・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井
しづけさに山蟻われを噛みにけり
『山国』所収
窪田:昭和二十九年作。「入笠山行 十三句」と前書のある句の中の一句。
朝霧に寄り添ふ牛や牧びらき
牛去りし泉に赤し九輪草
一人ゐて泉のほとり風つどふ
開放された楽しそうな遷子の気分が伝わってきます。足か手に突然感じた痛み、見ると山の蟻が食いついています。この時の遷子は、蟻を怒りませんでした。それは、町医者として、家長として、その他日常の生活から開放された自然の中に居たからでしょう。遷子には、今自分が見ている自然の全てが愛おしく思えたのでしょう。ですから「山蟻は、あまりにしずかな高牧なので私を噛んだのだね」と思えたのではないでしょうか。
この時、遷子は次の句も作っていますから、おそらく一泊したのでしょう。
梅雨の月入笠山に見て赤し
ほとゝぎす口すゝぐ間も夜の白む
雲海の中ぞ鳥鳴く日の出前
充分自然に心を遊ばせて帰ったのだろうと思います。句集ではこの句の直ぐ後に、まるで自然に癒された反動のように、次の句が置かれています。
黒南風に嫌人癖の亢ずる日
ところで『山国』に寄せた石田波郷の跋文に、「「軽井沢」「入笠山」「神津牧場」の句は実にたのしい。私は高原派を支持すること馬酔木の誰にも劣らぬものだが、かういふ句を読むと、やはり相馬遷子氏を高原派の統領とする見方も亦間違ってはゐないと思ふ。」とあります。同じ文中で「著者の句は純粋に自然一辺倒ではない。さうさせないものが著者の内部にある。相馬遷子の俳句は高原派と異質だ」とあり、変な言い方ですが、旅人としての高原派とは違うと述べているようです。そんな遷子の句の特色が出ているのが掲句ではないでしょうか。
中西:高原派の句として、よく例句に揚げられている句です。
この句は、自分を詠っていながら、自己表現にストイックなようです。高原派のころは、景色の中に自分を描きこむというやり方だったように思います。この句の場合も自分を登場させながら、あまり声高に自分を語っていません。主役はあくまでも蟻です。「われ」は、句の中の登場人物であるに過ぎません。
波郷は『山国』の跋文で、高原派としての風景句の表現を褒めて、「生活境涯の叙述的になりやすく、物語として読者に訴えていく句を警戒する」と述べています。
しかし、これ以後の『雪嶺』『山河』の遷子の句は叙述の句を多く受け入れて、進んでいったように思います。
「しづかさに」は寂しさに通じるように思うのですが如何でしょうか。蟻とわれは、作者の気持ちの上では等距離にいて、同体でもあるようです。つまり、作者の気持ちは噛まれた「われ」であると同時に、噛んだ「蟻」でもあると思うのです。
この「われ」と「蟻」は静かさを享受していますが、同時に寂しさをも感じているわけです。そこが、たぶん他の高原派の美しさ楽しさだけではない、地元の人間の目の奥深さを感じさせるところなのではないでしょうか。
この句が、高原派の晴れ晴れしい風景句が多い中、それらとどこか違う点を窪田さんも見ておられ、その点は同感しました。
ただ、俳句作りの終日は楽しかったでしょうが、自然のすべてが愛おしいというよりは、豊かな句でありながら、わたしには生活感のないロッジでの、そこはかとない物寂しさが伝わってくるようでした。
原:窪田さんが「入笠山十三句」から半数ほどを抜き出して下さっていました。句の背景を知りたくて、「入笠山」を検索しましたら、南アルプス最北部の山。標高一九五五m。山頂ではほぼ三六〇度の展望がひらけるとのこと。周辺には湿原もあって植物豊富。地図には牧場も示されていました。
水原秋桜子は『山国』の序文で、馬酔木高原派についても触れていますがその中で、
(『山国』には)入笠山吟行のときの作もある。これも私が同行して、高原派の勉強ぶりをまのあたり見たときのものである。
とあって、秋桜子も一緒だったのが分かりますが、掲出句はそのような状況をまったく感じさせません。まるで、たった一人山中に居るという趣です。同時作に「一人ゐて泉のほとり風つどふ」もありますから、それぞれ散らばって作句することもあったのでしょう。それにしても、吟行という条件の下で、これほど他者の気配を断った句を作る集中力に感心します。この「山蟻」の句に比べれば、「一人ゐて」の方は表面的といえるでしょう。
掲出句から連想する次のような詩があります。
素朴な琴 八木重吉
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう
八木重吉は遷子より十歳ほど年長。昭和二年、二十九歳で没しています。
この詩にならっていえば、「山蟻」は「しづけさ」に耐えかねたのでしょう。つまり作者である遷子は、こういう「しづけさ」の極致を味わっていたのでしょうね。
深谷:遷子が馬酔木高原派と称された頃の作品です。掲句で最初に目を引かれたのは、上五の「しずけさに」でした。当初は「静かな空間のなかで」という意味に採ったのですが、一方で窪田さん御指摘のように「静かなるがゆえに」とのニュアンスもありそうで、簡潔に見えてなかなか微妙な表現だと思います。いずれにせよ、蟻に噛まれた痛みさえ、愉快に思えるような遷子の余裕を感じます。俗塵を離れた自然環境の中で、精神が解放されている、そんな伸びやかな気持ちが伝わってきます。
仲:入笠山の一連には高原派というより登山俳句という趣の句が並んでいます。そのような気分の中で読むとこの句も違和感なくその一連に収まって見えますがよく読むと少し毛色が変わっています。窪田さんのおっしゃったように遷子は噛んだ山蟻を怒っていません。楽しい句という見方もある程度は納得できます。ただ何かもっと冷静な感じを受けます。自然を、蟻をちょっと突き放して見ている。科学者の目と言ってもいいかもしれません。また、例の「われ」が出てくる所為でしょうか、自然詠と言えば言えるのですが人事句のような印象が残ります。蟻対われという図式、というよりそれしか描かれていないからと思われます。
「しづけさに」の「に」は「それ故に」と理由を示しているように取れます。そこがこの句の面白さでもあり限界でもあるのでしょう。面白さとは「あまりに静かだから蟻が噛んだ」という理屈は普通成り立ちそうもないからです。限界とは因果関係を持ち込んだことです。芭蕉の句のように「しづかさや」でもよかった気がします。その場合は勿論「けり」が使えませんし、芭蕉の句の印象が余りに強いので避けざるを得なかったのかもしれませんが。
筑紫:遷子の自然というのは、没入することによってあらゆるものを切り捨てる、一種の仏教の行のような気がして読んでいます。座禅とか諷経とか称名(南無阿弥陀仏など)のようなものです。これらの句からは、現実にその日遷子がおかれていた環境を再現することは難しいと思います。皆さんが指摘しているように、吟行をしたのだとしても吟行のかけらも伺えません。人のざわめきが一切捨象されているからです。のみならず、遷子が没入した対象以外の自然さえ捨象しているようです。例えば、
滝をささげ那智の山々鬱蒼たり 『草枕』
などで若くからそうした技法を遷子は確立していたと思われます。
掲出の句が珍しいのは、大概そうした行をなす場合、大景に没入するのですが、この場合は実に小さな蟻に没入していることです。ここまでくると、俗っぽい表現ですが「一寸の虫にも五分の魂」ということわざを思い出します。
蟻の存在感は、噛むことにしかないのでしょう。それも「しづけさ」に耐えるために噛んでいるようです。
蟻が人間であったなら次のような気分から人を噛むのではないでしょうか。
淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守 原石鼎
そう、蟻が人間であったならといいましたが、蟻が主人公であるという視点に立てばこの句は、蟻の社会性俳句であったかも知れません。蟻にも憤るべき理由があったはずなのですから。
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1 件のコメント:
興味深く、かつ趣き豊かな佳句ですね。好きです。
しづけさに山蟻われを噛みにけり 遷子
黒南風に嫌人癖の亢ずる日 遷子
これは、一般には、石田波郷が「高原派」をほめた、という例に挙げられています。同時に、次第に「叙述派」→ 生活諷詠へ傾くことを警戒した、そうですね。ともかくある幾つか解釈可能な意味を含んだものらしい。自然観照・・それだけにとどまらない遷子の内面を推し量っているという諸氏の鑑賞に私も異存のあるべくもなし、ということです。
しかしながら、諸氏の熱心な純粋な読書姿勢に触発されて思うことがすこしでてきました。述べさせてください。
窪田さんの理解にはじまって、。「開放された状態で、高牧の自然に感動して山蟻も感動して」、と、自然の環境の暗黙の働きかけを強調されます。
それは、作品中の言葉の置き方からみたときに、どういうときに、開放された「一人」の自己を自意識の表出として遷子は感じているのですか?
*「しづけさに」・・を「ゆえに」と解釈したところからくるのですか?
*「山蟻」(が)という本来人畜無害のはずの小動物が「噛みにけり」呂云うところからですか?
*ほかならぬ「われを」(他に人が居たかも知れません、しずかだなあ、なんて語りあっていたかも。)噛んだからでしょうか?
私は、じつは、この俳人の内面性の吐露の仕方に興味があります。この人は孤独をいいつつ、常に一人でいることはないように見えるのです。
彼のしづけさの自覚は、「山蟻が」自分を「噛む」この痛覚からきています。これが句作の動機だった、と思います。身体感覚(痛覚)が、周囲のしづけさに気づかせた・・反転してそのアクシデントによって自分の位置に気づいた・・それほど、周囲も静かで、本人も無心だった、と云うことでしょうけれど。「山蟻」も何も憤っているのではなく、そこに障害物があるので、習性として噛んだに過ぎません。その山蟻に攻撃性(磐井さんの言う「蟻の社会性」)を見たように書かれているのは、彼が一人の意識ではない、と言うことの証なのではないかと、おもうのです。
また、遷子は、吟行していたと言うことなので、「一人ゐて泉のほとり風つどふ」と言うときには、複数の同行者に対する意識がどこかに尾を曳いています。かえって強くはたらき、反動として強くひとりを意識するのではないでしょうか?
で、磐井さんが、「山蟻の社会性」というような言い方をしていられて、冗談にしろ、今回の遷子を読むコンセプトに触れています、この結論部は、すこし強引だと思います。
むしろ、この自他の書き方について、皆さんはどう意識されておられますか?
「山深く花野はありて人はゐず 遷子」という句が以前取り上げられました。「黒南風に嫌人癖の亢ずる日」も、そこに近い心境の句でしょう。
中西さんなども、いくぶんはその周辺に意識が及んでおられるようですが(「この句は、自分を詠っていながら、自己表現にストイックなようです」中西)。
こういう句にあっては、相馬遷子の人性と言うべきもののあらわれに私の興味がふと注がれます。
自己表現がストイック、登場人物のひとり、と言うのは、つまり、遷子の場合は自意識のみの表現ではなく、「自己と他」他者との関係の中で一人とか嫌人癖が生じることを、図らずもいい止めているように思えるのです。そうかんがえると、「山蟻」も、じつは、一人にさせてくれない他者の闖入と言うことになります。(ストイックというのは、その現れでしょう。)
私自身、あまり整理したいいかたではありませんことをお詫びしつつ、のいうえで。
自己、自然、他者、の関心の強度について、もうすこし突っ込んだご意見が窺えたら幸甚です。堀本 吟
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