2010年6月19日土曜日

「セレクション俳人」を読む16 中原道夫集

「セレクション俳人」を読む16『中原道夫集』
「蝶」はどこにいる?

                       ・・・外山 一機

『中原道夫集』は一九九七年から二〇〇二年までの句集未収録作品八〇〇句と、中原の散文、および一〇の中原道夫小論からなる。「セレクション俳人」シリーズの他の集において処女句集あるいは第二、第三句集が収録されていることを鑑みればこれは本シリーズにおいてかなり特異な位置を占める一書であろう。このような齟齬がなぜ生まれたのかについての詮索はひとまず置き、ここでは収録作品の制作された年代について考えてみたい。

中原道夫は戦後生まれの俳人を代表する一人である。第一句集『蕩児』(平成二)では「白魚のさかなたること略しけり」をはじめとする機知や諧謔味を特徴とした句を提示してみせたが、本集収録作品のつくられた一九九七(平成九)年の前年には第三句集『アルデンテ』を刊行、「飛込の途中たましひ遅れけり」などそれまでとは異なる作風の展開を始め、また平成一〇年には「銀化」を創刊主宰している。

つまり、本集の作品はそれまでの諧謔味を中心とした作風からの転換を図っていた時期のものということになろう。収録作品からいくつか引いてみよう。

葬り来て酢牡蠣みだらと思ふのみ
小春日の船霊交る音聴かな
がうな売り朝な夕なの立ち眩み
死後もまたうからの寄れる西瓜食ぶ

それまで一貫して機知を武器にしてきた中原の転換はしかし、必ずしも円滑に進行したわけではなかった。むしろ、それまでの特徴をどこまでも残しながら新たな展開を目指していたのだと言ったほうが当たっているだろう。

俎に乗つてもみよと鯛焼に
蟻にまた遷都ばなしの持ちあがる
川太郎秋思に皿の乾くなり

かつて中原は「白魚のさかなたること略しけり」において存在物を知的把握によって捩じ伏せ自らの足許に平伏させるという荒業を見せた。思えばその荒業のやりくちが何とも滑稽で、だからこそ僕たちは「中原道夫」に魅了されたのではなかったか。作風の転換を図ってから後に書かれた上記の「鯛焼」「蟻」「川太郎」においてもその方法がうかがえるが、それは中原が体現した俳句表現史の必然であったとはいえないだろうか。

蝶にして墜死のゆめのあるにはある

これは「蝶墜ちて大音響の結氷期」(富沢赤黄男)をふまえての句であろう。赤黄男が劇的に描出した蝶の墜落を、中原は「墜死のゆめのあるにはある」のだと、妙に冷めた態度でうそぶいてみせる。一方で、このような居直りが一句に赤黄男句のパロディとしての「笑い」を生んでいるのだと考えることもできる。すでに述べたように「笑い」あるいは「滑稽」とは中原の作品の特徴であるが、それにしても、その「笑い」の裏側にあるこの「冷めた」感じは何なのだろう。

川名大は「蝶墜ちて」の句について次のように述べている。

この句は、従来、連作から切り離され、単独句として次のように鑑賞されてきた。(略)
つまり、この句は「結氷期」ともいうべき逼塞した時代状況を照射したメタファーだ、とする読みである。(略)これに対して、この句を連作五句の座の中に還元して読めば、「冬影」ないし「結氷期」のテーマに収斂していく一句として、そこに表現意図を読みとることができる。この句の直前の「冬蝶のひそかにきいた雪崩の響」から、凍蝶のイメージを媒介にして、それにふさわしい大音響を発するかのような厳しい結氷期という時空を新たに提示してみせた、という読みである。(川名大『現代俳句』上巻、筑摩書房、二〇〇一)

いずれの読みをとるにせよ、「蝶」の揺るぎない存在の確かさが、「大音響」を導きだしていることは間違いないだろう。一方で、中原の「蝶」は自らの存在を示す行為としての「墜死」をすることがない。あるいは、そんな「ゆめ」も「あるにはある」といった程度に、赤黄男の「蝶」をあっさりと相対化してしまう。こんなふうに、中原の「蝶」のアリバイはついに不確かなままである。

蝶水漬く空に染まれぬことを知り

中原の「蝶」はまた、こんな姿で登場する。言うまでもないけれどこの句に「笑い」はないだろう。「墜死のゆめのあるにはある」と、いささかニヒルな面持ちで語ってみせた「蝶」に比して、今度はかなりナイーブな「蝶」である。橋本喜夫が指摘しているように、この句からは若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」が想起される(「いのちの寂寥」『中原道夫集』収)。牧水の「白鳥」は「空」「海」どちらの「青(あを)」にも染まることはないが、中原の「蝶」は「空」に染まることをあきらめ「水漬く」というのである。いわばこの蝶は飛ぶことのできない「蝶」であり、そうであるがゆえに「水」に染まる。それはまさに「墜死」の姿であるけれども、なんと消極的な「墜死」であることか。赤黄男の「蝶」は「蝶」たりうるために「墜ち」たのだが、中原の「蝶」は「蝶」たりえないために墜ちたのである。同時に、中原の「蝶」は「蝶」たりえないことをもってようやく逆説的に自らの存在を証明することができる。

中原がこんな消極的な方法でしか指し示すことのできない自己とはいったい何だろう。あるいはこんなふうに言ってもいいのかもしれない。すなわち、自己を指し示すことがこんなにも困難になってしまったのはなぜだろうか。そしてこれは中原だけが抱えている問題ではない。

戦後生まれの俳人の作品と、それ以前の俳人の作品とのほとんど決定的といっていい違いのひとつは、自己表現への信頼の度合いの差であるだろう。赤黄男の「蝶」が近代的な自己の反映としてのそれであるならば、中原の「蝶」は現代的な自己の反映としてのそれである。後者は前者に比べていかにも不安定でたよりない。加速度的に拡散していく自己を詠うとき、どのような方法がありうるのか―。戦後派の仕事を経験した後で、俳句表現の現在を引き受けようとした者はこの地点からそれぞれの道を模索したのだった。そしてある者は古典へ回帰し、ある者は超人的な自己を詠い、またある者は戦後派の痛みを痛みとしてそのまま自らにひきとっていった。中原が『蕩児』をもって示したのは、この同時代的な問いに対する彼なりの回答であったろう。たしかに中原の作風は、ある種生真面目ともいえる当時の若手俳人の中で際立っていたといえる。けれども、その表現の根にあるものは、他の俳人のそれと必ずしも大きく異なるものではなかったのではないだろうか。

しかしすでに述べたように、中原はかつて目指していた地点とはやや異なる場所を見据えているようだ。そしてすでに『中原道夫一〇〇八句 作品集成Ⅰ』(平成一一)、『中原道夫作品集成Ⅱ』(平成一五)によって自らのこれまでの仕事を纏め始めている中原でもある。中原の現在がいまだ俳句表現の現在の一翼を担っているとすれば、その先にはいったい何があるのだろうか。

付記:今回、句の引用にあたり旧字体は新字体に直した。

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