2010年4月18日日曜日

遷子を読む(55)

遷子を読む(55)


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

障子貼るかたへ瀕死の癌患者
     『雪嶺』所収

仲:「かたへ」は古い言葉で、古今和歌集にも有名な〈夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風や吹くらむ〉があり「(一方では)…もう片方では…」という意味。しかし最近ではあまり使われないようです。往診の場面でしょうか、患家の家族が障子貼りをして冬に備えている、その傍に瀕死の癌患者がいて自分が診察している、と言うのです。

当時の遷子は後に自分が癌を病むとは思いもよりますまい。この句は昭和40年の作なので彼はまだ57歳。昭和31年に始まる第2句集『雪嶺』には医師としての所謂職業俳句が数多く収められています。

夕蝉や黙して対ふ癌患者
病む人に銀河を残し山を去る
水洟や手遅れ患者叱しつつ
癌患者訪ふ汗をもて身を鎧ひ
われを呼ぶ患者寒夜の山中に
死病診るや連翹の黄に励まされ
病者とわれ悩みを異にして暑し

どの句も感情に溺れず至って冷静、同情はもちろんあらゆる感情を押し殺しているような詠み振りです。しかしよく読むと医師としての彼が患者を見る目は暖かいものだったようです。「銀河を残し」には後ろ髪引かれる思いが隠れていますし、手遅れの患者を叱るのも患者に良かれとの気持ちがあるからでしょう。

それでいながら敢えて冷徹な表現にしたのは彼のストイックな考え方に起因するのではないでしょうか。ただその場合何について感情を交えないようにしているのでしょう。「医師と患者とは感情を排した関係であるべき」ということでしょうか、「俳句表現からは感情を排するべき」ということでしょうか、私は両方ともありそうだと思います。つまり彼は医療行為においても作句現場においてもストイックだったのではなかろうかと思うのですが。

掲出句にはとりわけその傾向が強く表れているようです。癌患者の往診風景と障子貼りという極めて日常的な風景とを対比させているだけ。障子を貼る人も、患者を診察する自分も、当の癌患者すらもどういう思いでいるのか一切書かれていません。それを窺わせるヒントすらありません。これからまたあの厳しい冬がやってくる、この患者(恐らく末期癌でしょう)は果たして冬を乗り越えることができるのでしょうか。すべてを読者の鑑賞に委ね、実に不親切な、つまり俳句としては奥行きのある作り方です。

中西:木の葉髪痩身いづくまで痩する 昭和37年作

遷子は蒲柳の性質だったとミステリーツアーの時、遷子の弟さんの奥さんからお聞きしました。医者でありながら、患者に近い位置に居たのではないでしょうか。体の不調、晴々としない気持ちを抱えての診療や往診だったのではないでしょうか。

患者の痛みや苦痛は程度の差こそあれ、胃の不快感が去らない遷子には、身を持ってわかる、同情すべき事情だったと思われます。それだからこそ、重患の句はなおさらストイックに描いたのではないでしょうか。

この頃、遷子は淡々と職務を実行しています。『雪嶺』は遷子の開業医としての仕事の充実を描いている句集です。感情を殺し、淡々と見えるのは、遷子の体力を考えますと、無駄な力を掛けないやり方が見えてくるようです。一緒に医院をやっていた外科の弟さんはスポーツマンで、健康でしたから二人は、実際は遷子一人が悪戦苦闘しているわけではなく、弟さんとの協力体制の中での診療活動だったはずです。

掲出句の、一軒の家の中で、病人への遠慮もなく、日々の生活が営まれている描写は、一種当時の日本の貧しさを描いているようでもあります。病人のために静かな部屋を与えられない家の狭さがあります。医師が来ていても手を休めることができない人手のなさ、仕事の多さが伝わります。

遷子は「俳句表現から感情を排すべき」と考えていたのではないかいう寒蝉さんのご意見は、確かに一面を突いていると思います。この頃診療の句になりますと、途端に陰(マイナス)の方向に描いてしまう遷子です。

わが心わが身新緑の山に入る
田を植ゑてわが佐久郡水ゆたか


同じ時期、診療の句でなければこのような瑞々しい句もあるわけですから、すべての俳句表現から感情を排したのではなく、診療の句で、患者への情を極力抑えて詠んでいたということではないでしょうか。この詠み方は『雪嶺』の中で顕著のようです。

原:命旦夕に迫っている一人の家族の傍らで、日常の作業は滞りなく行われているのです。「日常」というものの怖さを思うのはこういう時です。

もう一歩、立ち入った鑑賞をしますと、この障子貼り、普段の破れ障子を貼り替えて、葬式に備えているとも読めてきてしまうのです。人々の出入りに際して、せめて障子くらいはこざっぱりと、という生活感覚です。この家族が冷たいわけではありません。常の暮らしとはこういうものなのでしょう。

深谷:仲さん同様、遷子の作品には「患者との距離」を意図的に取ろうとしたものが多く見受けられます。そして、その距離の取り方には二つのありようがあって、一方は患者と自身との関係を採り上げたもの、もう一方は淡々と無機質な詠み振りに徹したものとがあるように思えます。前者には仲さんも挙げられた〈病者とわれ悩みを異にして暑し〉(『雪嶺』)や〈風邪患者金を払へば即他人〉(同前)などが、そして後者には掲出句や第10回で採り上げた〈農婦病むまはり夏蠶が桑はむも〉(『山国』)などが挙げられると思います。後者の二句は、どちらも自宅の病床に伏せる患者とその周囲の状況を二物衝撃させた点で共通しています。

いずれにせよ、患者に寄せる遷子の眼差しには暖かいものがあります。しかし、その気持ちをそのまま句にすれば、甘さの残る、独り善がりの作品になっていた危険性は大いに存在したと思います。ですから遷子自身もそのことを認識して、あえてそのような態度を採り続けたのではないでしょうか。その意味で仲さんが提起された問題について、先ず「俳句表現からは感情を排するべき」と遷子が考えたという点には賛同致します。また、門外漢ではありますが「医師と患者とは感情を排した関係であるべき」という点についても、そのような態度を執ることが患者の為に正しい診断を行う基礎であると遷子は考えていたような気がします。人の生死に直接関わる、医師という職業の責務の重さがそうさせたのだと思います。

なお掲出句の表現に関しては、「かたへ」という日常生活では用いない古語が、死に直面する患者の切迫した状況と(患者の死後の弔問や葬儀に備えなければならない)周囲の日常生活との二物衝撃を効果的なものにしており、巧みな句だと思います。

筑紫:重い句ですね。そしてこの句は、叙述から見ても、まず障子を貼ることに主眼があり、それに瀕死の患者が配されているようです。ヒューマンではないという感想もあるかも知れませんが、俳句そのものが非情であることは虚子によって示されています。遷子も俳句の原則に忠実だったわけです。

こういう句における季語を考えると、聊か複雑になります。基本的には「障子貼る」は季題趣味から生まれた季語です。しかし読まれた環境は季題趣味の世界とはとてもいえません。なぜ遷子が「障子貼る」と言う季語を選んだのか。原さんが言っているように、濃密な季題趣味を持っているからこそ、対比される瀕死の患者が浮かび上がってくると言うことかも知れません。戦争の傍らで伝統的なのどかな行事が行われていたり、熾烈なビジネスの死闘の脇で平和な花が咲いたり、俳句の表現の本質にはそうしたものがあるのではないでしょうか。

おそらく、遷子のこの種の句こそ、他のどのような句より遷子の独創を発揮している句でしょうし、戦前の馬酔木俳句、戦後の高原俳句、馬酔木同人会長としての誠実さ、故郷佐久への思いや身内に対する情愛の濃さは忘れられても惜しくはありません。誰か遷子に代替する作家はいるはずですから。しかし、必ずしも巧みとはいえないこの種の、貧しい佐久地方で奮闘した医師としての訥々とした句は遷子だけのものです。私はむしろこれだけが残った方がよほど遷子の価値がくっきりするような気がしてなりません、暴論ですが。いずれ、この研究をまとめるときにそうした考え方をもう少しご披露したいと思います。

--------------------------------------------------

■関連記事

はじめに・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔1〕 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔2〕 冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔3〕 銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔4〕 春の町他郷のごとしわが病めば・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔5〕 くろぐろと雪片ひと日空埋む・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔6〕 筒鳥に涙あふれて失語症・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 読む

遷子を読む〔7〕 昼の虫しづかに雲の動きをり/晩霜におびえて星の瞬けり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔8〕 寒うらら税を納めて何残りし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔9〕 戻り来しわが家も黴のにほふなり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔10〕 農婦病むまはり夏蠶が桑はむも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔11〕 汗の往診幾千なさば業果てむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔12〕 雛の眼のいづこを見つつ流さるる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む

遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔48〕高空の無より生れて春の雲・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔49〕隙間風殺さぬのみの老婆あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔52〕家を出て夜寒の医師となりゆくも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔53〕かく多き人の情に泣く師走・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔54〕忽ちに雑言飛ぶや冷奴 ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。

0 件のコメント: