・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井
畦塗りにどこかの町の昼花火
『山国』所収
原:前回と同じく、昭和二十九年「秋郊」の章に載っています。この句の前に、
畦塗りに天くれなゐを流したる
があります。作品としてはこの方が強い印象を与えるかも知れません。「くれなゐ」は夕焼の光だと思いますが、労働の血と汗(少し言いすぎでしょうか)をちらりと連想させると同時に、その労働を荘厳する光のようでもあります。畦塗りという労働が、象徴的に感じられる句です。
一方、掲出句には何かしら放心を誘うようなところがあります。ポーン、ポーンと間遠に聞こえてくる花火音のせいでしょうか。おそらく畦を塗っている農婦はその音に顔を上げることもなく、黙々と作業を続けているのだと思います。この句、どうということなく読み過ごしていた句でした。それがひとたび眼にとめてからは、しだいに捨てがたくなりました。この良さをどういえばいいか、難しいのですけれど、例えば、堂々と格調高い名句が有無を言わさぬようなところがあるのに対し、こういう句は鑑賞者によっていろいろな表情を見せてくれるような気がします。
中西:鑑賞者によっていろいろな表情をみせてくれるという、原さんのご指摘のとおりだと思います。音の連想からしますと、放心を感じるというのも納得できます。「畦塗りの天くれなゐを流したる」が、農夫に迫って描いているとしたら、確かにこちらは、隙だらけの表現で、遷子は畦を塗っている人を眺めながら、昼花火を聞いているようです。第三者的な立場で農夫にも昼花火にも関わっています。
しかし、この昼花火がどんなものなのか、町の何かの行事で鳴らしているのか、何かを伝えるためのものか、遊びで鳴らしているのかで解釈が変わってくるように思います。「どこかの町の」と言っていますから、昼花火を鳴らすのは山間部や農村部ではない、町を形成している所なのです。もしかしたら、遷子には何の目的の花火なのか、わかって作っているのかもしれないと思いました。残念ながら、今では何を表わしているのか見当もつきませんが。
深谷:遷子にとって、「畦塗」は関心が高かった季語と思われ、最初に農民を対象にした句もこの季語でした。
畦塗の立ちて久しや何を見る 『山国』
この句を皮切りに、畦塗の句は多く見られますが、個人的には、
女手に畦塗る畦は長きかな
という句に注目していました。掲句と比べてみると、リフレインにより朗誦性は整っていますが、少し理が勝ちすぎているような嫌いも無きにしもあらず、といったところでしょうか。
さて、掲句ですが、かつてはお祭やら運動会などの行事やイベントの折には、その開催を告げるものとして、ポン、ポーンという音の花火は欠かせないものでした。今では娯楽も多様化し地域住民の関心事も様々ですが、かつてそうしたイベントは村中総出で準備に当たりましたし、参加者も(今のように観光イベント化する前は)地域住民自身でした。掲句の場合、句の対象となった農民は、その時も畦塗り作業に当たっているわけですから、こうした地域あげてのお祭や神事ではなく、町(地方都市)のイベントか何かの開催を告げる花火の音だったのでしょう。従って、図式的に言えば「農村vs都会」「労働(農作業)vs消費」の二項対立をあげることもできそうですが、それでは一面的に過ぎるので、もう少し別の角度から鑑賞してみたいと思います。
眼目は、「どこかの」という措辞ではないかと思います。特定の場所を特定していない、或いは特定を拒否するような表現です。すなわち、畦塗り作業にあたる農民たちには無関係のイベントであることを暗示するのと同時に、どこか遠い場所を指すようなニュアンスを出すことによって、まるでメルヘンの世界のような楽しさも髣髴とさせます。
昼花火は目で見て楽しむ夜の花火と異なり音でメッセージを伝えるのがその主な機能なので、農作業を続けながらでも農夫の耳に花火の音は届きます。恐らく、農民はその作業を中断することなく、黙々と続けた筈です。「どこかの」という茫漠たるニュアンスの措辞によって、そうした景が浮かんでくる仕組みになっているのではないでしょうか。
窪田:懐かしいかつての農村の風景を思い浮かべました。
現在は町村合併やらで、村ごと町ごとのお祭がなくなりつつあります。私が小学生の頃は、村ごとと言うより集落ごとにお祭がありました。お祭の日、その集落の子供は学校を早引けさせてもらえました。昼花火の音を聞くと、そわそわして教室の窓の外ばかり見ていたものです。
さて、畦塗りは大変な仕事でした。田植え前に田に張った水が漏れないように、畦を土で塗り固める作業です。まず、田の周りを荒起こしして水を回し、田の土と混ぜます。子供が田に入って、足で捏ねることもありました。それを鍬や素手で畦に引き上げて壁を塗るように仕上げていくのです。冬の間に野鼠が開けた穴などを塞いだりします。田の水を漏らすと大切な水や肥料を流してしまいます。第一、田の水を漏らすような畦にしておくのは近所の人に恥ずかしいことでした。
この句は原さんの言われるように見過ごしてしまいそうですが、立ち止まってこの句の世界に身を置くと、どこか癒されます。もちろん、畦を塗っている農夫にとってはそんな暢気な状態ではありません。厳しい農作業も遷子の目を通せば、農村の長閑な一風景として詠まれるのです。しかし、社会性俳句の趣があるのも確かです。そこが遷子の俳句の魅力の一つかもしれません。
筑紫:遷子には珍しい、「どこか」という口語表現です。馬酔木ではほとんど口語表現は用いません、むしろ表現の工夫は万葉語を用いたり、いかに日常語と違う簡潔な用語を駆使するかという工夫でした。遷子もそうした表現傾向にあったわけです。馬酔木に変化が生まれたのが戦後の人事・心象俳句が好んで詠まれる時代となってからでした。こうしたものを詠もうとするときどうしても口語が混じらざるを得ないこととなったのです。秋桜子自身、
べたべたに田も菜の花も照り乱る 『霜林』
という句を詠んでいます。「べたべたに」という俗っぽい表現が、あの秋桜子に見られるという点で注目された句ではありました。
ただ、私の記憶では、戦後馬酔木の俳句にも口語表現が盛んに入ってくるようになりましたが、自ずとある抑制が働いていたように思います。それは十七文字の中で必要不可欠な一語を口語にするものの、他はいっそう文語を際だたせるような注意をすると言うことです(上の秋桜子の句を見て下さい)。つまり文語表現の中に止むことを得ずして使われた不可欠の一語でなければ成功とは言えないという原則があったように思うのです。遷子以外の馬酔木作家、例えば能村登四郎もある時期盛んに口語を用いていましたが、上のような原則の下での口語使用であったように見えます。その意味で、全体を柔構造にしてしまうホトトギス系の口語使用の仕方(富安風生「退屈なガソリンガール柳の芽」など)と全く違った行き方ではありました。
掲出の句、考えてみると、畦塗りをしていて、四囲を田に囲まれているならどの町かは見当がつくはずです。逆に言うと、「どこか」という表現には、どこで打ち上げられたか関心のない農夫農婦の姿が浮かび上がるようです。「いづこ」でもなくそう言う効果を与える「どこか」という言葉は、単なる口語というだけではなく、言いかえ不能な意味とニュアンスを持つ言葉であるわけです。完璧な文語俳句の中に混じってこの句に違和感を感じないのはそうした理由によるものでしょう。
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1 件のコメント:
今回も、ややしみじみと拝見しました。馬酔木に口語表現がはいってきていること、など、秋桜子が「べたべたと」などと言うことばをつかっているとは・・。
社会的な関心が大きくなろうとしてもそれを抑制する気もちもつよく、書き言葉の品位をまもろうとしているのでしょうね。
そのエネルギーの衝突が遷子では、農業従事者の(患者の多くの)生活意識への観察となって。数は少ないけど興味深い平易な口語の俳句世界を,表しているとみえます。
さいごのほうで、磐井氏が、「どこか」の読み方について、新しい提案のような見方を示されてこれが興味深かった。「いづこ」ではない。仕事中にきこえてくるひるまの遠花火の音などにはあまりウエイトをかけていない、という見解です。ゆえに、この「どこか」を、重要な語としてうけとめています。
まえの窪田さんは、「どこか」を重視しながら、ここに癒やしの感覚を投じていますが、磐井さんは素っ気ない夢がないですね。(笑)
鑑賞者の感覚と解釈がこのようにわかれているのは、読み手の現在と、詠み手のそのときの状態への、視線の相違なのでしょう。日本語はおもしろいし、多義的です。
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