tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post6757392094501885114..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 壊れそうな西日の中で 室生幸太郎『昭和』を読む・・・岡村知昭yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-14376093362997271742010-04-30T01:15:41.210+09:002010-04-30T01:15:41.210+09:00岡村さん。ほんとに、ご自分への有意義なバースデイプレゼントでしたね。
こういう場を利用して、ひろく持...岡村さん。ほんとに、ご自分への有意義なバースデイプレゼントでしたね。<br />こういう場を利用して、ひろく持論を書き抜く、この練習が少し不足していると感じていたので、首都の同世代の人たちの中に交わりに出ててこられたことも嬉しいです。同人誌「狼」や「豈」での継続した研鑚や、関西の仲間達との意見交換がこういうかたちに集約してきたような気がします。<br /><br />日野草城は、幾つかの流れをうんでいます。が、冨澤赤黄男、桂信子はすでに研究も広がっていますが、伊丹三樹彦、たむらちせい、室生幸太郎、は、あんがい盲点であり、ちゃんと読む人が少ないような気がしています。できればそれに近い後続者がしっかりと位置づけ総括しておかれた方がいいように思いました。伊丹公子については私ががこの年頭に、すこし、改行詩との関わりで述べましたが、彼女は又独特な位置にいます。<br />草城の女婿であり、その俳句スタイルをまともにうけて、かつ社会性俳句や前衛俳句のさかんであった時代の意識を堅持している室生さんへの着目には、岡村さんのある種の意志を感じました。草城の時代の「青玄」には又林田紀音夫という人も居て、これは、野口さん達とともに読書会を重ねてきていますね。表面いろんな水たまりに別れてきている、関西の現代俳句の党派とグループは、じつは地下水のように幾つかの水流とまじわり、個人的な交流もあり、それぞれ独特な作風を作り上げてきています。これを整理して論評するだんになるとたいへんむづかしいものがあります。ぼつぼつ、そういうことも意識化してゆきましょう。<br />(堀本 吟)Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-71564155671169498312010-04-29T23:21:08.127+09:002010-04-29T23:21:08.127+09:00吟さん、コメントいただき恐れ入ります。
部屋中探し回ってようやく見つけてから、何とか形にしたいなあと...吟さん、コメントいただき恐れ入ります。<br />部屋中探し回ってようやく見つけてから、何とか形にしたいなあと思い続けてたので、今回4月29日をまたぐ週の号にまとめられたのは嬉しかったです。<br /><br />句集を読みながら改めて思ったのは使用される語彙の少なさでした。その分だけ一語は徹底して使い込まれるわけで、「青玄」で私が見ていたときにはすでにこの手法を自分の物にしていたように思います。<br /><br />>「個」という存在にはっきりとした輪郭があることもこの句集の特質ですね。<br /><br />自分の存在を消せるだけ消しているように見えながら「個」が立ち現れるというのは、状況や感慨の根拠を見定め、そこから言葉を磨き上げることから来るのでしょうね。いわゆる「社会性」やモダニズム、さらには「青玄」の「俳句現代派」運動をくぐった経験が十二分に生かされている、などと後輩の私が書くのはなんともおこがましいのですが(苦笑)。<br /><br />「昭和」を対象化しようとする俳句作品はこれからますます現れそうですが、ノスタルジーの衣をいかに脱ぐことができるかが作品成功のポイントになるのではと考えます。何しろさっそく「昭和の日」を季語にした一句をこの前見ましたが、難しいなあと思うばかりでした。そういう意味からもこの一冊は手強いです。昭和どころか戦後まで遠くなり、攝津幸彦ではないですが「もはや戦前かもしれぬ」との思いが充満しそうな中で、細やかな抒情を徹底することで抒情を超えようとする姿勢を見られたのは、今回何よりの収穫となりました。<br />自分へのいいバースデープレゼントになったようです。岡村知昭noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-42551559076783816772010-04-29T16:33:50.468+09:002010-04-29T16:33:50.468+09:00岡村知昭様、一月前にmixi私の日記欄で、室生幸太郎の「桜」の句一句挙げたときに、ぼくも句集「昭和」...岡村知昭様、一月前にmixi私の日記欄で、室生幸太郎の「桜」の句一句挙げたときに、ぼくも句集「昭和」を部屋中さがし廻っているのだ、という貴下のコメントがありました。それがうまくみつかって且つこういう力作書評を書かれたことが(しかも昨日4月28日の貴方のバースディを挟んで)嬉しいなあ。<br />キチンと句集の意義に向き合った好文ですね。<br />平成に入ったから「昭和」が対象化されたというのは、わかりやすく正鵠を得た指摘です。<br />天皇誕生日の実感が強烈なウチに(今日はその4月29日)、「みどりの日」→「昭和の日」という風に根拠もないのに変わってゆく「国民の休日」=「過去のある部分を強調した祝祭」、ほんとに奇妙に操作的だ、と思ってきました。(堀本 吟)<br /> <br />室生さんの句集「昭和」「ヒロシマ」「ナガサキ」は。この戦争体験を個人的体験としてかきとどめようとする強い意志に支えられた特異な「戦後俳句」です。それが「桜」に象徴されて句のコンセプトができています。<br /><br />ヒロシマはふつうの街だったのに、いまや、「ヒロシマ」といえば、原爆を想起。<br />桜は、「雪月花:といわれるほど優雅な日本の花であったのに。この時期から権力の本質を暗示象徴する「さくら」となった。そう言う言葉に対する感覚もパターン化されている、それは、誰も彼もがそう言うことになるとかなり違和感がありますが。<br /><br />しかし、この句集の特異性はその強調にあります。作者の個が其処で生きているからです。言葉と時代状況、個人的感慨、のこの対応が解りすぎるほどはっきりした室生幸太郎の表現世界。「個」という存在にはっきりした驎隔があることもこの句集の特質ですね。<br />岡村さんは良い句集を紹介してくださいました。多くの人が、このつつましく強烈な時代活写の句集をよまれますように。<br /><br />私は、昭和俳句という元号の利用による祭り上げ方には断固反対ですが、「昭和:戦後;戦争」などの無季俳句の共同観念ともなった現実の言語化は、これからも探求がいると思っています。Unknownhttps://www.blogger.com/profile/00150502238276483466noreply@blogger.com