2010年3月28日日曜日

遷子を読む(52)

遷子を読む(52)

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


家を出て夜寒の医師となりゆくも
     『山国』所収


仲:自分を規定するのに「夜寒の医師」とは実に思い切った表現です。前田普羅の「夜長人耶蘇をけなして帰りけり」に登場する「夜長人」にも匹敵する造語(?)と思いました。「家を出て」とありますから恐らく往診にでも出かける時の句でしょう。普通の外出なら「夜寒の人」であって「医師」とする必然性がありませんから、この時の彼は医師として外へ出たのだと思います。

これまで遷子の晩年の句を多く鑑賞してきた目からすればやや甘さが感じられます。どこか自分を遠くから見ているような切迫感のなさ。俳句の諧謔の底には己れをとことん客観視して笑いのめす態度があると思っている私としては、そのこと自体は悪いことだとは思いません。ただ後の彼の句境を見てしまうとどこか物足りないのです。「なりゆくも」などと万葉調にしたのも、縦令馬酔木の流行だとしても物語の中に自分を置いて満足しているような「ポーズとしての医師」を感じないではいられません。

尤もこの時点の彼としては寒い秋の夜、往診に出かける自分の姿をうまく言いとめたと評価するべきかもしれません。特に「夜寒の医師」の措辞にはどこか淋しさと決意とが読み取れなくもありません。私個人としてはこういう俳句も遷子の句として好きです。しかし医師としての経験を重ね、自ら病を抱えるようになってから彼の俳句はより一層深みが増していきます。同じように往診する自分を詠んでも先に挙げた「凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ」のように凄絶な詠み振りになっていくのです。

中西:この句の万葉調は、馬酔木らしい調べとなっています。遷子の師秋桜子や、兄事していた波郷はこの同じ形でどんなものを作っていたのかと調べてみますと、

アカシヤ咲けり高原の風袖吹くも 水原秋桜子『残鐘』昭和27年刊

秋の風母子相打ちあそべるも   石田波郷 『雨覆』昭和23年刊    

春疾風屍は敢て出でゆくも    石田波郷 『惜命』昭和25年刊   

という句が出てきました。朝日文庫「水原秋桜子集」では『残鐘』に1句ですが、波郷は富士見書房の波郷全集の『雨覆』に2句、『惜命』に10句とこの形で好んで作っています。遷子は『山国』に7句あり、いずれも昭和21年頃から昭和31年あたりまでに作られたものです。掲出句も昭和28年作ですから、馬酔木でこの形が一時流行ったと考えられます。この詠い方は馬酔木という結社の中で流行したのでないでしょうか。

「家を出て」という上五に注目しました。診療が終って自宅に戻り寛いでいたものを、往診に呼び出されたのだろうと思います。家庭人の顔から、また医師の顔になるという、どこか意識的に顔を使い分けていた、つまりは緩めた気持ちをまた引き締めていく、職業に対する自負のようなものを感じたのですが、仲さんはそこに甘さを見ていらっしゃるようです。「ポーズとしての医師」を見るようだと手厳しいご指摘ですが、

 昼寝覚祭りの音となりゆくも  

 農婦病むまはり夏蚕が桑はむも

というように、この詠い方は対象から少し距離をもって詠む方法なのではないかと思われます。そこら辺の詰めの甘さが気にならないこともありませんが、自転車を漕いでいくうちにだんだん気持ちの整理がされ、自分を客観視していると、受け取ることもできるように思いますが。  

原:「ポーズとしての医師」といってしまうと、遷子に少々気の毒かもしれません。一句の語調からは、日々のなりわいとして医業を果たしている医師の姿を思います。夜の往診も日常のことだったのでしょうね。

仲さんの言われる「切迫感のなさ」は、まさにこのときの状況がそういうものだったのでしょう。患者の状態も、急を聞いて駆けつけるような差し迫ったものではなかったとすれば、往診の道すがら、ふとこのような感慨が兆すこともあっただろうという気がしました。

とはいえ、どこか客観的な印象が拭えないのは、「なりゆくも」の「も」の詠嘆語法によるのだと思われます。このような言葉の使用は現在の私たちにとって実感から離れています。遷子句の頃でさえ、一般的には既にそうだったでしょう。時代や場によって、言葉が抱える印象は大きく異なるということをも考えさせられる作品でした。

前回磐井さんが<付言>で述べていらしたことに粛然としました。世代論は無意味と思っていましたが、自己表現の核となる部分で時代的な変質が生じているようです。

この「遷子を読む」で言われてきた「志」という言葉は、どこか大時代な印象で受け取られかねないという懸念を持っていたのですが、「遷子の大事に思った「志」は、たぶん主題の背景にある、主題が選ばれる主体的な必然性のようなものに当たる」と明確に言って頂いて有難かったです。この勉強会(?)の中心部分が改めてはっきり見えるような気がしました。深谷さんの提言にある「芸」と「志」の対置にも目を離さずにいたいと思っています。

深谷:昭和28年の作。馬酔木の万葉調を踏まえた、あるいは誤解を怖れずに言えばそうした表現形式に依存したような趣のある作品だと思います。万葉調の中でも、句の終尾を「も」で止めるスタイルを気に入ったのか、遷子は同じ句集の少し前にも「送らるる山羊に白樺の花散るも」「農婦病むまはり夏蠶が桑はむも」などの作品を収めています。どちらも同じ年の作品です。こうした万葉調は、作品にある種の「格の高さ」めいたもの、あるいは「らしさ」を与えてくれますが、一方でそれに依存した分だけ何処かしら甘さを残してしまう危険性があるような気がします。掲出句に関する仲さんの指摘も同様の問題点を踏まえたものだと思います。

そして、まもなく遷子の脱皮が始まります。句の対象やその内容が社会性を帯びたもの、厳しいものに変遷していくのにつれて、こうした万葉調も影を潜めてきます。秋桜子が理想とした「美しい構図」を表すのに万葉調という表現スタイルは適していたのかも知れませんが、後に遷子が採り上げたような厳しい現実を前に己の抜き差しならない憤怒あるいは哀しみを詠む場合万葉調ではやはり間延びした感が否めず、表現形式として相応しくないと判断したのではないでしょうか。遷子という作家が幾度か作風の変遷を遂げるに際し、その内容と表現に関する興味ある関連性を示してくれた作品のように思われます。

筑紫:遷子の往診の俳句と思われるものには次のような句があります。

星たちの深夜のうたげ道凍り
汗の往診幾千なさば業果てむ
ちかぢかと命を燃やす寒の星
自転車に夜の雪冒す誰がため        
往診の夜となり戻る野火の中
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ 
   

「星たち」については(26)で、「汗の往診」は(11)で取り上げました。「凍る夜」は仲さんが触れているように(42)で取り上げられています。甘いという意味では最後の句以外、みな馬酔木調の甘さを持っているようです。しかしそれは、当時にあっては、馬酔木そのものも甘く(「愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子」「しづかなり受験待つ子らの咀嚼音 能村登四郎」など甘いですね)、俳壇全体がこの種のテーマに甘く、日本全体が甘かったのかもしれません。「ポーズとしての医師」は言いえて妙で、ポーズとしての父親とか、ポーズとしての燈台守が素材となっていたような気もします。角川書店の「俳句」が創刊したばかりの頃、新しいキャンペーンとして、職場俳句を大いに喧伝したことがありました。社会性俳句などに比べると成功しなかったようで、その後にどうという影響を与えませんでした。しかし、当時のジャーナリズムとして一度はこうした特集を企画してみようと思った動機は十分共感できます。例えばこの句は、医師を教師に置き換えてみれば、容易に次のような句になると思われます。

 穂絮とび教師としての我いつまで 能村登四郎『咀嚼音』
 燃ゆるなき身を置く卒業写真の中
 教師は我一代かぎり露走れ
 東をどりに家庭教師として招ばれ

この頃の句を見ると不思議な気がします。ある時代を感じられても、それぞれの作家の成長過程の一段面としてしか見えないからです。平成の時代にこれらの句が再評価されるとはとても思えません。しかしこの時代にはこうした俳句を必死になって詠んでいたのが、この時代でした。

こうした相対論から私たちの俳句を反省すると、私たちが時代の好尚にあわせて必死になってうまい俳句を作っていることも、30年後には誰も理解できない俳句となっている可能性だってあるのです。不易流行といいますが、不易は時代の子である我々には本当は見えず、永遠に流行を追い求めているのではないでしょうか。

遷子の掲出の句に戻ってみると、遷子の場合は、晩年も医師の目で眺めた俳句を詠み、ついには自分自身を医師として観察をせざるを得なくなります。「ポーズとしての医師」かもしれませんが、「ポーズとしての医師」からだって終生の俳句は位置づけられます。仲さんが言われている通り「なりゆくも」の万葉調は馬酔木の流行かもしれませんが、「家を出て夜寒の医師とな」るは、散文的ではありますが、存在感のある言葉です。疎外された語感が、終生の医師としての俳句につながるように思われます。この句を読んだ当時そう思っていたかどうかは分かりませんが、こうした句を積み重ねていって、ある覚悟を作り出したのではないでしょうか。

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