2009年6月20日土曜日

大井連載(9)

「俳句空間」№15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(9)
後藤綾子「家中にてふてふ湧けり覚めにけり」


                 ・・・大井恒行


後藤綾子(1913〈大2〉・6・29~‘94〈平6〉の平成の自信作5句は、以下。

被死(つみなほへ)ましし磐余(いはれ)の初氷  「俳句」平元・2月号
家中にてふてふ湧けり覚めにけり  「鷹」平2・6月号
にぎやかに亀も田螺も鳴きくれよ  「花神」同・11月号 
とくとくの真清水化けるまで生きな  「鷹」同・7月号
老鶯とてれこてれこの牛蛙  「鷹」同・8月号

一句鑑賞者は、片山由美子。その一文には、「ふつうに読めば、無数の蝶が乱舞する夢を見ていて、ふいに目が覚めたということになるだろうか。それにしても、蝶が『湧く』とは尋常な数ではない。さらには、うたた寝をしているときに、家の中へ蝶があとからあとから舞い込んできて、その中で眠りから覚めたという情景も考えられる。こちらの方が句ははるかに面白くなる。広い庭(草木を自由に生い茂らせていると思いたい)のある家に独り住むと聞く作者であれば、実際の光景かもしれない。まぼろしであろうと願望であろうと、とにかく蝶でいっぱいの家の中に作者はいるのである。そんな光景が私の頭の中にもくっきりと浮かんでくる。蝶とは不思議な生き物である。死者の魂が乗り移っているという話を聞いたことがある。生者の魂も、蝶となって遊んでいるのかもしれない。そんな蝶が無数に湧いてくるなど、茫然としてしまうほどの美しさだ。この句作者が夢と現(うつつ)をさまよっているのではなく、蝶がまぼろしの世界とこの世を自由に行き来しているのだと考えると、幻想的な味わいがいっそう増す」

後藤綾子の第一句集は、名前と同じ『綾』(菜殻火叢書・‘71〈昭45〉年)。野見山ひふみの跋文に「折り折りの心のかげりが織りなす綾絹の艶やかさをもつ句集」と讃をほどこしている。本来なら野見山朱鳥が筆をとったに違いないが、師朱鳥の死がそれを叶えなかった。朱鳥に師事したのはわずかに4年間、僕が後藤綾子の名を最初に認めたのは、「渦」誌上ではなかったかという思いがあるが、当時の「渦」が手元になく、確かめられない。しかし、『綾』の題字を赤尾兜子が書いているので、僕のおぼろげなる記憶も当たっているかもしれない。

句集『綾』の「あとがき」に綾子は「返事のない手紙」と題して、「朱鳥先生。昭和四十五年二月二十一日。大勢のお見舞いの方々がすっかり引き揚げてしまわれたあとの夜の病室は、ひっそりと静まり返って窓のゆりの木に一つ淡い枯木星がひっかかっていました。私が先生とお逢いした最後となってしまった夜でした。『俳句を作り続けなさいよ。今のままでいいからね』というお言葉のうちに先生のお目から涙がすーっと枕に流落ちました」(中略)

「先生は眼鏡をかけて横臥位に変り、あの大きな瞳で、じっと私と昌代さんを見つめていらっしゃいました。あの時の最後のお瞳が私にこの句集上梓を決心させてしまったのです。あれから一年!悲しみは薄らぐことなく、このままでは私の俳句の幼虫が潰れてしまいそうな危機感に襲われる夜々が続くのです」と記して「最後のお瞳の呪縛から逃れるため、そしてこのあと『俳句を作り続けなさいよ』という先生の言葉に従う為だけに上梓するもので、ただ全句『朱鳥選』の誇りに支えられて、先生の愛された和紙を使って」、上梓したのであった。

螢一つ飛ぶは飛ばざるより淋し  『綾』
愛されし証身になし霏々と雪  同
散る花に噛めば涙は咽喉に鳴る  

しかし、続けて赤尾兜子も失い、後藤綾子は、藤田湘子「鷹」に拠ることになった。

後藤綾子最後の句集となった第4句集『一痕』(角川書店・‘95〈平7〉年)は藤田湘子の句「月明の一痕としてわが歩む」を自ら所望して、句集名とし、湘子の序文をもって、綾子没後の刊行となった。その「あとがき」に実弟の後藤克己は、「もともと文学嗜好の強かった姉が、父の早逝ということで長女として歯科医のあと継ぎになったことが歯車の狂いはじめで、終戦後、患者さんのお誘いで『雨月』に入会後は、歯科医は身すぎ世すぎの職に過ぎず、俳句一辺倒にのめり込んでいった。朝の目覚めから夜中の夢まで姉の頭の中は俳句に埋っていた」(中略)「こんなに俳句に打ち込んだ姉も師運は悪く、大橋桜坡子を離れ、野見山朱鳥に先立たれ、赤尾兜子も失くし、呆然自失中を足掻きまわってやっと掴んだのが『鷹』の藤田湘子という最良の師であった」(中略)「宇多喜代子氏の紹介で熊野大学へ行くようになり、中上健次氏という自分の俳句の理解者を見い出せたのも束の間、健次氏にも先立たれ、その墓参も果たせなかった事も残念の一つであったろうと思う。姉は父の早逝、戦争という最も大きな試練の中を俳句という杖にすがって、濁世の何ものも踏みしだいて生きた」と述懐している。

ふだらくや身に春愁のかくし爪  『青衣(しょうえ)』
一月は鐘を鳴らせよ老いたれば  『萱枕』
死後今日も豆腐屋が来る石蕗が咲く (妹をなくす) 
花鳥諷詠皺の間も日焼けして  『一痕』


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1 件のコメント:

さんのコメント...

後藤さんには、関西方の会で何度かお見かけしたことがあります。
中上健次氏の、熊野大学にくわわっておられたのですか?

螢一つ飛ぶは飛ばざるより淋し 『綾』

こういうのに共鳴するのは、年齢のせいかなあ。