・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
酷寒に死して吹雪に葬らる
『雪嶺』所収
深谷:遷子の作品には、人の死を詠んだものが数多く存在します。もちろん遷子は医師ですから、その職業柄幾人もの患者の死に立ち会ったわけで、この研究会でも既に何回かそうした医師俳句を採り上げてきました(〔42〕〔46〕など)。また〔21〕で論じた
薫風に人死す忘れらるるため 『山河』
も人の死を正面から見つめたものです。掲出句もその一例になるのですが、この句を読んだ時に真っ先に思い出したのは、遷子と同じように雪国でその生涯を全うした成田千空の句、
人が死に人が死にまた雪が降る 『人日』
です。千空もまた、故郷五所川原そして津軽の風土をこよなく愛した俳人です。ただし遷子も千空も故郷を愛する一方、その気候や環境の厳しさを正面から受け止め、その地に生きることの切なさが句のモチーフだったように思います。
遷子の掲出句も、佐久の寒さのなかで死んでいった村人の一人なのでしょうが、それを見送る遷子の眼差しにはどこかやるせなさを感じます。前々回筑紫さんがコメントされた飯田龍太のクールな視線とはやはり肌合いが異なるのです。確かに、遷子の俳句には龍太のような巧緻さはないでしょう。また、同じように北の寒冷地に住んだ佐藤鬼房の詩語の華麗さとも無縁でしょう。どの作品も平明な表現です。
それでも、俳句形式を通じて、俳人は何を訴えていくのか、という問いに対して、遷子も千空も饒舌なまでに答を語ってくれているのではないでしょうか。もちろん、その問自体がナンセンスである、という作品至上主義の立場もあるでしょう。それでも、その心のありようを率直に語ってくれた二人の作品に、読む者の心が洗われるのは如何ともしがたい事実なのです。
中西:涼風が吹けども山の墓和せず 飯田龍太
掲出句を作ったころの遷子と同年代の龍太の句です。磐井さんが〔58〕で指摘され、今回深谷さんも言及される龍太の「クールな視線」を感じさせる句です。
それに比べますと、確かに遷子の句には甘さがあります。この句には山国の厳しい寒さの中に死んでいく人達への愛惜があるように思われます。それは遷子自身もそうなるかもしれないと、思っていることもあるからでしょう。朴訥な表現です。
遷子は医師であって、俳句作家に徹していないところが、龍太との大きな違いなのではないかと思います。俳人として立っている龍太は、いやでも描写を意識したのではないかと思われますし、それに対して遷子は、描写より俳句の内容を重視しているように思います。ときどき遷子の句が観念的に見えるのもそんなところからくるのではないでしょうか。
原:遷子が患者の死を題材とした作品は、大別して二種類に分けられそうです。たとえば、
A
卒中死田植の手足冷えしまま 『雪嶺』 〔46〕
大寒や老農死して指逞し 『雪嶺』
B
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ『山河』〔42〕
安楽死冴え返る夜を医師戻る 『雪嶺』
Aは死者そのものの状態や状況を詠んだもの、Bは患者の死に対する医師としての自分を詠んだもの。
これに対して掲出句は少し違った印象です。深谷さんが引用しておられた〈薫風に人死す忘れらるるため〉の句も、特定の個人の死というよりは普遍的な死のありかたを思わせますけれど、掲出句はさらに死者の個人性が消えて、ここにあるのは、風土そのものであり、その風土とほとんど一体化した人間の生死の在り様を感じさせられます。
飛躍するようですが、こういう認識を積み重ねていった先に、
冬麗の微塵となりて去らんとす
において、「何も残さず」から「微塵となりて」に推敲する剛毅な精神も生まれてきたように思うのです。
仲:何と救いようのない詠みぶりだろう、最初にこの句を読んだ時そう思い感じました。寒い地方ならではの凄絶な人生を突き離したように詠んでいます。我々はすでに忘れているけれど、あまりにも寒いと人間は死ぬのです。現代でもあまりに寒い冬には「○○さんは冬を越せなかったねえ」などと医療従事者同士が話し合ったりします。
流石に今では室内で死ぬ人はいないでしょうが、先に読んだ隙間風の句のようにサッシなどなかった遷子の時代ならひょっとしてあったかもしれません。暖かい部屋から出て、急に寒い外気に触れたためにそのまま逝ってしまう年寄は今でも珍しくないのです。この句の作られた昭和37年当時は以前にも言及したように佐久は日本一脳卒中の多い地方のひとつでした。吉沢國雄先生などは保険補導員と呼ばれる村の役員(近所のおばさんです)を動員して「一部屋暖房運動」を展開したくらいです。つまり炬燵の中は暖かいけれどそこから這い出て寒い便所に行くと卒中を起こしてしまうからです。「炬燵は大きな行火に過ぎない。部屋全体を暖めるストーブのような暖房をしなければいけない」と説いて回ったようです。
この句の4句前に〈われを呼ぶ患者寒夜の山中に〉があります。何度か出てきた冬の夜の往診の場面でしょうが、掲出句はこの時の山中の患者さんが亡くなった時のものかもしれません。必ずしも患者と取らなくても、遷子の身内のこととしてもいい訳ですが、やはりここは往診患者の死を詠んだもののように思えます。ただ、この句の救いは「酷寒に生まれ吹雪に葬らる」でなかったところでしょうか。
筑紫:私が最近よく言っている切れのない俳句が続いているようで、遷子の特徴が良く現れます。俳句は切れではなく、詠んだ内容によって作者独自のものが生まれてきます。それを個性というか文学というか、さまざまな言い方になると思います。ただ、それにしても皆に共有される性格の「表現技法」とは対立するものでしょう。
後者について言えば、表現技法は磨きをかけつつも、共同体の中で共有され、序列化されます。そうして生まれた極め付けが名句ですが、名句は皆が共感できる句であり、かつ出来そうでできなかった超絶的な技巧を持つものでなければなりません(〈滝の上に水現れて落ちにけり〉などがそうだと思います)。これに対し個性や文学は、その人のいき方にとってのみ価値を持つ句だと思うのです。稚拙であっても感動する、いやむしろ稚拙だからこそ感動するのが文学にはしばしばあります。
例えばこの句を「酷寒に死し吹雪に葬らる」とすれば、対句を含んだ漢詩の一節のようです。もし漢詩であっても、遷子の思いの何割かは伝わっていることでしょう。個性や文学というものは伝達においては普遍性をもつものだからです。文学は翻訳可能ですが、俳味の翻訳は困難です。
この句はそんな遷子の思想がよく現れているのではないかと思います。それだけに俳人ではない、一般読者に共感される句だと思います。『ここに泉あり』『喜びも悲しみも幾歳月』『名もなく貧しく美しく』のような昭和30年代の良心的映画などにそのまま採用されるべき句でしょう。
* * * *
とはいえ、ただこの思想がどのくらい感動深いものになるかは難しいものがあります。深谷さんが指摘してくれた、成田千空の句とどちらが先ということではなしに、ユニークさを感じるかどうかというと、健全な常識を感じてしまうところがあります。遷子にひねこびてみよ、ということ自身難しいと思いますが、余りにもストレートすぎるような感じがしないではありません。
また「饒舌」「朴訥」「甘さ」という皆さんの感想も興味深いものでした。「朴訥」「甘さ」だから「饒舌」にならざるを得ないのではないかと思います。切れがないから饒舌になるのではなく、どこかで見たような気がするから饒舌と思われるのではないかというのが正しくはないでしょうか。ここら辺を龍太と比べられると確かにつらいものがあるように思います。遷子の世界はこうした句にもよく現れていると思いますが、龍太のようなクールとは違う、しかし遷子特有の迫力のある句はもう少し先にあるような気がします。
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1 件のコメント:
酷寒に死して吹雪に葬らる 相馬遷子
『雪嶺』所収
***
皆さんの読書はねばり強く、地味な一作家から、一個の存在感とともに、その普遍思考を引き出そうとしておられて、この姿勢が好もしかったです。
主流作家の境地から得られるものとは違った馬酔木俳句の良さに感興を催しました。
「読書会を」(読んでいる姿)を読む、というのも、自分に禁欲を強いることになりました。何か言いたくなるし、書きたくなるし。
とても、かわった知的体験でした、ありがとう。
*
私は、遷子の句では
山深く花野はありて人はゐず
というのが最初の頃出てきたでしょう?あれが、一番好きだし、ヒューマニストの癖に人間的要素を脱色した自然描写の極地だと想っています。(想念の内なる人影がうじゃうじゃでてきますから、ネガとポジの関係のようかきがします。ぎゃくになっているともいえます)。
遷子という人のそういう内面の人と自然の交錯にあじわいがあります。
まえに榎本冬一郎のことを想起したと書きましたが、
「メーデー終へて部下を市民の夜に帰す」
榎本冬一郎
この人は警察官、遷子は医者、ともに、職業柄一個人を公的な「市民:」「部下」。「患者」
「村人」というような呼び方になれている。最初から関係性のなかで社会的な的存在として見る習慣がついている、それが、表現の言い回しにでてきているような気がしました。
思いつきめいていますが、社会性俳句、という呼称の見直しのきっかけにもなるかとおもいます。
A
卒中死田植の手足冷えしまま 『雪嶺』 〔46〕
大寒や老農死して指逞し 『雪嶺』
B
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ『山河』〔42〕
安楽死冴え返る夜を医師戻る 『雪嶺』
最初の
酷寒に死して吹雪に葬らる
これらは、ある概念化された関係にある「人」の状態から、一個人に戻ったときに、ふとおもいしらされる逃げ場のない自己のすがた。個体としての老農の死体、をみてしまった、、こういう句は遷子独壇上で、かつひじょうに心をうちます。
まあそんなところから、馬酔木の中の意識の重層をむきだしておられるのでなかいか、と。
感想一言。
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