2009年7月11日土曜日

遷子を読む(16)

遷子を読む〔16〕

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


病者とわれ悩みを異にして暑し
      『雪嶺』所収

筑紫:患者と医師である遷子が向かい合って椅子にすわり、やや沈黙がちの時間が流れています。医者は患者に何を告ぐべきか迷い、患者は病気だけでなくそれを巡る生活や家族の変化をおびえながら言葉を待つのです。沈黙の時間、おそらくこの時代ですから扇風機ぐらいは回っていたかも知れませんが、蒸し暑い夏の午後がひしひしと感じられているわけです。ディテールについてはさまざまな状況を想像できますが、シチュエーションは変わらないでしょう。その前の

ただひとつ待つことありて暑に堪ふる

は、そうした具体的叙述を排除して、同様の(とはいえ1年前の作品なので連続性はないはずですが)心理を伝えているようです。

掲出の句に戻って、巧みと言えば巧みな表現です。「AとB」とすることによって、細かな叙述を省略して、「悩みを異にして」だけで読者の想像で二つの立場を分からせてくれます。

「暑し」が決まっていて、昭和30~40年、決して裕福でない開業医(それも田舎の)の診療室を想像させます。遷子の作品と分からないでも、「暑し」はそんな想像を許してくれると思います。

それであるが故に、「悩みを異にして」いる「病者とわれ」は、普遍的な風景でなく、1回性の風景として目の前に現れるように思うのです。

15回で述べたお酒の席で中西さんは遷子俳句の特徴は「写生」と言われましたが、私はどちらかというとリアリズムであると言いたい気がします。リアリズムは成功すれば、1回限りの「衝迫の風景」を示します。この句にはそんな力があるような気がします。

原:中西・磐井二氏の酒席放談(?)で、遷子俳句の特徴について、中西さんが「写生」(この語は誤解されやすく、もう少し詳しく聞かないといけないでしょうが)と言い、磐井さんが「リアリズム」という言葉で表わそうとしたものは、私が遷子俳句を「現場主義的」と感じる印象に通じるのかもしれません。

「遷子を読む」も回を重ねますと、各氏の好みや意図が大分見えてきました。正直に言いますと、初回の10句選を見たとき、興味の対象が境涯詠・生活詠に傾きすぎる気がして、一方の柱としたい良質の自然詠が閑却されるのではないかという危惧を抱きました。『山国』に寄せた石田波郷の跋文中に「生活を詠む句は、とかく叙述的になりやすくて、物語として読者に訴へてゆくのを、私どもは警戒しなければならない」とありますが、これはそっくり鑑賞者のあり方にも当てはまることでしょう。

しかしどうやら、この危惧は杞憂であったらしく、どんな方向からのアプローチにせよ、遷子の本質を探り当てるべく、手応えのある批評が生まれてきているように思います。

さて掲出句、これもまた句意は明快。磐井さんが一場の光景をありありと描出して下さいました。さきほど遷子の俳句を「現場主義的」と言いましたが、「傍観的態度ではない」という点も付け加えておきます。これまで折りにふれ、言われてきた遷子俳句の「真面目さ」とは、この「傍観的でない態度」と重なるのでしょう。

ここまではいわば賞賛なのですが、保留して考えてみたいこともあります。それは、この句がすべてを言い尽くしてしまっているような気がするということです。言われている以上でも以下でもない、つまり感動する内容であっても一度読めばこと足りるという類の句ではないかという疑問です。磐井さんが言われた「1回性」とはそのことなのか、それとも現場的という意味だったでしょうか。

深谷:昭和42年の作品。その3年前の昭和39年には東京オリンピックが開催され、日本全体が高度経済成長路線をひた走っていた頃ですが、逆に言えば我が国全体の生活水準がまだまだ裕福という域には達していなかった時代です。そうした時代の、地方の個人医院の質素な診察室の風景が目に浮かんできます。

掲出句を初めて見た時に目を引いたのは、「悩みを異にして」という措辞です。医者と患者ですから「立場が違う」と言ってしまえば身も蓋もないのですが、この措辞に、そうした自分の立場に対する遷子のある種の含羞または自嘲めいた思いを垣間見たような気がします。自分は患者の側に立とう、患者の身に寄り添おうとしても、現実にそうは行きません。やはり主治医としての務めがあります。そうした遷子のもどかしさを感じてしまいます。

掲出句よりずっと軽いタッチの句ですが、翌年には、

風邪患者金を払えば即他人  『雪嶺』

いう作品もあります(前回採り上げた句のすぐ後の作品です)。これも、そうした自嘲めいた思いが偽悪的なモノローグとなったような印象を受けました。

話が逸れましたが、そうしたもどかしさを感じるほど蒸し暑さが募ります。「暑し」はそうした精神的な気不味さも加わったものとして、何ともやりきれないその場の雰囲気をよく表わしていると思います。筑紫さんの言を拝借すれば「決まって」います。決して巧緻ではありませんが、やはり俳句形式の持つ独自の魅力が伝わってくる作品だと思います。(「写生」と「リアリズム」については、自分の中でまだ消化し切れていません。もう少し考えてみたいと思います。)

窪田:この句がわれわれに迫ってくるのは、医者と患者という構図がなせるものでしょう。筑紫さんの鑑賞の通り、かなり厳しい状況に置かれた医者と患者の姿が見えてきます。

この句からは確かに、遷子俳句の特徴は写生と言うよりもリアリズムだと思えます。(「写生」の意味を定める必要はありますが)。「暑し」はリアリズムの句だからこそ使えたのだろうと思います。遷子の性格が「暑し」を選択させたのではないでしょうか。筑紫さんに「衝迫の風景」と言われてしまっては何とも言えませんが(私もそうだと思いますから)、ただ、私は「暑し」だと句の広がりという面ではマイナスではないかと考えています。では、何が良いかと言われると困ってしまうという程の考えですが。小手先の取り合わせに毒されていると言われればその通りかも知れません。遷子を勉強し始めて、いつもそのことが気になっています。

筑紫:今回いろいろご意見をいただけてありがたかったです。原さんの「この句がすべてを言い尽くしてしまっているような気がする」、窪田さんの「『暑し』だと句の広がりという面ではマイナスではないか」は、あるいは出てくるのではないか思っていた意見でした。

ただそれは、今回余り皆さんが触れられなかった「写生」と「写実(リアリズム)」の違いでもあるような気がしております。

あるいはそれは、俳句の「写生」と短歌の「リアリズム」と切り分けてみた方がいいかもしれません。斎藤茂吉が「歌ごころの衝迫にしたがって、自由に、直接に、深く、確かに、その間に二次的の雑念を交えずに、中途でふらふらと戯れる事なしに、表すものをば表すのが写生である」といった「写生」は、俳句の写生ではありません、俳句ではこのようなものをリアリズムというのでしょう【注】。だから茂吉の心で俳句を詠むと、遷子の俳句になる、極論するとこんな気がしているのです。

私は、もっと広く、文学の写実主義は、①人間や社会に関心があり、②美や平和よりは生々しい醜さや、貧困、不幸に関心を持ち、③(それは好奇心ではなく)強烈な倫理意識に基づくものである、と考えています。遷子の場合も、耽美的な馬酔木俳句からそれが生まれたことが不思議ですが、やはりこうした写実主義があったからこその遷子俳句だったのではないかと思っています。

ですから、「遷子を読む〔11〕」で私が取り上げた、

汗の往診幾千なさば業果てむ  『雪嶺』

の句を、本来馬酔木の同門である能村登四郎が、「これらの句は町医としての老いゆく嘆きを詠っているが観念が露呈して、遷子のも作品の香りを失っている。言葉だけあって詩が湧き出さない。俳句という小詩の内包するイメージが生かされていない」と批判しています。しかし、これは酷な批評であると思います。社会性俳句を流行のようにしか受け取らなかった能村登四郎の鑑賞力の限界であろうと思います。自身、社会性俳句を失敗であったと述べていますが、これは社会性俳句を、趣味人であった能村登四郎が志したという間違いであって自身の限界だろうと思うのです。

登四郎のこうした批判は、楸邨にも、六林男にも、鬼房にも当てはまってしまうはずでありました。

       *        *       *

皆さんが、写生論はあまり論じられなかったので今回は私が追加して述べてしまいました。そもそもが、中西さんと私の酒の上の放談から始まったので、まとめをしておきたいと思います。中西さんが体調が悪いということで今回はお休みですので、代わりにこういう形で私が頁をふさがせていただきました。

【注】茂吉はこうした写生説を、自ら子規の説とは違っていると述べています。それはそうでしょう、直接の先生である伊藤左千夫は「歌の上で写生をしようなどと言うのは妄想である」といっています。まして虚子の写生説とは全然違っています。だから、写生はたった一つしかないと思うのは明らかに間違いです。一方、波多野爽波は素十が受け継いだ客観写生を信奉して、一切、花鳥諷詠を認めませんでした。虚子が説いても花鳥諷詠は邪道だったのです。

     相馬遷子10句選(増補訂正)    

本連載初回の「遷子を読む はじめに」で掲示した相馬遷子10句選を、「遷子を読む」の連載を進めているうちに改訂の希望が出てきました。とはいえ、10句の中で差し替える人もいれば、新たに10句を発表される人でるなど、ばらばらで面白い状況となりました。今回はそのまま示させていただきます。10句選の取り上げた回も示しましたのでご参考にしてください(○数字は「遷子を読む」で取り上げた回)。

中西夕紀10句選(第1回改)
戻り来しわが家も黴のにほふなり⑨  『山国』
春の町他郷のごとしわが病めば
暮の町老後に読まむ書をもとむ  『雪嶺』
秋の苑子を嫁がせし父歩む
鶏頭に飯待つ新聞休刊日
幾度ぞ君に清瀬の椿どき  
『山河』
雪降るや経文不明ありがたし
患者来ず四周稲刈る音きこゆ
高空の無より生れて春の雲
鏡見て別のわれ見る寒さかな


原雅子選(第1回)
梅雨めくや人に真青き旅路あり⑰  『草枕』
昼の虫しづかに雲の動きをり
あをあをと星が炎えたり鬼やらひ 『山国』
畦塗りにどこかの町の昼花火
山の虫なべて出て舞ふ秋日和 
 『雪嶺』
ストーヴや革命を怖れ保守を憎み
萬象に影をゆるさず日の盛
晩霜におびえて星の瞬けり
⑦  『山河』
雛の眼のいづこを見つつ流さるる
冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな

深谷義紀選(第1回改)
寒うらら税を納めて何殘りし⑧  『山國』
山河また一年經たり田を植うる⑬  『雪嶺』
銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ
かく多き人の情に泣く師走  『山河』
【追加】
高空は疾き風らしも花林檎  『山國』
雪山のどの墓もどの墓も村へ向く  『雪嶺』
卒中死田植の手足冷えしまま
薫風に人死す忘れらるるため  
『山河』
大雪のわが掻きし道人通る
老い父に日は長からむ日短か

窪田英治選(第1回)
渓とざす霧にたゞよひ朴咲けり  『草枕』
雉鳴いて新樹一齊に雫せり
熊野川筏をとゞめ春深し
晝寝覺萬尺の嶺にわがゐたる
(白馬岳にて 五句)
四十雀花咲く松に鳴き交す
語りゐし望に照らされ兵ねむる
くろぐろと雪片ひと日空埋む

うらぶれし冬にも心遺すなり  『山國』
山國の霞つめたし朝さくら
しづけさに山蟻われを噛みにけり
【追加】農婦病むまはり夏蠶が桑はむも⑩  『山国』
【追加】寒星の眞只中にいま息す⑮    『雪嶺』

窪田英治選(第2回)
山の虫なべて出て舞ふ秋日和  『雪嶺』
傾く日雪の下なる泉鳴り
雪の山脈怒涛のごとし寒夕焼
雪山を越えて彼方へ空むなし
筒鳥がいま目覚めたる霧青し
霧氷咲き町の空なる大初の日
山の雪俄かに近し菜を洗ふ
星白く炎えて雪原なほ暮れず
山深く花野はありて人はゐず
田植見てまた田植見て一人旅

筑紫磐井選(第1回)と追加
汗の往診幾千なさば業果てむ⑪  『雪嶺』
ころころと老婆生きたり光る風
筒鳥に涙あふれて失語症

ちかぢかと命を燃やす寒の星
隙間風殺さぬのみの老婆あり
ただひとつ待つことありて暑に堪ふる
病者とわれ悩みを異にして暑し

薫風に人死す忘れらるるため  『山河』
わが山河まだ見尽さず花辛夷
冬麗の微塵となりて去らんとす
【追加】
滝をささげ那智の山々鬱蒼たり  『草枕』
一本の木蔭に群れて汗拭ふ
自転車に夜の雪冒す誰がため  
『山国』
星たちの深夜のうたげ道凍り

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