2008年10月11日土曜日

彼方のジパング志賀康句集『返照詩韻』を読む・・・高山れおな

彼方のジパング

志賀康句集『返照詩韻』を読む

                       ・・・高山れおな

結局、時間不足で果たせなかったのだが、ほんとうは前号で、高橋修宏の句集『蜜楼』と併せて志賀康の『返照詩韻』(九月九日刊 風蓮舎)を読むつもりだった。共に第一句集からの著しい進境を見せる第二句集であり、ほぼ制作の期間を同じうしているといったジャーナリスティックな意味での食い合わせの良さに加えて、文化の古層への志向において相似たところを持ちつつ、言葉のテイストについては対照的な面もある、そのように考えてのことだった。

しかし、話をややこしくしかねない、そんな試みは早や思い切るとして、第一句集『山中季』(二〇〇四年 風蓮舎)の「あとがき」に志賀は、〈わが俳句と幡を樹てるにはほど遠いが、ようやく愛着の持てる作品がたまってきた。〉と記している。十四年分で百八十句だからいかに寡作としても厳しい態度のうかがえる記述であったが、『返照詩韻』は四年で二百十句。自作にあてるものさしが変わったわけではなく、好調ゆえの結果であることはこれから見てゆく作品自体があかし立てることだろう。

『返照詩韻』には、「垂直言語の俳句――『返照詩韻』考――」と題しての序文が、安井浩司から寄せられている。これは原稿用紙にして二十枚を超える異様に熱のこもった大文章で、評論集『不失考』(二〇〇四年 風蓮舎)で長尺の安井論をものし、『安井浩司選句集』(二月二十九日刊 邑書林)にも行き届いた解説を付している志賀に対する返礼の要素も無いわけでないにせよ、到底それにとどまらぬ安井としての志賀作品に対する感銘に裏打ちされているのはたしかだ。もっとも、自記と他記とを問わず、なまじすぐれた序文や後記というのは、これから作品について何事かを述べようとしている人間にとっては厄介な代物でもあって、評者などもこの安井の序文の圧倒的な出来栄えにすでに半ば意気阻喪してもいるのだ。

「垂直言語の俳句」とは何かと、いきなり安井浩司の術中にはまりながら始めるとして、安井が志賀の句から瞠目しつつ選び取っているのは次のような句々である。

蝶の春地神は学び飽かざらん
白南風や泉は膚を立直る
  ⇒「膚」に「はだえ」とルビ
瓜の花人語は先に立たざるを
懐に芽をふく芋や厭離遺領
七日山背は七人無為をもて受くる
  ⇒「無為」に「ぶい」とルビ
木守柿万古へ有機明かりなれ
渤海へつづく卯浪に荒稲を
  ⇒「荒稲」に「あらしね」とルビ
青山脈や育て返さんわが二歳
芹と寝て一山一穢を体したり


なるほど秀逸とするに異存のないこれらの句の特徴として、どのような点が挙げられるだろうか。まず、これらの句は、後期安井の俳句世界とあからさまな類縁性を持っている。後期安井世界は、それ自体の中に、あらゆる自然現象、おびただしい種類の植物、清い動物、清くない動物、鳥、地を這うもの、それぞれの家畜、水の生き物、神々、家譜、儀礼、音楽、老農の智恵、聖人、演劇、俳諧師、簿記法、冶金術、王立小学校にいたるまでを完備し、かつ独自の「物理学(フィジカ)」によって干渉し合う、それ自体で完結した「世界模型」(正岡豊)として設計されているのであるが、もとより志賀の俳句にはそれ程の豊穣は今のところ見られない。志賀の俳句が実現し得ているのは、豊穣というよりは豊穣への渇仰であり、その性急さが、漢語を多用し造語をためらわない、安井さえもが三舎を避けようかという程の剛直な声調をうみだしているようだ。〈いささか朦朧体に生きる私などは仰ぎ見るばかりだが、その壮健ぶりには男性俳句の本懐を見るようなところがある。〉と、安井の序文にはある。短歌にいわゆる男歌の、これは俳句の現在における稀な露頭であり、まずもって垂直性の所以の一であろう。

さらに、これらの句には、それを発語することによって慰撫される個人の思いというものがほとんど想定できない。市井の生活者としての志賀の視線などとは完全に切れており、かつ切れることを表明しつづける、そういう俳句であろう。箴言や年代記のように客観的で、どこまでも自己を排除しながら、これ以上自己であろうとする俳句もない。垂直性の所以の二であろう。

また、これらの句には、現在という時間を括弧にくくった上での、作品内部の時間が流れていることが感じられる。社会や文化の過去へ想像的に遡ろうとする志向はあきらかだが、とはいえ現在という位置から見ての意匠としての古代、意匠としての中世が求められているわけではさらになく、現在という位置そのものを消去することで現われる別の時間こそが願われているようだ。垂直性の所以の三であろう。ちなみにここで意匠としての古代、意匠としての中世を描いて成功した例を確認しておくなら、それはたとえば、

牛馬

はじめて渡る
奴の津の沖
   高柳重信
  ⇒「ぎうば」「かささぎ」「わた」「な」「つ」「おき」とルビ。

のような、文化の始原への郷愁であり、

九十鉄斎九十北斎春の蠅  小澤實
神護景雲元年写経生昼寝   同

のような、歴史的過去に向けての洒脱な挨拶であり、

夕東風につれだちてくる佛師達  田中裕明
たはぶれに美僧をつれて雪解野は  同

のような、季語の美学の中での時間遡行であったりするだろう。志賀が、後期安井世界を手がかりに、これらとは少しく異なった場所に出ようとしていることだけは、間違いない。さて、ここら辺で、前掲の志賀作品を具体的に読んでみたい。

最初に、句集の巻頭を飾る〈蝶の春地神は学び飽かざらん〉。この大地の神の「学び」であるが、先ごろ出版された高橋睦郎の『遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ』(集英社)には、「学問」の章が立てられており、〈遊びの窮極は何だろうか。純粋な意味での学問ではないだろうか。〉との一文が見えた。続けて、

学の和訓はマナブ、マナブはもちろんマネブ、真似(まね)ぶの転訛(てんか)である。学ぶことは真似ることから始まる。それは小児の原点に帰ることともいえる。/小児の遊びは真似ることから始まる。

ともあって、はからずも志賀のこの句に溢れる悦ばしさのよって来たるところを説明してくれている。次にはこの悦ばしきマネビの対象が何であるかが問題であろうが、安井浩司はこの句について序文で、

神を学ぶのではない、神が学ぶのだ。神が学ぶとは、そこには対象としてもはや己れ(神)しか在りえないわけで、それでもこの学びの夢を願い続けずにはいられない。自らが自らを学ぶ――この夢を、一旦、志賀康という詩人格に引き戻して申しておくなら、志賀という俳人は、他者に迷わず、自らが自らを師のごとくに学び成長していく、そういう原理に富んだ人ではなかろうかと思う。

と述べていて、みごとな賛辞だとは思うものの、志賀という以上に安井本人の自画像であり過ぎる気がしないでもない。そもそも安井としては絶対に口にするわけにはいかなかったであろうが、地神=志賀であるなら、彼が学んでいるのはとりあえずのところ後期安井世界であるはずなのだ。しかし地神=志賀であるにせよ、地神=安井であるにせよ、学ぶことに「飽かざらん」ことはいっそう重要で、思うに我々の不幸は多く「飽く」ことに発している。限りなく回帰する「蝶の春」に常に飽くことなくマネブことのできる力は、やはり神が神であるあかしなのだ。

〈白南風や泉は膚を立直る〉は、句集巻頭第二句。「立直る」は「たちなおる」と読むのであろうが、これはもちろん奇妙な日本語で、普通であれば「泉は膚を立直す」もしくは「泉の膚が立直る」とあるべきところ。実体としては、白南風が吹いて、泉がさざなみ立っているに過ぎないが、それを掲句のように言うことで、風景が思惟として解体される感を与える。思惟として解体してしまう、という俳句にとって必ずしも必要ないはずのその敢えてぶりに、先に述べた剛直さの印象が生じるわけだが、それを快いと覚えるかどうかが、こういう句を受容できるかどうかの分かれ目だろう。

〈瓜の花人語は先に立たざるを〉の句末の「を」は、格助詞ではなく間投助詞の「を」。〈文末で文の内容を確認する。多く、強い詠嘆の余情が含まれる。〉と、辞書(『広辞苑』)にある。ここで確認されている内容とは、「人語は、瓜の花に先立っては存在していない」ということだが、安井浩司はそれを〈超人類的な感慨〉と評し、以下のように続ける。

人類が為した窮極の華たる〈人語〉も、そこに無造作に展べられた瓜の黄花にさえ先立つということはない。哲学においてもその思想においても等しく、一片の瓜の花の自然態にはかなわない、とは古来からの東洋の智恵が語り尽くしてなお止まざるところだが、志賀はそこからなお先を考える。人語が先立つことがないとすれば、先立つのは草語か鳥語か、または神話なのか黙語なのか、そのような問いと試行が本集に満ちみちているのだ。

引用した最後のセンテンスは、深読みには違いないのであるが、その深読みを誘うものこそがつまりは句末の「を」の余情・詠嘆なのだ。

〈懐に芽をふく芋や厭離遺領〉の上五中七については、たいていの読者が無理なくなつかしいものに受け止められるのではないだろうか。問題は下六の「厭離遺領」。浄土を欣求して厭離したき遺領とはいったい誰のと、評者のような覗き見根性の人間はすぐに思ってしまうのであるが、まず頭に浮かぶのはかの“伯爵領”であろう。同人誌育ち(「未定」→「LOTUS」)の志賀に師系は無いとはいえ、大宮伯爵は安井の彼方に見える大きな影のひとつには違いない。伯夷・叔斉が周の粟を食むのを恥じて首陽山に隠れたのは、殷に対する放伐をめぐっての倫理的対立が原因だったが、この句の奇士がいくばくかの芋だけをふところに“遺領”からさすらうのは、倫理の問題ではなくて、その遺領に瀰漫するいささか甘美にすぎる審美主義を厭うてのことだろう。

次は、〈七日山背は七人無為をもて受くる〉。「無為」には作者が「ぶい」とルビを振っているのでよいとして、「七日山背」は「なぬかやませ」で、東北・北陸に冷害をもたらす山背風が何日にもわたって吹き続けるのを言う。難しいのは「七人」の読みで、素直には「しちにん」であろうが、頭韻を考えると「ななたり」もあり得る。それはともかく、「七人の侍」や「竹林の七賢」を思わせる頭数を揃えながら、この「七人」はどうやら勇士でも賢人でもなく、ただぶらぶら風に吹かれるままなのだという。〈サムサノナツハオロオロアルキ〉と歌った詩人の責任感など皆無。ここで、もしかするとこの「七人」は実は人間ではなく、なにか半神半仙のごときものなのではないかという予感が働く。だから、原因=七日山背にも結果=飢饉にも無関心に、「無為」に構えていられるのではないか、と。荘重な韻律と、非情さを備えた句であろう。

〈木守柿万古へ有機明かりなれ〉については、安井浩司の評言を引くにとどめたい。この美しい鑑賞に、なにも付け加えることはない。諸兄姉、拳拳服膺されよ。

この《有機明かり》とは、志賀の宇宙原理を基にかち取った手柄であると共に、現代俳句がその不遇の命運に苦しみながらも掌中にした珠玉であろう。しかし、あまり大上段には申すまい。ただ一個の、梢に震え残る皺柿に愛惜の思いを寄せるだけで、充分に宇宙的だ。昨今の全地球をかけめぐる蛍光なる無機明かりとは違って、はるかに神々しいのである。現代俳句なる暗がりの先端に、このような作が灯されると、心の荒れがちな私なんか発っとするのである。

〈渤海へつづく卯浪に荒稲を〉については告白しておくことがある。「LOTUS」誌上でこの句を一見して、「荒稲(あらしね)」なる言葉の玄妙に酔いしれた評者は、早速これを「和稲(にぎしね)」と打ち返して、〈和稲の星散りばめて性交す〉などと作ったのだった。もとより拙句のごときは浅薄な見立て俳句に過ぎまいが、今、掲句を見直して改めて思うのは、さりげなく置かれた「卯浪」の語の巧みさだ。それが〈風におののく卯の花のさまから名づけ……川や海に白波の立ちさわぐのをさしている〉(角川『図説大歳時記』旧版)のであってみれば、異国とつながる海上の道に蒔かれたひとつかみの荒稲=籾がたちまち白い浪の花=稲の花と変じ、さらには古日本人にとって宝そのものである和稲=白米となって湧き立つさまを幻視する、作中の思いを思うことは許されよう。なお、この句の「を」は句末にあっても間投助詞ではなく、格助詞である。

〈青山脈や育て返さんわが二歳〉は、なにゆえの「わが二歳」かがまず気になる。音数だけの問題なら「わが五歳」でも良かったはずだが、してみると志賀にとって「五歳」では遅すぎるのであろう。また、青二才との音通も考えられよう。さらに難物なのは「育て返さん」で、「育て直さん」ならせいぜい人生をやり直したいと言っているに過ぎないが、もちろんこの句が言っているのはそんなことではない。自分の幼年時代を自在に取り返せる者こそが詩人だという格率が詠まれているのだとは思うが、その場合の幼年はむしろ五歳の方がふさわしく二歳では幼すぎるようである。その幼すぎることの意味を探るなら、それは言葉以前の世界ということになるか。一歳では言葉以前というよりも存在以前・人間以前に半ば没している、五歳ではすでに言葉の世界の住人そのものである。人間であってかつ言葉以前であるような年齢としての二歳。蘇軾は〈人生 字を識(し)るは 憂患の始め〉と歌い、田村隆一は〈言葉なんかおぼえるんじゃなかった〉と書いた。彼らが嘆きのうちに振り返ったその「言葉のない世界」をおのが内部に育て返してみせようという気概は、大詩人たちに対してもそうそう引けを取っていないようである。

次は、〈芹と寝て一山一穢を体したり〉。どこまでも簡単には通らせてはくれない句集だが、少なくとも佳句については手も足も出ないという感じはしない。「体したり」は「タイしたり」で、辞書的には〈身につけて守る。身にふみ行う。のっとる。〉の意味である。しかし、身にふみ行うのが、「一山一穢」(「いちざんいちえ」と読むのだろう)であるということはどういうことか。金子兜太に、

流離うや太行山脈の嶺嶺に糞し 
⇒「流離」に「さすら」、「嶺嶺」に「ねね」、「糞」に「まり」とルビ。

との秀逸があるが、同様の景と思ってよいだろうか。芹の生えた山陰から山陰へと泊まりを重ね、その日その日の山のものを食らい、糞まりながら旅する、そんな景である、と。もしそうだとして、金子が朗々と歌いあげるのに対して、ここでも志賀は思惟によって景を解体したまま悠然と立ち去ってゆくが如くである。

ここまでは安井浩司が序文で佳作として挙げた句について述べてきたが、安井が全く触れていない句も紹介しておきたい。句集の前半中ほどに、「塗師七句」と前書きしたふしぎな一連がある。以下その全句を引く。

暁の塗師怪しめり家伝史書

塗師若し翅透く虫を肯わず

遠き手踊り目の利く鳥は塗師と居て

塗師二人泉の粒立ち評しおり

塗師の子は黥面胡桃をさがし行け

秋深し一葉も散らぬ塗師の家

音曲や塗師のかたちの失せどころ


このような連作形式をとるのは、句集の中でここだけ。塗師(ぬし)という存在にこめられているはずの特別の思いを、はたして読み解けるだろうか。

まず、一句目の〈暁の塗師怪しめり家伝史書〉。主に鋳物師(いもじ)の家に伝わった偽文書を研究して、賤民としてさげすまれた職能民が、天皇に直属する民としてみずからを権威づけようとする意識を持っていたことを明らかにしたのは網野善彦であるが、この句にいう「家伝史書」もまたその種の偽文書なのかも知れない。その史書が語っているのが天皇との関係なのか何なのか、一句から具体的に読み取ることはできないが、問題は「暁の塗師」が先祖の残した史書を怪しみ、いぶかしんでいることであり、この塗師の一族の通時的な一体性はもはや解体しようとしているのであろう。

しかし一方、五句目を「顔に刺青をした塗師の子よ、胡桃を探しながら行きなさい」と読むならば(他に「黥面胡桃」という種類の胡桃を探せ、とも読めようか)、この一族には魏志倭人伝や古事記の神武東征の記述、あるいは縄文時代の人面土器にまでさかのぼる、黥面の習俗が保存せられていることになる。同時にこの黥面は、犯罪者の顔に刑罰として施された刺青である可能性もある。古層の記憶と、罪の表象を一身に兼ねたのが、つまり「塗師の子」なのであろう。

六句目の〈秋深し一葉も散らぬ塗師の家〉では、秋が深まっているにもかかわらず、時節に相応した自然現象が起こらないことが示されている。万物凋落の季節にあって、凋落しない植物たち。これは生命力の横溢ではなくて、むしろ自然の運行の調和のやぶれを意味するのだろう。あるいは止まりながら進み続ける時間といった捩れを見てもよいのかもしれない。ともあれその時空の歪みの位置に、「塗師の家」があるというのだ。

そもそも工芸は、ファインアートや文学にくらべて、製作のプロセスがはるかに厳格に規定されているのが大きな特徴である。絵画や詩歌において時に大きな力を発揮する即興性から最も遠いのが工芸の世界なのだ。職人個々の工夫が全く排除されるわけではないにせよ、決まった工程を正しい順序でクリアしなければ成果を得られない、というのが原則。職人という日本語にまつわる語感は、職人仕事が持つこうしたリゴリスティックな性格に由来しているだろう。中でも塗師は、樹と樹液という有機的な素材の点からしても、埃を極度に嫌い、繰り返し塗りを重ねる根気仕事のイメージからしても、ストイックかつ清浄な雰囲気を持つのではなかろうか。さらに、漆器とはすなわちジャパン=日本であることも忘れてはなるまい。

以上、断片的な思いつきを書き連ねたようであるが、いわばこうした諸要素の結集点に立つのが志賀における塗師なのであろう。即興性から遠いリゴリズムはまさに志賀の俳句そのものの性格であり、古層の記憶と罪のしるしを兼ね、回転しながら静止する独楽のように時の流れのうちに澄み切らんことを思い、もうひとつの日本の史書を編まんとする願いを託されたのが塗師なのである。ここまでくれば塗師とは志賀自身の理想像であり、彼が怪しむ「家伝史書」とは歳時記を含めた俳句史書の謂いであるとするのに躊躇う必要もないことであった。

本句集は「地神抄」「鑽火集」「愛日抄」「返照集」の四章からなる。各章より評者の垂涎するところを数句ずつ引いて筆を擱きたい。

「地神抄」より
吹かれつつ柳は発と極を吐き  ⇒「発」に「ほつ」とルビ。
うつぼかずら原始津波のありきとや

「鑽火集」より
泊山鸚鵡返しの冠者連れて  ⇒「泊山」に「とまりやま」とルビ。
小魚弄えば書記の神は口すぼめ  ⇒ルビは無いが「弄えば」は「イラえば」であろう。
さよならは囮の言語紅葉酔
竹林の隠し医術へ練りゆかん


「愛日抄」より
明日は野に遊ぶ母から鼠落つ
椎の林に年寄り来いの声はして
夕暮れの愛染水はまだ見えて


「返照集」より
野壺には峰越しに臆せる神坐して  ⇒「峰」に「お」、「坐」に「ま」とルビ。
牛の背にゆれて五感の虻となる
谷おぼろ齧歯の人と唄いたし


最後の「返照集」に、〈山噴いて名で我を呼ぶ今朝の妻〉の句がある。およそ実人生から自立したこの言語宇宙の中にあって、ふとこれは志賀のある日の生活のスナップではないかと思わせたただ一句として挙げておく(山は浅間山であろう)。

* 志賀康句集『返照詩韻』は、著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

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■関連記事

高橋修宏句集『蜜楼』を読む・・・高山れおな     →読む

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6 件のコメント:

野村麻実(産科医) さんのコメント...

面白く批評を読ませていただきました。
季語ひとつ解さない素人の私ではありますけれど、ますらをぶりが伝わってきます。

れおなさまの句集や「豈」を拝見させていただく限り、ひょっとしたられおなさまのまだ形になっていないあるもやもやした方向性のうちのひとつを、具現化されてしまった句集なのかしら、と感心しながら拝見しました。

市販されているものであれば購入してみようと思います。

高山れおな さんのコメント...

野村麻実様

ご無沙汰しております。コメント有難うございます。ご指摘のような要素はありますね。もっとも小生は志賀さん程のますらを志向(?)はそもそもありませんが。志賀さんの句集の件で、今日、野村さん宛にお葉書を出させていただきました。ご住所、お変わりなければ明後日あたり着くと存じます。

野村麻実 さんのコメント...

ありがとうございます(>▽<)!!!
楽しみに待っております。住所変更はございません。

そうですね。ますらをではなく、れおなさまの句はもうちょっと柔らかい女性的な感じです。

さんのコメント...

 志賀康さんの新刊第二句集は、先の『山中季』や論集『不失考』とあわせて、何のお礼状も差し上げていない。大きな借りを背負っているようでこころぐるしい、それだけにれおなさんがこの句集を一生懸命解読しようとするその姿勢ともども一生懸命読ませて貰った。万巻の書を引き受けている感のある俳句の批評家「高山れおな」が、とくに敏感に反応しているテーマは、「ある大きな物語」を内包する(とおもわされる)俳句言語、その所在をたしかめる作業ではないのだろうか?れおなさんが強く感心しているらしい高橋修宏句集『蜜楼』については、今のところ私には判断しかねる。「国家論」や「風土論」を下地に持っている、とも言えぬでのないが、風景や地貌と言うべき世界の一面を、観念で再構築する難しさもみせている。

 しかし、「志賀康」、そしてその志向が直接に向けられているらしい「安井浩司」のこの二人は、俳句という観念を、実作のなかで展開しようとしているといういみでは、やはり、従来や現在の多くの俳句とは、異質の感が強い。
 それだけに、彼らの俳句哲学の難解さが、高橋修宏のわかりやすさとは逆に、気になってくるのである。巧く解けば頭の体操としても、思想の深化にも有益だが、失敗すると出口のない思想怨念の回路にたちまようおそれがある。そのことが、永年関心を持ちながら、私が「安井浩司」に入り込めなかった一因でもある。
 こんど、安井さんの句集解説文を読むと、「詩人にもっと自由をー」と書いてある。これなのである。私のかんがえていることも。しかし、志賀さんの句も、安井さんの句も、入口を見つけねば、自由なんてとんでもない、わかりにくいし、その呪縛の度合いが途方なくつよい。(これは、否定ではないんです。この人達の資質の確認として云っているのです)

 志賀さんの言語感覚は、観念の珠を磨くように、土俗や肉体(自然)にかかわる想念を磨いている。

「芹と寝て一山一穢を体したり」
句集のなかではわかりやすい作品。安井さんはこれをいみじくも『男性俳句」といっているが、それを肯うとして、こういう感覚はどこか現実的じゃない。「寝て」もらった「芹」のほうからいえばどうなんだろう。『一穢」なんて。誰かがその山に不魅入ったために、一山が穢れてしまった、という意味なのだろうか?

「芹」を女身とみたてれば、「穢」と言う出し方があまりにも旧式のおとこぶりだし、大地神と交わる、と言うアニミズムのつもりならこれが神に体する聖なる儀礼行為として、『穢れ」の感じの両義性がもっとでてこなければならない。
 この観念「穢」の珠のみがきかたは、すこし矛盾していないだろうか?
 しかし、このいちゃもんに、いまのところ応えてくださる必要はないのである。
志賀さんの俳句は。使う言葉の「穢」の意味までたずねて、こっちも一知半解の教養を無様にさらけ出すことになる、功なると、自分の枠で読むのがたいへんになるから、あんまり気楽に自由にはなれません、と言うことの例にだしただけなのだから。
 この一句は、にもかかわらず、こういう矛盾の多い使い方が逆に効を奏して、一種のカタストロフィの予兆を呼び起こしている、と言う意味ですごい世界だな、と私は、ちょっと感動しているのだから。

 今夜は土曜日だから、少し長く居すぎてしあったようなので、 明日の更新を楽しみに
このへんで、おいとまします。
 

野村麻実 さんのコメント...

高山れおなさま、お手紙ありがとう存じました!受け取ってすぐお返事を!と思っていたのですけれど、忙しさの上に書類の山の中に埋もれてしまって、どうしようどうしようと思いつつ、こちらでのメールアドレスも見つけられなかったので、コメントにて失礼致します。
(お心遣い、いつもありがとうございます)

もしもお手数でなければ、お願いしても宜しいでしょうか?
郵便振替、銀行振込等、どのような形でも結構です。お願いいたします。

お返事遅れまして申し訳ありません。

高山れおな さんのコメント...

野村麻実様
コメント拝見しました。当方のメールアドレスは、執筆者プロフィール欄の小生の項の下に表示してございます。志賀さんの句集の件は了解しました。連絡しておきます。