・・・大井恒行
原子公平(1919〈大8〉・9・14~‘04〈平16〉7・18)の平成の自信作5句は、以下。
素敵という敵をおぼろに老眼病む 「俳句研究」平元・5月号
折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱 「俳句」同・6月号
天安からず水無月の水皿や虹に 「俳句未来」同・第14号
酒に老いたる紅顔もあり四葩咲く 「朝日新聞」平元・6月23日
白桃啜りし野心は今に野のこころ 「俳句未来」同・第14号
一句鑑賞者は、谷佳紀。その一文に「原子氏の老練ぶりを遺憾なく発揮した見事な作品だと思う」と讃をほどこしながらも、「確かに見事な作品だが、ここにある美は類型化された美なのである。『折り鶴一羽を殺めて癒す』という美は、『花の鬱』という美を書きとめるために『花の鬱』に吸収されるしかない、それ自身の美を主張してはならない美として書かれている。ところがそのように他の美を吸収して屹立したはずの『花の鬱』という美は、季題の美に安住するのみでそこから一歩も出ようとしない。いうなれば原子氏と季題は、利用し利用される関係を保つことによって作品を成立させたが、この関係には新しい美を生みだそうという、自立した表現が持っているはずの意志がない。馴れ合いの美しさは通俗の美しさでもある。季題の恐ろしさは用心しきれないぐらい、この馴れ合いを生じさせるということにある。しかもこの馴れ合いが巧くいった時に賞賛されもする。このような賞賛から私は無縁でありたい。だからこの作品の前を通り過ぎるのである」と通俗のも美に与しないと述べている。
原子公平は、後続の世代にとって美を追求するタイプの作家とは思われてはいない。金子兜太『今日の俳句』の「戦後の空へ青蔦死木の丈に充つ」によって、その存在と句を認めた筆者にとってもそれは同様であった。兜太は、この句の「へ」の言葉の働きに希望への意思と願いを見ていた。その兜太は「原子公平死す」と題して「炎中の荼毘白骨となり現(あ)れしよ」(『日常』)と悼んだ。公平の訃報は、梅雨明け後のフェーン現象による連日の猛暑を記録していた最中にもたらされたと、「豈」同人の宮崎二健は言っている。二健と原子公平の出合いは、二健が神田の古本屋で句集『浚渫船』を手に取った時に遡る。二健は自らの父と師であることの父性を重ねたのであろうか、公平の「父の死 五句」によって、公平を師として選ばさせることとなった。その5句は、
四方(よも)の蝉鳴き出づる朝父死せり 『浚渫船』
父の息絶えて炎日始まりぬ 同
汗の手にひらく弔電みな同じ 同
夏の月父焼く煙まっすぐに 同
夏の月骨瓶に父まだ熱し 同
である。公平の父の死は、第三高等学校在学中夏休み、北海道に帰省中のこと、父親46歳の急逝で、公平はまだ20歳だった。
楠本憲吉は「戦後秀句」(『戦後の俳句』)に、公平の「安保通る西日に凶器めく人影」(昭和36年4月。「俳句」所収)について、「行動よりもむしろ思考のかたちで、社会性への志向を重い詩感で燻して表現しつづけた作家である。安保闘争期の緊迫した危機感が『凶器めく』にモディファイされ、西日によって、それが逃げ場のない焦燥感にまで高められているのは、やはり、彼が思考型の俳人であることを物語っているのである」と記している。
原子公平は、高校時代より「馬酔木」に投句、のちに加藤楸邨「寒雷」、中村草田男「萬緑」、その後、「秋」「海程」を経て、‘72年「風濤」を創刊・主宰した。そして、俳句界に対しての多年にわたる論・作での貢献を顕彰され、「第12回現代俳句大賞」(’00年) を受賞した。
それにしても、「折り鶴一羽を殺めて癒す花の鬱」とは、公平晩年の俳人の所作と抜きがたく絡み合っているようにも思える。それは、谷佳紀の看破した〈美〉とも違う何かであったかもしれない。とりもなおさず、俳句とは何であろうとするのか、という解け難い問いを常に抱え込んで行かざるを得ない俳人の厄介さなのではなかったろうか。それこそが「花の鬱」に吸収されるほかなかった殺める行為の謂いであろう。
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