・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井
星たちの深夜のうたげ道凍り
『山国』所収
筑紫:前回の続きになるようですが、遷子には何を読んでも一流の美意識が働き、(社会性俳句のような)生なままの描写にならないところがあるようです。或る意味では、それが表現を生ぬるくしたり、きれいごとだと感じさせる理由となっているところもあると思います。昭和29年のこの句にも、たぶん急患が出た家への、往診の帰りの風景を詠んだものと思いますが、美しい限りです。「雪だるまほしのおしゃべりぺちゃくちゃと」(松本たかし)を思い出しましたが、表現の居住まいの正しさと、「道凍り」の状況が、句から発生させる世界を変えているようです。「道凍り」は作者が住む信濃の環境風土を月並みに述べただけではなく、たったいま診てきた患者の安否さえも暗示しているようです。「深夜のうたげ」にはこうした夜更けに呼び出される医師としての業への思いと、誰一人見知らぬ深夜の星の宴をながめる自分自身への救済のような感じもこめられていると思います。
似た状況で対照的なのが、
自転車に夜の雪冒す誰がため 『山国』
です。よほど『雪嶺』に近い句ですが、佐久に入ったばかりのころの句です。実は私はこの句もなかなか捨てがたく思うのです。一本調子な感じは、掲出句に比べて劣るように思いますが、馬酔木調からの脱皮にあっては必要な作品だろうと思います。境涯俳句の一種ですが、このような句を経て社会性のある句への転換が行われるのでしょう。過渡的な時期の作品に免れがたい欠点もあるのですが、それはそれで特有の抒情性を感じさせてくれます。能村登四郎で言えば、社会性を意識した第2句集『合掌部落』の前に、教師の境涯・哀歓を詠った第1句集『咀嚼音』がありますが、そこにも見られる切ない抒情性と共通するように思います。
風邪の身を夜の往診に引き起こす 『山国』
これも同じ状況でしょうが、これはそれだけで終わってしまっているような気がします。以上はいずれも昭和26年以前の作品です。
中西:「星たちの深夜のうたげ」までと、「道凍り」は全く異質なものが組み合わさった感の面白さがあります。ロマンチックに詠んできて、下五で非常に現実的なものを見せています。空は夢のような美しさですが、足元は凍った歩きにくいものなのです。そこから、作者は歩いているのだろうと想像されます。またこの下五にきて、はじめて厳寒の星空なのだと分かり、気分が引き締まるようです。空を仰ぎながら歩いているのですから、磐井さんのおっしゃるように、往診の帰りかもしれませんし、あるいは町の会合の帰りかもしれません。
以前取り上げられた句で、
寒星の真只中にいま息す 『雪嶺』
という、見渡す限りの寒星を見せている句がありました。冬の星の美しさは遷子にとって、俳句に描くべき美しい題材だったのではないでしょうか。磐井さんが遷子の美意識のことを取り上げておられましたが、星を詠うとき遷子の句は、馥郁とした時空を獲得する傾向があるように思われます。
山国や年逝く星の充満す 『山国』
この句も昭和29年の作で、「星の充満す」にふくらみを感じさせる句です。遷子の句では星は一つということはなく、多くの星が一遍に描かれ、マスとしての星に美を感じているところがあります。具象的に描かれているのではないのですが、雰囲気として、遷子のそのときの気持ちが想像できそうです。
「星たちの深夜のうたげ」は自分自身への労わりの気持ちが書かせたものではないでしょうか。磐井さんは救済と書いておられましたが、或はそうなのかも知れません。ただ、わたしにはこの句から患者との接点は見出せませんでしたが、真っ暗な中、懐中電灯に照らされた凍土を歩く覚束なさに対して、宴と表現された豊かな星空は、遷子の心を晴れやかにさせるに充分な美しさであったのでしょう。
原:往診には自転車を使っていたという遷子ですから、この場合も、凍てつく道に自転車を押しながら、ふと立ち止まって満天の星を見上げたのでしょう。童話風なイメージです。これまでの句の中でも誰方か宮澤賢治を引いていらっしゃいましたが、掲出句などことに賢治を連想します。ただし賢治の童話は土俗的な感触がどこかにあって、それが作品に複雑な味わいをもたらしていますが遷子にはそういうものはありませんね。もっと都会的です。風土や時代、資質的な違いによって決まってくることなのでしょうが、それはそれとして、「道凍り」がこの句の世界を決定しているという磐井さんのご指摘はよく分かります。
夜空に対置された「道」は作者の位置をくっきりと示しています。一句の情景を受け取るとき、ここに作者の姿を思い描かなくとも成り立ちますし、作者にしても「我」の意識を持ち込んだりはしていませんが、何回も読み返していると、最初のうちこそ「星たちの深夜のうたげ」に眼を惹かれますが、そのうち一句の核は「道凍り」にあると感じられてきた作品です。
深谷:メルヘンチックな上五・中七から、急転して下五の眼前の現実へ。このギャップが、この句の眼目でしょうか。冷えの厳しい夜だからこそ、空は冴え渡り、星がキラキラと瞬くのをはっきりと見ることができたのでしょう。その瞬きを「深夜のうたげ」と見立てたのは、まさに美の世界の構築に注力する馬酔木流の句作態度だと思います。その意味で遷子は、紛うことなく馬酔木の本流を歩んだ作家なのでしょう。ところが下五には美の世界から距離を置くように、現実世界の厳しさを示す措辞「道凍り」が置かれています。一枚の美しい西洋画を描くように、美の構図を句に仕立て上げた秋桜子であれば、下五にこんな措辞は用いなかったことでしょう。馬酔木伝統の句作スタンスから、遷子が少しずつ独自性を発揮して行った中途過程を見るような句だと思います。
果たして、遷子は夜空の星をどのような想いで見上げていたのでしょうか。独断ですが、あまり悲観的な精神状態ではなかったように思います。「深夜のうたげ」という見立ては、心の中の健やかさ・向日性なしには、決して生れなかったような気がします。一方で、凍った道を往診しなければならない現実をも受け入れ、自身の立ち位置を見出したような覚悟も感じ取れます。佐久に帰郷して10年弱。地域医療に生きる医師としての生活に加え、句作も少しづつ己が道を見出しつつある、充実した精神状態を想起させます。
窪田:天空の星の楽しげで美しいこと。地上の自分は、凍て付く道をへばりつくように歩いて、生きている。自然と人間の格の違いのようなものを遷子は感じたのではないでしょうか。また、上十二音と下五の対比が社会性俳句のような意味を考えさせます。
ところで、現在も我が家の庭で天の川は見えますが、子供の頃に見たそれとは比べものにならないほど薄くなっています。この句の制作当時の信州の星空は大変美しかったでしょう。遷子の美意識は、こうした宇宙の神秘さと結びつき培われたものだという気がします。ですから、美しいもの(星や雪や遠嶺など)を詠むとき、どこか哲学的な雰囲気が出るのではないかと思いました。掲句の直前に置かれた
一寒星燃えて玻璃戸に炬のごとし
の句は、大げさな表現で写実ではないと思いますが、寒星を魂のある如く詠んでいます。こんな処からも、遷子の美意識の源泉が伺われるのではないでしょうか。
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