・・・藤田哲史
1
こと虚子への肉薄という点で他作家の追随を許さない『感謝』としての作家岸本尚毅の描像が敷衍している昨今、そろそろ『鶏頭』と『舜』両句集に懐かしさを覚える読者は多いのではないか。いや、じつは単純に私がそうしたわがままな読者というだけなのだが…。
ともあれ、岸本尚毅の第一句集『鶏頭』の鋭敏さをまずは見てみることにする。
桃が歯に沁みて河口のひろびろと
月の出や冬菜が四方八方に
葉牡丹やダンスの汗がうつすらと
雪舞ふや鶯餅が口の中
白魚やテレビに相撲映りをり
鰻焼く春一番の白波に
ワイシャツに手を通しつつ朝桜
ざりがにの流されてゆく施餓鬼かな
芭蕉葉にぷすと針金突き刺さり
木瓜咲いて鴉の羽根の落ちてゐる
河骨にどすんと鯉の頭かな
草むらにトマト散らばる野分かな
一九八六年(昭和六一年)刊行。岸本尚毅は新しさに対して何の焦りもなかった。
いつか、とある歌人と、短歌と俳句の特性について話をした際、短歌を爆弾にたとえるとするなら、俳句を匕首にたとえられるような旨のことを喋った記憶がある。
その「匕首」の働きを分析してみると、その「匕首」のはたらきの一つに、「率意」ということがいえると思った。たとえば、芭蕉の「曙や白魚白きこと一寸」の初案が「雪薄し白魚白きこと一寸」であったことを考えると、初案の方に感覚の鋭さを見る。この鋭さは掲出した岸本のそれと等しい。「感興の鮮度」とは、『現代俳句の海図』(小川軽舟)の小澤實への評だったが、『鶏頭』『舜』においては岸本尚毅のほうがよりよく当てはまりはしないだろうか。
また、このころの岸本は後年に見られるほど「季題」に拘るふうでもない。あくまで、実直に素直に、写生という技法を練り上げていっている。しかし、職人岸本は、あきたらなくなったのだろう。いつからかその鋭い刃を、より重厚に、斧のように仕立て上げる意思をみせはじめた。
2
「写生と季題のダイナミズム」において岸本は「芭蕉、虚子と比べて爽波は未完の俳人だった」と言う。岸本は一旦爽波の唱導した方向への展開の手を休め、異なった方向に進んでいった。
まはし見る岐阜提灯の山と川(『健啖』)
はからずもべつたら市の夕嵐
筍や蘆花は夫人をいつくしみ
そのへんの雑木の榾と申すのみ
あるときは毛布の中に吾子の汽車
茎立てるブロッコリーの後始末
前述の文章が書かれたほぼ同時期、岸本は第三句集『健啖』を上梓している(平成一〇年)。爽波死後、「花鳥諷詠」に取り舵を切ったころの作品だ。私はそこにあらわれる一市民の一市民らしい感情のつつましさを愛しはする。それ以前の作品と比較して、これらの作品を深化したと見るか、「季題」に回収されたと見るか、ポストモダン(あるいはそれ以後)の時代においてその評価はむずかしい。
が、少なくとも、読みにおいて季語を主題とするかぎり、読みが「季題」に回収されないことなど皆無だ。大事なことは、作品が、作者の岸本を離れた時点で、季語以上の主題があるかどうかを読みに含みうるかどうかだ。「季題」を殺すとは、言い換えると読みの転換を迫るということでもある。
彼一語我一語秋深みかも 虚子
秋近き心の寄るや四畳半 芭蕉
いずれも岸本が、「普通語」として「季題」を扱った芭蕉と虚子の句境というが、両者において主題は「彼」と「我」の繋がりである。そもそも、爽波の本質はそういった主題を詠むことへの含羞が製作の根幹にあったのではないか。(その爽波の韜晦がゆえに、爽波は爽波たりえていたとも言えるのだが。) 時代を問わず、生死、恋愛、友情といった主題は、くりかえし文学の中に現われてくる。素材や文体を刷新できはしても、そのような主題からはみだすことは、何人たりとも不可能だ。
3
そもそも主題云々以上に、この短い詩形はいやが応にも言葉をメタファー化させやすい。
遠山に日の当りたる枯野かな 虚子
芋の露連山影を正しうす 蛇笏
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 石鼎
これらの理想化されたうつくしい風景は、そのまま作家の心象風景と地続きになっていて、リアリティを封殺したイメージの厳密さをもつ。その厳密さは、時として読み手にたいして堅苦しい印象さえ与えてしまう。手頃な評として二句目に対する高柳重信のものを挙げてみようか。
「芋の露」も「連山」も、山の「影」も、(中略)まずは、まぎれもなく眼前の、現実の景観であろう。ところが、(中略)これを、はじめから比喩的に受け止めてしまうと、この種の作品は、いわば気はずかしいほどの老成ぶりを感じさせたり、あるいは、或る種の典型への接近を、やや急ぎすぎた感じを喚起しやすいことになる。
(またしても中略)
僕はつい最近まで、飯田蛇笏の俳句を、すべて観念的な作品として読んできたし、その結果、単に観念の意匠として考える場合、あまりにも肩肘をはりすぎて、やや野暮ったく力みかえった感じの印象をなかなか拭い去ることができなかった。
4
ここで、再びセレクション俳人に収録されている時期に立ち戻って、岸本の身辺を、主題を探ってみる。岸本の第一句集と第二句集における主題の現われ方は、とても淡白だ。
客人は青無花果を見てをられ(『鶏頭』)
なきがらの四方刈田となつてゐし
身籠りて空にあまたの燕かな(『舜』)
老ゆるとも乳房は乳房薔薇の戸に
言葉を比喩的な読みにつなげられるように制御するのではなく、主題と季題を並列させている。それは、たとえば、老いや死などの主題に関していえば、ケの事象とつなげる手法によって、先に挙げた比喩的解釈先行によるリアリティからの遊離を解消している。
老人よどこも網戸にしてひとり 爽波
このように爽波とつながりあう情緒をたたえている句でも十分に一作家として完成されているように思うのだが、岸本は早々にそれが俳句形式という劇場の中で行われている、言葉による寸劇でしかないことを見抜いてしまっていた。
彼に大正時代に見る作家のような厳格な思想はない。しかし、彼らが培ってきた言葉の法則を(膨大な過去の遺産は、俳句形式の枠組みのなかで生かしうる言葉の法則性をのこした)彼は知りぬいている。彼は単なる懐古主義者ではないのだ。彼は単語一つ一つにまで技術を解体したあとに再構築を試みる。
日おもてに現われにけり桜守(『感謝』)
作り滝作り蛙を打ちに打つ
比喩的解釈の誘引をクリアカットしているのにもかかわらず、最低限の情報を確保している第四句集の作品だ。ここへ来て私は、彼もまた(田中裕明などとは違った点で)韜晦のある人物なのだと思う。第一句集における彼独自のペーソスの効いたウィットは、第四句集では過剰にならぬよう慎重に配慮されている。田中が言葉の意味性の排除でそれを表したのに対し、岸本は技術による言葉の必然性によって、それを解消しているのではないか。
そして、だからこそ、わがままな読者は今更に、『鶏頭』なのである。
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