・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井
高空の無より生れて春の雲
『山河』所収
中西:昭和49年、胃癌の疑いで 一度目の入院のときの句です。『山河』では、この句の次が〔35〕で取り上げた
わが山河まだ見尽さず花辛夷
です。癌という当時難病とされていたものに自分自身が罹ってしまって入院しているのです。これから一度退院して、再入院となり亡くなるほんの少し前まで句を作り続けるのですが、遷子の句の昂揚は、この句を前触れにして始まるように思います。実質的には次の〈わが山河まだ見尽くさず花辛夷〉からでしょう。
しかし、この思惟的な句もなにか訴えるものがあります。「無から生まれて来た」というこの無が何をあらわしているのかが、読み始めたときから疑問でした。今も実はわかりません。春の雲はベッドに横たわって見える景色なのです。入院という特殊な拘束状態になると、ベッドから見える景色が環境として大きなウエートを占めます。入院したてですから、雲を見ながら、癌を「無より生まれて」きたように自分には納得できないと思う心があったのかもしれません。しかし、この「無」にはもっと大きな哲学的な意味があるのでしょうか。どこか暗示的な句です。
遷子句が病苦を詠んで昂揚していく過程で、森羅万象に自分の心を合せようとしているのが見受けられます。その中に「山河」という言葉もあるわけで、それは以前に問題となりましたが、この句はもっと混沌とした「無からうまれた雲」を詠っています。これをどう解釈するのか皆さんに伺ってみたいのです。
原:背後の状況抜きにこの一句を見れば、自然現象の不思議を詠んだ句として受け取れるでしょう。科学的説明のそれはそれとして、空に浮かぶ雲には素朴に感嘆します。
ただし、この作品からはいきいきと弾むような童心、といったものは感じられません。「自然」に対して無心に没入しているとは思えないのです。むしろ知的な理屈っぽささえ感じてしまいます。その印象は「無」の語の使用からも来ているようです。
中西さんがこの句の前後の状況に目をとめていらっしゃるのは親切な読みだと思いました。遷子の意識の反映が知らず知らず作品に影響しているのかもしれません(勿論、無自覚に、です)。とはいえ「無」の語にあまり深い意味を置きすぎるのも考えものでしょうね。身体不調や病いへの不安を抱えつつ、遷子の作品らしい凝縮力が見えてくるのは、次の〈わが山河まだ見尽さず花辛夷〉以降と思われます。
深谷:平明な叙述が目立つ遷子の作品の中にあって、確かに掲出句の「無」という抽象的な表現は異彩を放っています。もちろん単に「雲の生成」という気象現象を詠んだものと無機質に解することもできないわけではありませんが、遷子が敢えて「無」という表現を持ち出したことが気になります。とは言うものの、どう解すべきか思い悩んで句集を眺めているうちに、掲出句の三句後に置かれている
無宗教者死なばいづこへさくらどき
という句がふと目に止まりました。そして何度か読み返すうちに、この句が掲出句と対になっているように思えてきたのです。人は何処から来たりて、何処へ去るのか。己の死を身近なものとして意識した時、遷子の心にそのような想念が生れて来ても不思議ではないでしょう。とすれば、この「春の雲」は遷子が己自身の姿を投影したものにも思えます。さらに「無より生れ」たのは遷子自身であるとして、中七で切れが入り下五に「春の雲」という季語を斡旋した二句一章の句とみる解もありそうですが、さすがに若干無理があるでしょう。ここは素直に、遷子が自己の思いを「春の雲」に仮託したものと解した方がよいように思われます。
仲:中西さんのおっしゃるように遷子の句業と闘病の歴史を重ね合わせれば、この句から何らか象徴的な意味、例えば癌という病気が己の身に起こったことなどを読み取ろうとすることもできそうです。しかし私にはそこまでして遷子のこれ以後の自然詠すべてに象徴的な意味を見出すのは俳句というテキストを読む上では行き過ぎのように思うのです。
写生という言葉は定義を曖昧に用いると誤解を招くので使いたくないのですが、この句は純粋に作者の見たままの光景を一句に定着させた所謂「写生句」ではないかと私には思われます。山の稜線付近をじっと見ていると雲が生まれては消えていく様子がよく分かります。そういう風景ならば山国に住む者はいつも目にしていて珍しくもありません。しかしこの句の場合は一見何もない空の高みに目を凝らしていると春の雲が手品のように生まれてくるのが見えたと言うのでしょう。実際には水蒸気が雲の粒になるのだということを科学的知識を持った我々も遷子も知っています。でも見た目はあたかも「無より生まれて」としか言えないような光景なのです。その面白さに興じている句ではないかと思われます。
筑紫:無から生まれたものは無へ帰るはずで、その意味では
冬麗の微塵となりて去らんとす
とつながっているような感じがします。とはいえ、この句、私にはあまり観念的には見えず、春の雲を見あげてどこから来たのだろうか、と遷子の素朴な疑問として述べただけのように思うのです。春の雲は淡いものです。いつ生まれ、いつ流れていくか、茫としてベッドから眺めている遷子には定かではありません。この句の本当の主人公はそうした時間の流れなのではないかと思われます。
佐久の春はまだ寒いのではないかと思われますが、いったん病院のベッドに収まってしまえば、外部の刺激から隔絶されて、不安はあるものの無為な時間が患者には与えられます。その序章としての、淡々とした句として読めば良いのではないでしょうか。
馬酔木昭和49年7月号「手術前」の7句を掲げます。
萬愚節おろそかならず入院す
同病に烏頭子三鬼春寒し(この句のみ句集になし)
高空の無より生れて春の雲
わが山河まだ見盡さず花辛夷
癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ
無宗教者死なばいずこへさくらどき
遺書書けば遠ざかる死や朝がすみ
第2句目の「烏頭子三鬼」は、一人は軽部烏頭子で馬酔木の幹部同人で水原秋桜子の盟友、西東三鬼は周知の新興俳句のスターでありのち天狼同人。烏頭子は未確認ですが、ここに登場する作家は癌で死んでいるはずです。ここでは遷子自身、病名をはっきり意識していたのでしょう。
* *
中西さんの主宰する「都市」2月号が届きました。ふんだんにエッセイや評論があふれているのをいつも楽しく拝見していますが、本号では、しぐれ忌俳句大会で行われた「俳句の中の私」という講演録が掲載されています(平成21年11月7日伊賀市ふるさと会館)。7頁に渡る長編であり力作で皆さんにはぜひ読んでいただきたい講演ですが、ここで、中西さんが出会い、影響を受けた宮坂静生・宇佐美魚目・藤田湘子の一句を取り上げて解説されています。そして4番目に、この遷子を読むのブログを取り上げて紹介し、相馬遷子の俳句について、〈実は遷子をやるようになってから、俳句で志を詠えることを実感しました〉と述べられています。このように、われわれの「遷子を読む」の一番最初の成果が現れたのはうれしいことです。特に遷子から「志」を読み解くことは確かにここしばらくの連載からは自然な成り行きかと思いますが、従来の遷子論にはあまり見られなかった特徴のように思われます。高原俳句とか、社会性とか、晩年の闘病とか、郷土愛とかすこし月並みな感想に比べれば、ユニークな論旨ではないかと思います。
それと同時に、現代俳句のあり方としてみても、「俳句は志を詠む」はかなり挑発的な言葉のように思えます。俳句は楽しくなくても、うまくなくてもいいのだという(ちょっと言いすぎですが)開き直りのような覚悟にもつながると思います。多分どんな俳句の主張よりもそのほうが「文学」に近いのではないかと思われます。いちど、俳句は文学なのか、を問い直してみたいと思います。
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1 件のコメント:
高空の無より生れて春の雲 遷子
「今週の句」について一言は言い残す、と言う読者としての自己ノルマをはたすのも、楽ではありませんが、それを用意する皆様の営々とした読書力に敬意をもちます。
物質に充ちた世界のさけめ、背景の形のなさにふっと気づいている、そのような心理がつたわています。命がいつまで続こうと、いつ終わろうと、このように世界は無から生まれ得る・・こういう発見によって何かと開放感もうまれます。「春の雲」と季節感で決めたところが効いていると思いました。ここらは有季定型俳句のつよみでしょう。その「空間=無」にも「雲」という観念がとらえた形が見える、もしやこれが世界のほんとうの姿や場所なのではないか、と感興をさそいます。広やかでむなしい風景句です。遷子が遂に巷間の社会的関係性に俳句的情熱を投じることがなかった理由は、世界のあちこちにこのような無人のにぎわいを発見してしまう心性、や嗜好を抱いていたからではないでしょうか?
いつでしたか、あげられていた、「花野」の句を想い出します。
今週も、相馬遷子という俳人について白井が進んだような気がします。
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