2009年10月25日日曜日

俳句九十九折(54) 七曜俳句クロニクル Ⅶ・・・冨田拓也

俳句九十九折(54)
七曜俳句クロニクル Ⅶ

                       ・・・冨田拓也
10月18日 日曜日

「オートバイ」の俳句を集めてみたいという気になった。

激論つくし街ゆきオートバイと化す   金子兜太『金子兜太句集』より

断水の夜となりオートバイ騒ぐ  鈴木六林男『第三突堤』より

明るい山肌残すため散るオートバイ  赤尾兜子『虚像』より

魂魄すがしく飛ばす昼月オートバイ  大橋嶺夫『わが死海』より

オートバイ荒野の雲雀弾き出す  上田五千石『田園』より

春終る路傍大破のオートバイ  馬場駿吉『夢中夢』より

鶴のように空で疲れるオートバイ   阿部完市『絵本の空』より

内臓あらわなり放蕩のオートバイ  高野ムツオ『陽炎の家』より

秋夜寒オートバイだけが友達なの   栗林千津

秋風や蝿の如くにオートバイ  岸本尚毅『舜』より

オートバイ内股で締め春満月  正木ゆう子『静かな水』より

他にもこのようなオートバイを扱った作品の数は少なくないのかもしれないが、自分がどうにか探し出せたのはせいぜいこのくらいであった。

「オートバイ短歌」というものも、少なからずあるのかもしれないが、自分はあまり知るところがない。

冬海に横向きにあるオートバイ母よりちかき人ふいに欲し  寺山修司『血と麦』より

言葉など神経の掻き傷ならむくろがねのマシン操る者に  春日井健『水の蔵』より

一応自分の記憶の中に在ったのは、せいぜいのところこの2首くらいであろうか。春日井健の短歌については、はたして内容的にはオートバイであるのかどうか不明なところではあるが。


10月19日 月曜日

『坪内稔典句集』(芸林21世紀文庫 2003年)を再読。

坪内稔典さんといえば、やはり「甘納豆」や「河馬」などの俳句が有名であるが、個人的には長い間、文章の書き手であるというイメージの方が強かった。

それゆえ、作者としての坪内稔典とその俳句作品にはあまり興味がなく、さほどその作品にも注意を払ってこなかったのであるが、今回この選句集を久し振りに読み返してみて、「角川文庫」や「サロンパス」、「相撲」などの作品については、やはりそれほど面白いとも思えなかったが、他の作品についてはなかなか優れた句や高い水準を示していると思われる句が割合見つかり、すこし驚くところがあった。

家出するちりめんじゃこも春風も

男病むアジアを走る青い梅雨

夢殿を出て八方の秋日和

炎上の巨大タンカー春の雪

秋晴れや酸素を運ぶ四トン車

蓮枯れる古代へ戻る音立てて

膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる

波音が月光の音一人旅

選句集の全体的には単に軽い印象の句が多いが、それだけでなく、時折真顔ともいうべきやや真剣な表情を見せる作品が、若干ながら見受けられるところがあるのもやや意外であった。


10月20日 火曜日

天上も淋しからんに燕子花  鈴木六林男『国境』より

鈴木六林男が亡くなる数年前、テレビの関西のローカル番組に出演しているのをたまたま眼にしたことがある。「ふーん、これが鈴木六林男か。」と、その好好爺といってもおかしくない柔和な笑顔と穏やかさを湛えた姿を、やや意外に思いながら(もっと無骨な感じかと思っていた)その画面を自分はぼんやりと眺めていた。

しばらくすると、掲句についての解説がはじまり、「燕子花」という表記には「燕」という文字が含まれており、その「燕子花」の垂れ下がった花弁は、燕の翼を連想させるところがあると説明し、地上も淋しいけど、天上も淋しいんやろうなあ、ということですわ、と関西弁でこの句が成立した当時の心情について述べていた。

「燕子花」における「燕」の意味が、この作品には鋳込まれていたのか、と自分は大いに感じ入り、そして、無意味なまでに広大な空という空間と、燕の翼のような形状の花弁を有しつつも地上を離れ得ない「燕子花」の存在のその宿命性ゆえの寂寥感といったものを思った。

ここに表現されているのは単に「燕子花」の美しさ、というよりも、その「燕子花」という植物の存在そのものの無常さと虚しさであり、また人間をも含む「地上」におけるあらゆる存在と、さらにいうなれば、「天上」をも含み込むこの世界そのものに対する深い虚無感ということになるようである。


10月21日 水曜日

以前、この連載において(七曜俳句クロニクルⅡ 9月16日)、「本郷昭雄」という作者とその句集『不知火幻想』(昭森社 1968年)について取り上げたのであるが、その内容を見て下さったとある俳人の方が、この本郷昭雄の資料をわざわざ集めて送って下さり、それが今日、自分の手元に届いた。その資料とお便りを読みながら、やはり本郷昭雄について簡単ながらも書いてよかったな、と感慨深い思いがするところがあった。

自分はこれまで、本郷昭雄については、野見山朱鳥の弟子で、一時期、馬場駿吉などの人たちと「点」という同人誌に参加しており、句集としては『不知火幻想』(昭森社 1968年)があり、1970年代の後半に湯川書房から『瞳孔祭』という句集を刊行予定であったがその出版社である湯川書房の倒産のため刊行が中止になった、といった程度の事実くらいしか知るところではなかったのであるが、今回資料をお送り下さった方のお便りによると、本郷昭雄は、その後、超結社誌である「晨」に昭和59年の創刊号から参加して作品の発表を行っていたとのことである。

「晨」といえば岡井省二が昭和59年に創刊し、その同人として大峯あきら、宇佐美魚目、山本洋子、茨木和生、西野文代、田中裕明、などの多くの関西の主要俳人を擁してきた、現在も刊行されている関西における代表的な俳句誌ともいうべき存在である。そこに本郷昭雄は創刊号の昭和59年から平成5年までの間、作品を発表し続けていたということである。

実際のところは、はっきりとはわからないながらも、この本郷昭雄の作品発表が平成5年あたりから「晨」の誌上に見られなくなるため、本郷昭雄はこの平成5年の時点で亡くなった可能性が高いということになるようである。『平成秀句選集』(角川文芸出版 2007)における物故者の作品のみによって編まれた「平成俳句年表」を見ても、その名前が記載されているのが確認できるため、やはり現在では、すでに故人であると見て間違いないようである。

句集についても、1968年の『不知火幻想』から亡くなったと推察される1993年までの約25年もの間、途中に『瞳孔祭』が予定されていたとはいえ、ついに1冊も刊行されることはなかったということになりそうである。

ということで、今回知ることができた本郷昭雄の俳句は「晨」における発表作品ということになる。『不知火幻想』に収録の作品は1964年までで、「晨」の発表作品が昭和59年(1984年)から平成5年(1993年)まで。この1964年から1983年あたりまでの間の約20年の作品展開については、依然として自分には不明のままである。この期間については野見山朱鳥の主宰誌である「菜殻火」を調べてみれば、さらに詳しいことがわかる可能性が高いであろう。

とりあえず、以下、今回教えていただいた本郷昭雄の昭和59年(1984年)から平成5年(1993年)までの「晨」における発表の作品の中より、いくつか抜粋してみたい。

粛粛と殷殷と冬大欅

山かげに斧とぐ漢梅近し

白桃の影きはやかに夜の家族

硝子器にかさなる指紋冬ふかし

火の山の霞の中に彳つは誰ぞ

目の玉の水のつめたく夏に入る

ひらきある西日の部屋のみんな空

柚餅子や吉野にひとり月の友

人間の目がわれを瞶る秋の暮

雪かむり巖やはらかや梅の花

一月は刀のごとく過ぎにけり

雪に雷厩の中は藁乾き

わが中の修羅の春愁まくれなゐ

落ちてゐる螺子の光や春の蝉

狷介なる友との旅の夏鶯

落日の黒き残像穴まどひ

かく生きてありけり冬の蟻地獄

無名とは寶冠とこそ囀れり

夕東北風(ならひ)鮫の断頭波止にゆれ

朝日子の大眞圓に囀れり

玻璃薄暑カメレオンをると見ればゐず

夏痩せて百済の佛めきにけり

浅間嶺に声を絶ちたる夏雲雀

白富士の裳裾百(もも)花百千鳥

しらぬひのくにへかへらむころもがへ

いざなひの手にいざなはれ螢狩

鴉かと見しは黒猫夕しぐれ

薔薇の季(とき)かの隻眼の研師来よ

ほとをでてほとにかへりぬ秋のくれ

武蔵野に惑へる蛇の如く在り


これらの句をみると、本郷昭雄は、やはり最後までただの作者ではなかった、というべきであろう。現在の作品(といっても色々であるが)とは、どこかしら袂をわかつ、作品そのものの持つ言葉の強さに伴う重みのようなものが感じられるところがある。

『不知火幻想』あたりの頃の作品と比べると、どちらかというと嘗ての美学的な傾向は消え去ってしまったわけではないが、抑制され沈潜し、作品の裏側において微妙にその影が揺曳しているのを認められる程度となっているように見受けられる。そして、全体的にその作風の重心が低くなったように感じられるところがあり、やや迫力のある雰囲気が備わり、作品のいくつかについてはそれこそやや古格にも近いといった風趣の句さえも見られる。使用されている言葉の印象がどこかしらありきたりな作品のものとは異なるところがあるように感じられるのは、やや漢語による印象が強いためであろうか。

こういった作品を見ると現時点で(自分にとっては)明らかになっていない時期における本郷昭雄の作品というものも、おそらく高い水準を示すものであると考えても差し支えないのではないかという気がする。今後、もし本郷昭雄の全貌というものがあきらかとなった場合、誰も知らないところで密やかにと〈無名とは寶冠とこそ〉の思いを胸に、ひとつの作品世界を彫啄し続けていた優れた作者の存在を目のあたりにすることができるかもしれない。

今回資料をお送り下さった方(この方も「晨」に所属されていた作者である)については、単純に、非常に親切な方であるということは勿論ながら、ただ、それだけにとどまらず、おそらく、この本郷昭雄という作者とその成果がこのままほとんど省みられないままに俳句の歴史の彼方に埋没、忘却させてしまうのはどうしても惜しい、という思いも少なからず抱いておられるのではないかという気がする。それゆえにこれらの資料をお送り下さったという側面もあるのではないかと、自分は勝手に解釈している。そして、1人の作者にそれだけの思いを抱かせるだけの実質を有していたのが、本郷昭雄という作者であり、その俳句作品であったということになるのであろう。

やはり、このような作品の例を見ると、過去の堆積に内に埋もれ現在では一瞥もされることのない知られざる優れた作者と作品の存在というものは、けっして少なくはないのかもしれない、という思いを新たにするところがあった。

そして、やや大袈裟な物言いになるかもしれないが、俳句における優れた成果の存在というものは、その有名無名を問わず、俳句というひとつの文芸のジャンルにおける豊かさや魅力といったものをそのまま保証するものであり、今後優れた俳句作品が生み出されるための原動力ともなりうる可能性のあるひとつの遺産でもある、といった、当たり前といえば当たり前としかいいようのない事実について、いま一度ここで思い起してみてもいいのではないかという気がする。


10月22日 木曜日

冬帝が五湖ことごとく瞰てゐたり  飯田龍太

掲句は、飯田龍太の最後の句集『遅速』以降の「雲母」平成4年3月号における作品の中のひとつである。この『遅速』とそれ以後の作品は、よく読んで見ると全体的にやや観念的であるというか、それこそやや「蛇笏」の作風に近接するものが感じられるところがある。

掲句を見ても、この高所から風景を俯瞰する視点というものは、やはり蛇笏的な作風の雰囲気が感じられるところがあろう。江里昭彦さんが指摘するところの蛇笏の〈覇者のまなざし〉である。

他にも、この時期の句を見ると〈冬帝の眼離さぬ怒濤かな〉〈大寒の巨樹に蝟集の茸あり〉〈雛の家も廃車の山も月夜かな〉などといったどことなく蛇笏を髣髴とさせるやや尋常とはいい難い印象の作品の存在が確認できる。

これは、やはり父親である蛇笏からの「DNA」の作用によって顕現してきた傾向というべきであろうか、それともここにきて、これまで龍太がどちらかというとこれまで峻拒してきた蛇笏的な作風との「和解」が、その内部において生じはじめた結果であると見るべきであろうか。

しかしながら、これらの作品傾向が例え蛇笏との「和解」によるものであったとしても、その後の龍太の「雲母」終刊、そして自らそれ以降筆を折るに到ったという事実が既に明らかとなっている現在、龍太の内部において、結局のところ蛇笏との「和解」はやはり成立しなかった、という気もしないではないところもある。

誰彼もあらず一天自尊の秋  飯田蛇笏『椿花集』より

またもとのおのれにもどり夕焼中  飯田龍太『雲母』平成4年8月(終刊号)より


10月23日 金曜日

蛇の衣水美しく流れよと  下村槐太

これまでに何度となくこの句については述べてきたような気がするが、簡単にその内容について説明すると、この句の内容は単純に「蛇の衣」が流れているだけといった作品ではなく、水に流れている「蛇の衣」の上に、「水の蛇」とでもいったような幻像が浮かび上がってくる、といった、それこそ「虚と実による二重の詩法」とでもいうべき手法によって生み出された作品ということになる。

しかしながら、このところ、この句には、まだこういった読みの他にも、まだ解釈が可能な余地が残されているのではないかという気がしている。

その読みについて説明すると、まず、おそらく、この作品における「蛇の衣」とは、「俳句形式」そのもののメタファーなのではないか、と思われる。そして、そのように考えた場合、流れる「水」とはおそらく「言葉」のことであり、またそれに伴う「調べ」のことである、といったように解釈することが可能であるかもしれない。

この句には、自らの俳句というものは、まるで「蛇の衣」の内に「美しく水」が流れ入ることによって現出する、この世ならぬ「水の蛇」の姿をそのまま髣髴とさせる嫋やかで優美なものであって欲しいという切なる願い、もしくは祈りが込められているのではないかという気がする。

ということで、この作品は、下村槐太における俳句作者としての「所思」そのものを表明した句としても読むことが可能なのではないかと思われる。

やや深読みであるように思われるところもあるかもしれないが、槐太には次のような文章も存在する。

俳句は、譬ふれば、脱ぎ掛けられた蛇の衣とも言へようか。ひとは、それを、人家の茨垣に見、焦土のかなむぐらの中に見る。佇んで、眼ほそめて、そこに宇宙を観ずるとき、まこと縷の如きものとして、それはある。抜け出して、蛇の行方は、杳としてわからない。(「蛇の衣」より 『金剛』昭和22年6月)

この文章は昭和22年のものであり、この「蛇の衣」の句についても同じく昭和22年のものである。

こういった「所思」というものを念頭においた上で、槐太の作品を読んでみると、またその作品の印象が、やや違って見えてくるところもあるのではないかという気がする。

祭あはれ夕焼がさし月がさし

秋の田の大和を雷の鳴りわたる

女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし

貝殻のざぶざぶ濡るるいなびかり

死にたれば人来て大根煮きはじむ

事愛に関す杏の咲くはとほく

何もなく酢牛蒡に来し日のひかり



10月24日 土曜日

総合誌『俳句界』2009年11月号(文学の森)を読む。本日(24日)発売の俳句総合誌である。

今号の『俳句界』を読みながら、誌面が割合面白くなってきているのではないかという気がした。

内容を記すと、まず、筑紫磐井の特別作品33句。そして、特集である「20年後30年後あなたの結社はどうなっているか?」では、座談会のメンバーが斎藤慎爾、辻桃子、対馬康子、五島高資で、論考が江里昭彦、水野真由美など。

「魅惑の俳人たち」は、村上鬼城で、「話題の新鋭」というインタヴューは、マブソン青眼。そして、「俳句の未来人」という若手の作品欄には、相子智恵、如月真菜、神野紗希、冨田拓也、豊里友行、山口優夢といった名前が並ぶ。

そして、広告を見ると、第12回の「俳句界評論賞」の選者に、筑紫磐井と仁平勝の2氏(締切は平成21年12月20日)。

さらに、今回、第1回「北斗賞」という新人賞が創設されたようで、選者はなんと、石田郷子、五島高資、高山れおなの3氏。締切は平成22年3月31日で、応募資格は満年齢40歳まで、条件は既作、新作、未発表作を問わず、自作150句。受賞作は句集出版されるとのこと。

第3回芝不器男俳句新人賞の締切は11月30日までであるので、不器男賞に応募した方は、そのあとこの「北斗賞」に作品を応募するといいかもしれない。

今号の『俳句界』は、江里昭彦さんの評論など考えさせられるところが少なくないが、とりあえず、最後に「俳句の未来人」より作品をいくつか引用して、今週は御終いとしたい。

里芋十二個付きたる茎よ切らで売る  相子智恵

月の客芦屋あたりの人であり  如月真菜

無花果剥く書き損じたる稿の上  神野紗希

逃げ水がテロも戦も孕んでいる  豊里友行

秋の声土から月へのぼりけり  山口優夢

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■関連記事

俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(50) 七曜俳句クロニクル Ⅲ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(51) 七曜俳句クロニクル Ⅳ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也   →読む

俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也   →読む

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10 件のコメント:

青島玄武 さんのコメント...

>冬海に横向きにあるオートバイ母よりちかき人ふいに欲し  寺山修司


乳母車夏の怒涛によこむきに  橋本多佳子

ふと、こんな句を思い出してしまいました。すみません。

あ。わたくし、青島です。『俳句界』の福岡句会の句会報告とか書かせていただいております。よろしくお願いいたします。

冨田拓也 さんのコメント...

青島玄武様

コメントいただきまして感謝いたします。

寺山修司の短歌の、俳句からの本歌取りというものは、やはりすこしあからさますぎるようなところがありますね。本人は意外にもそのことを恥じていたそうですが。

「俳句界」の記事見てみました。
こういった句会報告もあるんですね。

では、また率直なご感想などお聞かせいただければ幸甚です。

豊里友行 さんのコメント...

はじめまして===3
沖縄の俳人で写真家の豊里と申します。
今回一緒に『新撰21』にも参加してます。
今回駄目もとで芝不器男俳句新人賞にチャレンジしました。
もう一つの新人賞なんですが、今から必死で作句しても来年3月締切は結構ハードなものではないですかね===3
一応がんばろうかな~と思ってます。
これからもよろしくお願い致します。

冨田拓也 さんのコメント...

豊里友行様

コメントありがとうございます。

不器男賞に応募とのこと。
私としても結果を楽しみにいたしております。

豊里さんの御作いくつか拝読させていただきましたが、発想や表現が自由でなかなか面白いですね。火星人が出てくるところとか。(沖縄特有の単語についてはわからないものがすくなくないのですが。)

『新撰21』についても、いまから拝読できる日を楽しみにいたしております。

このところ「北斗賞」など新人賞が増えてきているようですね。他には「石田波郷新人賞」などがあったような。

では、また気が向いた時にでも結構ですので率直なコメントいただけると幸甚です。

豊里友行 さんのコメント...

冨田拓也 様
とよチャンネルをお読みになられたのですか、お恥ずかしい。
芝不器男俳句新人賞は駄目元ですので・・・。
『新撰21』は一はこれまでのベストセレクションなので好意的に詠まれるとうれしいです。
今回の「北斗賞」ぐらいで、もうそろそろ新人は終わりにしたいのです。
とにもかくにも私は人生(俳句)の武者修行中ですので多作あるのみです。
もちろん駄作による赤っ恥もかいています(笑)。
なにとぞ今後ともよろしくお願いします。

冨田拓也 さんのコメント...

豊里様

私自身もそうなのですが、最近の俳句の多くは「枠の中」にとらわれすぎているように感じられるところがありますね。

現在の俳人の句集を10冊も20冊も読んでいると、内容として悪くはないのですが、時折「あなたが上手いのはわかりました」とでもいいたくなるような局面が、個人的には多々あります。(さらには1冊あたりが300句から400句と分量が多く、昔の俳人と比べて最近の俳人は自選能力がゆるくなっているのかという気もします。)

作品として全体的にあまり「自由」さが感じられないというか。まあ「枠の中の自由」というものもあるのかもしれませんが。
 
ともあれ、豊里さんは、これからも人の言うことには一切耳を貸すことなく、多作で突き進んでください。これからの作品展開についても楽しみにいたしております。

豊里友行 さんのコメント...

賞はショーなのですが少し気にかかる点をお聞きしたいのですが・・・。

「沖縄特有の単語についてはわからないものがすくなくないのですが。」という貴重なご感想を頂きました。ありがとうございます。

できるなら冨田拓也氏は将来有望な俳人であるのだから読み手としての努力を惜しまない事も大事かと思います。

植物名が特有なら植物図鑑を。
地方の固有名詞がわからないことを自己の無知と思う謙虚さで辞書等を引くとか。
俳句も誌的空間のように新しさや深さなど探求している俳人もこの日本の俳人には、多いです。

私自身は沖縄という一地方だからと中央の俳壇に媚びる気はありません。
私自身こつこつ地道な作業ですが沖縄の歳時記を編んでいます。
上記のいろいろな辞書を引くぐらい俳人として当たり前になるぐらいでないと自己自戒している今日です。

蛇足で失礼します。

冨田拓也 さんのコメント...

豊里様

コメントありがとうございます。

たしかに一方的に「わからない」というのは、少し失礼というか、軽率な書き方でしたね。注意したいと思います。

豊里友行 さんのコメント...

冨田拓也さま

いえこの問題は大部分の俳人が辞書さえ引いていないのではと思えるほど耳の痛い話です。インターネット検索でもいろいろ検索できる時代になっていますからね~。

もしよろしければ『バーコードの森』豊里友行俳句集を贈呈させていただきたいのですが・・・。
メールでご連絡先をお教え頂けたら光栄です。

冨田拓也 さんのコメント...

豊里友行様

蛇足かもしれませんが、私も普段は作品についてけっして調べないという訳ではありません。

今回の私の豊里さんの作品に対する意見については、以前の私のコメントにもあるように「いくつか」の作品にのみざっと目を通し、急いでコメントを作成したため、あのような性急な内容のものとなってしまったところがあります。そういった点についてご理解していただければ幸いです。