転換を図っていた時期のものということになろう。収録作品からいくつか引いてみよう。

葬り来て酢牡蠣みだらと思ふのみ
小春日の船霊交る音聴かな
がうな売り朝な夕なの立ち眩み
死後もまたうからの寄れる西瓜食ぶ

それまで一貫して機知を武器にしてきた中原の転換はしかし、必ずしも円滑に進行したわけではなかった。むしろ、それまでの特徴をどこまでも残しながら新たな展開を目指していたのだと言ったほうが当たっているだろう。

俎に乗つてもみよと鯛焼に
蟻にまた遷都ばなしの持ちあがる
川太郎秋思に皿の乾くなり

かつて中原は「白魚のさかなたること略しけり」において存在物を知的把握によって捩じ伏せ自らの足許に平伏させるという荒業を見せた。思えばその荒業のやりくちが何とも滑稽で、だからこそ僕たちは「中原道夫」に魅了されたのではなかったか。作風の転換を図ってから後に書かれた上記の「鯛焼」「蟻」「川太郎」においてもその方法がうかがえるが、それは中原が体現した俳句表現史の必然であったとはいえないだろうか。

蝶にして墜死のゆめのあるにはある

これは「蝶墜ちて大音響の結氷期」(富沢赤黄男)をふまえての句であろう。赤黄男が劇的に描出した蝶の墜落を、中原は「墜死のゆめのあるにはある」のだと、妙に冷めた態度でうそぶいてみせる。一方で、このような居直りが一句に赤黄男句のパロディとしての「笑い」を生んでいるのだと考えることもできる。すでに述べたように「笑い」あるいは「滑稽」とは中原の作品の特徴であるが、それにしても、その「笑い」の裏側にあるこの「冷めた」感じは何なのだろう。

川名大は「蝶墜ちて」の句について次のように述べている。

この句は、従来、連作から切り離され、単独句として次のように鑑賞されてきた。(略)
つまり、この句は「結氷期」ともいうべき逼塞した時代状況を照射したメタファーだ、とする読みである。(略)これに対して、この句を連作五句の座の中に還元して読めば、「冬影」ないし「結氷期」のテーマに収斂していく一句として、そこに表現意図を読みとることができる。この句の直前の「冬蝶のひそかにきいた雪崩の響」から、凍蝶のイメージを媒介にして、それにふさわしい大音響を発するかのような厳しい結氷期という時空を新たに提示してみせた、という読みである。(川名大『現代俳句』上巻、筑摩書房、二〇〇一)

いずれの読みをとるにせよ、「蝶」の揺るぎない存在の確かさが、「大音響」を導きだしていることは間違いないだろう。一方で、中原の「蝶」は自らの存在を示す行為としての「墜死」をすることがない。あるいは、そんな「ゆめ」も「あるにはある」といった程度に、赤黄男の「蝶」をあっさりと相対化してしまう。こんなふうに、中原の「蝶」のアリバイはついに不確かなままである。

蝶水漬く空に染まれぬことを知り

中原の「蝶」はまた、こんな姿で登場する。言うまでもないけれどこの句に「笑い」はないだろう。「墜死のゆめのあるにはある」と、いささかニヒルな面持ちで語ってみせた「蝶」に比して、今度はかなりナイーブな「蝶」である。橋本喜夫が指摘しているように、この句からは若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」が想起される(「いのちの寂寥」『中原道夫集』収)。牧水の「白鳥」は「空」「海」どちらの「青(あを)」にも染まることはないが、中原の「蝶」は「空」に染まることをあきらめ「水漬く」というのである。いわばこの蝶は飛ぶことのできない「蝶」であり、そうであるがゆえに「水」に染まる。それはまさに「墜死」の姿であるけれども、なんと消極的な「墜死」であることか。赤黄男の「蝶」は「蝶」たりうるために「墜ち」たのだが、中原の「蝶」は「蝶」たりえないために墜ちたのである。同時に、中原の「蝶」は「蝶」たりえないことをもってようやく逆説的に自らの存在を証明することができる。

中原がこんな消極的な方法でしか指し示すことのできない自己とはいったい何だろう。あるいはこんなふうに言ってもいいのかもしれない。すなわち、自己を指し示すことがこんなにも困難になってしまったのはなぜだろうか。そしてこれは中原だけが抱えている問題ではない。

戦後生まれの俳人の作品と、それ以前の俳人の作品とのほとんど決定的といっていい違いのひとつは、自己表現への信頼の度合いの差であるだろう。赤黄男の「蝶」が近代的な自己の反映としてのそれであるならば、中原の「蝶」は現代的な自己の反映としてのそれである。後者は前者に比べていかにも不安定でたよりない。加速度的に拡散していく自己を詠うとき、どのような方法がありうるのか―。戦後派の仕事を経験した後で、俳句表現の現在を引き受けようとした者はこの地点からそれぞれの道を模索したのだった。そしてある者は古典へ回帰し、ある者は超人的な自己を詠い、またある者は戦後派の痛みを痛みとしてそのまま自らにひきとっていった。中原が『蕩児』をもって示したのは、この同時代的な問いに対する彼なりの回答であったろう。たしかに中原の作風は、ある種生真面目ともいえる当時の若手俳人の中で際立っていたといえる。けれども、その表現の根にあるものは、他の俳人のそれと必ずしも大きく異なるものではなかったのではないだろうか。

しかしすでに述べたように、中原はかつて目指していた地点とはやや異なる場所を見据えているようだ。そしてすでに『中原道夫一〇〇八句 作品集成Ⅰ』(平成一一)、『中原道夫作品集成Ⅱ』(平成一五)によって自らのこれまでの仕事を纏め始めている中原でもある。中原の現在がいまだ俳句表現の現在の一翼を担っているとすれば、その先にはいったい何があるのだろうか。

付記:今回、句の引用にあたり旧字体は新字体に直した。

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遷子を読む(64)

遷子を読む〔64〕


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


炎天のどこかほつれし祭あと
    
『山河』所収

深谷:昭和44年の作で、「山河」所収。剛直、印象鮮明な句が多い遷子の作品のなかで、掲出句のような繊細なタッチの作品はどちらかと言えば少ないのではないでしょうか。それ以前の句集『山国』や『雪嶺』で医師俳句や社会性をテーマとした句、あるいは風土性豊かな句を積極的に詠みあげてきた遷子も、この頃になると、句材も家族などより身近な対象に、詠み振りも穏やかなものになっていったように思えます。

掲出句では、華やかな祭が終わった寂寥感が句の全体から滲み出ています。祭で賑わった先刻までと同じように空には真夏の太陽が輝き、灼けつくような暑さが続いています。何も変わらない筈なのに、その夏空はどこか祭の期間中のものとは違います。いわば祭の賑わいを彩った明るさに翳が生じたのです。もちろん、それは作者の心に芽生えた寂寥感を映したものでした。「ほつれし」という表現が巧みだと思います。

この年、遷子は61歳。還暦も過ぎましたが、この句が自身の人生の歩みを象徴していると見るのは、やや深読みが過ぎるように思います。むしろ、〈雛の眼のいづこを見つつ流さるる〉(12)に示された眼差しと同根の、細やかな心情が、作品を成した原動力だと思います。そしてこうした繊細な心情こそ、医師という職業や社会性あるテーマを素材にした作品を詠んでも主題先行にならず、そこにヒューマニズムの血脈を通わせることができた要因であり、遷子の真骨頂のもう一つの側面だったではないかと考えます。

中西:「どこか」という措辞は曖昧な表現でありながら、反対に心の空虚感を強く訴えるところがあるようです。また「炎天がほつれる」というのは大変感覚的な言葉で、その感覚を柔らかく包むように「どこか」が使われているのです。たとえば「空が深いなあ」と言うのも感覚的だと思います。高野素十的な写生句をつくる人にとっては、俳句で感覚を詠うのは邪道かも知れませんが、人の感動というものは、非常に感覚的なものではないかと思います。多種な感覚を、写生的に表現するとき、多くの人にアピールできるようにある狭い範囲の言葉に置き換えているのではないでしょうか。それは堅固な言葉と言えるものなのかもしれません。が、その一方でどの人の句も顔を持ちにくくなるように思います。

感覚的であったり、情緒的な言葉は独りよがりになり易いですが、この句などは分かり易い、共感できる内容だと思います。具象的な俳句を良しとする人達には、この句は上手くないと言われてしまうかもしれないと思ったりしますが、率直な気持ちが伝ってきますし、遷子の心根の良さが出ている句だと思います。

皮肉屋だと遷子自身は言っていますが、たぶん曲ったところのない善人だったのではないかと思わせる句です。このアンニュイぶりから61歳の晴朗を見るようです。

深谷さんが遷子作品に繊細な心情を見ていらっしゃるところに大いに同感します。しかし、この句には寂寥感と言うより、私はもう少しゆったりしたものを感じています。

原:まったく違った内容ですが、ふと蕪村の

牡丹切つて気の衰ひしゆふべかな

を連想してしまいました。咲き盛る「牡丹」もそうですが、「祭」もまた生命力の象徴のようなものです。その真っ只中を過ぎた一種の喪失感ともいうべき微妙な気分が言いとめられています。蕪村句との間に把握の共通性を感じました。この微妙な情感を「寂寥感」と仰った深谷さんの感性に感心。

遷子の社会性をテーマにした句は、直叙型の散文性を感じてしまうことが多いのですが、掲出句は、構成の上では一句一章で句中に切れはありませんが、詠まれた言葉の意味以上に内包する豊かさが感じられます。これは季節感の多寡にも関係するのでしょうか。

仲:所謂写生と違って物の本質をがばっと摑むような詠み方は新興俳句系に近いのではないでしょうか。遷子の師匠の秋桜子や盟友誓子らがホトトギスを離れたことがきっかけで後の新興俳句の興隆につながったことを思えば不思議でも何でもありませんが、同じ句集の遷子の句風と比べると少し違和感があります。しかし彼としては別に奇を衒った訳ではなく、祭の終わった後の空に何となく弛緩したようなけだるいような心持がしたのを「どこかほつれし」と表現したのでしょう。遷子としては珍しい作り方ですが言いたいことはよく伝わってきて佳句になっていると思います。

先に私が触れた母の句に出てくる祭と言い、遷子が祭と言う時のそれはどこの祭を想定しているのでしょうか。この俳句の並びからして彼がどこか別の土地へ旅したとも思われませんから矢張り佐久の、野沢の祭なのでしょう。とすると野沢の花火大会(8月16日)というよりも祇園(7月20日前後)だと思われます。岩村田の祇園の翌週が野沢の祇園で屋台と大人神輿が出ます。日中から行われるのでこの句は翌日というより夕刻の景なのでしょう。

筑紫:深谷さんが「剛直、印象鮮明な句が多い遷子の作品のなかで」「繊細なタッチの作品」と言われているのは、馬酔木→沖に移った私としては身につまされるものがあります。馬酔木の「剛直、印象鮮明な句」から沖の「繊細なタッチの作品」にひかれて雑誌を変えた経験から、ご指摘はよく分かる感じがします。にもかかわらず、沖の「繊細なタッチの作品」が馬酔木の「剛直、印象鮮明な句」から生まれたことも否めません。

古く尋ねれば、戦前石田波郷や高屋窓秋らが都会俳句を詠んでいる時期から馬酔木の中からこうした生活や心理の機微を探る句を作ろうとしていた人々がいたわけです。特に戦後馬酔木作品が作家たちの活動範囲が限定されて生活中心とならざるを得なくなった時期から、もういまでは殆ど忘れられている相馬黄枝や篠田悌次郎と言った作家たちが「繊細なタッチの作品」へ努力をしていました。戦後の馬酔木の新風はこうした目に見えない努力なくしては生まれなかったでしょう。能村登四郎もこうしたヒントを受けて自己の作品を形成した作家でしたし、おそらく藤田湘子もそうではなかったかと思います。そして遷子についてもそれがいえたのでした。

戦後無名新人たちと相馬遷子が生活的に共通基盤を持っていたかどうかは疑問です。むしろ、戦後無名新人たちが彼らの都会生活の基盤から生みだした表現が遷子に影響を与え、その表現を通して遷子に生活のディテールへの目を開かせた、こんな3段階があったのではないかと思います。その意味で(次回触れようと思っている星の句のように)時代から超絶して遷子が紡いだ俳句の世界と対照的なものを見る思いがするのです。


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遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む
遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む
遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔48〕高空の無より生れて春の雲・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔49〕隙間風殺さぬのみの老婆あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔52〕家を出て夜寒の医師となりゆくも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔53〕かく多き人の情に泣く師走・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔54〕忽ちに雑言飛ぶや冷奴 ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔55〕障子貼るかたへ瀕死の癌患者・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔56〕自転車に夜の雪冒す誰がため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔57〕信濃びと我に信濃の涼風よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む
遷子を読む〔58〕母病めり祭の中に若き母・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔59〕酷寒に死して吹雪に葬らる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔60〕患者来ず四周稲刈る音聞こゆ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔61〕ただひとつ待つことありて暑に堪ふる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む
遷子を読む〔62〕雪嶺に地は大霜をもて応ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

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