七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅡ
・・・冨田拓也
1月31日 日曜日
本日(1月31日)から「週刊俳句」で山口優夢さんの「新撰21の20人を読む」が始まり、そして、「haiku&me」では、2月6日から青山茂根、榮猿丸、中村安伸の3氏による「Twitter読書会『新撰21』」が始まるらしい。
どちらも『新撰21』(邑書林 2009)の作品を読む試みということになるが、このところ、漸く、九堂夜想さんの「断頭台」という言葉の意味が、ある実感を伴って段々と理解できるようになってきた感がある、というべきだろうか。
蟬暑し作家先づ知る作の瑕 下村槐太
2月1日 月曜日
なんとなく、「蕪村」が近代の俳句へ及ぼした影響力といったものは、一体どの程度のものであったのだろうか、という考えが浮かんできた。正岡子規が、宗匠俳句に対抗するために蕪村の作品を頗る称揚したという事実は、有名な話。
罪深き京の女や綺羅の汗 正岡子規
薄氷にとち込められぬ落椿 新海非風
永き日の洛陽に入りて暮れにけり 藤野古白
賊か戀春の裏山道つけぬ 五百木飄亭
春雨や酒を断ちたるきのふけふ 内藤鳴雪
行春を琴掻き鳴らし掻き乱す 夏目漱石
月の暈牡丹崩るゝ夜なりけり 石井露月
桃の花を満面に見る女かな 松瀬青々
霜の鐘月光花を降らすべく 青木月斗
春雨の衣桁に重し恋衣 高浜虚子
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
黛を濃うせよ草は芳しき 松根東洋城
桃色の布巾かけたり蓬餅 岡本癖三酔
麦秋や貧しき家の狐つき 高田蝶衣
いくつか子規の系譜の作者の作品を挙げてみた。全般的に子規の系譜の作者の作の多くには、共通して「春風駘蕩」というか、それこそいうならば少々「甘ったるい」雰囲気が感じられるところがあると前々から思っていたのだが、その因はこれらの作からも窺えるように、やはり「蕪村」の作品がそのままこれらの作者の作品の上に影響を及ぼしていたためということになろう。
単純に、この「蕪村」の作風というものが、近代以降の俳句に及ぼした影響というものは、小さなものではなかったということは想像に難くない。この「近代俳句への蕪村の影響」といったものについて、詳細に調べてみれば面白いかもしれない。
2月2日 火曜日
2006年に『林田紀音夫全句集』(富士見書房)が刊行され、その後、思った以上に林田紀音夫の俳句というものが再び注目を集める結果となったように思われるが、このことは、もしかしたら2008年に小林多喜二の『蟹工船』がブームになったという現象とも少なからず関係があるのではないかという気もする。
思えば、林田紀音夫の代表作とされる句の多くは、一言で言い表すならば「貧窮に喘ぐ20代の青年の呻き」とでもいうべき内容のものであった。
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫
煙突にのぞかれて日々死にきれず 〃
息白く打臥すや死ぬことも罪 〃
棚へ置く鋏あまりに見えすぎる 〃
隅占めてうどんの箸を割損ず 〃
2月4日 木曜日
『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)を読み進めているのだが、現在漸く第3句集にさしかかったところである。いまさらながら己れの愚図さ加減といったものを思い知らされるところがあるが、なんとかスローペースでも最後まで目を通し、この全句集を読了したいところである。
しかしながら、第1句集の『月光抄』、そして第2句集の『女身』ともに、なんというか、思った以上に「暗鬱」な内容の作品で占められていて、やや驚くところがあった。当然ながら、そこには、わずか2年足らずの結婚生活の後の早すぎる夫との死別という重い現実がそのまま作用しているということになるのであろう。そして、この夫との死別が桂信子という作者にとって、その作風もしくは作者としての本質の根幹の部分を決定付けることとなった大きな出来事であったようにも思われる。
あと、句集における作品の語彙が「やはらか」、「女」、「男」、「掌」、「ひと」、「膝」、「水」、「さくら」、「あやめ」、「ひる」、「梅雨」、「着物」、「雁」、「畳」、「鏡」など同じような言葉が何度となく繰り返されて用いられている。このことは、意図的に語彙や素材を限定した上で句作をした結果ということになるのか、それともただ単に語彙が少ないだけであったのか、いまひとつ判然としないところがある。また、語彙のみならずモチーフについても同じような内容の作品が少なくないように見受けられるところがある。これについては代表句があれば、類想句の存在というものはさほど問題にならないということになる、といっていいのだろうか。
ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ 『月光抄』より
夫逝きぬちちはは遠く知り給はず 〃
ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 〃
衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く 『女身』より
窓の雪女体にて湯をあふれしむ 〃
外套のなかの生ま身が水をのむ 〃
2月5日 金曜日
部屋の中の資料を眺めてみると、一体何時何処で入手したのか、気が付けば「妙な句集」というものがいくつも存在している。以前、「岡本信男」という作者の句集について簡単に取り上げたことがあるが、まだまだこれまでの俳句の歴史の中には変わった句集の存在というものは少なくはなさそうな気がする。
いくつか手元にあったそのような句集の一部を記してみると、上月章『蓬髪』(書肆季節社 1981)、島将五『萍水』(中央出版企画 昭和56年)、亀田虎童子『亀田虎童子句集』(八幡船社 1980)、後藤綾子『萱枕』(富士見書房 昭和63年)等々、ということになる。
どれも入手してからいまだにしっかりと目を通していないような句集ばかりであるが、いずれここにも取り上げてみたいところである。
以下、適当にこれらの句集をぱらぱらと捲っていて目についた作を、とりあえずのところいくつか挙げておきたい。
自転車で空ふむ男まけいくさ 上月章
孤高にて鶯餅も謝絶せり 島将五
むづかしき顔をしており鯰釣り 亀田虎童子
神学生マスカツト剥くちまちまと 後藤綾子
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