2009年6月6日土曜日

大井連載(7) 稲葉直

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(7)
稲葉 直「大根おろしの水気たよりにここまで老い」


                       ・・・大井恒行

稲葉直(1912〈明45〉6. 2~‘99〈平11〉.4.23)の平成の自信作5句は、以下。

俺よ俺よローソクの火の揺れいるは  「俳句空間」8号/平元・3月
棺の角(かど)ガクとまがれば近道だ  「俳句研究」平元・3月号
この辞典おれ死ぬ日付どこにも無し  「現代俳句」平元・3月号
白髪ひとすじこきこき洗う春水で  「俳句」平2・4月号
大根おろしの水気たよりにここまで老い  「海程」平2・5月号

一句鑑賞者は、小川双々子門下の武馬久仁裕。その一文に「上五にあたる『大根おろし』からして、庶民的なイメージをもっている。それが中七の『水気たよりに』と展開されるとささやかなものに『たより』生きて行く庶民のイメージが深まって行く。そして、下五で『ここまで老い』と結ばれる時、市井で老いる一老人のイメージが鮮やかに典型化されるに至るのである」(中略)「かくして、上五と下五の字余りが一句にゆったりとした調べを保証しつつ、『ここまで』の後の『老い』という余韻を残した言葉で終わるのである。そして、冒頭の『大根』と『老い』の白髪が白のイメージで照応し、この句はみごとに完結するのである」と指摘している。

稲葉直は、奈良県生駒郡北倭村大字南(現・生駒市)に生まれ、本名は直一。西村白雲郷に師事し、『私記・西村白雲郷』の著書もある。稲葉直自宅に、西村白雲郷主宰「未完」の「未完社分室」を置き、終刊まで編集を担当した。西村白雲郷没後、1958(昭33)年、「未完現実」と改変し代表をつとめた。その同人であった阿部完市は、稲葉直のことを「私の俳諧第一の兄貴である」(『稲葉直全句集』・栞)と言い「直という俳人は、このように暖かく正直である――安心していられる。だから私は、直という人の傍にいつも居る。そしてひどく居心地がいい――三十五年間」とも記している。

その未完現実社の「未完現実叢書第一輯」が阿部完市第一句集『無帽』(限定100部)である。その『無帽』について、稲葉直は、阿部完市の西村白雲郷への私淑に触れながら、次のように述べている。

冬浜のひとりの視野にひとりの人  阿部 完市
名無し浜の潮干を一人ゆくは人  西村白雲郷
残蝉の一つに遭ひしより遭はず  阿部 完市
蝸牛二つ二三寸にして相会わず  西村白雲郷

といった作は、どんなものであろうか。こうした相似・相圏の作品相貌、その文体構造は、『無帽』の随所に散見される。この種の作品にみる眼の据え方、心の置きどころ、その人間批評的、その生命哲学的なゆらめき。「どうしようもない」といった人間をふちどる諦念。その心眼の現実。ぼくは、こうした界隈を散見し、そこに無意識の意識が白雲郷接近にはたらいていたのでは、の感。ここに、ぼくの『無帽』への親密感があり、心的采配としての『無帽』風景の一特色がある。

とした上で、『絵本の空』以後のみが、阿部完市ではないことを述べ、阿部完市の『無帽』の跋にある「〈私は、俳句を“生きていた”ものとしたくない。“生きて行く”ものと期待したい〉の志。この『志』の重要・貴重。」(無報酬の報酬)と阿部完市第一句集の意義を新たにしている。

その稲葉直の作句信条は「定型自在」「精神自在」、表現は破格であった。

不揃いの箸の朝飯死者を置き  直
泥水の泥が枕に流れこむ  
殖えし白髪に木蓮の白折りあわず  
生きものとして水涸れをさかのぼる  
騒ぐなよ楢も櫟も暮れしぶるぞ  直
潮ごうごう松がごうごう睾丸二つ  直

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