・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ
『山河』所収
仲:往診で末期患者を看取ってきたのでしょう。私も毎年数名の患者さんを往診で看取りますが、なぜか人間は夜死ぬことが多いように感じます。深夜に起こされて、寒い思いをして患者宅へ向かうことがしばしばなのです。今のように温水器から温かい水が出てくるという時代ではありませんから帰宅して手や顔を冷たい水で清めるのも辛いことだったでしょう。それでも顔まで洗いたくなる気持ちがよく分ります。遷子はかなりの潔癖症だったようですし。
いつから病気=克服すべきもの、いや克服できるもの、という信仰(科学に対する盲信?)がまかり通るようになったのでしょう。患者の家族は「もうちょっといい医療を受ければ回復したんじゃないか?」と思い、医者も患者を死なせたことをあたかも敗北のように感じる。人間はいつか死ぬものだと頭では分っていても目の前のこの人が亡くなることは納得できない。最近、或る人の死を家族や親類縁者、近所の人達、医療従事者も含めた社会全体に納得させるのが医師の仕事の大きな部分を占めているのではないかと思えてなりません。
話が逸れました。遷子の頃はまだそのような盲信や「患者は病院で死ぬもの」という通念もありませんでしたから彼がこの患者さんの死から精神的打撃を受けたとも思われません。恐らく淡々と看取りの仕事を済ませて来たに違いない。そうは言っても矢張り受け持ち患者さんの死は心に重く感じられるものです。やりきれない思いも少しはあったかもしれません。それらを振り切るように冷たい水で顔を洗う。水垢離にも似た(それほど大きくはない)肉体的苦痛がその精神的なしこりを解きほぐすのにちょうど相応しく思えたのでしょう。
中西:職業俳句は遷子の句材のひとつですが、『山河』を読みますと、あまり詠われなくなっていることがわかります。この句は43年の作で、巻頭から10句目にあります。そう見てきますと、医師俳句を盛んに詠った時期が終わりを告げる頃の句だと思われます。
この句集では、患者を詠う場合も死がテーマであることが気になります。『山河』は遷子の死で終るのですが、終わりばかりでなく、全体を通してどこか死を思いやっているような描かれ方の句集だと思います。
遷子の冬の句は、季語の使い方に山国の人特有のものがあります。この句も「凍る夜の」と寒さの度合いをリアルに表現しています。しかし、リアルであっても、決して泥臭くないのです。いつも透明な空気を感じさせています。鼻を通る空気の冷たさと、夜空の厳しい美しさがあります。そこが遷子らしいのかも知れません。
患者の最後を診たという表現の省略に驚かされます。「死者を診し」と言って、すでに患者とは言っていません。しかし我々は息のあった患者の死を読み取ります。死を予想して行き、死を診てきたといった一連の行為が連想されます。
「顔洗ふ」ということ、これは寒蝉さんの、医師として体験的な発言をされているのに、感じ入りました。「水垢離に似た肉体的苦痛が、精神的なしこりを解きほぐす」ということだったのかと、この下五がこれほど大きな問題だったことに驚かされました。
医師でなければそうそう他人の死の現場に立ち会えません。我々は亡くなった方に向った時、まず悲しさが先に来ますから、泪で浄化されるようなところがあります。しかし、医師は仕事として死に向っているわけですから、感情的に死者を見ていない分、精神的なしこりとなるのですね。
「顔洗ふ」は何かやりきれない気持ちが出ていることはわかりましたが、医師の人間としての部分が端的に描かれているものだったことがわかりました。人間として抑えられない精神的な負荷が描かれているところにこの句の深さがありようです。
原:感情を表に出さない抑制のきいた句です。「顔洗ふ」という動作を述べるにとどめたことで、読み手の想像が広がります。おそらくは、医師としてこういう経験を繰り返したであろうことや、また死者との心理的距離や索漠とした虚脱感、等々。
仲さんが水垢離という言葉を出していらっしゃいましたが、無意識にそういう感覚を持つのでしょうね。患者の死をいくたび経験したにしろ、それはその都度、異様なことに違いありません。日常の世界に立ち戻るための無自覚な動作が「顔洗ふ」行為だったと思います。
深谷:以前、筑紫さんも指摘しておられましたが、遷子の句は文章がそのまま句になったような作品が目に付きます。掲句もその一例です。こうした作り方は、往々にして「報告」になりがちですし、詩に昇華し切れない、いわば「緩み」が目立つ句になってしまう嫌いがあります。この句も、そうしたネガティブな作品と紙一重にあると言えるかもしれません。しかし、それを免れているとしたら、やはり内容の重さの故でしょうか。より具体的に言えば、人の死に立ち会う医者の定めの厳しさ、そして斡旋された季語「凍る夜」がもつ硬質性でしょう。
一方、こうした冷たさや硬さと対極を成すように、生きた人間の「顔洗ふ」という行為が下五に配されています。いわば、一句の中に「死と生」「寒夜あるいは死者の冷たさと人間の体温」がコントラストを形成しています。そしてそうした構造が、遷子の医師としての行為を活写することに成功し、この句にリアリティをもたらしていると思えます。
窪田:かつて貧しい農村では、病気になってもめったに医者に掛る事はなかったようです。しかし、もうダメそうだという時になって医者に診せます。「お医者様に診て貰って死ぬのなら本望」というわけでしょう。それは病者が満足するということよりも、家族の免罪符のようなものだったように思います。事実、私の小さい頃、近所のおばさん達が「あの家にお医者様が来た。もう長くはないんだろう。」と言うような話しをしていたのを思い出します。
掲句は昭和43年の作。「凍る夜」に「顔を洗ふ」で、仲さんの言われたようにこれは水で洗ったに違いないと思いました。精神的にも疲れて戻った遷子が、冷たい水で顔を洗った、その表情まで見えてくる気がします。水垢離にも似たという指摘は案外当っているように思います。
かつて死は不浄とみなされていました。古事記の伊弉冉尊の黄泉の国での様子はそのことを表しています。最近は無くなってきましたが、葬儀の時参会者に清め用の塩を配っていました。そうした意識は現代人には希薄になってきましたが、当時、医者である遷子にはそうした感情は全く無かったのでしょうか。
筑紫:重い句です。仲さんに入っていただいてよかったのは、常識的なところで素通りしてしまいがちな遷子の「医」の核心について考えさせていただけたことです。「病気は克服すべきもの、いや克服できるものという信仰」といわれるとぎょっとします。われわれは今、如何に生きるかを考えていますが、それはまた如何に死ぬかを考えることでもあるということになるのでしょう。
長い経歴の遷子の句を読んでいると、いつから老人は病院で死ぬようになったのかという素朴な疑問が生まれて来ます。手術や事故のための入院は別として、その最後を家庭で平安に迎えるという儀式はすでに日本、特に東京の町ではなくなっているようですが、なおかつそうした願望を持ち続けているところが、現代の日本の社会の不幸なのでしょう。
掲出の句も、病院にいる患者ではなくて、自宅でその最後を迎えている患者のように思われます。患者の家→寒夜の道→医師の自宅→洗面所、という場面を転換させることによって、医師自身の心の整理もついて行くように思われます。われわれサラリーマンにとって込み合った通勤電車が貴重なのは、そこが家庭の顔から職場の顔へと作り変えて行く場所だからだという説明を聞いたことがありますが、形式的な儀式は人間のナイーブな心の衛生のためにも不可欠であるようです。
なお話題から急に転じてしまいますが、
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ
どうでしょう、見事なくらい散文ですね。しかし誰が読んでも俳句と分かる。古い俳句の要素(切字や切れ)を用いないでも俳句ができる。馬酔木の人たちはこうした「冒険」をしていたのです。
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