2010年3月27日土曜日

『超新撰21』を告げる

『超新撰21』を告げる
40代作家を中心に21世紀を見据える


                       ・・・筑紫磐井

昨年末刊行した『新撰21』(邑書林)は予想外の好評を得た。インターネットで話題になるのみならず、雑誌、新聞でも多くの紙面を割いて好意的に紹介された。今回の企画の質そのものにはいろいろ意見もあるが、こうした若い世代を取り上げるという企画には、ここしばらく俳句界が熱心でなかったという実感がもたれ、この企画にも共感が寄せられたようである。

40歳以下を対象にした『新撰21』は確かに生年月日の40歳で切ってしまっているという点で暴力的であった。21世紀への期待という意味では、『新撰21』で取り上げた作家とほとんど評価が変わらないにもかかわらず、機械的に誕生日ではずされてしまった人もいる。『新撰21』編纂中にもそうした反省はいろいろ出された。

『新撰21』が好評のうちに重版となったこと、次の新『新撰21』を企画しても共感が得られそうだという確信がもたれたことから、今回、『超新撰21』として新しいコンセプトで21世紀への期待作家を特集しようというものである。

参加者は、50歳以下とした。おのずと、40歳以下を対象にした『新撰21』と性格を異にしている。もちろん、

①『新撰21』からもれた40代前半作家がひとつの層をなしている。

一方、

②『新撰21』が取り上げた30代作家も含めようと思う。

『新撰21』が特に20代作家を出来る限り取り上げるようにしたために30代作家は若干人数的な圧迫を受けている。『新撰21』に入るべきで、しかし取り上げられなかった(その際の基準は優劣というより、多様性という基準で判断したと私は思っている)30代作家も『超新撰21』に入る資格があると思っている。そして、

③50歳以下、かつ2000年以前に句集も受賞もないという限定をつけたとたんに登場する40代後半作家がいる。

彼らは40代前半作家と違って、いまさら新人というのはためらわれる確固たる自己世界を作っている作家である。しかし、新星のように現れたから、我々が用意した形式的要件には合致してしまう。私などは、むしろ他の『超新撰21』の作家、『新撰21』の作家の目標として登場してもいいのではないかと思っている。20年前の新人登場の時代の岸本尚毅の役割(20年間にわたって新人の象徴のように「常に最年少」として登場してきた)をこれらの世代は果たせるのではないかと思っている。いま、「―俳句空間―豈weekly」では藤田哲史、外山一機両氏が〈「セレクション俳人」を読む〉を連載しているが、この「セレクション俳人」の第2期に上がってきておかしくない作家たちであるといえよう。

また、今回の特色は、僅かながらも公募枠を設けたことだ。この参考にしたのは、中井英夫・塚本邦雄・大岡信が編集した三一書房の『現代短歌大系』(昭和48年刊)という全12巻のセレクション全集が行った新人賞公募である。3人の編集者が選考した新人賞は、石井辰彦、長岡裕一郎らが受賞したが、歌壇の大御所にこれら新人が並んで登場したことに短歌界は大きな衝撃を受けた。例えば次席の長岡裕一郎は東京芸術大学受験のため浪人していた短歌制作の経験のない18歳の若者であった(無事芸大合格)。〈ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち〉。やがて、これをヒントに、「俳句研究」編集長の高柳重信は五十句競作という新人発掘の企画を始め、多くの新人を世に送り出した。攝津幸彦もその一人である。今回の企画はいうなれば、1回限りの百句競作といえようか。応募条件は50歳以下としたが、広く10代、20代の応募も期待しているところである。

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『超新撰21』の名称は、「週刊俳句」のさいばら天気氏の冗談のような名づけ(ウラハイ=裏「週刊俳句」2009年12月31日号  〈週刊俳句2010年回顧〉 「十二月/昨年の『新撰21』に続く「00年代の新人たち」シリーズ第2弾『超・新撰21』刊行に合わせた企画が目白押し」)を契機としている。21の勅撰和歌集は、大半を、後撰(後)、拾遺、新、続をつけて命名している。現代的な命名として「超」を採用したものだが、意外にその志は述べ得ていると思う。編者の一人としてはこんなつもりでいるが、ほかの編者はどのように考えているであろうか。『超新撰21』が出るまでのしばらくは、いろいろな批判や憶測もあると思われるのでこんな感想を告げておくこととしたい。

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