2010年5月16日日曜日

閑中俳句日記(33) 志賀康句集

閑中俳句日記(33)
志賀康句集『返照詩韻』


                       ・・・関 悦史

『返照詩韻』は平成20年に出た志賀康の第2句集。安井浩司の重厚長大な序文に曰く《神話とは、全き現在のごときに外ならないという概念の意味において、志賀俳句の場合は、現在が全き神話に外ならないという逆意味の、きわめて垂直的(※原文「垂直的」に傍点)な意志を強くする。》

安井浩司とはまた別の仕方でだが、志賀康も俳句において神話を、つまり独自の世界律を持つ一世界を作ろうとしている。

神は己の姿に似せて人を作ったというギリシア神話などに見られる考え方を神人同形説(アントロポモルフィスム)という。志賀康の場合は「神は己の姿に似せて草を作った」という、いわば神草同形説といったものを妄想させるくらいに草木の存在感が際立っているのだが、この世界はそうしたアニミズム的な共感によってファンタジーまがいの成り立ちを示すといったものではないし、《トーテムを持たざる里の古厠》のトーテミズム排除に見られるように動植物と信仰とを既成の回路で人類学的に繋ごうとするわけでもない。まして神人同形説の「人」の代わりに「草」を代入すれば一応の見通しがつくといったシンプルなものでも全くない。

句作を通じて別の世界を構築し続けなければ己がまず存続し得ないといった切迫感をときに持つ安井浩司と違い、一見目立たない、よりクールな、観察者風な形でなのだが志賀康の場合にも自己が、世界の新たな構造化に直接関わっている。いや、関わっているというより動因となっている。

それを端的にあらわすのが「見る」の頻出である。

この萩の見える限りを色(しき)として
浜風や動体視力は問われずも
長雨の平野に既遂の茄子を見て
浜防風矢場に鳶を見切つたり
見歩きし夏草見ざりし草の中
実南天に夭き晩年看る母よ
夜の器夜の眼に順わず
初猟
(かり)の廃典見たり蟲柱
あとの月も見れば稔りの野のへりに
夕暮れの愛染水はまだ見えて
霧産みの蝦夷たんぽぽを瞠視して

「見る」は写生俳句においては省略されることが多いが、ここでは単にその世界に己を割り込ませるために置かれているわけではない。世界からの阻隔や孤立の情とは無縁の地平で、「見る」ことが、世界の構造化の動力源となっているのだ。《この萩の見える限りを色(しき)として》の句は、「見る」ことがそのまま世界構築に直結するさまを、宣言のように言いとめている。断るまでもあるまいが、これは通常の見立てや、出来合いの世界観の投影とは異なる。

ここにおいて句集の表題『返照詩韻』の位相が明らかになる。「遍照」ではないことに注意されたい。世界はあらかじめ神仏の光に照らし出されているわけではないのだ。どこからかの光を受けて世界の側がはね返した光、そのバイブレーション(韻)が詩を成すという、詩と世界の構成原理がそのまま端的に表題にされているわけである。

その原初の光を発するものこそが自己であり、志賀康の世界は全てが自己から発出する形で関係づけられ、組織だてられているのだ(ちなみに「返照」には単なる照り返しのほかに、仏教用語で「真実の自己に照らして内省すること」の意味もある)。

一見冷淡な観察に徹しているような文体の印象が、却って強固な意と情の潜在を明らかにしていく機微は、ロブ=グリエのヌーヴォーロマンにも通じるものがある。《浜風や動体視力は問われずも》の「動体視力」を排したスタティックさへの固着の要素が加わればなおさらだ。それで世界が立ち上がってきた結果として《ひるがおが老い母を見に背戸にまで》と植物側から老母が見返されることになったりもするのだが、これも「返照」の成り行きの一つだろう。

《夜の器夜の眼に順わず》の、視線が物体を生じさせ、しかし物体がそれに抗っていく湧出感と存在感抵抗が夜闇の中に言葉でもって立ち上がらせられていくあたりからは吉岡実を連想させられる。この句のすぐ前には《抜かれたる蕪が驚く妹の脛》という句が置かれているのだが、この「蕪」と「驚く」女性のモチーフからは、傑作と安易に呼ぶことすらも憚られる吉岡実の自由詩「僧侶」の一節を想起しないわけにはいくまい。

《四人の僧侶/畑で種子を播く/中の一人が誤って/子供の臀に蕪を供える/驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた》

《長雨の平野に既遂の茄子を見て》
は「長雨/眺め」の掛詞がスムースに「見て」を引き出し、「茄子/為す」の同音が「既遂」を引き出すという音韻上の技巧に裏打ちされた句だが、《吹かれつつ柳は発(ほつ)と極を吐き》などと合わせてみると、動植物が示す謎めいた高揚がこの世界を立ち上がらせる柱となっていることが見て取れる。

掲出句以外にも例えば《うつぼかずら原始津波のありきとや》は「うつぼかずら」がじかに原始の大異変の証人の如く現れているし、《青天に気づいて鯉の大と小》は、天と地が知覚において分離=発見された途端、同時に鯉たち自身も天地から分離されて存在を始めたという、世界創生の瞬間を鯉たちだけをサンプルに追試してみせたような句である(ついでにいえば、保坂和志の『小説、世界の奏でる音楽』には、大津栄一郎著『古事記 上つ巻』がアメノミナカヌシの神の発生を読み直した件りが驚きをもって引かれている。アメノミナカヌシとは「空のまん中の大人(うし)」のことであり、それは即ち「頭上の、なにもない、広がりは、空である」という空の観念が発生したという事件をあらわしているというのだ)。

北浦はつぶての自同の語られて
七日山背は七人無為
(ぶい)をもて受くる

鯉たちが単なる同質のものの大小として呼び出されたのに限らず、質料への還元の動きはこのあたりの句にも見られる。

山背を受ける無為の七人は「七日」に見合った等量の身体として自然に対置させられている。

ポーランドの現代女性彫刻家マグダレーナ・アバカノヴィッチは石膏と布製の、頭部の欠けた人体像を大量に設置したインスタレーションを作る。収容所や大量虐殺の不吉なイメージが漂い、不気味な圧迫感を覚えることも少なくないが、この七人もそれに似て、顔を持っていそうな印象がない。あっても意味がない。個性の剥ぎ取られた質量がここでは重要なのだ。人体も自然物の一つであり、その限りにおいて世界の励起に関わる資格を得るのである。

自然物同士がテンションを高めあい、硬質な緊張を得た句は幾つもある。

落花生の力学秋嶺を鍛えおる
豆莢は他生も旗幟鮮明ならん
火鑽杵
(ひきりぎね)藪に抛らば高鳴らん
とび虫も高く跳ねれば飛翔すや
地震がきて対生地帯を励起せり
(にこ)草の野と交わりて洽しや
強く呼ばえば野蒜も人の霊
(たま)ならん
地吹雪来る萬の種を捲き上げて

《地震がきて対生地帯を励起せり》の「対生」は植物の葉のつき方で、左右向かい合って1枚ずつ対に伸びるつき方を指す。他に互生、束生、輪生などのつき方があるが、鯉の大と小と同じく、ここでも一対のものに励起の対象が絞られているのは、実験の際に、結果を乱す不純な条件を極力排除せんとする志向にも通じるようだ。

読み進めると「七人無為」の物理的質量に還元された人体以外にも、人と自然(志賀的自然)との関わりを捉えた句が出始める。

少女かがみて波音を酸模に編入し
懐に芽をふく芋や厭離遺領
ハナムグリと遠く行き交い目礼す
産屋から生いでる紫蘇は已みがたし
竹林の隠し医術へ練りゆかん
芹とねて一山一穢を体したり
山噴いて名で我を呼ぶ今朝の妻
知命とや声を山井に籠め戻す

《懐に芽をふく芋や厭離遺領》で先行者によって所有され、構造化されおおせてしまった領域を離れるのに《芽をふく芋》の志賀的自然の励起を恃むのはいわば当然のこととして、「ハナムグリ」との目礼が面白い。ハナムグリは花の受粉に深く関わる甲虫であり、ここでは志賀的主体と対等の神の如きものとして行き交っているわけである。

《芹とねて一山一穢を体したり》は迫力がある。専ら「見る」ことによって世界を立ち上がらせ、その励起を使嗾してきた志賀的主体がついに「芹=山」とねてしまい、その穢れを身に帯びるところまで踏み出したことによる風格である。ほとんど王権の誕生を語る叙事詩のようだ。風格はあるが、一方至ってクールでもあり、己の身体も「七人無為」と同じく単なる質量としての身体と見なしているところもある。だから《知命とや声を山井に籠め戻す》と加齢を意識するとごく淡々とその生命性(声)を自然に返してしまうのだがその際に「籠め戻す」の物理的抵抗感が伴うのがこの世界の特徴であろうか。この手応えは、通常の老いや人生への嘆かいの情念とは全く異質である。

「塗師七句」という連作も、人と志賀的自然との関わりにおいて読むことが出来る。

塗師(漆芸家)とは漆を取るという形で職業的に自然、それも迂闊に触れればかぶれる攻撃性の強い、励起された自然に相渉らなければならない存在だからだ。

暁の塗師怪しめり家伝史書
塗師若し翅透く虫を肯わず
遠き手踊り目の利く鳥は塗師と居て
塗師二人泉の粒立ち評しおり
塗師の子は黥面胡桃をさがし行け
秋深し一葉も散らぬ塗師の家
音曲や塗師のかたちの失せどころ


自然から何かを得るにしても食うこと、生存に直結する稲作農家や狩猟民などではなく、工芸に携わる者であるというところが独自の微妙な陰影を呼び込む。

「家伝史書」を怪しんで、歴史的由来を揺るがされ、アイデンティティを危うくされた塗師は「翅透く虫を肯わず」「泉の粒立ち評しおり」「一葉も散らぬ」と事ごとに自然との阻隔をあらわにする。「目の利く鳥」には見えるのであろう「遠き手踊り」の励起も塗師には届いていまい。消え去るときも「声を山井に」戻した志賀的主体とは別に、その工芸性のゆえにか「音曲」へと消えていくのだ。

先に出た「北浦」の「つぶての自同」の如く『返照詩韻』の世界では自同律が重要であり、自然同士、あるいは人と自然がいかに励起しあって世界を構造化させても、その中で互いが食い、食われ、変容し、流転するといった契機はほぼ見られない。山井に埋め戻した声を個体に返せばただちにまた何事もなかったかのように志賀的主体が蘇生しかねない強固な同一性に支配されているのであって、そうした中でアイデンティティを失った職業的自然搾取者――しかも彼らは自然を励起する機会を持っていない――がいかに志賀的世界とすれ違いを演じ、消え去ったか、それを現した一場の舞踏的脇すじのようにも、この7句は思える。

先述の通り、この世界は志賀的主体が「見る」ことで構造化されるというのが基本である。

従って以下ような時間を遡行し、あるいは未来へ飛ぶ句が頻出しても怪しむには及ばない。原点は飽くまで自己であり、過去未来といえども見られ、呼び出されることによって初めて構造化されるという点において全て現在だからである。集中、世界発生の寓意のような佳吟《雪原に象(しよう)一切の鷹ひらけ》にも静止感が濃いが、言い換えればこの世界では時間は流れないのだ。

手拍子の一瞬前へ入りにし卜(ぼく)
瓜の花人語は先に立たざるを
失せもので歳月をまた區切るなり
青山脈や育て返さんわが二歳
森乙女後生
(のちあらわれ)の木に消えて
明日は野に遊ぶ母から鼠落つ
木守柿万古へ有機明かりなれ

初見の際ことに奇異だったのは、これもこの句集の代表句のひとつであろう《木守柿万古へ有機明かりなれ》である。

「万古より」ではなく「万古へ」なのだ。これは時間の逆流や遡行といったことを意味するわけではない。志賀的主体が「木守柿」を見、それによって「木守柿」とは「万古」を励起すべき役割・機能を負ったものとする詩的に組織づけたということなのである。

句集の後半には《渤海へつづく卯浪に荒稲(あらしね)を》《羆かむりて迎えん大破の丸木舟》《壺に刻まん悲しく唄う紋様を》《古老(ふるおきな)杉の真直ぐを忌み給う》といった、神話的な不動の時間の領域から、歴史的に進行する時間の領域へと跨り、踏み出しかけているかに見える古事記的雰囲気の濃厚な句たちも現れる。

しかしこれらの句も、「木守柿」の句と同じく、見かけのみの「時間遡行」句のヴァリエーションなのではないか。志賀的主体の無時間性=自同性がこの世界成立の基点にあり、これらはそこからの遠い「照り返し」の成果なのだと思われる。

次の一句は句集の冒頭に置かれたものだが、この「学び飽かない地神」とは、見ることによって世界を、過去を、未来を構造立て続けていく不動の志賀的主体以外の一体何だというのか。

蝶の春地神は学び飽かざらん

--------------------------------------------------

■関連記事

彼方のジパング 志賀康句集『返照詩韻』を読む・・・高山れおな   →読む


0 件のコメント: