2010年4月25日日曜日

壊れそうな西日の中で 室生幸太郎『昭和』を読む・・・岡村知昭

壊れそうな西日の中で
室生幸太郎『昭和』を読む

                       ・・・岡村知昭

物心ついたときからずっと「天皇誕生日」だった4月29日は、天皇の代替わりによって「みどりの日」に、そして何年か前には「昭和の日」となり現在に至っている。名称がどうなろうとゴールデンウィーク最初の祝日には変わりないので、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」(内閣府ホームページより)との意図がどこまで通じているかは、はなはだ心もとなく思うばかりなのだが、何より「昭和」はあまりにも長かった、その期間は63年と何日か。帝国の興亡に費やされた20年と核兵器を背景にした冷戦構造の中での復興と発展に費やされた40年。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返した国で過ぎていった、それぞれが背負った個人的な日々の思い出は、高度成長期へのノスタルジーの衣を纏いながら、それでも確かに遠のきつつある。

中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」がまぎれもなく「昭和」の俳句であるように、室生幸太郎氏の句集『昭和』は間違いなく「昭和」を離れての20年なくしては生まれなかった一冊である。室生氏は「戦中、戦後を肌で感じながら育った」(あとがきより)昭和八年生まれのいわゆる「昭和一ケタ」と呼ばれる世代を生きた自覚と自負を見てとることはたやすそうなのだが、「昭和」という語が一句に現れる作品からは、なかなかどうしてと思わず呟かせる著者の手強さが随所に顔を見せてくる。

昭和ヒトケタ前に進めず花の中
昭和一桁せかせかと行き芒原
咲き満ちてさくら昭和を遠くする
飛花落花昭和を忘れたい人に
芒原昭和の波の音ばかり

前に進めない戸惑いの中にある桜のなかの「ヒトケタ」、自分自身ですら戸惑ってしまう速さで芒原を歩き続ける「一桁」。どちらも自画像であり、また著者自身と同世代の人々の現在の姿といえば言えるだろうが、一句に現れるひとりの人物の像はどこか淡く、儚さすら感じられ、なにより「昭和」という時間を生きたというノスタルジーからは無縁のところに立ち尽くしているように見える。桜散る中に立つ「昭和を忘れたい人」も、芒原で「昭和の波の音」をただ聞くほかない人もそうで、過ぎていった時間を懐かしむでもなく恨むでもなく、ただ立ち尽くしながら自らを見届けているのみ、いや見届けることを選んでここにいるといった風情なのである。もちろん自らの原風景がどうとか、あの時代をどう生きたかといった問いとは無縁であろうとするわけではないのだが、その前に過ぎていったものを解釈して結び付けようとせず、ただ感じ取っただけのあるひとりの「昭和一ケタ」像を作ろうとしている。

でもそうなると「昭和を遠くする」の句は一冊の冒頭に置かれているだけに著者の感慨が現れている作品ではないのかと言われそうで、その点はきっと著者自身も深い思い入れをもって一句を冒頭に据えただろうことは容易に見て取れるのだが、満開の桜を見ている、「昭和」は遠くなりつつあるなあと感慨にふける、との流れは草田男の「降る雪や」と同じようでありながら、ため息や遠いまなざしのありようは草田男の断言から発せられるものよりも淡く、より儚げであろうとする。著者自身の中でこの姿勢は徹底されているのだなと私は受け止めたのである。

ひろしまを消すひろしまの蝉時雨
ヒロシマに消えに行くため夏帽子
ヒロシマ風化して広島の夏帽子
夏帽子ながさきの坂上がったまま
かなかなの途切れ途切れにながさき泣く
八月六日乾いた目玉ばかりが来る
八月九日見えない空を見るマリア
死んでいるわたしと歩く爆心地


ノスタルジーに対しての淡さと儚さへの志向、という著者の姿勢は、繰り返し書かれる「昭和」の戦争がもたらした原爆の惨禍をモチーフにした作品群において、よりはっきりとした形で表れる。これらの作品においても原爆の惨禍への告発や平和への決意といった要素はことごとくかき消され、現実の広島や長崎ではない「ひろしま」「ながさき」の街をゆくひとりの人間の像のみが淡く顔を見せ、そのことによって原爆の惨禍がほかならぬ人類の手によってもたらされ、その傷がいまもなお癒えない様子を描こうとしている、とひとまずは思いつつも、作品を読めば読むほどに見えてくるのは、原爆投下から60年以上が過ぎたにもかかわらず、いまだに廃墟のままの姿をとどめる「ヒロシマ」「ナガサキ」。現実の広島との自ら思う「ヒロシマ」との齟齬を記憶の風化を思いながら、原爆の死者と一緒に自ら歩く爆心地はあの日のまま変わることなく、むしろ廃墟としての姿をより鮮明にしてるかのようだ。淡さと儚さ、さらには脆さをも兼ね備えた自分自身、そして同世代の人々の生きた時間の中で最大の脅威として「昭和」を襲った(いや帝国たらんとしたこの国が自ら招いたというべきか)世界大戦がもたらした惨劇への怒りはそこにはない。告発からも祈りからも遠く、ただ彷徨うしかできない姿にのみ徹する姿勢のみが、爆心地の死者たちと自らを繋ぐ唯一の手立てではなのだと静かにうなずき、また歩き出すひとりの姿ばかりが廃墟のままの街を漂い続ける。確かに被爆地の「マリア」はいま涙を流しているかもしれないし、「蝉時雨」に「かなかな」はあの日のように鳴いているのかもしれない。だが声高に何かを叫ぼうとする前に、廃墟の街をゆくひとりの人物は、廃墟のありさまを胸中深くに沈めながら自らが生きてきた「昭和」の淡さであり儚さ、そして脆さを感じ取らずにはいられないのだ、壊れものとしての自らと「昭和」をひたすらに見つめ、抱きしめようとするかのように。

花ふぶきひとひら地球を捨ててゆく
花らんまん地球が滅ぶ日のように
地球儀きしむ地球の鬱に汚染され
大型ゴミの地球儀回る落葉の中
マヌカンの鮫肌見える落葉して
マヌカンに老はん目立つ落葉して


ここに登場する「地球」に「マヌカン」を見てみるとき、どうしてこうまで壊れものとして存在するのだろうかと、思わず嘆息したくなる気持ちがどうにも抑えられなくなる。老いた地球を捨てるかのように宙を舞うはなびら、地球最後の日にあらゆるものを焼き尽くそうとする炎と見立てられる満開の桜たち。原爆を手に入れてしまった人類の軋みが移った地球儀は、大型ゴミ置き場に捨てられながらなおも自転を続けてやまない、いや捨てられたのは地球そのもの、人類そのものではないのか。室生氏の作品にたびたび登場する「マヌカン」たち、ショーウインドウで色とりどりに着飾って美を誇示しているはずの彼ら彼女たちが、落葉の季節に訪れた鮫肌に老班の無残さからは、あらゆるものが時間のもたらす軋みから逃れられはしない現実を露わに見せつけるのだが、ここでも目線は軋みに抗おうとか、地球に軋みをもたらす文明に対する批評を発揮しようとする態度からは遠い。軋みや老いの様子を自らに刻みこみ、すべてを壊れものとして受け止めようとする姿勢は一冊の中であくまでも一貫している。そして雪月花の風情やいわゆる「社会性」とは一線を画し、絞り込んだ語彙を駆使しながら独特の叙情性を持った作品世界を作り上げていったのである。

だが著者はここであえて自らの「昭和」の原風景を収めずにはいられなくなった。

巴里祭靴下その他は部屋に干す
藤くらし血を売って外国書得ぬ
壁の汚点したし学生服吊るす
メーデー終へ広場の林檎母へ買ふ
寝おちゆく孤児ら噴水力抜く
歌留多取る母に銃後の日のありき


「私の俳句の原点」(あとがきより)と語る昭和27年か31年までの5年間の作品を収めた「巴里祭」の章の作品は、当然のことながらここまで述べてきた方法を持って書かれたものではない。若き室生氏にとって「昭和」は現実に流れる時間としてあり、自らを養わなければならない生活があり、目の前には病める日野草城と草城を慕う若い仲間たちがいる。「巴里祭」への憧れを胸に秘めながら靴下を干し、学生服を吊るしながら壁の染みに対して「したし」と自嘲してみせる、時には一冊の本を手に入れるために血を売るほかない生活のまっただなかで、メーデーの労働者の中に入ろうとし、公園に野宿する孤児たちに思いを馳せずにはいられない日々。背景には誰も逃れることのできなかった「銃後の日」が重くのしかかる。そんな中で何とかひとりの人間として、そして俳人として自らを立てようとする姿は何者にも変えがたい室生氏の青春そのものだ。

西日充ち男の部屋は釘だらけ
部屋ぢゆう西日バターと葡萄酒買ひ来れば
マンボ・バカーン寝ころべば顔にまで西日


これらの作品で現れる「西日」によって照らされるのは生活の現実と、どうにもできない焦燥を抱え込んだ自分自身の姿である。部屋を照らす「西日」は部屋のあちらこちらから飛び出す釘をはっきりと見せつけ、憧れのバターと葡萄酒を買い求めた高揚感をそのままに戻ってきた部屋を包み込む「西日」は一瞬訪れたモダンな幻想から現実の生活に自らを引き戻す役割を果たす。こうなればマンボも西日もただ自分にとっては疎ましい存在でしかないだろう、音楽も光線もなにもかもが自らの現実をさらけ出そうとするだから。どのようにしていまの自分に対し、社会のありように対していけばいいのかを模索し続けたこの時期は確かに原点であり、「昭和一ケタ」生まれの自らにとっては忘れられない、いや忘れてはいけない時間だったからこそ、あえて一冊に収めるだけの価値を見出したのだ。ここから始まった長い時間の中で「昭和」は幕を閉じ、草田男ならずとも「遠くなりにけり」の感慨は幾たびも訪れただろうが、そのたびに感慨を振り切り、物にとどまらず、あらゆる事態をも「壊れもの」として受け入れようとしながら書き続けられた作品がこの一冊にはまとめられている。

眼帯して少年の日の西日に会う

「平成19~20年」の章にある一句。若い頃に部屋で自らを照らした「西日」からはあまりの隔たりを感じずにはいられないのだが、さまざまな意味で苦しかったあの日々から遠く離れてようやく書くことのできた「西日」は、「眼帯」という自らの肉体に訪れた違和を通じて見出すことができたものだった。「昭和」の日々に自らを照らした「西日」は自らを打ち据えるかのようだったが、いま眼帯を通して受け止める「西日」はあの頃とは違い、淡さと儚さと、そして脆さをも兼ね備えた「壊れもの」として自らを照らしている。またもや訪れつつあるノスタルジーを振り切りながら、壊れそうな「西日」の中を歩くこのときにも、「昭和」は確かに遠くなりつつあるのだ。

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3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

岡村知昭様、一月前にmixi私の日記欄で、室生幸太郎の「桜」の句一句挙げたときに、ぼくも句集「昭和」を部屋中さがし廻っているのだ、という貴下のコメントがありました。それがうまくみつかって且つこういう力作書評を書かれたことが(しかも昨日4月28日の貴方のバースディを挟んで)嬉しいなあ。
キチンと句集の意義に向き合った好文ですね。
平成に入ったから「昭和」が対象化されたというのは、わかりやすく正鵠を得た指摘です。
天皇誕生日の実感が強烈なウチに(今日はその4月29日)、「みどりの日」→「昭和の日」という風に根拠もないのに変わってゆく「国民の休日」=「過去のある部分を強調した祝祭」、ほんとに奇妙に操作的だ、と思ってきました。(堀本 吟)
 
室生さんの句集「昭和」「ヒロシマ」「ナガサキ」は。この戦争体験を個人的体験としてかきとどめようとする強い意志に支えられた特異な「戦後俳句」です。それが「桜」に象徴されて句のコンセプトができています。

ヒロシマはふつうの街だったのに、いまや、「ヒロシマ」といえば、原爆を想起。
桜は、「雪月花:といわれるほど優雅な日本の花であったのに。この時期から権力の本質を暗示象徴する「さくら」となった。そう言う言葉に対する感覚もパターン化されている、それは、誰も彼もがそう言うことになるとかなり違和感がありますが。

しかし、この句集の特異性はその強調にあります。作者の個が其処で生きているからです。言葉と時代状況、個人的感慨、のこの対応が解りすぎるほどはっきりした室生幸太郎の表現世界。「個」という存在にはっきりした驎隔があることもこの句集の特質ですね。
岡村さんは良い句集を紹介してくださいました。多くの人が、このつつましく強烈な時代活写の句集をよまれますように。

私は、昭和俳句という元号の利用による祭り上げ方には断固反対ですが、「昭和:戦後;戦争」などの無季俳句の共同観念ともなった現実の言語化は、これからも探求がいると思っています。

岡村知昭 さんのコメント...

吟さん、コメントいただき恐れ入ります。
部屋中探し回ってようやく見つけてから、何とか形にしたいなあと思い続けてたので、今回4月29日をまたぐ週の号にまとめられたのは嬉しかったです。

句集を読みながら改めて思ったのは使用される語彙の少なさでした。その分だけ一語は徹底して使い込まれるわけで、「青玄」で私が見ていたときにはすでにこの手法を自分の物にしていたように思います。

>「個」という存在にはっきりとした輪郭があることもこの句集の特質ですね。

自分の存在を消せるだけ消しているように見えながら「個」が立ち現れるというのは、状況や感慨の根拠を見定め、そこから言葉を磨き上げることから来るのでしょうね。いわゆる「社会性」やモダニズム、さらには「青玄」の「俳句現代派」運動をくぐった経験が十二分に生かされている、などと後輩の私が書くのはなんともおこがましいのですが(苦笑)。

「昭和」を対象化しようとする俳句作品はこれからますます現れそうですが、ノスタルジーの衣をいかに脱ぐことができるかが作品成功のポイントになるのではと考えます。何しろさっそく「昭和の日」を季語にした一句をこの前見ましたが、難しいなあと思うばかりでした。そういう意味からもこの一冊は手強いです。昭和どころか戦後まで遠くなり、攝津幸彦ではないですが「もはや戦前かもしれぬ」との思いが充満しそうな中で、細やかな抒情を徹底することで抒情を超えようとする姿勢を見られたのは、今回何よりの収穫となりました。
自分へのいいバースデープレゼントになったようです。

Unknown さんのコメント...

岡村さん。ほんとに、ご自分への有意義なバースデイプレゼントでしたね。
こういう場を利用して、ひろく持論を書き抜く、この練習が少し不足していると感じていたので、首都の同世代の人たちの中に交わりに出ててこられたことも嬉しいです。同人誌「狼」や「豈」での継続した研鑚や、関西の仲間達との意見交換がこういうかたちに集約してきたような気がします。

日野草城は、幾つかの流れをうんでいます。が、冨澤赤黄男、桂信子はすでに研究も広がっていますが、伊丹三樹彦、たむらちせい、室生幸太郎、は、あんがい盲点であり、ちゃんと読む人が少ないような気がしています。できればそれに近い後続者がしっかりと位置づけ総括しておかれた方がいいように思いました。伊丹公子については私ががこの年頭に、すこし、改行詩との関わりで述べましたが、彼女は又独特な位置にいます。
草城の女婿であり、その俳句スタイルをまともにうけて、かつ社会性俳句や前衛俳句のさかんであった時代の意識を堅持している室生さんへの着目には、岡村さんのある種の意志を感じました。草城の時代の「青玄」には又林田紀音夫という人も居て、これは、野口さん達とともに読書会を重ねてきていますね。表面いろんな水たまりに別れてきている、関西の現代俳句の党派とグループは、じつは地下水のように幾つかの水流とまじわり、個人的な交流もあり、それぞれ独特な作風を作り上げてきています。これを整理して論評するだんになるとたいへんむづかしいものがあります。ぼつぼつ、そういうことも意識化してゆきましょう。
(堀本 吟)