2009年10月18日日曜日

遷子を読む(30)

遷子を読む(30

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


山の雪俄かに近し菜を洗ふ

     『雪嶺』所収

窪田昭和41年作。平凡と言えば平凡な句です。しかし、私は「俄に近し」というフレーズが気に入りました。

秋も深まってくると、遠くに見える日本アルプスの嶺に雪が来ます。それは何度か消えてはまた積もり、やがて消えることもなくなります。すると、浅間山に雪が来ます。最初は嶺の方だけに降り、その日のうちに消えたりもします。二、三度降ると、浅間山の前の山に雪が来ます。もう里に雪が来る日も近いことが知れ、日中は秋の日差しが結構暖かでも、朝夕は冷え込み霜が下ります。急いで冬仕度をしなければなりません。

信州人はお茶が好きで、お茶請けには漬け物が無くてはならないものです。現在は少なくなりましたが、昔はどの家でも野沢菜や大根の漬け物を幾樽も漬けました。漬け物は、漬ける時期を選ばないといけません。菜も霜に二、三度あてないと独特のぬめりや旨味が出ません。それに気温が高いうちに漬けると、漬け物が酸っぱくなってしまいます。

掲句の「俄に近し」は漬け物を漬ける季の目安を言っているようで面白いと思いました。それに、さあいよいよ本格的に冬支度をしなければという、女衆(おんなしゅう)の気張った顔が見えてきそうです。

遷子の目と肌が、佐久の地の気象とそこに暮らす人々の生活の姿をしっかりと捉えた句だと思います。

中西野沢菜漬けと、かりかりの梅漬け、それと硬い鼠大根(?)のたくあんが信州の冬の漬物の代表的なものでしたかしら。私も松本在住の折、一抱えほどの野沢菜を漬けた体験があります。手が、塩で痒くなったのを覚えております。白状しますと、よそ者の私の場合は、寒いので台所のお湯で菜を洗ってしまいましたが。

山の雪を見て漬け時を決めるというのは、やはり地元の人ならではの実感あるものです。窪田さんのアルプスから浅間山、そして里山へと雪が麓に近づいてくるとそろそろ漬け時というお話は、この句をいきいきと見せてくれるコメントです。

女ひとり廣田の稲を刈りゐたり

豊の秋中風の姥を家に捨て

と、農家の女性を描いた句がこの句の前にあります。働き者の女性像が描かれています。遷子が心がけていた、誠実に自分を描くということは、取りも直さず自分の周りの環境を丁寧に描くということになのでしょう。女性の労働の逞しさは冬用意にも見えることです。そしてお菜漬けは農家以外でも、どこの家庭でもやりますので、外で働く女性の姿が逞しく眼に映る時期といえるのかもしれません。大量に漬ける家庭は、野沢菜を井戸水で洗うのでしょうから。

前年作の

菜洗ふやこの風すさぶ日をえらび

というのもあります。冷たい風にさらされながらの水仕事の厳しさが見えます。信州に暮らす女性への、「なんでこんな日をわざわざ選んで菜を洗うのかね、ご苦労さまだね」という遷子のやさしさも感じられます。この句の中の女性は、家族のために、おいしい野沢菜漬を作ろうという気合が入っているわけです。

そして掲出句は、例年のこととは言え、郷土への愛着が非常に濃く見える句です。

最初に読んだとき、この「山の雪」は雪景色の山容なのか、現在降っているのか、はたまた雪の来る時期をいっているのか、あれこれ迷いました。前者なら、「雪嶺の」とでもすればはっきりするのになあ、と思ったりしたのです。

山の雪を眺めつつ、もうじきこの里も雪の季節を迎えるのだ、という窪田さんの受け取り方は、この作品を充分活かした鑑賞と思いました。現場に直に触れていらっしゃる方の解説は実感がこもっていますね。素敵です。

深谷窪田さんと同様に、私も「俄に近し」に着目しました。窪田さんが書いておられるように、雪国の冬は、手順を踏むように、しかし着実にやってきます。最初は静かに、そして或る日突然猛烈な寒さを伴ってやってきます。或る朝、山を見ると、昨日までなかった筈の雪が近くの山にも積もっています。まさに「俄かに」という感覚でしょう。こうなると、冬はもうすぐそこまでやってきていて、住民は冬への備えに忙しくなります。私の雪国居住経験は、青森の僻村に2年間ほど住んだだけですが、冬の本格的到来を前にした、この独特の緊張感はよく解ります。

そしてその緊張感は、必ずしも全てがネガティブなわけではありません。厳しい自然環境ながら、その土地でしっかりと生き抜くのだという意欲も感じられます。窪田さんの「女衆(おんなしゅう)の気張った顔が見えてきそう」という指摘は、まさにその通りだと思います。

句の構造として特徴的なのは、「自然vs人事」「遠景vs近景」という対立構造を内包した二物衝撃になっていることです。このコントラストが、上述の「冬への気構え」を鮮やかに浮かび上がらせていると思います。

筑紫確かに「俄かに近し」は魅力的な言葉です。ちょっとしたゲームのようになりますが、「山の雪―     ―菜を洗ふ」の四角枠に何を入れるかを出題してこの言葉が出てくるとすれば、それは名人芸に近いような気がします。その意味では逆に遷子の頭の中から、そのようなゲーム感覚で「俄かに近し」の語が出てきたわけではないと確信させてくれます。

おそらく、遷子にとって山の雪は常住のものであるところから、彼の頭の中に「山の雪」にかかわる属性の語がそれこそ山のように蓄積していたことは間違いありません。「俄かに近し」に結実するためにはさまざまな紆余曲折があったにせよ、体験が積み重なって出てきた自分自身の言葉であることは間違いありません。

その意味では、俳句としては前回の暮の町老後に読まむ書をもとむより遷子の個性が浮かび出ているように思われます。俳句作家にとっては、詠んだ内容よりは、その表現のほうにこそ個性が出るというのは、馬酔木作家としてユニークな俳句を詠んだ遷子であっても免れない宿命のようで皮肉な感じがします。

ただ一方で、「俄かに近し」は医師として佐久に生涯をうずめる決意をした遷子ならではの語感もにおってくるような気がするのです。日本アルプスや浅間を「俄かに近し」と感じるある瞬間を持つには、いくつかの条件が整わないと不可能であるように思うのです。先日の、遷子ミステリーツアーの一行が冬に出かけていけばこのように詠めるかというと、俳句に関して達者な人々がそろっていたにもかかわらずそうでもなさそうな気がしますし、一番近いところにすんでいた島田牙城氏が毎日見ている山々を見てこのように感じるかといえばこれまた疑問だと思います。まさに遷子の歩んだ境涯をたどってゆく中で、疎外感と親近感とが融和する一瞬、まさに「俄かに近し」が生まれるのだと思います。

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1 件のコメント:

さんのコメント...

「遷子俳句の読み会」も、佳境に入ってきた感じがして毎号楽しみにしています。

畦塗りにどこかの町の昼花火」遷子)27号
山の雪俄かに近し菜を洗ふ  」同)30号


この「どこかの町の昼花火」と「俄に近し」の所に関する諸氏の読み方が、スリリングでした。

こういう叙景句、もしくは日常詠とか写生に近い内容の措辞をみるときに、いかにもさりげなく説明的に書かれてある言葉に背後の生活者の切実な選択が働いている、と言うことを、磐井氏などが指摘しておられました。

1 「どこかの町の」これは、働く農夫にとっては、手を休めてどこか遠いところを想望しているような風流さはないので、遠くの音を耳にはしているが聞き流している。tじかな畦塗りの方に気を取られている。軽い書き方である、と言う解釈がなかなか穿っていておもしろかったです。

でも、わざわざどこかに、と書く以上は、もう少し感興を感じている、と私は取りたいのですが・・。

2.「俄に雪の」は、雪国の気候が変わりやすい。という地域性を云われました(窪田、深谷 氏)。なるほどなあ、と納得しました。ここは生駒信貴山系の谷間にあたる場所でまあ里山風の住宅地に住んでいるので、奈良市内よりは高原気候です。だから信州の方々の山の気配は、多少は解ります。しかし若い日にすごした松山市の瀬戸内式気候地帯では、こういう措辞はなかなか実感できない、生み出せない、と言うことも感じました。そう言う風土性に価値を措くならば。その地域ならではの表現が出てくる必要があります。

ところが、磐井氏がまたさらに、ここには、遷子のある種の決心、心理的な切迫感があることを指摘されました。
このあたり、馬酔木の方々に潜在する人間主義の読み方をひきだしていて、誠に面白かったです。が、風土の中から必然化される言葉と、どこに住もうと生じる個人の内面の言葉はやはりこれは違う、と言う気が致しました。最終的に地上の人間の心の琴線に触れるので、どちらでもいいようです。この「俄に」は、読者の気持ちや心理によって、強さが違ってもどちらも正解である、と言うような幅のある言葉遣いだとは、思われませんか?相馬遷子という人格が、生活者賭してのそれと俳人としてのものに揺れることがあり、その揺れ幅をあらわしている、というのが、私の感想です。

「一番近いところにすんでいた島田牙城氏が毎日見ている山々を見てこのように感じるかといえばこれまた疑問だと思います。まさに遷子の歩んだ境涯をたどってゆく中で、疎外感と親近感とが融和する一瞬、まさに「俄かに近し」が生まれるのだと思います。」筑紫磐井)

この二つの句の解釈とポイントの置き方、は
確かにその通りです。ここに「俄に」を措いた作者の立ち位置に目をつけられた所は、感じ入りました。同時に、馬酔木調の読み方でも最終的には、この思いに集約してくるのではないかともおもえます。というのは、菜を洗う作業は、あくまで農婦(農夫)のものでしょう?医師である遷子はこういうコトはしなかったはずです。
 「俄に」が、この句のポイントであることはちがいないものの、この句では、遷子の気持ちに此処まで強く引きつけて読む要素が、やや薄弱、と考えてはいけないでしょうか?

 先の「どこかの町」の解釈は、農夫の心情をよみとった俳人のデリカシィに呼応していると思います。