室生幸太郎『昭和』を読む
・・・岡村知昭
物心ついたときからずっと「天皇誕生日」だった4月29日は、天皇の代替わりによって「みどりの日」に、そして何年か前には「昭和の日」となり現在に至っている。名称がどうなろうとゴールデンウィーク最初の祝日には変わりないので、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」(内閣府ホームページより)との意図がどこまで通じているかは、はなはだ心もとなく思うばかりなのだが、何より「昭和」はあまりにも長かった、その期間は63年と何日か。帝国の興亡に費やされた20年と核兵器を背景にした冷戦構造の中での復興と発展に費やされた40年。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返した国で過ぎていった、それぞれが背負った個人的な日々の思い出は、高度成長期へのノスタルジーの衣を纏いながら、それでも確かに遠のきつつある。
中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」がまぎれもなく「昭和」の俳句であるように、室生幸太郎氏の句集『昭和』は間違いなく「昭和」を離れての20年なくしては生まれなかった一冊である。室生氏は「戦中、戦後を肌で感じながら育った」(あとがきより)昭和八年生まれのいわゆる「昭和一ケタ」と呼ばれる世代を生きた自覚と自負を見てとることはたやすそうなのだが、「昭和」という語が一句に現れる作品からは、なかなかどうしてと思わず呟かせる著者の手強さが随所に顔を見せてくる。
昭和ヒトケタ前に進めず花の中
昭和一桁せかせかと行き芒原
咲き満ちてさくら昭和を遠くする
飛花落花昭和を忘れたい人に
芒原昭和の波の音ばかり
前に進めない戸惑いの中にある桜のなかの「ヒトケタ」、自分自身ですら戸惑ってしまう速さで芒原を歩き続ける「一桁」。どちらも自画像であり、また著者自身と同世代の人々の現在の姿といえば言えるだろうが、一句に現れるひとりの人物の像はどこか淡く、儚さすら感じられ、なにより「昭和」という時間を生きたというノスタルジーからは無縁のところに立ち尽くしているように見える。桜散る中に立つ「昭和を忘れたい人」も、芒原で「昭和の波の音」をただ聞くほかない人もそうで、過ぎていった時間を懐かしむでもなく恨むでもなく、ただ立ち尽くしながら自らを見届けているのみ、いや見届けることを選んでここにいるといった風情なのである。もちろん自らの原風景がどうとか、あの時代をどう生きたかといった問いとは無縁であろうとするわけではないのだが、その前に過ぎていったものを解釈して結び付けようとせず、ただ感じ取っただけのあるひとりの「昭和一ケタ」像を作ろうとしている。
でもそうなると「昭和を遠くする」の句は一冊の冒頭に置かれているだけに著者の感慨が現れている作品ではないのかと言われそうで、その点はきっと著者自身も深い思い入れをもって一句を冒頭に据えただろうことは容易に見て取れるのだが、満開の桜を見ている、「昭和」は遠くなりつつあるなあと感慨にふける、との流れは草田男の「降る雪や」と同じようでありながら、ため息や遠いまなざしのありようは草田男の断言から発せられるものよりも淡く、より儚げであろうとする。著者自身の中でこの姿勢は徹底されているのだなと私は受け止めたのである。
ひろしまを消すひろしまの蝉時雨
ヒロシマに消えに行くため夏帽子
ヒロシマ風化して広島の夏帽子
夏帽子ながさきの坂上がったまま
かなかなの途切れ途切れにながさき泣く
八月六日乾いた目玉ばかりが来る
八月九日見えない空を見るマリア
死んでいるわたしと歩く爆心地
ノスタルジーに対しての淡さと儚さへの志向、という著者の姿勢は、繰り返し書かれる「昭和」の戦争がもたらした原爆の惨禍をモチーフにした作品群において、よりはっきりとした形で表れる。これらの作品においても原爆の惨禍への告発や平和への決意といった要素はことごとくかき消され、現実の広島や長崎ではない「ひろしま」「ながさき」の街をゆくひとりの人間の像のみが淡く顔を見せ、そのことによって原爆の惨禍がほかならぬ人類の手によってもたらされ、その傷がいまもなお癒えない様子を描こうとしている、とひとまずは思いつつも、作品を読めば読むほどに見えてくるのは、原爆投下から60年以上が過ぎたにもかかわらず、いまだに廃墟のままの姿をとどめる「ヒロシマ」「ナガサキ」。現実の広島との自ら思う「ヒロシマ」との齟齬を記憶の風化を思いながら、原爆の死者と一緒に自ら歩く爆心地はあの日のまま変わることなく、むしろ廃墟としての姿をより鮮明にしてるかのようだ。淡さと儚さ、さらには脆さをも兼ね備えた自分自身、そして同世代の人々の生きた時間の中で最大の脅威として「昭和」を襲った(いや帝国たらんとしたこの国が自ら招いたというべきか)世界大戦がもたらした惨劇への怒りはそこにはない。告発からも祈りからも遠く、ただ彷徨うしかできない姿にのみ徹する姿勢のみが、爆心地の死者たちと自らを繋ぐ唯一の手立てではなのだと静かにうなずき、また歩き出すひとりの姿ばかりが廃墟のままの街を漂い続ける。確かに被爆地の「マリア」はいま涙を流しているかもしれないし、「蝉時雨」に「かなかな」はあの日のように鳴いているのかもしれない。だが声高に何かを叫ぼうとする前に、廃墟の街をゆくひとりの人物は、廃墟のありさまを胸中深くに沈めながら自らが生きてきた「昭和」の淡さであり儚さ、そして脆さを感じ取らずにはいられないのだ、壊れものとしての自らと「昭和」をひたすらに見つめ、抱きしめようとするかのように。
花ふぶきひとひら地球を捨ててゆく
花らんまん地球が滅ぶ日のように
地球儀きしむ地球の鬱に汚染され
大型ゴミの地球儀回る落葉の中
マヌカンの鮫肌見える落葉して
マヌカンに老はん目立つ落葉して
ここに登場する「地球」に「マヌカン」を見てみるとき、どうしてこうまで壊れものとして存在するのだろうかと、思わず嘆息したくなる気持ちがどうにも抑えられなくなる。老いた地球を捨てるかのように宙を舞うはなびら、地球最後の日にあらゆるものを焼き尽くそうとする炎と見立てられる満開の桜たち。原爆を手に入れてしまった人類の軋みが移った地球儀は、大型ゴミ置き場に捨てられながらなおも自転を続けてやまない、いや捨てられたのは地球そのもの、人類そのものではないのか。室生氏の作品にたびたび登場する「マヌカン」たち、ショーウインドウで色とりどりに着飾って美を誇示しているはずの彼ら彼女たちが、落葉の季節に訪れた鮫肌に老班の無残さからは、あらゆるものが時間のもたらす軋みから逃れられはしない現実を露わに見せつけるのだが、ここでも目線は軋みに抗おうとか、地球に軋みをもたらす文明に対する批評を発揮しようとする態度からは遠い。軋みや老いの様子を自らに刻みこみ、すべてを壊れものとして受け止めようとする姿勢は一冊の中であくまでも一貫している。そして雪月花の風情やいわゆる「社会性」とは一線を画し、絞り込んだ語彙を駆使しながら独特の叙情性を持った作品世界を作り上げていったのである。
だが著者はここであえて自らの「昭和」の原風景を収めずにはいられなくなった。
巴里祭靴下その他は部屋に干す
藤くらし血を売って外国書得ぬ
壁の汚点したし学生服吊るす
メーデー終へ広場の林檎母へ買ふ
寝おちゆく孤児ら噴水力抜く
歌留多取る母に銃後の日のありき
「私の俳句の原点」(あとがきより)と語る昭和27年か31年までの5年間の作品を収めた「巴里祭」の章の作品は、当然のことながらここまで述べてきた方法を持って書かれたものではない。若き室生氏にとって「昭和」は現実に流れる時間としてあり、自らを養わなければならない生活があり、目の前には病める日野草城と草城を慕う若い仲間たちがいる。「巴里祭」への憧れを胸に秘めながら靴下を干し、学生服を吊るしながら壁の染みに対して「したし」と自嘲してみせる、時には一冊の本を手に入れるために血を売るほかない生活のまっただなかで、メーデーの労働者の中に入ろうとし、公園に野宿する孤児たちに思いを馳せずにはいられない日々。背景には誰も逃れることのできなかった「銃後の日」が重くのしかかる。そんな中で何とかひとりの人間として、そして俳人として自らを立てようとする姿は何者にも変えがたい室生氏の青春そのものだ。
西日充ち男の部屋は釘だらけ
部屋ぢゆう西日バターと葡萄酒買ひ来れば
マンボ・バカーン寝ころべば顔にまで西日
これらの作品で現れる「西日」によって照らされるのは生活の現実と、どうにもできない焦燥を抱え込んだ自分自身の姿である。部屋を照らす「西日」は部屋のあちらこちらから飛び出す釘をはっきりと見せつけ、憧れのバターと葡萄酒を買い求めた高揚感をそのままに戻ってきた部屋を包み込む「西日」は一瞬訪れたモダンな幻想から現実の生活に自らを引き戻す役割を果たす。こうなればマンボも西日もただ自分にとっては疎ましい存在でしかないだろう、音楽も光線もなにもかもが自らの現実をさらけ出そうとするだから。どのようにしていまの自分に対し、社会のありように対していけばいいのかを模索し続けたこの時期は確かに原点であり、「昭和一ケタ」生まれの自らにとっては忘れられない、いや忘れてはいけない時間だったからこそ、あえて一冊に収めるだけの価値を見出したのだ。ここから始まった長い時間の中で「昭和」は幕を閉じ、草田男ならずとも「遠くなりにけり」の感慨は幾たびも訪れただろうが、そのたびに感慨を振り切り、物にとどまらず、あらゆる事態をも「壊れもの」として受け入れようとしながら書き続けられた作品がこの一冊にはまとめられている。
眼帯して少年の日の西日に会う
「平成19~20年」の章にある一句。若い頃に部屋で自らを照らした「西日」からはあまりの隔たりを感じずにはいられないのだが、さまざまな意味で苦しかったあの日々から遠く離れてようやく書くことのできた「西日」は、「眼帯」という自らの肉体に訪れた違和を通じて見出すことができたものだった。「昭和」の日々に自らを照らした「西日」は自らを打ち据えるかのようだったが、いま眼帯を通して受け止める「西日」はあの頃とは違い、淡さと儚さと、そして脆さをも兼ね備えた「壊れもの」として自らを照らしている。またもや訪れつつあるノスタルジーを振り切りながら、壊れそうな「西日」の中を歩くこのときにも、「昭和」は確かに遠くなりつつあるのだ。
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