2009年5月31日日曜日

大井連載6(野村登四郎)

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(6)
能村登四郎「まさかと思ふ老人の泳ぎ出す」

                       ・・・大井恒行

能村登四郎(1911〈明44〉・1・5~‘01〈平13〉・5・24)の平成の自信作5句は、以下。

霜掃きし箒しばらくして倒る  「俳句」平元・5月号
葛桶に薄ら氷ゆらぐ宇陀にをり  
まさかと思ふ老人の泳ぎ出す  「沖」平元・9月号 
芦ペンで描かれしかこの枯野の画  「俳句」平2・1月号
臍といふ哲人とゐる除夜の湯に  「俳句研究」平2・2月号

一句鑑賞者は、現「遠嶺」(とおね)主宰の小澤克己。当時、80歳になろうとする能村登四郎について、「放下、という言葉でよく語られる作者の心境を、(中略)〈老い〉に染まらず、〈老い〉に陥いることもなく、今ある自分の『存在感』を温もりのある言葉で、しかも生理作用のように自然に生み出している、その魂の強さに驚いてしまう」と述べ、結びには「よくプールや海水浴場で、同齢の人を探し、安堵感に浸ることがある。若者ばかりの中に、老人のいる違和感が少し柔らぐから不思議である。そして、自分と同じ老人は、じっと若者たちの楽しい場面をただ眺めているだけであろうと思っていた。しかし、その老人が泳ぎ出したのである。『あっ』という驚きが、『まさか』という言葉を吐かせた。現実と自己の想念とに生じた断層が、詩の発生を促し、かつ面白さを加えた一句となったのである」と記している。

その後、能村登四郎は、晩年、齢を重ねるごとにますます多作、かつ旺盛な作品活動を展開し、「老艶」とも言われた自在な境地に達していく。

すこしくは霞を吸つて生きてをり
風邪の句の多くて選者にもうつる
まぐはひに似て形代の重ねあり
妻なくてあそびも多し十二月
今にある朝勃ちあはれ槿咲く
跳ぶ時の内股しろき蟇
露なめて白猫いよよ白くなる
蝿叩くには手ごろなる俳誌あり
掌に宇宙も掴み蟻も掴む

敗戦直後から俳壇に登場し、いわゆる戦後派と言われた俳人のなかで唯一明治生まれであった能村登四郎は、主宰誌「沖」を創刊したのが還暦直前の1970(昭和45)年であった。それゆえ高柳重信は、「俳句研究」(昭和45年10月号)の「特集・能村登四郎」の編集後記に「たぶん、若気のあやまちと関係なく所信に邁進した唯一の俳人であろう」と記したのであろう。能村登四郎は、「沖」創刊とほぼ同時に「伝統の流れの端に立って」(「俳句」昭和45・12)と題して次のように言挙げしている。

「私は伝統派作家の一人として他人から考えられ、また私自身でもいつかそれを信じていたのであるが、実はたいへんな誤謬だということに気がついた。本当の伝統継承などということは、私などではとても出来ないもので、一種の思い上がりだと私は思う。私が自分で信じていたものは、実は単なる詩型の享受者にすぎなかったのだ、という反省がこころの中に湧いてくる。有季定型の俳句を信じきって現在作句している人のことごとくは、伝統詩型の享受者であるが、それをそのまま伝統の継承者とするのはあやまりであって、ほんとうの伝統の精神を誤解していることになる。真の伝統作家というものは明日への創造をなし得る人であって、明日への方策のないものは真の伝統作家とは呼べない」

思えば、当時の「沖」の門下に、現在、活躍中の同時代の俊秀の俳人たち、正木ゆう子、中原道夫、筑紫磐井、小澤克己、鎌倉佐弓、大関靖博などが集っていたのも頷ける。因みに現在の「沖」は、登四郎の句「黄泉の子もうつせみの子も白絣」と詠まれた、「うつせみの子」にあたる団塊世代の三男・能村研三が主宰を継承している。

--------------------------------------------------
■関連記事

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(1) 阿波野青畝「蝶多しベルリンの壁無きゆゑか」 ・・・大井恒行 →読む

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(2) 永田耕衣「白菜の道化箔なる一枚よ」・・・大井恒行 →読む

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(3)  橋閒石「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」・・・大井恒行 →読む

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(4) 加藤楸邨「霾といふ大きな瞳見てゐたり」 ・・・大井恒行 →読む

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(5) 高屋窓秋「花の悲歌つひに国歌を奏でをり」・・・大井恒行   →読む

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。




0 件のコメント: