2009年10月4日日曜日

遷子を読む(28)

遷子を読む(28)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井



高空は疾き風らしも花林檎
      『山国』所収

深谷:昭和28年の作品。この年の作品をまとめた句集の中の章名ともなっていますので、遷子自身も気に入った作品だったのでしょう。そして、各種歳時記などにも採録され、人口に膾炙している句です。

絵画的な美意識が透徹しているとも言えますし、中七の「らしも」という表現は万葉調あるいは短歌的表現を移入したと解することもでき、その意味では馬酔木らしい仕上がりの句です。しかしながら、ただ単に美しい景を切り取ったというだけの作品ではなく、空の高域に吹く疾風と地上で可憐に咲く林檎の花とを対比させることによって、眼前にある平穏の象徴(林檎の花)が極めて危うい環境(疾風の傍)にあるということを暗示しているようにも読めます。

そして、この2句あとに、

畦塗の立ちて久しや何を見る

があります。前回述べたように、この句は農民を直接の対象とした最初の作品ではないでしょうか。その意味で、美意識の貫徹に主眼を置いた馬酔木的作品から、より人間社会の相克に作品対象を移していった遷子の句業の、ある種のターニングポイントに位置付けられる作品と言えるのではないでしょうか。

中西:まず先週の、

畦塗りにどこかの町の昼花火

ですが、皆様の鑑賞を読ませていただいて、昼花火のことが納得できました。昼花火がわからなくて、手も足も出なかったのですが、それがわかりますと、どこか暢気な雰囲気を醸し出しているようにも思えて来ました。切れをいれるとしたら、「畦塗りや」とすべきところですが、「畦塗りに」となっていますから、昼花火は自分より、畦塗の人に鳴っている、つまり聞こえてきている花火を、畦塗りの人に関係づけています。そしてそのことが平和な田園風景を見せてもいるように思えました。

そして、掲出句ですが、「疾き風らしも」という表現に馬酔木らしい詠い方を見ました。漢字の使い方はそれぞれ好みがあるようですが、「疾」という字に着目しました。「疾」は、はやい、やまい、くるしむ、にくむと言う意味があります。甲骨文字は人をめがけて進む矢だそうです(『漢字源』)。としますと、ただ速い風なだけでなく、息苦しいほどつらい風であるということを表現したかったのでしょう。次は「らしも」という柔らかいことばですが、深谷さんのご指摘のとおり、万葉調の響きがあります。係助詞の「も」に詠嘆の意味があるそうなので、「らしいなあ」という解釈になるかと思います。

見晴らし台などに登りますと、地上は風がありませんのに、高いところは帽子を飛ばすほどの風が吹いていることがあります。この句も住み慣れて、信濃の天候に詳しくなった遷子が窺えます。地上に近い林檎の花は、風にさらされることなく、可憐に咲いているのです。林檎畑の花盛りを故郷の風景の中でも美しい典型として描いているものと思います。

『山国』の跋で石田波郷はこの句のほか数句並べて、「高原派の句と人々がいふ句と何となく肌合がちがふのに心づく筈である。これらの句は必ずしも賛歌ではない。たとひ賛歌ではなくても著者の、自然へのといふよりも、郷国の自然へのどうしようもない愛情が、境涯的にそくそくと通ってゐるのを感じざるを得ない」と書いています。

この句の美しくも哀しく感じられるところを、波郷は境涯的と捉えたのだと思います。この句の次に

夕月に花咲き満ちぬ林檎園

という句があります。こちらのほうが、より情緒的でありながら、掲出句のような精神的な丈の高さが見られない分、花の真からの美しさの表現としては劣るように思いました。

原:清澄な景色です。馬酔木の仲間であった堀口星眠氏が「佐久にゆくと、春先の風のつよい日でも黄塵は見られない。天上の国のように澄み切っている」と、佐久の気候について書いているように、澄み切った大気の感触が十分に伝わってきます。石田波郷は遷子を高原派に括ることに関しては「何となく肌合いがちがふ」として、15句をあげた中にこの作品も入れていますが、美感・声調において、馬酔木調の見本のような句と言ってもさしつかえないかと思います。「馬酔木調の見本のような」と、こう言ったからといって貶めている訳ではありません。むしろ、「らしも」の使い方ひとつ取ってみても、ここに微妙なたゆたいが生まれる効果など、文語の美質を見るような気がしてうらやましいくらいです。このような言葉はすでに私たちの時代の言語感覚からは遠いもので、使えなくなっていますから。仮に使ってみたとしても、それは身についたものではありません。この句の当時でさえ日常語からは隔たっていたでしょうしね。

もっとも、遷子という俳人は、本来、複雑な表現や言葉を飾るような句作りはしない人のようです。対象を直截シンプルに詠む印象が強いのですが、こういう文体は、次の『雪嶺』に至って多く見受けられる社会的題材を詠む場合にも、表現方法にあまり苦労することなく、すんなり入っていけたのだろうと思われます。

窪田:林檎の花が咲く頃は信州も暖かな日が続きますが、冷たい風の吹く日もあります。時には遅霜が来ることもあります。それでもこの頃になると初夏の爽やかな日が多くなってきて、気分も明るくなります。そうした信州の風土を感じさせる良い句だと思います。遷子は仄かに赤い林檎の花に心を寄せています。ふと、その花のはるか上空を行く雲の速さに気付き、地上のゆったりとした時間と上空の激しい時間の流れといったものを感じたのでしょう。

波郷が指摘しているように、遷子を高原派と括りがたいというのはその風土性にあるのではないかと思います。都会人(言い方いいか?)が高原に通ってその風光を詠むのと、高原に住む者が詠んだのとでは作品の肌合いが違うのも当然だと思います。遷子は佐久の野沢という比較的町場に住んでいましたが、それでも大都会とは違います。高原に住む農民との日常的な接触も、遷子の句風に少なからず影響を与えていたでしょう。筑紫さんが指摘されたように、高原で培われた遷子の人格が句の上に載っているのでしょう。

筑紫:これは前回の句と違って、完璧な文語俳句であり、馬酔木らしい引き締まった表現です。深谷さんが言っているように、「万葉調あるいは短歌的表現を移入した」といわれているのは納得できます。たとえば学校で習う橋本文法をしばらく忘れて、この句を意味としての区切り、あるいは文学的区切りで眺めてみると、

空は疾きらしも林檎

と息を区切って読むことができるでしょう。これが馬酔木の生理的な読み方ということができます。「疾き」を「とき」と読んだり、「高/空」、「花/林檎」も珍しいというほどではありませんが、如何に言葉を省略したり節約したりして簡潔な表現とするかの工夫はされているようです。にもかかわらず、そこで生まれた剰余の言語空間を「らしも」という意味がありそうでない、しかし如何にも万葉のムードあふれた言葉で雰囲気を出しています。

近代俳句の中で(あるいは短歌の中で)なぜ万葉の言葉が抒情的に受けと得られるのかは難しい問題ですが、散文的な近代に対して韻文の、それも古き万葉の言葉を使うことによって新しい詩美が生まれるという思想があったように思われます。明治の抒情は、どこかしら反近代主義的でありました。

近代には近代の美があるという主張は、イタリア未来派(たぶんこの流れをついで、キュービズムやダダ、シュルレアリスム、表現主義などが生まれたのでしょうが)が出てきて生まれたものでしょう。

と、そんな難しいことはさておいて、こうしたやや一時代前の反近代的抒情主義に基づく馬酔木は、今日われわれが想像する「美」と違った特色を持っていました。掲出の遷子の句も美しくいい句ではありますが、個性的ではありませんね。馬酔木の耽美的な類想の中に納まっているようです。

われわれは、虚子のホトトギスの季題趣味の中に納まった俳句を非独創的だといって非難していますが、実は馬酔木も、ホトトギスの季題趣味は批判しつつも別の類想共感を作り出していました。昭和初期に馬酔木の歳時記『現代俳句季語解』(昭和7年刊)が編纂されましたが、あいうえお順とかいかにも新しい工夫がされていましたが、今日の歳時記から見て絶対ありえない特色があったのです。それは歳時記からすべての作者名を削ってしまっていた点です。一つの例句といえども作者名がないのです(龍太が言っていた俳句は無名がいい、が実現していた、というのは私の皮肉です)。あの有名な「朝焼けの雲海尾根をあふれ落つ」が無署名で乗っているのを見ると不思議な感じがします。

なぜなのか、前書きにはこう書いてありました、「作者名を省いたのは、御互ひの共有の芸術であるといふ親しみを持ちたいから」。馬酔木はホトトギスに反対しましたが、それはホトトギスの「無個性な俳句」に反対したのではありません、ホトトギスのいかにも古臭い季題趣味に反対したのであり、馬酔木にはこれに対応する西欧美術的な新しい理念がありました。古臭い季題趣味の共感に反対したのであり、西欧美術的な共感が求められたのです。個々ばらばらな個性ではなくて、馬酔木作家全体に共通する美的理念がありました。個人の一句はまた、馬酔木の一句でもあったのです。

その意味で馬酔木に個性が生まれたのは、創刊後しばらくたって楸邨や波郷により人間探求派が生まれてからでした。しかし人間探求派は馬酔木俳句ではありませんでしたから、いずれ馬酔木から分離せざるを得ませんでした。

これから見ても分かるように、馬酔木俳句につきまとう課題は個性でした。馬酔木俳句から自然に個性や独創性は生まれません。いや個性や創造性を求めたとたんに、結局何らかの意味で馬酔木俳句を破綻させたのです。能村登四郎は社会性俳句で、藤田湘子のネガティブへの志向もそうでしょう。

今回中西さんがあげている「夕月に花咲き満ちぬ林檎園」の句について言えばかなりそうした傾向の強い句といえるでしょう。中西さんもそれを感じ取られて、「精神的な丈の高さが見られない分、花の真からの美しさの表現としては劣る」といっているように思いました。確かに、この句は遷子が詠まなくても馬酔木の誰かが詠んだかもしれません。そうした中で、掲出句だけが突出しているのは、文学鑑賞では余計なことかもしれませんが、遷子の人格が句の上に載っているせいかもしれません。「俳人格」と平畑静塔はいいましたが、人格が乗る俳句というのもありそうです(漢詩ではよくそういうことを言います)。しかし、人格俳句を四六時中続けるというのはなかなか大変なものです。どうしたって大半は標準的な馬酔木俳句にならざるを得ません。

相馬遷子は馬酔木の申し子でしたが、掲出の世界から抜け出して、社会的関心を見つけることにより、個性、独創性を際立たせようとしたのでしょう。


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