七曜俳句クロニクル ⅩⅤ
・・・冨田拓也
12月18日 金曜日
先週に引き続き『新撰21』(邑書林)に断続的に目を通している。全部で2100句であるから意外に分量が多く、作品を読んでもしばらくするとその内容のいくつかの部分について忘れてしまうところがあり、全体を把握するのは割合大変なところがある。
また、何度かその作品を読むうちに、こんな句があったのか、という発見も少なくなく、当たり前のことながら、他人の作というものを十分に理解するのはなかなか容易なことではないという事実について改めて認識させられることがしばしばある。
というわけで、今回も前回同様とりあえずのところ、それぞれの作者の作品から1句づつ引用しておくことにしたい。
古墳から森のにおいやコカコーラ 越智友亮
或るひとの今は生前龍の玉 藤田哲史
向日葵の向うから鎌来たりけり 山口優夢
風はもう冷たくない乾いてもいない 佐藤文香
鯛役を任され鯛の日暮かな 谷雄介
おとうとの龍へんとうせんつうと云うてかへる 外山一機
光年や欅の傍の息白し 神野紗希
弥陀の手のたやすく外れ煤払 中本真人
花散るや無表情なる水の上 高柳克弘
冬帽の父子に川の流れけり 村上鞆彦
蔦かづら人が死ねなくなる未来 北大路翼
岬は蛹魂(タマ)も弾も眠れねむれ 豊里友行
雛罌粟やでんぐり返りても真昼 相子智恵
足跡の中にも蝌蚪の泳ぎゐる 五十嵐義知
春の海渡るものみな映しをり 矢野玲奈
貨物車が薔薇のあくびをしておりぬ 中村安伸
木漏れ陽は繭のさびしさ街薄暑 田中亜美
春深く剖(ひら)かるるさえアラベスク 九堂夜想
人類に空爆のある雑煮かな 関悦史
消えさうに日傘が外を通りけり 鴇田智哉
12月19日 土曜日
今週は少々ばたばたしているため、これで終了としたい。
というわけで、また次回にお目にかかりましょう。
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■関連記事
俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也 →読む
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6 件のコメント:
冨田拓也 さま。合同アンソロジー御上梓おめでとうございました。
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冨田拓也への共鳴句
じりじりと日退(すさり)月の蟻地獄 拓也
芝不器男新人賞以来の句柄の中では、冨田さんらしい、観念世界の具体化(写生)の秀作だろ思いました。
烈日の剥片として白鳥来 拓也
蝶舞へり電子回路の奧の奧 拓也
標本の脳髄しづむ五月雨 拓也
なども、じっくりした「眼の思考」があり、見えぬ世界のリアリティを、形象化して引き出してくる感受性の成熟を見ました。
私たちの居住地で、その系譜に近いのは永田耕衣、赤尾兜子、橋閒石、和田悟朗 の各先人達かなあ、とふとかんじました。
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今回の本、全体を把握しにくい、と言うご意見ですが、マスコミにでかかっている若者たちだけでもこれだけ多方面からの集合ですから、当然かとおもわれます。世代のまっただ中におられる方にはよけいわかりにくかなあ、と。
わたしの現在のさしあたっての感想ですが、
確かに、戦後俳句の重苦しい過剰さは脱けて、言葉が洗練されて巧い「俳句」そろっているようです。実力派をあつめた、というところかあしら。
しかし。たしかに、モチーフは新しいには違いありませんが、従来の俳句の型を全くひっくりかえそうとしている、離れていこうとしているその抵抗感や牽引のつよさ、しなやかさにおいて「もっとも現在的である」・・と言うような作品はあまり見あたりませんね。
これは、非難ではなく現状況の分析しているのですから、気にしなないでください。好むと好まざるにかかわらず、本書の特徴です。摂津さん達の、ニューウエーブ時代をくぐってきた要素が、いまその地ならし時代かも知れません。
意図して、新興俳句時代への擬古を方法的出発として居られる冨田さんの役どころは、モダニズム初期の新しさ他今や古典になっている現状を、さらに発想や形のちがった新しさへとに転じる切り口をひらいてくださるものと期待しています。堀本 吟
堀本吟様
コメントありがとうございます。
拙作をお読みいただき、さらに感想までいただきまして大変嬉しく思いました。
確かに私の句は、堀本さんが挙げられた作者からの影響が少なくないところがありますね。特に赤尾兜子の後期の作からは相当な影響を受けているのではないかという気がします。あとは河原枇杷男の影響も小さくないかもしれません。
それはさておき、今回の『新撰21』には、従来の俳句の型をひっくりかえすような作品が存在しないとのことですが、確かに俳句というジャンルそのものを振り回してしまうほどの並外れた表現というものは、さすがに確認することはできないというべきでしょうか。
そういえば、酒井佐忠さんも「豈」に、今後は虚子も、耕衣も、また安井浩司や攝津幸彦といった作者も登場することはないのではないか、といった内容の文章を書かれておられましたね。
現在は様々な試行が為された後などといわれますが(実際のところ本当なのかどうかはわかりませんが)、どうであれ、今後俳句作者はなかなか苦戦を強いられることになりそうですね。
私自身も今後どうすればいいのか少々混乱気味なのですが、今回堀本さんにひとつの示唆を与えていただき、ありがたく思いました。感謝申し上げします。
貴下の反応コメントから、冨田拓也自身の「自覚せる混乱」に興味をもちました。そういうことがなければ、自己解体は出来ません。(私みたいに、俳句にはいる前からすでに「混乱しっぱなし」、と言うのも問題ですが、)
お答え下さらなくともけっこうですが、
貴下とはこういうテーマで継続的に意見交換ができそうです。
①
河原枇杷男の影響とはどういうところか?
②
ほんとうに、方法は出し尽くされているのか、
③
時代の文化的変化は、表現になにか影響があるのか?
④
将来「主流」になる俳句の方法(俳句という詩型の概念)とは、どういうものか?
こんなことは、いきなりではこたえがでてきません。また、ゆっくりと・・。最近の「俳句空間—豈—weekly」での、この作家別アンソロジーでは、だいぶん基礎知識を蓄えられましたね。驚嘆すべきエネルギーです。私たちもずいぶん便利に活用させて頂きました。ゆっくり発酵させて下さい。吟
吟様
コメント遅くなり申し訳ございません。
1の問題についてはとりあえず置いておくとして、
2の問題については、新撰21のシンポジウムでも討議されていた問題ですね。
3は、たとえば昔の漢文的な素養といったものが、年代を経ることによって徐々に薄れていく例(蛇笏と龍太、耕衣と枇杷男など)などをみると、やはり時代の文化的変化が表現に及ぼす影響というものは、小さくはないのではないかという気もします。
4については、いまのところ私にはなんともいえないところですね。予想がつかないというか。
冨田様、おつかれだったでしょう?でも、ときにはこういう場所も必要ですよ。
私にとっても、当日はじつにいろんな方にあって興味津々でした。貴方ともお話ししてみたかったのですが、いつも誰かと話しておられたので、遠慮遠望していました。貴下とは、こうして会話調の文章で意見交換する方が落ち着いてやれます。
でも、ほんとに実年齢が若いっていいな。
答えにくい「質問」にお答え頂いて恐縮です。
ポイント、「文化の影響」、ということで、「漢文の教養」がうすれてゆく(かわりに、西洋文化圏圏との「バイリンガル的教養」が殖えている、と言うことですね。
英語が圧倒的です)。
これはおもにモチーフ上の影響。頭に入れておきたく、ご指摘参考に致します。漢文や漢詩を自在に取り込んだ俳句がすくなくなるのはもったいない、ことです。
もうひとつ、本書でも、俳句総合誌でも、表記は旧仮名遣いがほとんどです。「けふ」「ゐる」なになにの「やうに」・・事柄がモダンにもかかわらず、とってつけた「やうな」書き方、こんなことには「新撰」組は違和感はないのですね。そういうところは、あんがい器用にふるきモノを扱っているんだなあ、と思ったことはそう言うことです。
私は、表記は、およそ言葉であれば何を使ってもこなしていればいい、というように考えているのですが、そう言う認識に立ってあらためて、旧仮名を取り入れているのかな、ということを疑問に思いつつ、聞いていました。
冨田さんの俳句は、基本的に、熟語や漢字の多用。書き言葉の系譜上です。
意味の表現の仕方は、誹諧を脱核しようとした新興俳句の「散文構造」をもっているために、表記はどちらでもつかえること。新興俳句の強みを教養にしておられます。ぎゃくにいえば、英会話のことばや、横文字の流行語を使わなくても、現代俳句の文化水準をまだ維持できることです。漢文の影が薄れてきたことの文化的影響を、ほかならぬ漢字文化、書き言葉文化のなかで表現できる俳人だ、と私は見ています。
あと、どう云うあたらしい「俳句概念」がとびだすのか、また、それは願望にすぎないのか? についてはついては、今後を楽しみに随時感想をのべることといたしませう。
まずは、ゆっくりお疲れをなおしてください。良いお年を。堀本 吟
堀本吟様
漢文に代わって、西洋的な要素が増加したというのは、当たり前のことながら、やはり非常に大きな変化ですね。
漢文の教養ということなら、小説の文章を例にとると、もっとわかりやすいでしょうね。例えば、尾崎紅葉や泉鏡花、幸田露伴などと、現在の小説家である、川上弘美や長嶋有あたりの文章など。現在の小説家の文章というものは、ものすごく簡単なものが多いというか、非常に読みやすいところがあります。
若手の俳人の旧仮名の使用については、ある種の懐古趣味が作用しているところがあるのかもしれませんね。エキゾチズムというか、現在の若い人にとっては単純に「古いもの」が新しく見える、という感覚があるのかもしれません。
私の作品における漢文的な傾向については、おそらく、かつて読んでいた小林秀雄訳のランボーや、塚本邦雄の短歌、富澤赤黄男(「大音響の結氷期」や「爛々と虎の眼に降る落葉」など)や、後期の赤尾兜子などの語彙の影響が強く作用しているためではないかという気がします。
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