2010年4月4日日曜日

遷子を読む(53)

遷子を読む(53


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


かく多き人の情に泣く師走

    『山河』所収

深谷遷子の最晩年、まさに亡くなる前の月の句です。「われにその価値ありや」との前書きがあります。「人の情」は具体的に言えば、直前の句「師恩友情妻子の情冬ふかむ」に言い表されている通りでしょう。作品としての評価を云々するのもどうかと思われるような句ですし、句集が通常の編集過程を経ていれば自選の段階で落としたかもしれないという気さえします。ですから、この研究会で採り上げるのは如何なものかという迷いも正直ありました。それでもこの句を採り上げたのは、一方でいかにも遷子らしい作品かもしれないという気がしたからです。

遷子はこの直前の作品「冬麗の微塵となりて去らんとす」を辞世としていますから、掲出句を含むその後の作品はいわば余禄のようなものだった筈です。「冬麗の」の句には毅然とした生き様を貫きたいという、いわば「死に際の美学」が感じられます。ですから、きちんと推敲を重ね、最終的に今の作品の形を得ました。この研究会の第1回目で採り上げた際に皆さんからも様々な意見が寄せられましたが、いずれもその毅然とした態度、いわば古武士のような趣を感じさせられるとの意見が多かったように思います。それに対して、掲出句にはそのような「格」を感じさせるものは毫もありません。今流行のツイッターのようだと言ったら怒られそうですが、正直に言えばそんな感想を持ちます。それでも、そのような作品だからこそ、逆に遷子という人間の「本音」が出ているのではないでしょうか。素直に「人の情に泣く」遷子がそこにいます。そして、その感受性、ヒューマニズムこそが遷子作品の根底に通奏低音のように流れ続けていた、句作のモチーフだったと考えます。結局、遷子という俳人はその人格が作品と同一化していた、あるいはその作品は遷子の人格そのものだったような気がします。

中西作者の名前があって初めて状況がわかるものと、無記名でもそれなりに状況がわかる句があります。遷子の最期の入院中の句は、作者の名前があった方が、より状況がはっきりしてその良さが明確になる句だと思います。

この句もなんの情報もないまま読みますと、季語が師走ですので、借金を助けてもらった人の句と勘違いされても仕方ないかなと思います。つくづく俳句は舌足らずなものだと思います。しかし、これが死を間近にした人の句と知りますと、「人の情に泣く」という謙虚な人間性が、違った色合いを持って来るように思われます。

そんな点では、深谷さんがおっしゃるように、つぶやきのような句です。一句独立という見方をしますと少々弱い句です。

しかし、ヒューマニズムこそが遷子作品のモチーフだったという深谷さんの考えには大いに共感します。最期に近づく程その色合いが濃くなるように思われます。

つまり、絶唱と言われる句には遷子の人間性が滲み出ていると思われます。「冬麗の微塵となりて去らんとす」も、遷子の精神性の高さ、すなはち人間性の良い面を見せているように思います。冬麗の句が晴れ句なら、掲出句は全身を震わせて泣いているような褻の句だと思います。

また、ここまで赤裸々に自分の気持ちを表現し得たところに、遷子という俳人格を見るようです。

深谷さんが言っておられるように、作品の価値だけを論じるのならこの句は省かれてしまうものかもしれません。けれど、「冬麗の微塵となりて去らんとす」「かく多き人の情に泣く師走」両句を対置することで、遷子の人間性の振幅が偏りなく視野に入ります。

遷子は自己を見据えることとに厳しい人だったと思いますが、一方で、友人や家族に対する情愛は深く、その情をモチーフとするとき、ほとんど手放しといえるほど素直な表現になっているようです。

最近では江国滋の『おい癌め』が話題になりましたが物を書く人は(俳人も含め)死を前にして今ある自分を何らかの形で残したいと考えるものです。闘病記や闘病俳句は物を考えられないほどの障害はなくて(つまり体は衰弱していても頭ははっきりしている状態で)まとまった時間はある、という状況に置かれた人があらためて自分と向き合うことから生まれるのでしょう。それは毅然とした姿勢であったり、周囲への気配りであったり、時には泣き言だったりする。遷子の最後の俳句は、これまで取り上げられた何句かを見るだけでもその両極端を揺れ動いています。

実際に死を前にして強気一方でいられる人間などいないでしょうから遷子は真に自分の心に正直だというべきです。深谷さんも書いておられる通り俳句としての出来からすれば句集にする時点で落とすようなものかもしれない。彼自身は恐らく日記のようなつもりでこれを書き留めたに違いありません。半ば自嘲気味に作ったとの見方もできますが(特に「冬麗の」で死への決意を表明した直後ですから)、ここは純粋にお見舞いに来てくれた人たちへの感謝の気持ちを表現したのだと見た方が彼らしいと思います。「このようにして今年は暮れて行くのだ」との独り言のようでもあり、人には見せなかったかもしれない。だからこそ私も深谷さん同様この句には遷子の「本音」が出ていると考えます。

筑紫古武士の風格のような遷子が時折見せる掲出の句のような調子は、作者のゆれとして分からなくはないのですが、いったん句集にまとめようと思ったときにどのような心境で選び残したか興味があります。ここで参考になるのが、矢島渚男氏の「相馬遷子最後の句帳」で昭和50926日から1126日の作品がそのまま掲げられ、◎○のしるしによって分類され、◎の句だけを句集収録するよう指示したといいます。

悔多き生涯なれど(いとし、愛し)草の花[926日]

ひとり覚めてひとりは淋し秋の夜半[109日]

わが古き句に涙出て秋の夜[1011日]

初冠雪の浅間見しのみ誕生日[1012日]

○たぐひなく浅間はやさし豆をひく[1016日]

○露霜の人の死はまだ堪ふるべし[1021日]

空澄みて思ふことみななつかしき[1027日]

昼晴れてゆふべ淋しき文化の日[113日]

雨冷えてなべてもの憂く一日過ぐ(ただ一日を生きしのみ)[115日]

入院を決めて安けし霜日和[1112日]

霜天のいま出づる月にただ祈る[1112日]

小春日や黄に染まりゆくわが肌[1113日]

○療病をわが過ちし冬薄[1117日]

冬薄われ療病を過ちし[1117日]

冬山を越えて師恩や薔薇揺るる[1126日]

句集収録句より遷子の生な思いが伺えます。「療病をわが過ちし冬薄」[1117日]と同想の句は、仲さんと散々議論したように、遷子自身はやはり自らの病気をわかっていなかったように思われます。そして、これらを散文にすれば、ふつうの闘病日記となるのかもしれません。

こうした中に

   堀口さん鯛、ぶり、えびなどを持参せる

◎小春日におろして美しき鯛の肉

◎友情の能登荒海の鰤ぞこれ

のような挨拶句を見ることができます。闘病のプロセスや心理は厳しくも排除した遷子ですが、このような挨拶句を排除することはありませんでした。その意味では闘病の徹底という美学を採用はしなかったのです。このあたりに我々と、遷子の世代の句集に対する意識の違いが浮かび上がってくるように思います。

掲出の句、私は共感はするものの、『山河』に必要であった句のようには思えません。龍太を超えるためにはもっと冷徹な目を見せてほしかったと思います。しかし、それは、俳句が家長の文学であったからなのでしょう。こうした意識は平成になってからすっかり消えうせてしまいました。しかし、こうしたことが分からなくて俳句の歴史が分かるというものでもありません。遷子句集に必要かどうかは別として、時代相をうかがうには必要かもしれません。

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