2009年10月22日木曜日

遷子を読む(31)

遷子を読む(31)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井


一本の木蔭に群れて汗拭ふ
『草枕』所収

筑紫:今まで誰も取り上げてこなかった、遷子の従軍俳句を眺めてみます。第1句集『草枕』が、〈草枕〉〈大陸行〉〈蝦夷〉の3章にわかれ、〈草枕〉が東大医局に在籍中の典型的な馬酔木風景句、〈大陸行〉が従軍俳句、〈蝦夷〉が病を得て函館の病院に赴任したときの境涯俳句、となっているのはご承知のとおりです。

遷子自身は、あとがきで「大陸行以前の句はひたむきな投句家時代の所産であり、俳句に対してもっとも強い情熱を持つてゐたときのものである」といい、「大陸より帰還して後の私はひどい沈滞に陥つた」「俳句は遂に昏迷、低調の境を脱し切れずにゐる」と述べています。昭和21年の感想だからよほど割り引いて考えなければいけませんが、第1句集である『草枕』の率直な著者の感想として受け取りたいと思います。それにしても、〈大陸行〉について遷子は何も語っておりません。

さて『草枕』の中の〈大陸行〉は11章53句からなり、そのうち29句が『山国』の〈草枕抄〉に収められました。冒頭の句は、

月窓に冴えたり家は思はざらむ

でいささかホームシックにかられています。その次の章は、

我が行くや霞は陸にわだなかに
黄海や真紅の春日ただよへる

遷子にとって戦争の大陸行が初めての海外渡航であったと思われます。その意味では、現在の海外詠に似た趣の句もなくはありません。「わだなかに」「春日ただよへる」はまだ十分馬酔木的な美意識の世界でありました。やがて、従軍俳句らしい作品が現れます。

春の闇見えねひた行く人馬の列
麦秋の暮れていや黄なる麦を行く
黙々と憩ひ黙々と汗し行く
黍高粱野の朝焼けの金色に

まるで火野葦平の『麦と兵隊』です。「改造」の昭和13年8月号に掲載されベストセラーとなったこの小説にあやかって「俳句研究」は9月号では「俳句『麦と兵隊』」として、日野草城「戦火想望」、東京三「戦争日記」、渡辺白泉「麦と兵隊を読みて作る」が発表されました。戦火想望俳句はこうして生まれます。

こうした中で、軍隊生活をもう少し客観的に捉える句が生まれてきます。

黄塵や雨知らぬ畑に寝て憩ふ
湯浴みつつ黄塵なほも匂ふなり
一本の木蔭に群れて汗拭ふ
栓取れば水筒に鳴る秋の風

余儀なく遷子が詠み始めたリアリズムの世界です。掲出の句もこうした中にありました。従軍俳句を今評価する人はいませんが、遷子にとって、リアリズムに手をつけたということは決して小さいことではなかったようです。やがて、佐久にもどっての社会的関心に動かされてゆくとき、一度経験したリアリズムは決して無駄ではなかったように思われるのです。

【注】今回の遷子の作品は、単行の『草枕』から選びました。『山国』〈草枕抄〉にはない句もあるし、逆に『山国』〈草枕抄〉にあって単行の『草枕』にはない句もあります。
緑蔭に徹夜行軍の身を倒す 『山国』〈草枕抄〉より

中西:初学の頃の遷子は、秋桜子の俳句に憧れて、美しい景色を詠っています。

熊野川筏をとどめ春深し
鰯雲大利根海となるところ

また、波郷から学んで、

書肆を出づ春の夕焼九段の上に
かくて無為日々の暑さをなげきつつ

というのもありますが、〈大陸行〉になりますと、少々詠い方が変ってきているようです。従軍俳句と言いますと長谷川素逝の『砲車』の極寒の戦争風景を思い浮かべましたが、遷子の描いている大陸は、黄塵や、麦秋、黍、高粱畑の黄色の大地です。

黄塵や雨知らぬ畑に寝て憩ふ
麦秋の暮れていや黄なる麦を行く

という句が『草枕』の中の掲出句の数句前にありとても印象的でした。これらは風景に哀切を内包し、先程揚げました馬酔木らしい美しい風景句とは大分違います。この従軍俳句で遷子はリアリズムを詠み始めたという磐井さんの見方に成程と思わされました。そのリアリズムの句として、磐井さんは「一本の木陰」の句を揚げているわけですが、行軍の長い道のりを思わせられる句です。大木の木陰に小隊が休んでいるのです。遷子の個というものはここにはありません。この句を印象づけているのは「群れて汗拭ふ」というところで、放心しているのとも違う、まるきりの無感動が描かれているように思います。

遷子は戦争について語らなかったということですから、行軍の悲惨さや、戦闘そのものは描かなかったか、残さなかったのでしょう。

ただ一句、

麦照るや弾が掠めし耳いたき

が、『山国』の中の〈草枕抄〉の中にあるもので、『草枕』の中にはない句です。

原:掲出句は行軍の途次の小休止という状景でしょうか。

従軍俳句と言えば長谷川素逝の『砲車』を思い出します。本来の資質がリリシズムにあったと思われる素逝の場合、戦争俳句で高名になったばかりに、のちに自ら『砲車』を抹殺していったことに胸の痛む思いがします。

一方、馬酔木的抒情の作風だった遷子の〈大陸行〉では、素逝ほどの臨場感や直接性は感じません。一口に軍隊生活とはいっても、階級や部署、役目の違いにもよるのでしょう。

とはいえ、戦争俳句という極限状況に身を置いた者は、否応なしに内部変化を遂げさせられるようです。戦場での生活が遷子にリアリズムの萌芽をもたらしたという磐井さん指摘は興味深いものでした。

深谷:数年前、初めて遷子の句業に取り組んだ時、最も面食らったのが、掲題句を含む一連の従軍俳句でした。それまでの端麗な馬酔木調の風景句から一変して、ひたすら土埃と汗と硝煙の匂いに満ちた句群が登場します。何しろ極限の状況で詠まれた句ですから、ある種の切迫感や迫力に満ちた作品であることは否めません。ただ、文芸作品としてどう評価するかに関しては、なかなか難しく、やや当惑したというのが、正直なところです。戦争という特殊な状況を経験していない、あるいは想像が及ばないわけですから、私の鑑賞能力の限界を超えていたのだと思います。そのうえ、読み進めていくうちに、1句1句が独立した作品というよりも、全体として一つの作品世界を構成する「連作作品」のような感覚を覚えました。そうした点があまり積極的に評価できなかった要因だったのかもしれません。

さて、掲題句に関しては「一本の」に着目しました。中国大陸の大平原を行軍しているのでしょう。やっと休みを取ることになり汗を拭おうとして、皆、木陰を求めようとするのは人間として自然の摂理です。しかし、そこは見渡す限りの大平原ですから、影を作るものは僅かに1本の木しかありません。行軍の厳しい状況が、この「一本の」という措辞により活写されていると思います。

話はやや逸れますが、従軍俳句の中では、

栓取れば水筒に鳴る秋の風

が一番印象に残りました。この句の「秋の風」という季語には、古の宮廷歌人たちが籠めてきた雅なニュアンスは全くなく、五行に配した“金風”などの面影も程遠いばかりです。あるのは、ただ大陸を渡っていく、物理的現象としての「秋の風」です。いわば、透徹したリアリズムが作品を貫いています。

結局、これらの従軍俳句は、突然「前線」に送り込まれた遷子が、現実に採り得る唯一の作句スタンスだったのではないかと思います。

窪田:もう10年以上前になります。桂林からバスに乗って離江下りの出発点、竹江へ向かいました。途中、中国人民軍の行軍に出会いました。戦時下でないのですから、演習であったのでしょう。その列は半キロほども続いたでしょうか。背嚢に鍋を括り付けている者、二人で荷物を運んでいる者、機銃の銃身を担いでいる者などが黙々と歩いています。顔を見るとまだ少年のようでもありました。戦場と言っても多くの時間はこうした移動や塹壕堀りなどに費やされるのでしょう。遷子も幾日も行軍したに違いありません。

中国大陸はどこまで行っても同じような景色が続きます。25年程前の夏、上海から汽車で西安まで旅をしました。車中2泊、どこまでもなだらかな畑が続き、日蔭になるような林はあまり記憶にありません。掲句の前後にも麦や黍、高梁の畑が広がっている様が想像される句が並んでいます。そして、稀に現われた木陰にも憩うことなく進むのです。

見出でたる緑蔭たゞに見て過ぐる

炎天下の行軍。ようやく休憩が許された所にはまばらに木が立っているだけです。1本の木の下に兵隊は群れ、汗を拭くのです。リアリティーのある句で、行軍の様子が良く伝わってきます。筑紫さんが言われた「余儀なく遷子が詠み始めたリアリズムの世界」ということが胸に落ちます。

余談ですが、『草枕』の一部を『山国』に再録した理由を遷子は「戦後混乱のさなかの事でもあり、極く限られた人々の目にしか触れ得なかった。」と言っています。「混乱のさなかの事でもあり」ということは、『草枕』にちょっと納得のいかなかった部分があったという事ではでしょうか。例えば、仮名遣いの間違いがあります。『草枕』では「老ひ」となっている句は、『山国』では「老い」に直っています。遷子は、何事に対してもきちんとしなければ気の済まないという性格であったのでしょう。

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