佐藤鬼房「実体のわれは花食い鳥仲間」
・・・大井恒行
佐藤鬼房(1919〈大8〉・3・20~‘02〈平14〉1・19)の平成の自信作5句は、以下。田楽のあばたに話しかけてゐる 「小熊座」平元・5月号
ひめむかしよもぎや稚児の金産毛 同9月号
蓑虫に微笑三分の夕日影 同12月号
おろかゆゑおのれを愛す桐の花 「俳句」平2・2月号
実体のわれは花食い鳥仲間 「小熊座」同・6月号
一句鑑賞者は、「連集」の谷口愼也。その一文には「要するにこの句は、『実体のわれ』が『花食い鳥仲間』であることの説明に終始してしまっている。勿論、下の句が上の句の観念性をポエジーにまで高めてくれるであろうと云う作者の期待が籠められていることはよくわかるが。が、成功しているとは云い難い。作者は(われは)『花食い/鳥仲間』と『花食い鳥仲間』という、いわゆる『句またがり』の技法でそのポエジー性を期待していたのかもしれないが、その程度のことで『実体のわれ』の観念性を打ち破ることはできまい。鬼房と云えばもっと凄い句があるのではないかと思うのである。最近の鬼房の衰弱かと疑ったりしたが、どうもそうばかりではなさそうである」と、なかなか手厳しい評を寄せている。この評の根拠には、鬼房が中尾寿美子「冬森は風のこもり場昏るるべし」への評として「オリジナルな作者の手をはなれ、日本詩歌の一典型としてここに在るものの如くである。つまり、極言すれば、Aの作であっても、Bの作であっても、あるいは佐藤鬼房の作であっても構わぬほど、個人を越えたところでこの句は人間共通の精神構造を持っている」と述べたことに対して「私にとっての凄い鬼房の弱点を垣間見たのがこの文章である」として、「確かにこの句には人間、と云うより日本人共通の、精神構造を垣間見れないことはない。だが、それは、オリジナルを突破して普遍性を勝ち得たと云うのではなく最初からオリジナルを諦めた没個性でしかありえないのだ」と続け、「さらに云えば、『人間の共通の精神構造』を云うなら、『冬森は風のこもり場昏るるべし』と歌わざるを得ない和風土的感性をこそ何故作品で問い詰めぬのか。現代俳句というものはそういう処から出発したのではなかったか。/鬼房におけるこの作品は、『冬森は―』の句を勘違いしたのと同様に、自分の受け持つ詩質(風土)を勘違いしているのだとしか云い様がない」と結んでいる。
この年、佐藤鬼房は71歳。5月に「小熊座」5周年記念大会で盟友三橋敏雄を講師に招いている。今年の夏のように冷夏だったのか、「やませ来るいたちのやうにしなやかに」の句を残した。ぼくはキチンと記録する質ではないので、記憶が曖昧で、申し訳ないが、はじめて佐藤鬼房に挨拶したのは、確か「小熊座」7周年でのシンポジウムのパネリストの一人として片山由美子、高野ムツオなどと参加した時である。全句集年譜によると、1992年、「2月20日入院、前立腺肥大と尿道狭窄を手術」「3月21日退院」とあり、5月に行なわれた7周年記念大会は病み上がりだったわけだ。車椅子に腰掛けておられたようにも思える。
しかし、ぼくの佐藤鬼房の圧倒的な記憶は、1997(平9)年11月29日「全句集出版記念・攝津幸彦を偲ぶ会」でのことだ。それは、攝津幸彦が前年の10月13日に亡くなってほぼ1年後、生前、仕事と俳句を截然と分けていた攝津幸彦の勤務先(株)旭通信社(現アサツーディ・ケィ)の友人たちと俳句の友人たちが、初めて一堂に会した合同の偲ぶ会となった日のことである。広告代理店の仲間たちで、会社の上司、仲間を中心とする攝津幸彦追悼文集『幸彦』を発行し、さらに『言霊の旅人―攝津幸彦の生涯』というビデオも制作し、偲ぶ会の会場に、2台のモニターで流された。遠く宮城県塩釜から佐藤鬼房ははるばる駆けつけていた。杖をついておられたが、静かな口調で、しかし、力がこもった声で、愛情ある批判も込められていたように思う。用意した原稿に眼をやりながら、時間を使い果たし、たっぷり挨拶されたのであった。佐藤きみこ、渡辺誠一郎が付き添っていたのを覚えている。「北冥二魚アリ盲ヒ死齢越ユ」鬼房、78歳であった。
本年5月発行の「豈」48号では、物故者による「攝津幸彦への手紙」特集に、佐藤鬼房からの書簡も、ご遺族の山田美穂氏に了解をいただいて掲載させていただいた。感謝の言葉もない。
切株があり愚直の斧があり 『名もなき日夜』
青年へ愛なき冬木日曇る 『夜の崖』
陰に生(な)る麦尊けれ青山河 『地楡』
アテルイはわが誇りなり未草(ひつじぐさ) 『何処へ』
除夜の湯に有難くなりそこねたる 『瀬頭』
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