2009年6月6日土曜日

遷子を読む(11)

遷子を読む〔11〕

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井

汗の往診幾千なさば業果てむ
    『雪嶺』所収

筑紫:難解なところの少しもない遷子の俳句ですが、それでも解釈が難しい句もあります。今回はそんな句を取り上げてみたいと思います。

掲出句は昭和32年の作、遷子の率直な感慨の現れた作品でしょう。「業」は、業(ぎょう)ではなくて業(ごう)と読みます。業(ぎょう)では医業をいつやめられるのか、早くやめたいとなってしまいます。苦行のように幾千もの往診をなすことによって仏教で言う業(カルマ)から脱却できるのか、という意味になると思います。

苦行のように、といってしまいましたが、遷子にとって往診というのはどういう意味があったのかは微妙なものがあります。ネガティブなものであればこそ苦行となるのですが、医師である遷子にとってそれは自ら選んだそれこそ業(ぎょう)であり、天職でもあり、誇りでもあるはずです。しかし、一方でその努力が報われるだけの成果があったかどうかは分かりません。それは報酬という意味だけではなく、薬石効なく亡くなる患者もいたはずです。そもそも、地域医療にたずさわる医師にとって、目標や理想とは何なのでしょうか。また、遷子は平畑静塔に私信で「あなたのように精神医学の勉強をしたかった」と書いたそうです(平畑静塔「『山河』見聞」)が、そこには遷子の日頃の仕事に対する不満があったのでしょうか。遷子のような誠実な医師にとってのその日その日の感情は単純なように見えて、屈折したものがあり、この句の解釈は簡単なように見えて難しいものがあるように思います。

前回、「遷子の社会性」「遷子のイデオロギー」と述べましたが、よのつねの社会性、イデオロギーと違うのは、遷子の日常に落とし込んでみないと見えてこない社会性、イデオロギーであるということなのです。その社会性、イデオロギーは、ことによると反社会的、反イデオロギー的である可能性だってあるのです。それが遷子の魅力です。

とりあえずこの句の解釈としては、汗の往診を幾千回繰り返せば、病も絶えてそうした無駄なことをしなくて済むようになるのか、という至って道徳的な解釈をしておきたいと思います。しかし、評者が納得しているものではないことを言っておきたいと思います。

       *       *       *

この句で思い出すのは、

朝顔や百たび訪はば母死なむ  永田耕衣(昭和22年)

です。耕衣の傑作句といえます。遷子が模倣したとは言いませんが、よく似たモチーフとなっています。私はむしろ、両者の意識の奥に、小野小町のために百夜通いをしたという深草少将を描いた能「通小町(かよひこまち)」があったのではないかと思います。耕衣の句の「百たび」、遷子の句の「業」にそこはかとない面影を感じます。

しかし、それよりも興味深いのは、似たモチーフでありながら、耕衣の句は切字「や」を使い俳句らしい型に落とし込んでいるのに対し、遷子の句は緊密な文体であるのであまり気になりませんでしたが、散文そのままであることです。「汗の往診を幾千なさば業が果てむか」とすれば古典の散文(戦前は擬古文が公式な文章(例えば法律、天皇の勅語など)でしたから、正確には古典文法に基づく散文)となります。

ただ不思議なのは、遷子の俳句は(師の水原秋桜子の影響でしょう)本質的に俳句の定型性ではなく短歌の流麗性に基づく叙述が多いのに、なおかつ流れきってしまわない完結性を感じるところです。実は、戦後の現代俳句を志す若い作家たちは、(多分に桑原武夫の「第二芸術」の影響があったようですが)俳句が現代俳句であるためには、五七五の枠の中に散文を流し込んだような文体にせざるを得ないと思っていたようです。戦後俳句の代表である、飯田龍太も、能村登四郎も、切字は使わず、俳句固有な切れも使わない作品を多く詠んでいました。私もそうした影響を多分に受けています。もちろん、切字・切れをきっちり使って古典に競うような作品を作るエコール(「鶴」がその代表です)もありましたが、伝統進歩派は切字・切れを使わず、なお「俳句らしさ」をどう実現するかを課題としていたようです。それが新しい俳句を生みだしたのです。切字・切れにこだわる、擬古典的な俳句ばかりが目立つ現代の若手作家との違いはここにあります。

遷子は必ずしも伝統進歩派とは言えないと思いますが、馬酔木にいる故に似た基礎に立ち、切字・切れを使わず俳句らしさを表現します。この句もそうした例の一つであるといえます。

【注】最後に、句末の「む」が切字ではないかという議論もあるかも知れません。最も古い切字論書である連歌師専順のさだめた切字十八の中には入っていませんが、時代が下り切字の数が増えるにつれて「ん」が現れてきます。しかし、切字が問題になるのは「や」「かな」「けり」に尽きると思いますし、遷子の「業果てむ」の「む」は実体詞から切り離されるものではないと思いますので(切字は意味がありませんから)、切字はないと考えておきます。
[参考]切字についてhttp://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/10/blog-post_6669.html評論詩「切れについて」(―俳句空間―豈weekly11号2008年10月26日)~
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/11/blog-post_7834.html評論詩「切れについて6」(同上16号2008年11月30日)の、特に3回以降で書いています。

中西:遷子の真面目さが如実に出た句だと思います。医師として妥協の無い職業意識を持っているのではないでしょうか。しかし、その医師としての真面目さが時に、人間としての誠実と矛盾を引き起こすのかもしれませんね。医師としての業は時に、遷子の良心を傷めることもあったのでしょうか。

筑紫さんが挙げておられる、

隙間風殺さぬのみの老婆あり

も、医師として殺さないでいるのですが、もしかしたら、いっそ殺してやった方が、本人には楽なのかもしれないのではないかと思ったりしました。人間としての優しさからすると、医師としてすべきことの事実は、心を苦しめる状況がいくらでもあるのではないかと思いました。

多分そんなところから、筑紫さんは自然主義といわれたのかと思いましたが、如何でしょう。

この句も真面目であるがゆえに、なかば諦めの境地のような言い様の句となっています。医師である間は往診を続ける覚悟でいるという気概がある一方で、医師であるが故の人間的な苦悩が果てないのが伺えます。

細谷喨々さんのエッセイで、医師は患者の葬式に出るなと先輩の医師に言われたとありました。優しい喨々さんは、そうは言われてもお葬式に出られるそうですが、その先輩の言葉は、情をおさえろということなのだろうと私なりに解釈しました。死に直面した医師の仕事には情に溺れてはならない、ときに、謹厳に冷徹に患者に対さなければならないこともあるということなのでしょう。謹厳に冷徹に打ち勝ったうえでの、優しさかと思いました。そして、きっと医師の誰もがそこで、多かれ少なかれ、悩んでおられるのではないしょうか。

原:医を志す人には、研究者の道と、医師として治療に専念する道とがあるでしょうが、遷子は結果として後者を選び地方開業医の煩雑さを身に引き受けることになった訳です。

百日紅学問日々に遠ざかる  『山国』

これは佐久に移住してまだ数年とは経っていない頃の作ですが、中央の最新医療から隔たって、日々の診療に追われる生活から、ふとわが身を顧みたときの一抹の寂しさの感じられる句です。

しかも、医療行為だけに没頭できるならまだ良いでしょうが、『山国』後半に見える、

陳情の徒労の汗を駅に拭く

陳情の旅に日暮るる走り梅雨

などからは、現場の実情と乖離した制度や手続きに関しても陳情に赴かなくてならない事務的な苦労もあったことがうかがわれます。

遷子が自分の職業を、最初から天職として選んだかどうかは分かりませんが少なくとも、誠実に医師の仕事を続けていくうちに、それはいつしか宿命に近い認識になっていったかも知れません。

掲出句「汗の往診幾千なさば業果てむ」には、医師である遷子の深い徒労感が滲みます。日本人の感性では「業」は罪悪感に結びつく言葉であるようです。「業が深い」などというように、生まれたときから罪深い者であるという考え方は、巷間に広く根付いている因果応報説によるでしょうが、久保田万太郎に

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな

の句があったのを思い出しました。いかにも市井の哀歓を描いた人らしい句です。遷子の句との明らかな差異は、環境、職業、人間性などさまざまの要素を考えさせてくれます。

万太郎の句はたまたま思い出したにすぎませんが、前回磐井さんが提起された「遷子は自然主義作家か」という視点に絡めていえば、この万太郎句は内部に閉じていく志向であり、遷子句は外部との接点を手放していません。「自然主義」というと、ことが大きすぎて何も言えなくなりますが、遷子が社会の不条理に直面することで、自分の思想や倫理観を培っていったのだと考えることに吝かではありません。

深谷:以前に遷子の評論を書いた際、自分なりに受け止めていた掲出句の解釈としては、地域医療の現場で日々奮闘する遷子がその努力の甲斐なく命を落とす患者たちを目の当たりにして率直な感慨を表出したもの、すなわち筑紫さんが暫定的に提示された「汗の往診を幾千回繰り返せば、病も絶えてそうした無駄なことをしなくて済むようになるのか」というものでした。さらに、その虚しさをもたらしたもののなかには、患者たちを取り巻く生活環境がなかなか好転しないことなども含まれているのではないか、と勝手に考えていました。

しかし、同じく筑紫さんの「遷子のような誠実な医師にとってのその日その日の感情は単純なように見えて、屈折したものがあり」という言葉を読んで、ふと胸に浮かんだのは、

百日紅学問日々に遠ざかる  『山国』

という句です。昭和25年頃の作で、「薄き雑誌」の章に所収されています。もちろん遷子は、毎日、地域医療の現場で患者の治癒、健康回復のために努力を惜しまず医業に励んでいるわけですが、かつては東大医学部で将来を嘱望され、医学研究の方面でも活躍しえた可能性もあった筈です。あるいは、戦争が遷子の運命を変えてしまったのかもしれません。そうした遷子にとって、地域医療の現場に身を置く自分自身の姿を振り返ったとき、ある種の鬱屈を胸の内に生じざるを得なかったと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。そして、敢えて付け加えさせて頂ければ、そうした屈折した想いは決してネガティブなものには思えず、そうした悩みを含めて遷子の人格的魅力を感じますし、それが私が遷子作品に惹かれる大きな理由にもなっています。

一方、もう一つの命題である、切字・切れを使わず俳句らしさを表現しようとしたという遷子俳句の文体面の特徴に関する指摘を踏まえ、改めて遷子の作品を読み返した時、ひとつ気が付いたことがあります。それは、函館時代の遷子作品がこうした流れの外にあることです。例えば、

煮凝や他郷のおもひしきりなり
春の霜幼子黙す別れかな
童謡かなしき梅雨となりにけり

などですが、見事に「や」「かな」「けり」のオンパレードです。三句とも、波郷が『山国』のあとがきで述べた「著者の鶴同調は形式の上で急であって(後略)という作品群から引きました。こうした作風の時期を経て、遷子は前述の文体を確立したということに、遅まきながら思いが至りました。

窪田:句集に「業」は 「ごふ」とルビがあります。筑紫さんの言われるように、確かに解釈の難しい句ですね。堀口星眠は「往診はそう多くはないが、夏の外出は身にこたえる。これを何千回したら、業が終わるのだろうか。疲れの果にそう思うのである。」(前出「脚註名句シリーズ」)と、仏教的な業の意味は少ないと解釈しているようです。句集では、掲句の4句前に

故郷に往みて無名や梅雨の月

その3句前に

雪嶺よ税務署の窓磨かれて

があります。さらに、同句集の昭和32年の後ろから2句目は

羨むやかの雪嶺の若き死を

が置かれています。これらの句から、遷子はこの時期やや疲れていたのではないかと思います。誠実が故の疲労です。時にこうした弱音を素直に出してしまうのも遷子の魅力の一つ思えてきます。筑紫さんが「遷子の日常に落とし込んでみないと見えてこない」と言われることがよく理解できます。

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