2009年10月22日木曜日

関悦史「田中裕明論」

-Ani weekly archives 007.25.10.09-
天使としての空間
――田中裕明的媒介性について

                       ・・・関 悦史


紫雲英草まるく敷きつめ子が二人

第一句集『山信』の冒頭の句である。田中裕明の句業のはじまりに位置するこの句に、田中裕明の特徴のかなりの部分が既に開示されている。それは複数のものたちが天使的としか呼びようのない非物質的・超物質的な関係を軽やかにとりむすびあって対を成し、それが日常とは別の時空をあっさりと句のなかに実現させてしまうという特質である。

一九八〇年代のはじめに、山梨県大泉村で縄文後期から晩期にかけての遺跡が新しく発掘されたが、その住居跡からはおびただしい数の謎めいた丸石があらわれた。この丸石信仰について『古事記』『日本書紀』に記録された神話と対応させての解釈をした郷土史家たちの試みを、中沢新一が紹介している。

《丸石の出土状況を見てみると、金生遺跡の場合には石棒と多凹石とがいっしょに出土しており、もしこれらが三体セットを形成しているのなら、このうち石棒と多凹石は象徴的な意味で性的カップルを形成するから、それとセットになった丸石はそれ自身で完結した意味を担っていなければならない。またほかの象徴物と異なって、丸石はごろごろと転がることを特徴としている。新石器時代の神話的思考において、ごろごろと転がるものと言えば、それはからだから切り離された首にほかならない。首は生命力の源泉であり、この首から肢体が伸張していくというのが、新石器的な思考のとらえた生命のあり方だ。そうすると丸石は、生命力を凝縮した首であり、性的二元論から言えば自分自身で完結した生命体、すなわち稚児をあらわしていることになる。

記紀神話の体系の中には、そういうカミの存在がはっきりと書かれている。》

(『芸術人類学』所収「壺に描かれた蛙」)

ここでその名を挙げられたのは穀物の種子の霊であり、生の世界の生命力をあらわす「ワクムスビ(稚産霊神)」という神だが、ここでは複数の性が結びつき、ひとつの強度となった稚児性(完全性)が、丸という表象と化していることに注目すればよく、当面その名は重要ではない。こうした神話的思考を踏まえて冒頭の句《紫雲英草まるく敷きつめ子が二人》をあらためて見直せば、二人の子の対が「丸」という結界のような完全性の表象のなかで、紫雲英という歳時記的な別のコスモロジーに属するものと多形倒錯的な関係をとりむすび、前衛的身振り、超現実的道具立てに頼ることなく、日常の次元から離れた、穏やかな光のようなものとして浮遊させられていることに気がつく。

この稚児性は天使性ときわめて近い概念である。天使性とは、錯乱にいたるほどの媒介性の謂でもあるからだ。天使は男の前には女としてあらわれ、女の前には男としてあらわれるといった両性具有性をもつが、あくまでも現実の男女としてではなく霊的な愛の対象として関わる(紫雲英草の句の二人の「子」の性別がどちらであろうとさして問題にならないのはそのためである)。西洋文学にあらわれた天使的性愛の系譜として例えば鈴木晶は、バルザックの『セラフィタ』、ロシアの象徴詩人ブリューソフの小説『炎の天使』、さらにはアヴィラのテレジアのエクスタシー体験、『神曲』におけるダンテとベアトリーチェ、ソフィアを幻視した一連の人々も、ルイス・キャロルの少女愛までをもその例として挙げている(「理性崇拝に翳りがさすと〈天使〉があらわれる」(「週刊読書人」一九八八年十月十日)。日本であれば武田泰淳の晩年の連作『目まいのする散歩』に登場する泰淳・百合子夫妻の、一対と化して人生の記憶のなかを浮遊するありようがその系譜に連なるかもしれない。これは病床の泰淳の口述を妻百合子が筆記した作品であったはずだ。

田中裕明の句にはそうした天使性を帯びた複数が頻繁に姿を見せる。

大学も葵祭のきのふけふ

における「きのふ」と「けふ」は例えば「この二日」といった粗雑な措辞ではおきかえがたい、並列によるふくらみを有しているし

秋の蝶ひとつふたつと軽くなる

の「秋の蝶」はふたつ目があらわれたことではじめて「軽くなる」。

似て非なるもの噴煙とよなぐもり

で並列された噴煙と黄沙は、たがいに不定形さを維持したままで別な次元の実在感を際立たせる。

他にも、比較的初期の作からざっと拾っただけでも以下のような句が並び、枚挙にいとまがない。

ふたつづつ菌のならび冬に入る
われからに道の岐るる葛の花
日脚伸ぶ重い元素と軽い元素
骨と骨つなぐ金属梅雨茸
寒卵しづかに雲と雲はなれ
さめてまた一と声浮寝鳥のこゑ
つれだちて早乙女とほき家に入る

また「悼 能村登四郎」の前書きのある

別の世の姫螢見にゆかれたる

も、見逃しがたい。能村登四郎という両性具有性を濃厚に漂わせた俳人を悼むにあたり、「姫螢」というまさにその倒錯を体現したような存在で受けることにより、天上の消息を訪ねている性愛のにおいを含んだ媒介性がそのまま他界に通じている天使性の見本のような句だからだ。第四句集『先生から手紙』には《初蝶やその足音の男来る》などという句もある。ここでは初蝶と男が媒介されている。

目のなかに芒原あり森賀まり

これも媒介性の極み、乱反射のような句である。まず「森賀まり」が「芒原」を映しだすことで一体となり、この歳時記的宇宙と対となった「森賀まり」は、当然その夫である田中裕明その人とも一対を成す。さらに「君」でも「妻」でもなく固有名詞が用いられているところにも注意しなければならない。「君」であればこの一対は自閉してしまって外部の風通しを欠いた鈍重なものとなりかねないし、「妻」には婚姻関係を通して共同体の承認という要素が一応はかかわるとはいえ、二人の関係は微塵も揺るがない固着したものとなり、粗大で鈍感なものとなる。固有名「森賀まり」が用いられているからこそ、その外にある自然や社会という広大さのなかでの、いささかの不安定さをも持つ微粒子的な流動をはらんだ一対の立ち姿が、奇跡的な涼やかさのなかにあらわれるのだ。

裕明の取り合わせの句の、他の誰とも似ていない不思議さの印象はこの媒介性に由来する。そこでは直接関係のない素材同士をぶつけ合わせて双方を際立たせることが目的なのではなく、双方が隠喩の関係で結ばれるわけでもなく、二つの素材の間に空間をはらませること自体が目的なのでもない。複数のものの結合が天使的な相においてあらわれること、言い換えれば不可視の天使を句作においてとらえることが重要なのだ。「天使たちは、――毎瞬ごとに新たな天使たちが、無数の群れとなって――生み出され、神の前で讃歌を歌っては鎮まり、無のなかへ消え去ってゆくというのだから。」(ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション4 批評の瞬間』ちくま学芸文庫)

句中にきっぱりとした切れを持った句が少なく、全体になだらかにつながる姿の句が多いのもそうした事情による。切れや断絶とは全く生理を異にする飛躍があるのだ。

第一回「青新人賞」受賞時の文章で、裕明は次のように語っている。

《たとえば二月堂のそばの茶店で『失われし時を求めて』を読みつづけた人にそして秋の日について思いをめぐらせたあとに、他者と自己の関係においてのみ眺めている世界が変貌する時間がやってくる。相対化の原理はそこでも働いているので、俳句が生まれる時の自分は新鮮な果物のように感じられることがあり、それが魅力の一つかも知れない。》(「ゆう」二〇〇五年田中裕明主宰追悼号所収の植松章治「草いきれさめず」より孫引き)

ここで語られているのは、句が立ち上がる現場に身を置くとき、裕明自身の心身もそうした媒介性へと向けて開かれており、それが句作の方向づけに大きな影響を及ぼしているという事情にほかならない。

プルーストの小説の題名が引き合いに出されていることも目を引く。「『失われし時を求めて』を読みつづけた人」という比喩は、俳句を世界文学の一環として見晴らせる場に置くというだけではなく、言語の構築物によって読者の時間や世界が変容する、その体内感覚のようなところにまで触れている。こうした次元に発するフィクション性、空想趣味の名句が

たはぶれに美僧をつれて雪解野は

だろう。ここでは「たはぶれ」の遊戯性、僧の他界性とそれが美しいことによる性愛への傾斜、「野」であらわされた自然の広やかさと、そこが「雪解」の最中であるというエロス、それら一切を含み込んで、語り手、美僧、雪解野の三者が光のなかに多形倒錯的に媒介されあっている。

裕明が創刊した俳誌「ゆう」の「創刊のことば」には「波多野爽波先生の目指した季語の本意と写生を軸に、日本の伝統詩としての俳句を作ってゆきたいと考えています」という、田中裕明以外の俳人が発したのであれば、まずその作品に期待を寄せようという気を失わせかねない内容が宣言されているのだが、この宣言は次にこう続く。「そこで大切にしたいのは詩情ということ。孤独な創作の産物である俳句が、人に伝わるのも詩情がそこにあるからです。」

その「詩情」の核心が、これまで述べてきたような天使性の導入という、おそらく未聞の方法による永遠性の示現にあったため、裕明の句は有季定型の美の体系の中で創作され、語り手を作者本人に短絡的に同一視してもさして不都合とならぬリアリスティックな叙法を概ね取りながらも低俗に落ちることがなかったのだ。

天使性はべつだん、欲望に媒介された複数のものたちの間にのみあらわれるわけではない。

たとえば全句集巻末の季語別索引から「小鳥」の項目を引くとたちまち次のような句たちが出てきて、質量ともに索引のなかで群を抜いており、裕明のこの季語への偏愛がうかがわれる。

ゆつくりと掃く音のして小鳥村
小鳥来てこの膝小僧だけまるし
小鳥またくぐるこの世のほかの門
小鳥来て人はものかげより出づる
舌頭に千転すべく小鳥来る
人生に小鳥来ることすくなしや
万葉に詠まれずされど小鳥来る
研究所の空ひろければ小鳥かな
微風とは小鳥来る日のはじめかな
遊ぶ日と決めて朝から小鳥来る
小鳥来るいづれの門も四角くて
小鳥来るここにしづかな場所がある
小鳥来てたちまち冷ゆるまつげかな
亡き人の兄と話して小鳥来る
大空の一塵として小鳥くる

小鳥とは姿かたち、空を飛ぶというありようによって直接的に天使のモデルとなるものであり、他界からの使いである(“小”鳥ではないが、死んだ日本武尊が白鳥となって大和を指して飛んだという『日本書紀』の説話を思い出してもよい)。また鳥の声は悪意や毒を含まない純然たる他者の語らいであり、受容する自然の象徴でもある。

《小鳥来てこの膝小僧だけまるし》では媒介された結果としての丸という形象がふたたび見られ、《舌頭に千転すべく小鳥来る》では小鳥が句作そのものに変容しようとしており、《人生に小鳥来ることすくなしや》では逆に句作という場以外において天使的媒介の愉悦があらわれることが滅多にないことが語られる。

《小鳥来るここにしづかな場所がある》は代表句のひとつだろう。小鳥という天使性が、そのまま融和的にして非日常な場の生成の問題であることを端的に示しており、裕明の句作の本質に触れていることが、この句の力になっている。裕明といえば小鳥という印象を持っていた読者も少なくはないのではないか。「俳句研究」(二〇〇三年二月号)に掲載された対談での高橋睦郎から田中裕明に向けた挨拶句五句の中にはこのような句も含まれていた。《小鳥湧く田中裕明そこに在り》

なお全句集季語別索引では、「水鳥(浮寝鳥)」の類は別としても「小鳥」のほかに、「百千鳥」五句、「鶯」二句、「麦鶉」一句、「燕」三句、「帰雁」一句、「引鴨」六句、「残る鴨」二句、「鳥雲に入る」一句、「囀」三句、「鳥の恋」五句、「鳥の巣」二句、「燕の巣」一句、「巣立鳥」一句、「時鳥」一句、「郭公」一句、「練雲雀」二句、「老鶯」一句、「葭切」二句、「浮巣」四句、「夏燕」一句、「渡り鳥」一句、「燕帰る」六句、「稲雀」一句、「雁」三句、「都鳥」一句を数えることが出来る。

他の季語で採られながら鳥が登場している句も少なくない。《冬座敷わけてもむくは群るる鳥》《鳥の影急にふえたる添水かな》《宵闇の鳥籠たかく吊られあり》《二月繪を見にゆく旅の鴎かな》《かもめ飛び春服ひくく吊られける》等。

天使性をそのままに体現するもうひとつの存在が子供である。これは季語別索引には当然整理されていないが、ちょっと拾ってみただけでも、小鳥に匹敵する質量があり、裕明にとって中心的なモチーフのひとつであったことがわかる。

小さくて全き六腑水温む
子のつくる火の荒けれど蕗の原
赤ん坊抱きて端居といふことを
箱庭に子のささやきの響きけり
をさなくて昼寝の国の人となる
長子とは泳ぐ手をふることもなく
独り居といふこと子にも良夜かな
大人より子供の淋し竹の秋
麦秋の子どもが赤子あやすこと
水遊びする子に先生から手紙
一人だけ子を連れてゆく麦の秋
眠る子の指のうごける刈田かな
猫の恋吾が子と夜を更しけり
小句座に子もうちまじり鳥威
あつまつて子の眺めゐる藷の蔓

《大人より子供の淋し竹の秋》
では春の季語「竹の秋」が境界性を暗示し、子供が大人よりも他界に近いものとして捉えられている。

《箱庭に子のささやきの響きけり》の子の声は世界の上空から降り、《麦秋の子どもが赤子あやすこと》は、『山信』冒頭の《紫雲英草まるく敷きつめ子が二人》と同じく、子供同士の媒介状態が描かれる。

《猫の恋吾が子と夜を更しけり》は「猫」「恋」「吾が子」「夜」と形而上的な多形倒錯のエロスを限りなく日常に近い領域に静もらせた佳句だろう。

代表句のひとつ《水遊びする子に先生から手紙》では「水」と戯れる「子」に「手紙」という間接的なかたちで介入する「先生」と語り手でありながら句中には直接あらわれない親といった項が媒介され、永遠の相のなかに静止する。

裕明の句において、「子」は単なるべたついた現実の情愛の対象としては描かれていない。「小鳥」と「子供」の姿をかけあわせれば、裕明の句にはおそらく直接には一度も使われていない語「天使」が姿をあらわす。「小鳥」も「子供」も天使の微分されたものとしてたちあらわれている。

《水遊びする子に先生から手紙》にはもうひとつ、「手紙」という媒介物がある。

長夕焼旅で書く文余白なし
天の川間遠き文となりにけり
鉄線花や怏々として文の数
はつなつの手紙をひらく楓樹下
あした逢ふ人に文書く余寒かな
ねそべりて手紙を開く子規忌かな

《ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ》《我が心日向ぼこりになじめざる》《ひとをらぬところやすけし百千鳥》と、ときどき露骨に厭人癖の表出された句をなす裕明にとって、手紙とは地上的な対人関係の余分な挟雑物を置きざりにして軽やかに飛行する媒介者の謂であったのだろう。書かれたもの、手紙や詩を介しての人とのつながりはそれ自体がひとつの天使的ありようにほかならない。第五句集『夜の客人』には樋口一葉「月の夜」から引かれたエピグラムが付されている。

《嬉しきは月の夜の客人、つねは疎々しくなどある人の心安げに訪ひ寄たる、男にても嬉しきを、まして女の友にさる人あらば如何ばかり嬉しからん、みづから出るに難からば文にてもおこせかし、歌よみがましきは憎きものなれどかゝる夜の一言には身にしみて思ふ友とも成ぬべし。》

ここで述べられているのは、詩、そして自然(月)に媒介されてはじめて成り立つ種類の人との交わりの望ましさにほかならない。

あらそはぬ種族ほろびぬ大枯野
おほぜいできてしづかなり土用波

これらの句では、おそらくはそうして詩を媒介に成立したのであろうある無言の共同体と大きな自然との対峙の様相から、きわめて大きな潜在力を引き出している。あらそわずに滅びた種族の不在を不在のままに実在していた当時よりも重く際立たせる「大枯野」も、「おほぜい」と「土用波」のエネルギーの間に発生する「しづか」もともに潜在性、永遠性の領域を指す。

《冬木立師系にくもりなかりけり》と詠まれた師の波多野爽波、さらにその師の高濱虚子においては永遠性の出現はそれぞれかなり異なる様相を見せる。

遠山に日の当りたる枯野かな 虚子
大寒の埃の如く人死ぬる

虚子は自然の永遠の相を一度己の内に取り込んでから表出し、そのことで自らをも王の如くに荘厳する。王とは自然の諸力を取り込むことに成功した(と主張する)存在にほかならない。

帚木が帚木を押し傾けて 爽波
末黒野に雨の切尖かぎりなし
鳥の巣に鳥が入つてゆくところ

爽波には《金魚玉とり落としなば舗道の花》《螢とぶ下には硬き舗道かな》といった危機感、デッドな質感への偏愛が見られる句も多い。《空港出て田植汚れの電柱立つ》《伐りし竹寝かせてありて少し坂》といった句も引くとさらにはっきりするが、爽波の句の永遠性はシャッターを開けっぱなしで撮影した天体写真から高速で動く人の姿が消え失せるがごとく、あるいは高速のストロボ撮影で一連の動きのなかから一瞬の異様なポーズを引き出して定着させたがごとく、無人感が強い。常識的で鈍重な感慨を出し抜き、速度と反射に徹することで世界の真の相を俳句形式に定着させようとする「俳句スポーツ説」「多作多捨」という理論や方法の成果と云えるが、同じ方法をとれば誰もが同じ句境に到達するわけではなく、ここに爽波固有のものがあらわれているととれる。個々の俳人の重要度は、俳句形式のなかにいかに永遠を定着させ得たかという点と、その際にどれだけののっぴきならない固有性をあらわしたか、そしてこの二つの尺度をどれだけの解きほぐしがたい強度として句作に現成させえたかに比例するのではないか。裕明の句は虚子とも爽波とも、その他の誰とも異なる質の達成をたしかに実現している。

城戸朱理は近著『戦後詩を滅ぼすために』(思潮社)に収録された「肉体の変容譚」という短い永田耕衣論で《いづかたも水行く途中春の暮》《腸の先づ古び行く揚雲雀》といった名句を引き、耕衣を前衛として悲壮に倒れる身振りとは無縁の「途中」という相において偉大さを実現した俳人としてとらえている。

「回想 永田耕衣さん」の前書きのある裕明の句

もうすこし笑うて年木積のかげ

がまさしくその「途中」の相をとらえて呼応しているのが面白い。追悼句や挨拶句も、詩を介しての人々との交わり(及び永遠の相への漸近)という天使的媒介性を発露させる恰好の装置である。

杖つかぬ桂信子やほととぎす

杖をつかないという否定形が高齢と、それにもかかわらぬ真っ直ぐな立ち姿を現出させているが、裕明的俳句空間のなかで「ほととぎす」という鳥に媒介されることにより、鈍重な人体を半ば超出した身軽さが共示される。なぜそこまで身軽なのか。詩人だからだ、本物の、と句を読み下した一瞬で鮮やかな讃辞に転じている。

前掲の

水遊びする子に先生から手紙

は、師・波多野爽波の《水遊びする子に手紙来ることなく》の本歌取りである。

穴惑ばらの刺繍を身につけて

という不思議な句についても、最近爽波の句を読み返していて《秋の蛇ネクタイピンは珠を嵌め》があることに気がついた。どちらも秋の蛇と身につけるものとの取り合わせの句で、これも偶然ということはないだろう。

水遊びの句では、師の「手紙来ることなく」の無人志向のひんやりした質感を、「先生から手紙」の天上的な媒介性の明るみに絡めとり、「秋の蛇」と「穴惑」の句では、「珠を嵌め」た「ネクタイピン」とあくまで硬質に正装を崩さず、目を思わせる珠をもってこれもひややかに秋の蛇と対峙してみせる師に対し、裕明は「ばら」という、およそ普通の場面で身につけることのありえない、象徴詩の代名詞のような花をまとい、冬眠場所を探してさまよう柔らか味を帯びた「穴惑」と媒介されあう。こうした本歌取りの操作もまた、裕明にとっては生身の次元に滲出してきた天使的媒介の祝祭にほかならなかったのではないか。裕明の句においては語り手当人も媒介項のひとつとして不安定な喜ばしい微粒子的流動の中にある(それだけに全句集の『夜の客人』補遺に収められた、つまり病を得て以後の作《まだ読まぬ詩おほしと霜にめざめけり》は傷ましい。ここではもはや天使的媒介物たるべき詩までもが、生身の時間の限界を露呈させ、そこに意識をしばりつける役割しか果たしていないからである)。

没後、田中裕明の存在感は薄れるどころか却って確実に増しつつあるようだ。最近の俳人としては稀有なことかもしれない。

前衛・伝統の区別がとうに有効性を失った現在、ことに後から来た若い俳人たちは、俳句で何をなすべきかが極めて見通しにくくなっている。

いわゆる前衛とは別の仕方で、有季定型の枠内に何の悪意もなくとどまりながら、そこに天使性というかたちで非日常の明るみを横溢させるという、今までにないあり方をのびのびと実現させた田中裕明の句群が大きな可能性の塊として恃みとされるのは故のないことではなく、今後当分の間その存在感が薄れることはないだろう。

参考・浅田彰『二〇世紀文化の臨界』(青土社)

    (「俳句界」2009年6月号より転載)


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