七曜俳句クロニクル ⅩⅡ
・・・冨田拓也
11月23日 月曜日
先週、三橋敏雄について少しふれたが、その三橋敏雄の資料にいくつか目を通していると、なかなか興味深い内容のものが目に止まった。
「心づくしの秋」というタイトルの評論で、『俳句研究』1978年(昭和53年)4月号に掲載されたものである。
その内容は、当時の「新俳壇の中堅」といわれる38人の作者(阿部完市、穴井太、飴山實、伊丹公子、飯島晴子、磯貝碧蹄館、宇佐美魚目、上田五千石、大井雅人、大岡頌司、大串章、大峯あきら、岡井省二、岡田日郎、岡本眸、折笠美秋、加藤郁乎、川崎展宏、河原枇杷男、轡田進、斎藤美規、酒井弘司、桜井博道、志摩聡、杉本雷造、竹中宏、中戸川朝人、原裕、平井照敏、広瀬直人、福田甲子雄、福永耕二、宮津昭彦、森田峠、矢島渚男、安井浩司、鷲谷七菜子)の自選作について評したもので、まず〈彼らの一人一人が問われる所は、先行者たちを抜く、あるいはまぎれぬ、すぐれた新表現様式の確立を果たしたかどうかに極まる。〉とし、Ⅰ人1人の自選作に短い評言を加えているのであるが、この内容が相当に厳しいもので、読んでいて背筋が寒くなるようなところがあった。
以下、その中からいくつか引用してみたい。
*阿部 完市 本人には無関係であるが、昨今、続出する亜流の徒をしたがえているようだ。簡単に真似されるような文体は危うい。いまや、自己模倣をどう脱出するかに、こんごがかかっている。
*上田五千石 若くして古風に泥みだして以来、このごろは、それほどの歳でもないのに型に嵌まったワケ知りの句が目につく。ほかに言いたいことがなければ仕方がない。昔が懐かしい。
*桜井 博道 つねづね、おとなしい作風と見てきたが、おとなびているのではない。かといって幼々しいわけでもない。何かが不足している。その何かが判らないので私も弱った。
*杉本 零 句柄に品のよさを保持しつづけている作者である。品は構えてそなわるものではないが、それだけでは物足りない。私には――。
*原 裕 見てはならぬもの、あるいは普通では見えぬものを、何かの拍子に見たとき、われわれは少しく興奮する。それをこの作者の句にも求めたい。
どれも直載な内容であるが、これら中でも、自分が最も重要な内容ではないかという思いがしたのは、次の福永耕二の作品に対する評言であった。
*福永耕二 この作者なりの表現技巧に慣れた句々とみた。より一層難しい境位への参入を望まなければ、この程度の技巧駆使の繰り返しで、すべて間に合う。
三橋敏雄にとっては、福永耕二の技量でさえも「この程度」としか映らなかったということになるようである。なんとも重く厳しい言葉という他はないが、福永耕二の作品の水準と、そして三橋敏雄の作品水準について、それぞれ正確に比較検討し、この三橋敏雄の評言について詳しく考察してみるならば、ここから引き出せる俳句表現における問題意識や課題といったものは、相当大きな内実を孕んだものとなるのではないかという気がする。
11月24日 火曜日
三橋敏雄の評論について見てきたが、その内容とどこまで関連があるかやや微妙ではあるが、どことなくそこから鈴木六林男のとある言葉を思い出すところがあった。以下の文章は、鈴木六林男の第4句集である『桜島』の後記からの引用である。
恰好のいい俳句を書くためであるなら、僕がその気になりさえすれば、さほど困難なことではないが、今はあえてその道はとらない。
この句集には、1957年(昭和32年)5月から1970年(昭和45年)までの作品が収められており、この後記は、1975年(昭和50年)に書かれたものということになる。
また、他に、この言葉に関連すると思われる内容のものに、宗田安正の「鈴木六林男管見」(『俳壇』2005年4月号)という文章における、鈴木六林男が講演で語った言葉として、次のような内容が記されている。
俳句を書くのに二つの態度というか方法というか姿勢があるとして、その一つに伝わってきた形式にそのまま倣う方法(伝承俳句)をあげ、もう一つの方法として「その俳句のなりたち、形式をばらばらにしまして、解体しまして自分に合うように作り直す方法があるわけです」(「実作者の方法」)と言っている
どちらもなかなか容易にはその言葉の意味するところを具体的に理解するのは難しいところがあると思われるが、俳句を始めてから自分は、これらの言葉の意味するところについて、随分と長い間考え続けてきたような気がする。
結局のところ、鈴木六林男という表現者が、他の作者たちの中に容易に紛れてしまうことのなかった要因のひとつには、これらの言葉からも窺えるように、単なる「恰好のいい俳句」といった一定の「枠組み」に陥ることを避けるために、ある程度の水準を示す作品を自らの手で打ち壊し、その後に独自なかたちを以て再構成を行うといったやや回りくどい手続きを取る書き方を自らの内側にひとつの手法として意識的に組み込んでいたためである、ということも可能であるように思われる。
このような予定調和ともいうべきありきたりな表現を峻拒しつつも、けっして表現としての言葉の力を無くし、失速してしまうことのない特殊な作品の書き方というものの、その方法の具体的なプロセスといったものについては、傍からは容易には想像が及ばない部分があるが、そういった困難な表現方法を作品の内において絶妙なバランス感覚で止揚し実現させることができた稀有な例が、鈴木六林男の作品であるということだけは少なくとも言えそうではある。
放射能雨むしろ明るし雑草と雀
無敵少女に月の出唸る未完ビル
裁判やかのオートバイ光り休む
遠景の桜近景に抱擁す
海へ帰るゆたかな汚水野に遊ぶ
わが死後の乗換駅の潦
粗(あら)い陸の終りに燃えて一人青年
初日さす横顔とわが一匹の鮫
千の手の一つを真似る月明り
凍る朝スパイの起きる気配して
梅雨ながしパチンコ店のジヤンギヤバン
擦れちがうたびの喪失ダンプの大
永き日の地に槍を刺し居ずなりぬ
11月25日 水曜日
巨大書店を漂浪。
角川の『俳句』の最新号を立ち読み。目次の裏側に『新撰21』の広告が掲載されていて、すこし喜ぶ。
j・l・ボルヘス『創造者』(鼓直訳 岩波文庫 2009)、スチュアート・ダイベック『それ自身のインクで書かれた街』(柴田元幸訳 白泉社 2008)、チャールズ・ブコウスキー『モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』(中上哲夫訳 新宿書房 1996)を購入。
これらの3冊はいずれも海外の詩集であるが、こういったものを時折、発作的に読みたいという衝動に駆られるのは、やはり普段俳句にばかり接しているためであろうか。
11月27日 金曜日
「馬」という言葉を思い付く。
芭蕉の時代から「馬」を取り扱った作品というものは少なくなく、嘗ては馬という動物は人々の生活に割合密接なかたちで存在、共存していたようである。作品のいくつかを少し調べてみただけで、現在までに実に多くの馬を詠み込んだ句を見出すことが出来るので、少し驚くところがあったが、今回はその数多い作品の中から厳選して、3句のみを取り上げることにしたい。
クリスマス馬小屋ありて馬が住む 西東三鬼『今日』より
さびしさよ馬を見に来て馬を見る 高柳重信『山川蝉夫句集』より
生き急ぐ馬のどのゆめも馬 攝津幸彦『鳥屋』より
11月28日 土曜日
「邑書林」から発行の『新撰21』について、刊行日が予定より少し遅れるようで、結局のところ12月5日の刊行ということになるようである。
ただ、「邑書林」に予約注文をしていても、発送作業の都合から手元に届くのは12月7日あたりとやや遅くなる可能性もあるとのこと。
この『新撰21』については、「邑書林」のHPから現在、予約注文を承っているとのことなので、是非ともお申し込み下さい。
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