2009年11月28日土曜日

遷子を読む(36)

遷子を読む(36)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井


霧氷咲き町の空なる太初の日
『雪嶺』所収
 
窪田:昭和38年作。同じ年に、

氷河期の人類と共に悴みぬ

があります。氷河期の句について堀口星眠は「酷寒がつづく。かじかんでいる時、他の全生物と同じに原始人にかえって冬に耐えているような気がする。智力、科学、すべて、自然には打克ちがたい。氷河期の人間はどうだったか。ふとそんなことを思う。」(『脚注名句シリーズ 相馬遷子』)と書いています。この頃の遷子は、人類の始めと自然というよなことに思いを馳せていた気がしてきます。掲句の前におかれた

風が棲む雪山の裾初荷行く
雪晴れて浅間嶺すわる町の上

なども神々しい自然の中で生かされている人間、という構図のように見えます。

酷寒の佐久、町中の木々、周りの山々の木々に花が咲いたように霧氷がつき、それが朝日に輝いています。きゅ-んと引き締った空気、青い空にはまるで太初の日のような朝日が輝きます。西脇順三郎の詩の一節「(覆された宝石)のような朝」のような句です。近代科学の洗礼を受けた現代人である遷子が、芭蕉と同じような造化を思ったかどうかは分りません。でも、太初への思いは人類どこかで共通したものがあるのではないでしょうか。自然の圧倒的な美の中に置かれればそのことが実感として湧いてきそうな気がします。遷子は、何時か自分が信州の自然に帰っていくことを思い、それが一種の願いのように胸の奥深くに芽生えたのではないか、そんな気がする一句です。

中西:高原派の時の句とは肌合いが違ってきているようです。自分の詠い方で、自分の見た風景を描いているようです。先日何となく野見山朱鳥を読んでいましたら、

火蛾とんで燈火は火のみ縄文期

という句に出会い、遷子のこの句と同様に、あるものに誘導されて、自分の全く知らない遠い昔を思うものかと、そう感じました。朱鳥は火に誘導されて縄文を思ったのですが、火蛾は朱鳥にとってよく詠われる句材だそうです。これに対して遷子は霧氷と、よく詠われる句材の空に太初の日を見ています。俳人には好きな句材というのがあるものです。空を遷子はいつも夢のような広がりをもって描いています。

自然の圧倒的な美の中に置かれればそのことが実感として湧いてきそうな気がするという窪田さんの感想は、長野の自然に接している方の体験的なものかと羨ましく思いました。

空を題材にしたときは、遷子の澄んだ精神を見ることが多いのですが、この句は特に遷子のピュアーな面が出ているのではないでしょうか。

原:霧氷というものを映像などでは知っていますが、実物を見たことはありません。何となく、山中の樹木に生じる現象であるという先入観がありましたので、最初この句を目にしたときには、山と町との二つの場を視野に入れている―――つまり、霧氷によって輝いている山の側からやや距離を持って、町の空に上った太陽を詠んだものと、一応解釈しました。けれどその場合、どうも印象が分散するのです。上五から中七へかかる言葉の続き具合からも、別々の場を設定するのは不自然のように感じました。ここではどうしても町そのものに霧氷があってほしかったのです。窪田さんが「周りの山々の木々」と同時に「町中の木々」を言って下さったので、やっぱりそうかと嬉しい気がしました。たった今、見つけたのですが、『山河』の昭和44年作に、

昏睡の父に庭木の霧氷咲く

がありました。

町のどこもかしこも霧氷できらめいているのでしょう。普段の平凡な町の景が一変します。「太初の日」は、思わず口に出た言葉でしょうが、時空を超えた大きな自然観を思わせる捉え方です。このような捉え方は『雪嶺』のこの時期前後に顕著なようです。

こうしてみると、『雪嶺』という句集は、社会性への傾倒をはじめとして、さまざまな要素を孕んだ句集であったという気がしています。

深谷:「空」「大初」と来ると、

空は大初の青さ妻より林檎うく 中村草田男

を思い出します。

地上の風景は時代とともに変わっていくけれど、空の青さは不変です。だから、ついそうした悠久の想いに意識が向かうのでしょうか。遷子のこの句も、そうした「遥かなるもの」への憧れがあるように思えます。

この句を読めば、窪田さんがコメントされたような景が見えてきます。まだ人々が活動を始める前の早朝の森閑とした静けさ、そして冷気が町を覆っています。街路樹には霧氷がつき、まるで花を咲かせたよう。そんな光景に、朝日が差し込んできます。太古の昔、人間が生れる前の時代と何ら変わらない、朝日の輝きです。

一方で佐久は、現実に人間が住み、生活の拠点とする町です。その人間の営みを超えた悠久の自然。ここで、自然と人間とは、決して二項対立的ではなく、窪田さんの御指摘のように「自然の中で生かされている人間、という構図」で描かれています。そして、その佐久の町を愛する遷子の眼差しの慈愛を感じます。

仲:霧氷は通常山の上でしか見られませんが佐久平では寒い日は氷点下15度にもなるので「町」でも見られます。こういう日は空気が頬に痛く、早朝には大気中の水蒸気が直接氷結してダイヤモンドダストという現象が起こります。まだ人通りの少ない町の空を渡る太陽を見ているとまさに「太初の日」輪もこうであったろうと思われるのです。人影の少ない風景からまだ人類のいなかった頃や少なかった頃に思いを馳せるのは自然な心の動きです。窪田さんの挙げた氷河期の人類の句は一風変わっていますが、この句と同じような心の動きから生まれたのかもしれません。

この句から逸れてしまいますが氷河期の句について。実は今現在も氷河期の真っ最中(これだけ温暖化と言われているのに間氷期だそうです)なのですが最終氷期の頃に人類は全世界へ散っていったと言われています。人類を3種類に分類するとこの時世界中に拡散していったのは我々と同じモンゴロイド(黄色人種)です。アジア全域はもちろん北アフリカ、スンダランドからオーストラリア(アボリジニもモンゴロイドの流れという説に従えば)、ベーリング海峡を渡って南北アメリカ(ネイティブアメリカンやインカ帝国を建てたインディオの祖先)まで…厳しい時代にこれだけ繁栄できたのは肉体的に寒さに強く、食糧の少ない状態にも耐えられる遺伝子を持っていたからとされています。しかし同じこの遺伝子(節約遺伝子)が今や飽食の時代において糖尿病、メタボリックシンドロームを引き起こしていると言われるのは皮肉なことです。遷子の時代にはまだそんなことは分かっていませんし、だいいち糖尿病も今ほど社会問題とはなっていませんでしたが。

筑紫:当初は原さんと同じような感想を持っていました。私など、樹氷(霧氷の一種ですね)は蔵王、のイメージだけしかありませんから、町中の霧氷はイメージがなかなか湧きませんでした。窪田さんの解説を見て、佐久という地の厳しさとともに、自然の荘厳さに感銘を受けました。

しかしこの俳句には、もっと印象的なキーワードが取り入れられています。「太初」です。まず思い出される句は、「空は太初の青さ妻より林檎うく 中村草田男」(昭和21年)です。太初には単なる初めではなくて、世界の初めという意味がこめられています。遷子の太初の日の空も真っ青であるはずです。ですから、霧氷咲き、太初の日を置く空の下の町は至福にあふれ、神の祝福を受けているはずです。

こうしてみると、『雪嶺』の句の振幅の大きさは不思議です。というより、天国に向く無垢の目は、醜い地上に向くと怒りの様相を帯びるような気がします。

「遷子を読む」のシリーズをつづけて、誌上でのやり取りのほか、メンバー同士でのメールに書かれたコメントを見て行くと、遷子という作家は一筋縄ではいかないという感じが強くします。戦前の馬酔木風の美しい作品、従軍作品(多くの人はこの俳句に批判的でしたが、私は遷子の成長に不可欠だったような気がします)、函館での境涯俳句、堀口星眠・大島民郎らと知り合ってからの高原俳句、そして社会派的な俳句、晩年の闘病俳句と変化しますが、これらの変化が行き当たりばったりだったらあまりわれわれは研究する必要がないように思います。遷子にとって殉ずるに足りる行動原理があったのではないでしょうか。

私が思うに、掲出のような「美」を愛する心とは、裏返せば「醜」を憎む心でもあったのではないかと思います。どちらも、激しさという点では違いはありません。そして、そうした態度が自分自身に向かったとき、自分自身も決して美しくはなかったと思えたのでしょうか。反省することの多い遷子には自虐的な句も多く見られます。こうした振幅のゆれを、佐久の雪深い里で養ったのではないでしょうか。本来の人間嫌いはこうした遷子の性格を養うのにうってつけだったかと思います。

せっかく、仲さんが入られたので伺ってみたい話があります。遷子の応召、その後病気しての内地函館での病院勤務まではいたしかたないものと思えますが、戦後、佐久へ戻って開業することは相馬医師にとってどういう気持ちであったかです。ついつい佐久と言うと佐久総合病院の若槻俊一を思い浮かべますが、彼が東大の医局からどういう気持ちでこの病院へ来たのか、鬱屈した思いがあったのか、その後の彼の仕事や思想遍歴から見るとどうしてもそのように思われてなりません。それが遷子でも推測できるかどうかです。遷子にとって最大のなぞは、そこにあるのではないかと思います。それは逆に、昭和20年代に医局に戻ることが可能であったか、東京で開業することが可能であったかという選択肢の問題にも移ります。

その答えが出たとしましょう。その上で、遷子にとってもっとも危険であったのは無気力ではなかったかと思います。句集の中にさえ気力が充実する一方、本人も絶望するような低迷振りもうかがえます。われわれが遷子から学ぶべきであるものがあるとすれば、友人や俳句の仲間のいない、何もない環境で自分を律する心をどうやって養うのかということだと思います。その意味では、やはり稀有な俳人であったと思います。

[順番に回しているのではないので同じ指摘が重なることがあります。最後に来た深谷さんと草田男の句で重なりました。しかし、論旨はだいぶ違っています]

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