2009年11月22日日曜日

俳句九十九折(58) 七曜俳句クロニクル ⅩⅠ・・・冨田拓也

俳句九十九折(58)
七曜俳句クロニクル ⅩⅠ

                       ・・・冨田拓也

11月15日 日曜日


三橋敏雄の作品のことが、ぼんやりと頭に思い浮かんできた。三橋敏雄といえば、「戦争」に関する作品や「船」などといった海洋関係の句などの存在のため、どちらかというと「夏」のイメージが強いところがあるように思われるが、それだけでなく以下の作品のような「春」の句も多数存在する。

肉附の匂ひ知らるな春の母   三橋敏雄『真神』より

晩春の肉は舌よりはじまるか    〃  〃

鈴に入る玉こそよけれ春のくれ    〃  〃

春なれや残(のこん)の我に息の穴   〃 『鷓鴣』より

草すべりして青臭し春の岡辺     〃 『長濤』より

こういった濃密な「春」の情感を感じさせる雰囲気を持つ作については、これまで、以前にどこかで読んだおぼえがあるというある種の既視感のようなものを抱いていたのであるが、長い間それが一体どういった作品に起因するものであるのか、なかなか見当がつかなかった。しかし、あるとき、ふとこれらに近い感覚を持つ作品の存在が頭の中に浮かび上がってきた。それは「蕪村」の作品であり、中でも「春」における作品の存在であった。

遅き日のつもりて遠きむかしかな  蕪村

さしぬきを足でぬぐ夜や朧月   〃

春雨や小磯の小貝ぬるゝほど   〃

ゆく春や逡巡として遅ざくら   〃

春風や堤長うして家遠し    〃

ゆく春やおもたき琵琶の抱心   〃

ゆくはるや同車の君のさゝめごと  〃

しかしながら、蕪村と比べた場合、三橋敏雄の作品の方には、やや異様ともいうべき雰囲気が若干漂っているようなところがある。そういった点において少し相違が感じられるところがあるため、「春」という共通項のみでこの両者を単純に結び付けてしまうのは、やはりやや短絡なところがあろうか。

というわけで、他に両者の作品において、やや近しい関係なるのではないかと思われる内容のものを探してみた。

飛尽す鳥ひとつづつ秋の暮  蕪村

渡り鳥目二つ飛んでおびただし  三橋敏雄『真神』より


春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉  蕪村

わたる日はひねもす照れり喉は花   三橋敏雄『真神』より


うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉  蕪村

凍蝶を抓みはなせば乱れけり   三橋敏雄『鷓鴣』より


稲づまや浪もてゆへる秋つしま  蕪村

一生の幾箸づかひ秋津洲    三橋敏雄『鷓鴣』より


愁いつゝ岡にのぼれば花いばら   蕪村

草すべりして青臭し春の岡辺    三橋敏雄『長濤』より

実際のところ、これらの作品について「胡蝶」の作についてはその蕪村からの影響は間違いのないところと思われるものの、それ以外の作については、果して蕪村による影響といっていいのかどうかいまひとつ判然としないグレーゾーンを示しているというべきであろうか。どれも微妙なのである。

結局のところ、三橋敏雄の作品における蕪村からの影響の有無については、今回いまひとつよくわからない憾みが残った。それでも、三橋敏雄の俳諧技法といったものは、当然ながら芭蕉や蕉門の作者たち、または鬼貫などの作風や技法が混然として成り立っているものであると思われるが、それだけでなく、やはり「蕪村」からの影響といったものも、若干ながら含まれているのではないかという気もしないではないところがある。

此の道や行く人なしに秋の暮   芭蕉

我帰る路いく筋ぞ春の艸    蕪村

行かぬ道あまりに多し春の国  三橋敏雄『鷓鴣』より



11月16日 月曜日

三橋敏雄の俳諧からの影響というものについて少し触れたが、同じ西東三鬼門の鈴木六林男にもそういった俳諧からの影響を感じさせる句がいくつか見られる。

几巾きのふの空のありどころ  蕪村

夕月やわが紅梅のありどころ  鈴木六林男『桜島』より


星一つ残して落る花火かな   酒井抱一

花火のあと二人に強き星残る  鈴木六林男『国境』より

まだ他にも似たような例がいくつかあったような気がするが、一応、思い浮かんだのは、上記のもののみであった。


11月17日 火曜日

「皿」という言葉を、ふと思い付いた。

夏の月皿の林檎(りんご)の紅を失す  高浜虚子『五百句』より

秋風や模様のちがふ皿二つ  原石鼎

すすりたればつめたき皿のしまはるる  金子明彦

もの音や人のいまはの皿小鉢  三橋敏雄『真神』より

鳥帰る近江に白き皿重ね  柿本多映『蝶日』より

もっと「皿」による俳句というものは数があるような気もするのだが、どうにか思い出すことができたのは結局のところせいぜいこの5つの作品のみであった。「皿」の俳句といえば、やはり掲出の石鼎の句が最も代表的な1句ということになろうか。


11月20日 金曜日

芥川龍之介の『澄江堂句集』を読む。

『澄江堂句集』は、1927年(昭和2年)12月に刊行された芥川龍之介の遺句集である。芥川龍之介は、1892年(明治25年)に生まれ、1927年(昭和2年)7月24日に36歳で死去。句集の内容としては、1917(大正6年)から1927年(昭和2年)の期間における77句が収録されている。この句集に収録された作品は、これまでの作である1000句近くもの作品の中から、自死の前の芥川龍之介本人の手による選で編集されたものである。

蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな

木がらしや東京の日のありどころ

癆咳の頬美しや冬帽子

夏山や山も空なる夕明り

木がらしや目刺にのこる海のいろ

水洟や鼻の先だけ暮れ残る

元日や手を洗ひをる夕ごころ

雨ふるやうすうす焼くる山のなり

春雨の中や雪おく甲斐の山


「文人俳句」といえば、やはり尾崎紅葉、夏目漱石、久保田万太郎といった名前が思い浮かんでくるところがあるが、こういった作品を見ると、やはりこの芥川龍之介の存在も逸することができないであろう。

現在の視点から見ると、『澄江堂句集』における77句には、やや生硬ともいうべき表現も随所に見られるところがあるが、ここに引いた中のいくつかの句については、それこそ数々の著名な俳人たちの作品に伍して、現在となってはすでに古典ともいうべき位置を獲得している作品であるようにも思われる。中でも「東京の日のありどころ」、「目刺にのこる海のいろ」、「鼻の先だけ暮れ残る」、「手を洗ひをる夕ごころ」あたりの古格ともいうべき重厚な雰囲気を持つ句などは、現在多くの俳句の実作者にとって非常に親しい作品ということになろう。

芥川龍之介は、芭蕉のことを信奉していたとのことである。そういった事実を踏まえると、この『澄江堂句集』の作品収録数を自らの手で77句と極端に少なくした理由には、もしかしたら、芭蕉の「俳諧問答」における〈一世のうち秀逸の句三、五あらん人は作者なり。十句に及ばん人は名人なり。〉という言葉を強く意識していたためと考えることも可能かもしれない。


11月21日 土曜日

「邑書林」から出版予定の若手俳人のアンソロジー『新撰21』が刊行されるのは、実際のところ、具体的な発売日はいつごろになるのであろうか、

刊行が遅れる可能性もないではないであろうが、順調に作業が進めば、今月11月の22日から30日の間における刊行となることと思われる。(詳しいことはわからないが、やはり今月の末あたりに刊行という可能性が高いのではないかという気がする)

この『新撰21』については、版元の「邑書林」のHPから現在、予約注文をすることが可能であるとのことである。

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