七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ
・・・冨田拓也
2月22日 月曜日
花神社という出版社から「花神コレクション俳句」という俳句の選集のシリーズが、これまでに藤田湘子の監修で出ているのであるが、このシリーズは続刊が出ることなく、いつの間にか立ち消えとなってしまったのであろうか。
一応、これまでには、『飯田龍太』、『桂信子』、『森澄雄』、『三橋敏雄』、『波多野爽波』、『能村登四郎』、『野澤節子』、『鈴木真砂女』、『飴山實』、『古沢太穂』、『角川源義』、『佐藤鬼房』、『高柳重信』、『藤田湘子』、『原子公平』、『野見山朱鳥』、『津田清子』、『赤尾兜子』、『林翔』、『清崎敏郎』、『岸田稚魚』、『草間時彦』、『上野泰』、『飯島晴子』、『広瀬直人』、『鷹羽狩行』、『川崎展宏』、『中村苑子』、『後藤比奈夫』、『赤城さかえ』、『宇佐美魚目』、『岡本眸』、『鷲谷七菜子』、『平井照敏』、『原裕』、『石原八束』、『稲畑汀子』、『金子兜太』、『森田峠』、『伊丹三樹彦』、『木下夕爾』、『楠本憲吉』、『香西照雄』、『上村占魚』、『細見綾子』、『上田五千石』、『有馬朗人』が刊行されているようである。
このシリーズは全50冊の刊行が予定されていたようであるのだが、平成14年6月に『有馬朗人』の選集が刊行されて以来、以後現在に至るまで続刊が出ていないのではないかと思われる。
このあと、たしか『鈴木六林男』と『堀井春一郎』の選集の刊行が予定されていたはずであるのだが、それらの刊行を待たずして、現在ではこのシリーズの監修者である藤田湘子も、鈴木六林男もすでに他界してしまった。
鈴木六林男については、その死後において全句集が纏められ、他にも選集が何冊か出ているのでまだいいとして、堀井春一郎の選集が刊行されなかったのは、やや残念な思いがしないでもない。
堀井春一郎は、昭和2年東京生まれ、昭和25年に「天狼」入会し、昭和30年「氷海」入会。昭和33年に句集『教師』、昭和34年に句集『修羅』、昭和46年に句集『曳白』を出版。昭和51年に49歳で亡くなっている。「氷海」時代において、その存在が鷹羽狩行、上田五千石、齋藤慎爾などの作者へと及ぼした影響というものは相当に甚大なものであったという。
その堀井春一郎の作風というものについてであるが、そのおおよそは「天狼」の色合いを主な基調としているようではあるのだが、数多い「天狼」の作者の中でもその作風は相当異色ともいうべき部類に属するものということになるのではないかと思われる。
それこそ堀井春一郎の作品というものは、山口誓子、橋本多佳子、西東三鬼の3者をそのまま混在したような作風でありながら、時としてこの3者の作品の上にすら見ることのできない、句の意味性をすらをも放擲し振り払ってしまうかのような言葉の迸りと、そこから生じる独特の韻律による手応えといったものが実感できるところがある。
このような下手をするとばらばらに拡散してしまいかねない言葉の連なりといったものを一気に掬いあげ、ある的確を以てコントロールし、作品としての強度を損なうことなく生動させることができる優れた言語感覚と高い技量の持主であったということが、この堀井春一郎という作者における特徴であると同時に非凡さであったという気がする。
以下、いくつか堀井春一郎の作品を抄出しておくことにしたい。
冬海へ石蹴り落し死なず帰る
寒風の突如と黒い郵便夫
少年の壺中にぐみの実と涙
黄落や人形は瞳を開けて寝る
冬鳩の老けごゑ宝石筥からっぽ
されどプールの白き柩形冬青空
少年の櫂は朽ちゆく滴る間も
さらばされば父を愛してもぐらの夏
山百合や母には薄暮父に夜
兜虫汨羅のほとりにて消ゆる
2月24日 水曜日
俳句総合誌『俳句界』(文学の森)の最新号である3月号が本日手元に到着。
この『俳句界』の中の「ピックアップ 話題の新鋭」という栗林浩氏のインタヴュー記事に、愚生が登場しているのである。今回このように漸く総合誌に載せていただくまでに苦節(?)10年、自分も割合メジャーになったなと「勘違い」しつつ、当該の頁をやや感慨深い思いをもって眺めた。
これまでのこの「ピックアップ 話題の新鋭」のコーナーには既に、高柳克弘、マブソン青眼、神野紗希の各氏が登場しており、いずれも現在の若手の俳句作者が俳句という文芸に対してどのような考えを抱いているのか、ということについて割合深く知ることのできるなかなか優れた内容の企画となっている。
今回の記事には、自分のこれまでの作品が10句選として自選で掲載されているのであるが、いつもながら、あの句は削除すべきだった、あの句を入れておけば良かったなどと、これまでと同様後悔の思いを幾度となく繰り返し続けている。
また、今回掲載された発言内容については、全体的に自分の言いたいことをあまり慎みもなく喋ってしまったようなところがあり、またもやどこやらの俳句誌の主宰や俳句関係の方々から「お怒り」「叱責」「苦言」「顰蹙」などを相当に買ってしまう結果となりそうな内容で、毎度のことながら随分と冷汗の出るような思いのするところがある。
あと、今回、発言の内の何箇所かについて訂正をお願いした部分があったのであるが、それが修正されないままそのまま掲載されてしまっており、その点が少々残念なところであった。一応、おおよその意味内容については大体伝わるようではあるので、とりあえずのところはこれでよしとすべきか、と思っているのではあるが……。
ただ、どうしても訂正しておく必要があると思われるのは、自分が自由律俳句について発言している箇所で、そこで自分は自由律俳句について「求心性のある短い句の方が良いでしょう。」と一方的に断定する発言内容となってしまっているのであるが、実際のところは、当然ながら定型を超過するような自由律作品にもけっして表現としての可能性がないなどということを単純に言うことはできず、また言うつもりもないゆえに、それを糺すために「求心性のある短い句の方が良いでしょうか。」という表現へと訂正していただきたいとお願いしていたわけなのであるが、どうやら適わなかったようである。とりあえずのところ、今回この箇所については、このような断定的な発言をするつもりはなかったということだけは、この場をお借りして付言させていただくことにしたい。
ともあれ、このコーナーに今後如何なる顔ぶれの新鋭が登場することになるのか、おおいに期待のされるところであるのは間違いないであろう。
2月25日 木曜日
『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)をいまだに読み続けている。
今回は、前回に引き続き第8句集『樹影』について少し見てみることにしたい。この『樹影』は、平成3年11月に刊行されたもので、昭和61年冬から平成3年春までの5年間の作品690句を収録したものである。年齢的には作者の大体70代の前半における作品集ということになるようである。
前回、第5句集『初夏』、第6句集『緑夜』、第7句集『草樹』の作品について、その特徴として「円熟」、「平明」といった傾向が見られることを指摘したが、この第8句集の『樹影』については、単純にこれまでも第5句集から第7句集までにおける「円熟」や「平明」といった言葉のみでは説明のつかない作品傾向というものが、ここにきて再び見られはじめるようになってくる。
薄原笛吹童子現れよ
姫御前の人形の立つ夜の薄
京過ぎて黍嵐また葛嵐
草の根の蛇の眠りにとどきけり
鷹渡る襞荒立てし祖谷の嶺
地の底の燃ゆるを思へ去年今年
夢に見し魔神をいまに寒月夜
山の神地の神集ふ寒月夜
裘銃身に似し身をつつむ
雄叫びのいづこふりむく寒の闇
荒海へ眸を燃やし過ぐ鷹一羽
虚空にて鷹の眸飢ゑてきたりけり
虚空にてかすかに鳴りし鷹の腹
国造りの神も朝寝や夏霞
化野をめぐりて今宵蛾となりし
陽炎や絵馬へもどりし黒神馬
藻の花を地の神過ぐるまひるかな
山霊に囲まれて居り青蜥蜴
亡年や身ほとりのものすべて塵
無論、集中にはこのような傾向の句ばかりで占められているというわけではないが、ここにきて単なる「実」の世界の把握のみならずやや荒々しさの伴った「虚」の世界への比重が高まってきているように感じられるところがある。それはまるで、作品が従来通りのオーソドックスな作風へと収斂してしまうことから、それこそ「寝返り」を打って逃れようとするかのような抵抗の姿勢を窺わせ、そこに作者の中に内在している意志の存在というものを明確に認識することができよう。
また「身ほとりのものすべて塵」という句については、桂信子の代表句のひとつとして喧伝されているところがあるが、こう見ると、この句の存在もよく桂信子という作者を語る際に引き合いに出される「平明な作風」といった傾向の中から偶発的に生み出される結果となった作品というわけではなく、今回の句集に見られるように作者としての常凡へ堕することへの抵抗即ち意識的な「虚」への作品志向といった流れの上において生み出されることとなった作品であると言うことができるはずである。
思えばこの桂信子のみならず、金子兜太や鈴木六林男などの作者の全句業における流れなどを見ていると、その句業において新たな作品展開といったものがあまりはっきりと確認できなくなり、停滞に近いムードが漂いはじめるようになると、まるでそのことに抗うかのように話題作や異色作が突如として出現してくるということがしばしばあり、作者としての衰退の気配をなんらかのかたちで振り払おうとするような動きが見られるということが少なくない。どうもこの世代の作者というものは非常に「粘り強い」ところがあるというか、作者として大変「しぶとい」のである。
こういった事実から見えてくるのは、これらの作者というものが、自らの作品展開というものが停滞することに対して、常に危機意識もしくは警戒心といったものを抱き続けており、意識的にその修正に努めてきた、ということになるのかもしれない。
また、今回のこれらの信子のやや猛々しいともいうべき作品展開といったものを見ていると、この桂信子という作者にとっての重要なキーワードというものは、その最初期から一貫してその根底部において常に蟠っているように感じられる「内なる激情」ということになるのではないか、という気のするところもないではない。
2月26日 金曜日
また、この桂信子の第8句集である『樹影』には、やや荒々しい作品傾向のある一方で、それに反するかのような、いい意味で肩の力の抜けた「ただごと俳句」とでもいうべき作品の存在もいくつか見られる。
白鳥の白鳥らしからざるもあり
新幹線車中を鰻飯通る
初旅や練り歯みがきのひとうねり
闇ヘ打つ豆鬼にあたつたことにして
滝涸れて一応滝と思ふだけ
うぐひすと思ひしときはもう鳴かず
草餅のだんだん重くなつてきし
俎のどちらむいても海鼠なる
眠りゐていやいや出でし雛もあらむ
こういった軽い諧謔というか、やや飄逸味とでもいったものを感じさせる作品というものは、若い頃の桂信子の作品にはほとんど見ることのできなかった作品傾向であるといえよう。ここにきて長年培ってきた技量というものが、作風の幅の広さとともにある種の余裕といったものをももたらし、その作品の上に影響を及ぼしている結果となっているということになるのかもしれない。
そして、第8句集『樹影』以降の第9句集『花影』(平成8年刊)においても、同じようなやや軽やかな作品の傾向というものを若干確認できるところがある。
夏逝くやガラスの奥のわからぬ絵
佇みてどぶろく呑みに入るつもり
秋深むスワンの朱きまなじりも
鴨てふ字出来し前より鴨泛かぶ
巴里祭知らずに巴里祭を詠む
何もゐぬ冬の生簀をみなのぞく
年逝くと鮃平たくなりにけり
無論、このような飄逸気味な傾向の作ばかりでなく、これまで同様やや真顔ともいうべき表情の作品やある種のすごみを伴った佳句の存在も少なくない。あと、前句集の『樹影』に比べると、今回の『花影』における作品群には「虚」の要素といったものの介入については、それほど顕著というわけでもないように思われるところがある。
木も草もいつか従ひ山眠る
神在ます熊野の冬のしんの闇
闇に泛く日本列島去年今年
備中や削られし山片笑ひ
魂遊ぶ空如月の望のころ
花の中わが身も水を吸ひ上ぐる
冬滝の真上日のあと月通る
死ぬことの怖くて吹きぬ春の笛
2月27日 土曜日
桂信子の第10句集『草影』とそれ以後の作品について見てみることにしたい。
『草影』は、平成8年から平成14年までの作品が収録された桂信子の最後の句集ということになる。そして『草影』以後の作品については、この『桂信子全句集』に収録されているものということになり、その内容としては、主宰誌「草苑」2001年10月号から2004年11月号までに発表した作が収められている。桂信子は、2004年の12月に89歳で亡くなり、この「草苑」の2004年11月号に掲載された作品が最後の発表作品ということになる。
『草影』より
秋立つや観念の墨磨つてをり
赤芋の地中に太り耕衣の死
涅槃図の裏側をゆく人の声
桃流れくるやも川の靄の奥
一心に生きてさくらのころとなる
春の石亀の手足のやをら出て
亀鳴くを聞きたくて長生きをせり
大蓮の間ベッドを浮かしけり
萍の中を進みて白枕
白露や三界に身の置処(おきど)なし
現(うつつ)とも夢とも過ぎて初夜(そや)の雁
水に映りいま敗蓮となる途中
月の中わが魂いまは珠なして
くろがねの魂いだき蛇ねむる
万物の一塵として年迎ふ
花のなか魂(たましい)遊びはじめけり
『草影』以後より
本重ね年を重ねていつか死ぬ
いづれ消ゆるそれぞれの背の花明り
はなびらのいま花屑となる途中
蝌蚪散つて天日のみの残りたる
冬泉に一花となりてわれの舞ふ
夏野ゆく夏野の果も夏野なる
この世また闇もて閉づる夏怒濤
昨夜(よべ)よりのわが影いづこ冬の朝
冬真昼わが影不意に生れたり
これらの桂信子の最晩年における作には、いずれも現実の事象とフィクショナルな要素の双方が混在して作品の上に展開されているような色合いが、やや強く感じられるところがあるといえよう。これまでに見てきた第8句集『樹影』においてもフィクショナルな要素というものが多分に混在しているところがあったが、今回の第10句集『草影』とそれ以後におけるこれらの作品の上にもやはりそういった傾向が割合強いところがある。
ただ、今回の『草影』の作品傾向については、第8句集の『樹影』の作品傾向と比べると、若干その「生」と「死」の意識の度合いの強さにおいて、やや印象が異なる側面があるように見受けられるように思われる。いうなれば、これらの作品からは、それこそ作者自身の存在が「幽明」の境を往き来し、ひたすらさ迷い続けているとでもいったような印象が強く窺えるのである。そのことは「魂」という言葉からも感じられるところであろう。そして、この作品における雰囲気というか気配というものは、それこそ以前に見てきた第4句集の『新緑』の中における「母の死」というテーマを扱った連作の存在というものが、そのままに髣髴としてくるように感じられるところがあるように思われる。
その第4句集の『新緑』における「母」の作品といえば、〈母の魂梅に遊んで夜は還る〉〈母細眼薄明界の野に遊び〉〈梅が香や母の常着は闇に垂れ〉〈白湯たぎるなか幻の蝶の昼〉〈明暗の際とぶ蝶を見失う〉〈花冷えの壺が吸い込む母の息〉〈薄紙につつむ花びら最晩年〉〈花種を蒔いてみつめるただの土〉〈新緑のなかまつすぐな幹ならぶ〉〈雁帰る酒瓶に映る夜の顔〉〈貌映し泉をくらくする午前〉といったように、あたかも現世と彼岸の世界を往還するかのような内容を持つ作品であった。
そして、思えば、桂信子という作者の俳句の歩みにおいて、その作品の上に大きな変化をもたらす結果となったのは、それこそ、夫、師の日野草城、母といったかけがえのない存在との死別であったようにも思われる。この桂信子という作者が、様々な人々との別れをその作品の上に刻み付けながら、その最晩年において、その作品の上に写し取ることになったのは、自分自身の最期、即ち自らという存在との別れ際における、「虚」と「実」の双方の相が混淆する幽明の境の風景であった、というべきであろうか。
一応、今回で漸く『桂信子全句集』所載の全5218句にとりあえず目を通し終えることができた。思えば、桂信子という作者は、そもそもそのはじめの第1句集の時点において既にほぼ完成された作者であった。それゆえ、その後の作品展開というものについては、なかなか容易なものではなかったのではないかと推察されるところがある。そのことは第1句集から第4句集である『新緑』までにおける起伏に富んだ作品展開といったものを瞥見すれば明らかであろう。
そして、その後の第5句集以降から最終句集である第10句集『草影』とそれ以後の作品に到るまでの句業についても、確実にある一定以上の水準による作品展開とその成果を常に自らのものにしてきたという事実が見受けられ、そういった多くの作品の成果の堆積による重厚さを感じさせる営為を長期間にわたって維持し続けることが可能であったのは、やはり並々ならぬ作者精神というものの存在がこの桂信子という作者の内部において深く存していたがゆえということになるのであろう。
また、人口に膾炙している作だけを見れば、桂信子は単純に「平明」な表現による作風の作者ということになろうが、これまでの句業を俯瞰した場合やはり単にそれだけの作者というわけではなく、内なる静かな激情、青年期における若くしなやかな肉体性とナルシシスム、都市的なモダニズム、誓子的な事物そのものへの強い肉迫と虚や不可視のフィクショナルな世界への志向、老いの意識と飄逸味、そして幽明の境における風景などといった様々な要素を、その長い歩みの過程において内側に抱え込む結果となった懐の広い作者であったと言うことができるはずである。
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3 件のコメント:
削除したのは、入力ミスがあまりに気になったので。同じ内容ですが、
桂さんへの評、こうかけばよくわかる、
〈また、人口に膾炙している作だけを見れば、桂信子は単純に「平明」な表現による作風の作者ということになろうが、これまでの句業を俯瞰した場合やはり単にそれだけの作者というわけではなく、内なる静かな激情、青年期における若くしなやかな肉体性とナルシシスム、都市的なモダニズム、誓子的な事物そのものへの強い肉迫と虚や不可視のフィクショナルな世界への志向、老いの意識と飄逸味、そして幽明の境における風景などといった様々な要素を、その長い歩みの過程において内側に抱え込む結果となった懐の広い作者であったと言うことができるはずである。〉冨田)
的確ですよ。これ。
冨田君、これ、快調ですね。「泣きながら」書いたとはとても思えません。
堀井俊一郎の『曳白』どうしても探しだせない。残念やけど。
おぼえているのは
月光の葱ひしひしと筆禍被る
陸橋の逢引きそれも十二月
凄く、じんとくる句を残しておられますね。
吟様
コメントありがとうございます。
今回桂信子の作品に目を通して、桂信子という作者の存在感の大きさというのは、様々な要素を抱え込んでいたがゆえのものであったのかもしれないな、という気がしました。
あと、堀井春一郎についての特徴は一言でいうと、「独自の韻律」と「やや退廃的な私性」ということになりそうですね。
『曳白』私の方は一応手元にあります。なんだかサイズが大判で、普通の規格の句集とは相当趣を異にした句集といった感じがするところがあります。斉藤慎爾さんのところからの出版ですね。
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