・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井
萬象に影をゆるさず日の盛
『雪嶺』所収
原:張り詰めた高い調子の句です(余分なことですが昨今はこういう傾向は好まれないのでしょうか。それはともかく)、いわゆる大正主観派。ことに蛇笏あたりの作品に紛れこませても違和感はなさそうです。具体物をちまちま描くのではなく、季節の在りようと言いますか本質を大摑みにしてみせている。峻厳な自然相に真っ向から対しています。
蛇笏はじめ大正主観派には、時代の精神とでも呼ぶべき剛直さがあって、それが作品の格や位の高さを保っていたように思いますが、遷子のこの句は、佐久の厳しい自然に対する畏敬ないし畏怖の念が生んだもののように感じます。
中西:終戦記念日かその前後を詠んでいるのではないかと思われます。一句後に
戦終へて命目覚めし記念日なる
がありますから、「終戦後」と言われた時代の句です。「終戦後」という言葉は、どこか傷心な国民感情と疲弊した経済の復興を思わせられる言葉で、心情的な面では、かなり長い間使われていたように思われます。全面降伏は日本人に誇りの喪失をもたらし、そして復興のバネともなりました。その心情を引き摺っている句と受け取ったのですが、「影をゆるさず」には遷子の内面的なものを見ることができるようです。戦争が済んだ平安ではなく、緊張が描かれているのはなぜか、疑問が残ります。
そして、この句は昭和38年東京オリンピックに向って高度成長期の時代の句です。そういう点からすれば一見ただの主観的風景句のように見えますが、社会性のある俳句かと思いました。遷子は個人的な社会性と言われておりますが、この句は日本人の知識階級のもう少し広い視点で描かれているように思います。
深谷:昭和38年、遷子50代前半の充実期の作。原さん御指摘のように、ぐいと本質に迫る、調子の強い句です。最初にこの句を眼にした時、恥ずかしながら「萬象(ばんしょう)」が解りませんでした。そのうちに旧字体「萬」を新字体「万」に直してみて、はたと合点が行きました。森羅万象。掲句では、この「萬象(ばんしょう)」という、全てを包括してしまう言葉が、その漢語の響きの固さも相俟って、句に強い調子をもたらしていると思います。そして、これまで多く採り上げられてきた遷子の心の叫びがそのまま句になったような作品とは異なり、自然事象の写生を通じた主張を感じます。
窪田:原さんのコメントに、今日の俳人の作句態度を含めいろいろ教えられた気がしました。
昨今の俳句は、ちまちましたことを言い過ぎるなあと思いますが、大きなことは言いにくい形式だと諦めにも似た思いもしていました。時代の精神かあ。なるほど。大正期の俳人の研究がもっと行われても良いのかなと思いました。
前置きが長くなりましたが、掲句は日盛の根源をずばっと言った気がしました。そうした力強さは「萬象」という漢語の効果です。また、原さんは「この句は、遷子の佐久の自然に対する畏敬・畏怖の念が生んだのでは」と書かれています。確かにそういうことだろうと思います。遷子が宇宙的(時間・空間)なものに関心があった。そうした関心を呼び起こしたのが、佐久の自然であったのではないかと考えるのです。掲句は、昭和38年作。その年の句には、
氷河期の人類と共に悴かみぬ
寒明けや欅の全枝天に生き
晴雪や山押し分けて河流る
燕去つて昨日と同じき山河かな
など、遷子の関心が宇宙的なものにあったことを想像させる作品があります。これらの句は、厳しい佐久の自然が生んだと言っても良いのかも知れません。
素通りしていた句が取上げられ、色々な角度から鑑賞されると、その良さが発見できることがあります。今回、良い句を取上げて頂いたと思いました。
仲:季節は正反対ですが草田男の
冬の水一枝の影も欺かず
を思い浮かべました。いずれも影というものを通して季題の本質に肉薄しています。使ってある場所は異なりますが否定形を用いている点、形としては二句一章ながらきっぱりとは切れず季題とそれ以外の部分とが繋がっている点、無理のない程度の擬人法が使われている点、など共通点が幾つかあります。
こういう大掴みな俳句は中々難しい。こういう句ばかり詠む俳人はいないでしょうし、いたとしてもすぐ飽きられてしまいます。地道に細かな自然詠を積み重ね、季節ごとの自然のありようを熟知している俳人だけが何百句かに一句、このような句を賜るのではないでしょうか。今、受身的に書いてしまいましたが、そのような消極的で殊勝な言い方が気に入らない向きは「賜る」を「獲りに行く」と置き換えてもらっても結構です。
現在でも日盛に影がないというような内容の俳句はよく見かけますが、原さんのご指摘通り「萬象」と大上段に振りかぶったものは余り好まれないかもしれませんね。しかも「ゆるさず」と畳み掛けるように強い調子の語を使っている。こういう所にも一人一人の俳人の個性というだけでない時代の傾向のようなものを感じずにはいられません。
筑紫:原さんが、張り詰めた高い調子の句といわれていますが、同感です。調べで、大半が持っているという句でもあるでしょう。いまこうした詠みかたがいいのかどうか、必要なのかどうかは別にして、俳句はこうした詠みかたができるという点で貴重だと思います。俳句に人生に匹敵する重さを持たせられるのだと信じていた人たちがいて(それが原さんの言われる大正主観派なのでしょう)、ふっとそんな気にさせられる句がある、ということは幸せな時代であったと思います。我々は時代の影響を受けて俳句を詠んでいます。しかし、次の時代の俳句が何であるのかは同時代人は分かりません。後になって、あれが境目であったのかと気がつくしかないでしょう。
遷子にとって、俳句はこうしたことを詠めるという時代の枠組み(仲さんのいう、時代の傾向)の中で精一杯読んでいるのだという気がします。その意味では常に時代の影響を受け続けたのが遷子であり、「高原派」という呼び方がやはり不適切であったような気がします。
なおこれは貶めているわけではありませんが、この句を見ても分かるとおり、遷子の句は一つの風景の中に収束し、あらゆる言葉が1点に集中し続けます。日の盛りともなると、強烈な光は萬象(あらゆる現象・存在)に影をゆるさない、というのは切字や切れを入れたとしても、俳句の切字の持つ効果はほとんど享受しません。多くの俳人が物足りなさを覚える点でもあると思います。しかし、俳句は切字や切れがなくては成り立たないという人たちに対し、切字や切れがなくても成り立つ俳句を提示している点ではきわめて野心的であるのです。形は違いますが、やはり水原秋桜子の志を継いでいる作家であったのでした。
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