七曜俳句クロニクル ⅩⅢ
・・・冨田拓也
11月29日 日曜日
久しぶりに古書店を何軒か廻ってみたところ、俳句関係の本をいくつか見つけることができた。
・糸大八『青鱗集』(書肆麒麟 1986年)
・三森鉄治『天目』(花神社 1991年)
・あざ容子『ミロの鳥』(ふらんす堂 1995年)
いずれも読みたいと思っていた句集ばかりである。『天目』と『ミロの鳥』はそれぞれの作者の第2句集にあたり、『青鱗集』については作者の第1句集ということになる。
しかしながら、句集だけに限らないことではあるが、詩集や歌集などについても実際のところ読みたくても現物がなかなか手に入らない場合が多く、読むためにはつくづく苦労をさせられるところがある。当たり前のことながら、最初からネットでの古書検索で見つけることができれば楽なのであるが、見つからなければ、図書館の資料を探す、何件も古書店を回る、知友に尋ねるなど、なかなか厄介なプロセスを経なければ目当ての資料に辿りつくことができないといったケースが少なくないのである。場合によっては数年以上かかってようやく資料を手にすることができるといったことも珍しくはない。
それはともあれ、今回手に入れることができた資料は、上記のものだけでなく、次のようなものも入手することができた。
・『俳句の現在 Ⅱ』(南方社 1983年)
・『俳句の現在 Ⅲ』(南方社 1983年)
・鎌倉佐弓『潤』(「処女句集シリーズ」 牧羊社 1984年)
・『現代俳句の視線 1』(冬青社 1988年)
・『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店 1993年)
鎌倉佐弓さんの『潤』以外は、いずれも「俳句のアンソロジー」ということになる。
現在の若手のアンソロジーである『新撰21』が刊行されるこの時期に、こういった種類の俳句関係の本にいくつも逢着してしまうのは、単なる偶然に過ぎないのではあろうが、どこかしら軽い因縁のようなものも感じざるを得ないところがある。それこそ、まるで「これまでのアンソロジー」と今回の『新撰21』を比較せよとでもいった「促し」のようにも思われてしまうのである。
『俳句の現在』は全3巻で、その内容については以下のとおりである。
・『俳句の現在』(南方社 1983年)
第1巻 石田拓夫、大関靖博、熊本良悟、小海四夏夫、攝津幸彦、高橋龍、津沢マサ子、坪内稔典、徳弘純、夏石番矢、西川徹郎、野田裕三、橋本輝久、藤原月彦、増田まさみ、矢上新八、若森京子、小西昭夫、仁平勝
第2巻 宇多喜代子、大井恒行、大野美沙子、大本義幸、大森澄夫、鏡原由紀子、岸本マチ子、沢好摩、城貴代美、白木忠、関口晃代、田中三津矢、畑中憲、政野すず子、三浦健龍、山崎十死生、久保純夫、塚越徹
第3巻 出井知恵子、伊吹夏生、上田玄、江里昭彦、桑原三郎、庄子真青海、徳弘喜子、中里夏彦、中烏健二、仁藤さくら、秦夕美、広嶋美恵子、星野一郎、丸山景子、森田智子、林桂、妹尾健、久保田耕平
「俳句空間」の新鋭作家によるアンソロジーは、全2冊であり、その収録内容は以下の通り。
・『燦 ―「俳句空間」新鋭作家集』(弘栄堂書店 1991年)
青木重治、今泉康弘、占部一孝、九毱志保、小南千賀子、佐藤康二、倉阪鬼一郎、中尾琉苦、仁科智成、宮崎健二、山口可久実、八木博信、深町一夫、吉沢敏江
・『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店 1993年)
宇田川寛之、オオヒロノリコ、岡田秀則、五島高資、佐藤清美、神岡華子、高山れおな、田辺恭臣、萩山栄一、平田栄一、前島篤志、正岡豊、松澤隆晴、水野真由美、宮崎斗士、守谷茂泰
かつては、このように新人の作者を集めたアンソロジーが多数刊行されていたという事実があったのである。
『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』の出版は1993年で、なんといまからほぼ16年前の刊行ということになる。今回、漸く刊行されることになった『新撰21』は当然ながら、2009年のものということになる。そして、驚くべきことにこの16年もの間にはこの種のアンソロジーの存在というものは、ほとんど見出すことができない(一応「北溟社」から『現代俳句最前線』上、下、などが刊行されているが、「新人のアンソロジー」としては内容的にやや中途半端なところがあろう)。即ち俳句の世界において、「新人によるアンソロジー」というものは、この16年もの長きにわたってほとんど刊行されることがない状態が続いていたということになる。
さて、取り上げた上記のもの以外にも、これまでのアンソロジーとしては、他に、以下のものが存在していた。
・『現代俳句の新鋭』全4冊(東京四季出版 1986年)
1,足立幸信、押谷隆、河野薫、島谷征良、鈴木伸一、仙田洋子、対馬康子、西村智治、能村研三
2,大隅圭子、太田あや子、片山由美子、鎌倉佐弓、木下節子、妹尾健、西島陽子郎、服部くらら、皆吉司
3,岩井英雅、小野元夫、北川玉樹、谷中隆子、林桂、保坂敏子、松沢雅世、山本環、渡辺和弘、和田耕三郎
4,赤羽茂乃、金田咲子、田中裕明、中烏健二、中田剛、永田琉里子、夏石番矢、西川徹郎、橋本栄治、渡辺純枝
・『俳句の現在』全3冊(牧羊社 1986年)
Ⅰ.石毛喜裕、稲田眸子、今井聖、今井豊、上島顕司、大井恒行、大内史現、大木あまり、大西泰世、大庭紫逢、大屋達治、小澤實、片山由美子
Ⅱ.金田咲子、金子青銅、鎌倉佐弓、岸本尚毅、久保純夫、熊本良悟、佐野典子、島谷征良、攝津幸彦、高原耕治、田中裕明、辻桃子、対馬康子
Ⅲ.夏石番矢、西川徹郎、西島陽子郎、西村和子、能村研三、林桂、保坂敏子、三森鉄治、皆吉司、宮入聖、山下知津子、四ッ谷龍、和田耕三郎、渡辺純枝
・『現代俳句ニューウェイヴ』(立風書房 1990年)
大木あまり、大西泰世、金田咲子、田中裕明、千葉皓史、夏石番矢、長谷川櫂、林桂
他に、アンソロジーではないが、「牧羊社」から1985年に「精鋭句集シリーズ」といった句集のシリーズが刊行されていたそうである。
・『精鋭句集シリーズ』全12巻(牧羊社 1985年)
大木あまり『火のいろに』、大庭紫逢『氷室』、大屋達治『絢鸞』、島谷征良『鵬程』、田中裕明『花間一壺』、夏石番矢『メトロポリティック』、西村和子『窓』、能村研三『海神(ネプチューン)』、長谷川櫂『古志』、林桂『銅の時代』、保坂敏子『芽山椒』、和田耕三郎『午餐』
これらを年代順に並べてみると、以下のようになる。
・『俳句の現在』全3巻(南方社 1983年)
・『精鋭句集シリーズ』全12巻(牧羊社 1985年)
・『現代俳句の新鋭』全4冊(東京四季出版 1986年)
・『俳句の現在』全3冊(牧羊社 1986年)
・『現代俳句ニューウェイヴ』(立風書房 1990年)
・『燦 ―「俳句空間」新鋭作家集』(弘栄堂書店 1991年)
・『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店 1993年)
『俳句の現在』(南方社)の作者の総数は55人、『現代俳句の新鋭』は38人、『俳句の現在』(牧羊社)は40人。さらにそれらと併せて当時(1980年代)「処女句集シリーズ」「精鋭句集シリーズ」と銘打ったシリーズとして「牧羊社」からは200人近くもの新人の句集が出版されていたという話もあり、他にも「冬青社」のアンソロジーといったものが多数存在するようで、正直この期間における新鋭作者たちの全体像については、はっきりと把握しきれないところがある。
ともあれ、当時これだけ多数の新人を選抜しアンソロジーや句集として纏め数多くの書籍を刊行していたという事実には、現在のさほど新人の発掘に熱心でない俳壇の状況と比較してみた場合、それこそ隔世の感があるというか、単純にここまでの数の新人が存在していたという事実だけを取ってみても相当意外な思いをするところがあろう。
この当時の「新人ブーム」ともいうべき流れは1990年代に入ると徐々に下火となってゆくようで、その後は、先程にも述べたように、『俳句空間』の2冊のアンソロジーの刊行以降、今回の『新撰21』まで、ほぼ16年もの間、本格的な「新人によるアンソロジー」といったものは、ほとんど存在しないということになる。
この事実については、かつての状況と比べて考えてみた場合、なんとも奇異に映るところがあるが、単にこれまでの新人を発掘し尽してしまったあと、新人が登場することを待たずしてそのまま新人を発掘することを忘れ去ってしまったということなのか、それとも単純に経済的な事情によるもの、ということになるのであろうか。
ともあれ、今回の『新撰21』に入集している作者は21人である。上記の様々なアンソロジーに入集した作者たちの人数と比べてみると、その作者の数はけっして多いとはいえなず、また、今回『新撰21』に入集した21人の作者以外にも、現在取り上げられてしかるべき作者の存在というものも少なくないため、現時点における「若手のアンソロジー」をめぐる状況というものは、やはり過去におけるものと比べてみて、まだまだ不充分であるというべきであろう。
この『新撰21』が刊行された後、これがきっかけとなって同じような趣向の本が何冊も企画刊行され、現在の状況が多少なりとも変化する結果へと繋がるか否かといったところに、実は今回の『新撰21』の刊行におけるもっとも重要なポイントが潜んでいるのかもしれない。
ともあれ、現在雌伏している若手作者たちの存在については、その数は決してゼロというわけではないであろうし、今後こういった流れに促されて新たに何人も優れた作者が登場してくる可能性といったものも考えられなくはない。そういった作者たちを見出し、その存在と作品をある程度纏まったかたちで、目に見える場所へと導き出すことができれば、俳句における未来といったものが拓かれる結果へと繋がる可能性も、けっして皆無ではないのではないかと思われる。
11月30日 月曜日
第3回芝不器男俳句新人賞は、本日11月30日をもって締め切り。
あとは、総合誌『俳句界』の「北斗賞」(第1回)があります。締め切りは「平成22年3月31日(消印有効、郵送のみ受付)」。
12月1日 火曜日
今日から12月ということで、外を歩いていると早くも「クリスマス」の音楽が聞こえてきたり、商店や駅前などのクリスマスの飾り付けが目につく。
「クリスマス」といえば、自分は、吉本隆明の「降誕祭」というやや陰鬱な詩の存在を思い起してしまうところがあるが、そもそもこの「キリスト教」といったものが日本の文化の様々な部分についてもたらした影響というものは当然のことながら小さなものではなかったであろうが、文学の領域においてもその影響力というものは相当なものであろう。短歌などを見てみても、斎藤茂吉、折口信夫、葛原妙子、塚本邦雄などキリスト教に材を摂ったものは少なくない。
こういったところから、俳句における「キリスト教」に関連する表現といったテーマが思い浮かんできた。
薔薇呉れて聖書かしたる女かな 高浜虚子『五百句』より
耶蘇といへば辞義して去りぬ寒念仏 石島雉子郎
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女『杉田久女句集』より
花杏受胎告知の翅音びび 川端茅舎『白痴』より
胡桃割る聖書の万の字をとざし 平畑静塔『月下の俘虜』より
耶蘇ならず青田の海を踏み来るは 西東三鬼『今日』より
金雀枝や基督に抱かると思へ 石田波郷『雨覆』より
磔像の全身春の光あり 阿波野青畝『紅葉の賀』より
昼寝の後の不可思議の刻神父を訪ふ 中村草田男『美田』より
胸の上の聖書は重し鳥雲に 野見山朱鳥『天馬』より
キリストの顔に似ている時計かな 阿部青鞋
キリストも四肢具足せる才ありて 火渡周平
冬の蜂わが読み飽くる馬太伝 金子明彦
このことはイエスに問わん青葡萄 鈴木六林男『国境』より
風や えりえり らま さばくたに 菫 小川双々子
石をパンに変へむ枯野の鍬火花 堀井春一郎
春満月ユダも内なる十二使徒 中丸義一
枯れきって図書ことごとくイエスの色 武田真二
イエスよりマリアは若し草の絮 大木あまり『火のいろに』より
秋曇りイエスは我に触れるなと 対馬康子『天之』より
少し記憶の中から引き出しただけでも、思った以上に「キリスト教」に関連する内容の作品というものは少なくない。しっかりと探せばいくらでも見つけ出すことができるような気がする。やはりキリスト教による俳句への影響といったものも、けっして小さなものではないのであろう。
12月5日 土曜日
『セレクション俳人 + 新撰21』(筑紫磐井、対馬康子、高山れおな・編)は、一応、本日(12月5日)「邑書林」より刊行ということになるらしい。
毎週宣伝ばかりして、なんとも節操のないことではありますが、是非とも「邑書林」のHPから、ご注文下さい。
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