2010年6月19日土曜日

遷子を読む(64)

遷子を読む〔64〕


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


炎天のどこかほつれし祭あと
    
『山河』所収

深谷:昭和44年の作で、「山河」所収。剛直、印象鮮明な句が多い遷子の作品のなかで、掲出句のような繊細なタッチの作品はどちらかと言えば少ないのではないでしょうか。それ以前の句集『山国』や『雪嶺』で医師俳句や社会性をテーマとした句、あるいは風土性豊かな句を積極的に詠みあげてきた遷子も、この頃になると、句材も家族などより身近な対象に、詠み振りも穏やかなものになっていったように思えます。

掲出句では、華やかな祭が終わった寂寥感が句の全体から滲み出ています。祭で賑わった先刻までと同じように空には真夏の太陽が輝き、灼けつくような暑さが続いています。何も変わらない筈なのに、その夏空はどこか祭の期間中のものとは違います。いわば祭の賑わいを彩った明るさに翳が生じたのです。もちろん、それは作者の心に芽生えた寂寥感を映したものでした。「ほつれし」という表現が巧みだと思います。

この年、遷子は61歳。還暦も過ぎましたが、この句が自身の人生の歩みを象徴していると見るのは、やや深読みが過ぎるように思います。むしろ、〈雛の眼のいづこを見つつ流さるる〉(12)に示された眼差しと同根の、細やかな心情が、作品を成した原動力だと思います。そしてこうした繊細な心情こそ、医師という職業や社会性あるテーマを素材にした作品を詠んでも主題先行にならず、そこにヒューマニズムの血脈を通わせることができた要因であり、遷子の真骨頂のもう一つの側面だったではないかと考えます。

中西:「どこか」という措辞は曖昧な表現でありながら、反対に心の空虚感を強く訴えるところがあるようです。また「炎天がほつれる」というのは大変感覚的な言葉で、その感覚を柔らかく包むように「どこか」が使われているのです。たとえば「空が深いなあ」と言うのも感覚的だと思います。高野素十的な写生句をつくる人にとっては、俳句で感覚を詠うのは邪道かも知れませんが、人の感動というものは、非常に感覚的なものではないかと思います。多種な感覚を、写生的に表現するとき、多くの人にアピールできるようにある狭い範囲の言葉に置き換えているのではないでしょうか。それは堅固な言葉と言えるものなのかもしれません。が、その一方でどの人の句も顔を持ちにくくなるように思います。

感覚的であったり、情緒的な言葉は独りよがりになり易いですが、この句などは分かり易い、共感できる内容だと思います。具象的な俳句を良しとする人達には、この句は上手くないと言われてしまうかもしれないと思ったりしますが、率直な気持ちが伝ってきますし、遷子の心根の良さが出ている句だと思います。

皮肉屋だと遷子自身は言っていますが、たぶん曲ったところのない善人だったのではないかと思わせる句です。このアンニュイぶりから61歳の晴朗を見るようです。

深谷さんが遷子作品に繊細な心情を見ていらっしゃるところに大いに同感します。しかし、この句には寂寥感と言うより、私はもう少しゆったりしたものを感じています。

原:まったく違った内容ですが、ふと蕪村の

牡丹切つて気の衰ひしゆふべかな

を連想してしまいました。咲き盛る「牡丹」もそうですが、「祭」もまた生命力の象徴のようなものです。その真っ只中を過ぎた一種の喪失感ともいうべき微妙な気分が言いとめられています。蕪村句との間に把握の共通性を感じました。この微妙な情感を「寂寥感」と仰った深谷さんの感性に感心。

遷子の社会性をテーマにした句は、直叙型の散文性を感じてしまうことが多いのですが、掲出句は、構成の上では一句一章で句中に切れはありませんが、詠まれた言葉の意味以上に内包する豊かさが感じられます。これは季節感の多寡にも関係するのでしょうか。

仲:所謂写生と違って物の本質をがばっと摑むような詠み方は新興俳句系に近いのではないでしょうか。遷子の師匠の秋桜子や盟友誓子らがホトトギスを離れたことがきっかけで後の新興俳句の興隆につながったことを思えば不思議でも何でもありませんが、同じ句集の遷子の句風と比べると少し違和感があります。しかし彼としては別に奇を衒った訳ではなく、祭の終わった後の空に何となく弛緩したようなけだるいような心持がしたのを「どこかほつれし」と表現したのでしょう。遷子としては珍しい作り方ですが言いたいことはよく伝わってきて佳句になっていると思います。

先に私が触れた母の句に出てくる祭と言い、遷子が祭と言う時のそれはどこの祭を想定しているのでしょうか。この俳句の並びからして彼がどこか別の土地へ旅したとも思われませんから矢張り佐久の、野沢の祭なのでしょう。とすると野沢の花火大会(8月16日)というよりも祇園(7月20日前後)だと思われます。岩村田の祇園の翌週が野沢の祇園で屋台と大人神輿が出ます。日中から行われるのでこの句は翌日というより夕刻の景なのでしょう。

筑紫:深谷さんが「剛直、印象鮮明な句が多い遷子の作品のなかで」「繊細なタッチの作品」と言われているのは、馬酔木→沖に移った私としては身につまされるものがあります。馬酔木の「剛直、印象鮮明な句」から沖の「繊細なタッチの作品」にひかれて雑誌を変えた経験から、ご指摘はよく分かる感じがします。にもかかわらず、沖の「繊細なタッチの作品」が馬酔木の「剛直、印象鮮明な句」から生まれたことも否めません。

古く尋ねれば、戦前石田波郷や高屋窓秋らが都会俳句を詠んでいる時期から馬酔木の中からこうした生活や心理の機微を探る句を作ろうとしていた人々がいたわけです。特に戦後馬酔木作品が作家たちの活動範囲が限定されて生活中心とならざるを得なくなった時期から、もういまでは殆ど忘れられている相馬黄枝や篠田悌次郎と言った作家たちが「繊細なタッチの作品」へ努力をしていました。戦後の馬酔木の新風はこうした目に見えない努力なくしては生まれなかったでしょう。能村登四郎もこうしたヒントを受けて自己の作品を形成した作家でしたし、おそらく藤田湘子もそうではなかったかと思います。そして遷子についてもそれがいえたのでした。

戦後無名新人たちと相馬遷子が生活的に共通基盤を持っていたかどうかは疑問です。むしろ、戦後無名新人たちが彼らの都会生活の基盤から生みだした表現が遷子に影響を与え、その表現を通して遷子に生活のディテールへの目を開かせた、こんな3段階があったのではないかと思います。その意味で(次回触れようと思っている星の句のように)時代から超絶して遷子が紡いだ俳句の世界と対照的なものを見る思いがするのです。


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2 件のコメント:

さんのコメント...

オリオンを九月の深夜見るかなしさ] 遷子

長い連載を拝見して、終わりに近づくのはさびしいものですが、ここは、まさに高原の星々のような落ち着いた読み会で、こころよい知のたかぶりがありました、横レスでお騒がせしました。

あと少し又、横レスで。
上の句の、唐突な抒情の表明、
「九月の深夜見るかなしさ」と言うのにはなにか特殊な契機があるのでしょうか?
深夜はまあいいとして、「九月の」と言う時期の特定と「かなしさ」が、うまくあわないような気がしました。

それから、これは、啓発されましたが、社会詠は新興俳句や、人間探求派の一部の、一手専売になっているのですが、「戦争の影響」と「山村の貧しさに傷ついた生活者である医師」の視線を同列に置いていること。卓見だと思いました。
つまり自然と人事が分断されていないし、むしろ、遠い時代の反映をこういうところに見ていることは、磐井さんの、「馬酔木」にたいする見直しの意図が、感じられ、それがこのながく続けられた読書会の閑かなエネルギーとなっているようです。

詩人の秋山清の「白い花」という詩集、吉本隆明に絶賛された、それと俳人では鈴木六林男の『荒天』にある戦場詠。
 寝てみるは逃亡ありし天の川
 水あれば呑み敵あれば討ち戦死せり
 倦怠や戰場に鳴く無慮の蠅
 個個にゐて大夕焼けに染まりゐる
など、戦場というより避けようもなく大自然の中にいるこの感覚と、一個の小さな人間がそれを見ていることの自省、が同時にえがかれる、こののただならぬ静けさと緊張感、ここにかようものがあるのではないでしょうか>。
うまくまとまりませんが、星や天の川や夕焼けは、「生の戦場」をつつみ、人間にとって大事な鏡となっています。遠い都市や、遠い国のうごきとつらなっているという自覚を与える大きな器であることを、遷子も又、認識したのではないか・・。
なんて感慨をもちました。(吟)

筑紫磐井 さんのコメント...

吟さま
毎回愛読して頂きありがとうございます。コメントもしばしばいただきながら、毎週の更新であまりご返事できず、申し訳ありませんでした。「遷子を読む」も本ブログと併せて終了することとなります。今までのご協力に感謝します。
      筑紫磐井