遷子を読む(56)
・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
自転車に夜の雪冒す誰がため
『山国』所収
筑紫:これも遷子の医師俳句ですが、初期の、遷子も佐久も貧しかった時代の典型的な寒村医師俳句でしょう。面白いのは、医師俳句であることを「誰がため」と暗示的に示すに止まり、医師俳句としてのメッセージを隠している点です。それと、「夜の雪冒す」とは新雪に自転車の轍を刻むことですが、斬新な描写といえるのではないでしょうか。特に、雪見に出かけるような趣味的な世界ではなく、生活俳句の中で使われているのは遷子の馬酔木における長年の技巧が発揮されています。技巧というと嫌らしく感じられますが、作者として最も伝えたいメッセージを、最も的確に伝える言葉として選び取ったという意味です。これも散文調ですが、にもかかわらず俳句以外の何ものでもないという確信を持たせてくれるのは、遷子の内部の思想のリズムによるものでしょう。切字が大事とか、切れの秘訣などと言っている作家にろくな作家はいないと思います。思想にこそリズムはついてくるものだと思うからです。
中西:遷子が「鶴」に入ったのは大陸に行く少し前だったことが、『山国』の波郷の跋文から推測できます。そして、この句の出来る前年まで、函館で「鶴」の連衆と句会をして境涯詠を作っていたのですから、句会の仲間がいなくなった状態としても、波郷の影響は濃かったのではなかったかと思われます。波郷は昭和21年6月号の「鶴」に「こしらえ物でない体験や偽りのない感情は作者と俳句の間にあつては不可分どころか同一で二ならぬものである。(中略)俳句は飽くまでもその真が作者の真そのものでなければならぬからである。」と書いています。と、しますと遷子の俳句は波郷の唱えている俳句と歩をあわせているのが良く分かります。遷子の俳句は遷子の生活や、考え方を如実に表わしているからです。句坐を共にする仲間や年代で少しずつの変化はありますが、こしらえ物でない体験と、偽りのない感情を生涯作り続けました。掲出句は昭和21年の冬に作られました。としますと、「鶴」に掲載されましたこの波郷の文章は当然遷子にも読まれていたはずです。遷子にとっては作句態度を確認した一文だったのではないでしょうか。
しかし、この句に波郷の評は芳しくありませんでした。「低調」の句と書かれています。独りで、句坐に加わらないで俳句を作るという作業は、遷子を内向へ向わせました。句は内向に向いますと、他人には共感されにくくなります。読者は作者の心の声を、親切に読めないからです。他人には踏み込んで欲しくない心の葛藤がこの句から感じられるようです。特に下五の「誰のため」には自問の他に、口が悪いのですが、「こんなことやっていられないなあ」という気持ちが内心あったのではないでしょうか。そこには、「佐久雑記」に書かれていた「故郷はやや期待を裏切られた感がありました。」という何かが、患者との間にあったとも考えられます。
磐井さんは「夜の雪冒す」に「馬酔木」の長年の技巧の発揮を見ていらっしゃいますが、句の形は正に「馬酔木」ですが、先ほどから申しておりますとおり、「鶴」の主張を体現している句と思われます。この時期「鶴」の精神に従いながら、韻文、切字を重視する「鶴」の作り方から、「馬酔木」の切れのない作り方へと変わって行きます。どこか渋滞しているリズムを、磐井さんが「遷子の内部の思想のリズム」と見ておられるところが面白いと思いました。
散文調を嫌った波郷がこの句を低調と言ったのもわかりますが、反対に「思想のリズム」という磐井さんの見方は、まだ私の中では消化できていませんが、俳句の新しい読み方の提示になるかも知れません。
原:もしも、この句の作者が青春多感な一青年であったとしたら、熱烈な恋情の句としても読めるなあ、と(不謹慎にも)思ってしまいました。
そのくらい「誰がため」の語は心情の濃く表れた言葉です。「誰がため」の問いは、そのまま「何のため」という問いに通じてゆきます。ここでは「誰」という対象がはっきり在るわけではないのでしょう。複雑に胸を去来するものがありそうです。
医業に関わる句は次の『雪嶺』に至って俄然、数を増しますが同時に、
わが生や夜も雪山に囲繞され 『雪嶺』
悴かめるこの一瞬も我の生 〃
寒冬の烙印あらたわが生に 〃
など、自分の生に対する思念を詠んだ句も頻出するようになります。さらに
笹鳴のけふこの道を何故歩む 〃
のように、何気ない日常の行為の場面でも、その行為、ひいては自分の存在に対して訝しく自問自答する遷子がいます。
掲出句はその流れに属する初期の句のように感じています。
深谷:制作年代は昭和22年頃かと思われます。当時の遷子の句業は、句集収録作品も少なく、句作に最も難渋した時代だったことが窺われます。波郷も句集『山国』のあとがきで、掲出句を引いた後、「戦後の社会的窮乏と、病後の心身の疲弊に耐へるに力を尽してゐて、しばらくは著者の句も、なほ山国の風物さへをもやや低調に切取るにとどまってゐる。」と評しています。そのような時期に作られた掲出句ですが、注目したのは、やはり下五の「誰がため」という措辞です。もちろん医師として寒夜の往診に出掛けていくのですから、その行為は患者のためということになります。しかし、掲出句では「誰がため」としたことで、作者たる遷子がそのような僻地医療の意義を自問しているようにも読めます。あるいは、そうした生き方を選んだことに一抹の迷いがよぎったのではないかと感じるのは穿ち過ぎでしょうか。時代環境や地理的ハンディから、当時の僻地医療の現場の厳しさは相当なものがあったと思われます。ましてやかつて大学で研究の道を志したこともあったと思われる遷子ですから、そうした迷いや不安も無理からぬことだったのではないでしょうか。そして、そうした心の揺れを押し隠すように、新雪の中を自転車で往診に出掛けていく遷子の姿が目に浮かんできます。そうした意味で、遷子の人間性がよく表れている作品だといえるのではないでしょうか。
仲:往診の句が続きます。しかし背後の状況や作者名を知らずにこの句を読むと「作者は夜何かの事情で、恐らくは他人に関わる急ぎの用事のために自転車を走らせているのだろう」ということしか分りません。「誰がため」との思わせ振りな言い方が何か他人のための重大な仕事を想像させるけれども「往診」という答に辿り着く人はどのくらいいるでしょうか。そういう意味では不完全な俳句かもしれません。遷子という一人の作家、一人の人間を追っている我々には興味深く捨てがたい俳句ですけれども一般の俳句読者にとってはどうだろうかと考えてしまいます。
俳句としての眼目は磐井さんが指摘された通り「夜の雪冒す」との珍しい措辞にあるでしょう。降り積もったばかりの夜の雪、まだ轍の付いていない白い(周囲は真っ暗で灯りに照らされた部分のみ白)大地を自転車のタイヤの跡を付けて走る。「冒す」と言うことで新雪が浮かんできますし安全な道ではなく多少の危険を承知の上での火急の行為であると匂わせている、実に巧みな表現です。私も夜半に病院から呼ばれて雪の中自動車を(残念ながら自転車ではありません…)走らせることがたまにあり、何の跡もない雪原に轍を付けていく心躍り(自然に対するのと仕事に対するのと両方への爽快感)を感じることがありました。車と違って自転車は寒気や雪が肌に触れるのを直接感じる分余計にそのような思いは深かったはずです。
「自転車に」の「に」も俳句表現に長けた人でないと置けないかもしれませんね。下手な者なら「自転車が」「自転車で」などとやってしまいそうです。ここら辺が馬酔木での修練や古典に対する造詣の賜物なのでしょう。実にスマートで適確な助詞の使い方です。
切字については必須とは思いませんが修辞法としてきわめて重要とは思っています。ここで議論するのは場違いなので止めますが。
筑紫:この句の状況がよく分からないというご指摘はもっともだと思います。しかし、今この句を読む私たちに状況が分かるのであれば、あえてそれは言う必要はないという気もします。長大な時間の流れの中で不易流行の名句を求めるべきなのか、子規といえば晩年の闘病生活をすぐ思い浮かべ「鶏頭の十四五本もありぬべし」を子規庵の庭前として予断してしまうことが文学の鑑賞として悪いことなのかは一概に決められません。
遷子俳句研究としてはじめた以上、独立して鑑賞できる句以上に、遷子の名前と生涯とに依存して読むべき句として、掲出の句は優れているように思います。遷子なかりせばありえない句であるのです。
龍太は俳句は無名がいいといいましたが、これらの句は遷子の名前があるからこそよいのであり、遷子の名をもって残る可能性は高いと思います。
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