2009年12月26日土曜日

遷子を読む(40)

遷子を読む(40


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井


夕涼や生き物飼はず花作らず

  『雪嶺』所収

中西:遷子の生活心情が端的に現われている句です。昭和35年の作ですが、そう言えば、今までも遷子の句は趣味的なものを詠った句はなく、質実な生活を窺わせるものが多かったように思います。時代がそうなのだと言えばそうなのかも知れませんが、それより遷子という人が、華美を嫌い、無駄を嫌ったのではないかと想像しました。

〈夕涼〉は生き物飼わず花作らないことに、これがいいのだという強い自己肯定を感じさせる季語です。ペットや花は生活の潤いであり、心を慰めてくれるものたちですが、自分を慰めてくれるもの達を敢えて傍に置かないという精神は、一種潔い境地をあらわしているかもしれませんね。

これだけ長い間俳句を熱心に作り、また多くの俳句を読んできた人が、地元に仲間を作らなかった、句会を一つも持たなかったということは、それがなくてもいいという考えだったからではないでしょうか。一切の無駄を省いてシンプルに生きる、遷子の合理主義を見るような句だと思いました。

原:日中の暑さも収まって、涼風のたつ夕べ。一日の仕事を終えたひと時か、あるいは合間の短い休息だったでしょうか。涼風に身を委ねながら、ふと、こういうゆとりある時間を、世間の人はペットや園芸に親しんだりするのだろう、それに引き換え、自分はそういうものもなく過ぎてしまったが、と感じたのかもしれません。

もう一歩踏み込んで、「生き物飼はず花作らず」のフレーズを意志的に受け取るならば、(意志的であるかどうかの決め手になるのは年齢かもしれません。このとき遷子はまだ五十代になったばかり。生涯を振り返るような感慨を抱くにはまだ早いという気もします。)となれば、日々、生命に関する職業に携わっている遷子にとってたとえ相手が動物や植物であっても、生命に関係することは煩わしかったのだろうかと思えてきます。否定形を二つ重ねた強いリズムも意志的なものを感じさせます。

中西さんの指摘にあった、地元での句会を持たなかったということを改めて考えて見ますと、徒党を組んだり、人を組織したりするのが面倒臭かったのでしょうか。すでに存在している句会や集りであれば、参加して、そこそこ愉しんだり、人付き合いの良さを垣間見せたりはしても、それはそこまで。と、こう言ったからといって決して嫌な人間という訳ではありません。すぐれて個人主義的であったように思うのです。

深谷:遷子らしい生真面目さが、そのまま表れている句だと思います。ペット飼育や園芸を楽しむ余裕もなく、地域医療の最前線で、また家族を養う一家の長として、脇目も振らず一心不乱にその務めを果たしてきた、遷子の満足感が伝わってきます。

しかし一方で、その生真面目さというのは、先般少し論じられていた「遷子の人間嫌い」に通じるような気がします。より具体的に言えば、「生き物に関わること」があまり好きではなかったのではないか、ということです。そして、やや逆説的ではありますが、だからこそ命あるものがその命を失っていくのを黙って見ているのは堪えられないと感じていたのではないでしょうか。掲句を読んでいると、生き死にに関わるのは自分の患者だけで充分、といった遷子の想いが、そこはかとなく伝わって来るのです。前回同様、深読みのし過ぎかもしれませんが、それが遷子の人格の本質的一端だと思えてならないのですが、如何でしょうか。

窪田:この句を読んで「あるがままに」という言葉がふっと浮かびました。中西さんの言われる「一切の無駄を省いてシンプルに生きる遷子」ということ、肯けます。遷子の文字を見ていても、同じことを感じます。文字に科がなく実にあっさりとした、しかし気品のある字です。演歌調ではなくシャンソンに近いイメージの字とでも言いましょうか。私は、金魚を飼って、庭には花を植えるのに忙しい位ですが。

「夕涼」は確かに中西さんの言われる通り「強い自己肯定」だと思います。一方、遷子の「あるがままに」という、一種の自由な精神も感じます。そして、飼育や栽培の対象となる動植物も、自然の中であるがままにしておきたいという遷子の思いが伝わってくるようにも思うのです。

仲:夕涼と聞くといつも思い浮かべるのが久隈守景作の国宝《夕顔棚納涼図屏風》です。日本の家族の肖像としては最古と言われるこの屏風は、現在、東京国立博物館に収蔵されています。豪壮な襖絵や中国伝来の水墨画を模したような画材ばかりが描かれていた江戸時代初期の狩野派にあって、こんな地味でほのぼのした絵を描いた守景のような絵師がいたなんて驚きですね。この絵から漂う幸せ気分そのままに夕涼というのは「生きていてよかった」との実感を噛みしめることのできる瞬間です。それに取合せたのが「生き物飼はず花作らず」との自己表明(宣言というほど大層なものでもない)とは…。 

この句の作られたのは昭和35年、前後の句を見てもまだまだ庶民の暮らしは大変で今のような様々な娯楽はなかったし、あってもこの田舎では望むべくもなかったでしょう。だからこそ生き物を飼ったり花を育てたりすることが田舎の生活に相応しい娯楽だった筈です。守景の屏風の家族も、貧しいながらも夕顔の棚を作りその下で寝そべりながら折りしも昇ってきた月を眺めているのです。しかし遷子はそれを否定した。彼が生き物や花を嫌いだったとは思えません。医師として命あるものには優しいまなざしを持っていたでしょうし、俳人として生きとし生ける物に関心がなかったとは思えないからです。ここで彼が言っているのはそういうものに興味が無いということではなく、そういうものを自分の慰み物とする生き方はしないということなのです。

中西さんの鑑賞文の中の「質実」「合理性」という言葉、どちらかというと前者の方が彼の生き方を表わしているように思えます。遷子の句を読んでいると凡そ享楽的なところがない、ストイックな印象を受けるからです。医師ですので合理的な考え方をする人ではあったと思うのですが、このことに関しては余り合理性とのつながりを感じませんでした。それよりも享楽、趣味についての彼の考え方が表われているように思います。趣味と言えばスポーツというジャンルもありますが、当時まだまだゴルフは贅沢な遊びでしたし、遷子は弟の愛次郎氏のようなスポーツマンタイプではなかったようです。俳句は現在のように趣味という捉え方でなく一種の修練、「俳句道」というような見方をする俳人が多かったのではないでしょうか。その意味で彼はこの句を通して「私には俳句があるからいい。俳句は自分の庭にちまちまと花や動物を置いて楽しむようなものではない。この大自然そのものが俳句の対象であり、この山河そのものが私の庭なのだ」と言っているような気がするのですがどうでしょう。

筑紫:「遷子を読む」を続けると高原派の遷子から、ペシミスティックな遷子がやたらと見えてくるような気がします(ペシミスティックの意味については別途進んでいる特別編での堀本吟さんとのやりとりをご覧ください)。「生き物飼はず花作らず」が、生き物が死ぬから、花が枯れるからという理由でないことは推測がつきます。生き物や花は自然に置くのがよいから、ということであれば多少は分かる気がします。ただ、それは理屈であって、高原派といわれ、戦前は自然詠にふけった遷子としては、やはり少し不自然な気がします。そうした気持ちを詠むのであればもう少し違った詠み方もありえただろうかと思えるからです。最後の解は、生き物を飼い花を植えるゆとりがないから、と読むのが妥当な感じがするのです。それが一番「夕涼」の季語にはあうような気がするからです。いってみれば係累の存在を疎ましく思うことはないにしても、また自ら係累を作らない努力などしないにもかかわらず、余儀なく置かれた係累のない環境の寂しさと、一方ですがすがしさがあるとすれば、それが「夕涼」の季語にはあうと思うのです。

生き物と花を俳句に置き換えてみると興味深いと思います。生涯遷子は俳句に打ち込んだのですが、案外思いは似ているかもしれません。飯田龍太は、平成4年に「雲母」を終刊し、以後俳句は発表していません。『遅速』が最後の句集であったわけで、これ以外にはわずかの期間「雲母」に発表した作品があるだけです。少なくとも平成4年以後、なくなる平成19年までの15年間、頑としていかなる場所にも俳句を発表しようとはしませんでした。龍太が「雲母」を終刊した理由を読むと、俳句制作を断念するつもりはまったくなかったことがわかりますが、「雲母」終刊が結局は龍太の俳句制作断念への引き金となってしまったことは間違いありません。その理由は当人以外には分かりにくかったかもしれませんが、決して嫌いではなかったにもかかわらず自ら忌避するという意味において、龍太の俳句は遷子の生き物や花と似ていたのではないでしょうか。その感慨が夕涼なのです。両者とも、古武士のような風格をもった俳人であった点も共通しますし、山中に住み共感を寄せていたこともすでに述べたとおりです。

[原さんの「生命に関係することは煩わしかった」にどっきとします。なお、遷子の顔には、ここで想像する佐久での顔と、函館で「壷」の連中と毎夜飲み歩いた顔、毎年の馬酔木の同人総会での飲み会の世話をする顔と、いろいろな顔があったようでどれかひとつが本当の顔であったわけではないように思われます]

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