2010年5月16日日曜日

男波弘志句集『阿字』評

猿を着る人ステテコに鯵の風以下に
男波弘至句集『阿字』を読む


                       ・・・高山れおな

当ブログ第八十七号で関悦史が書評した男波弘志句集『阿字』(田工房 二〇〇九年)を当方は持っていなかったのであるが、関の記事が著者の目に止まってそれなら管理人にもということなのであろうか、新たに一本を恵まれた。読み終わるのがもったいないような気分で句集を読んだのは久しぶりだった。男波は「季」の北澤瑞史のもとで俳句をはじめ、次いで岡井省二の「槐」、永田耕衣門のメンバーで構成された「マンの会」を経て、現在は無所属ということらしいが、作品を見ると何と言っても岡井省二の影響が決定的なようである。実際、「処女作」と銘打たれた一九八三年の

列車いま大緑蔭の駅に入る

から、二〇〇七年の作までおよそ六百句を収めた中で、北澤に師事した一九九七年以前の収穫はわずか四十六句と少ない。すなわち、実質的にはほぼ一九九七年以降の十年間の句集として差し支えないのである。これは「季」時代の男波が俳句にさほど熱心でなかったためなのか、でないとすれば岡井師事後の作風転換が大きく、「季」時代の作品の多くが基準に合わなくなってしまったゆえとも考えられるだろう。

天の鷹一切経をゆくごとし

句集巻頭を飾る〈列車いま大緑蔭の駅に入る〉に対して、「岡井省二 門下時代 平成九年~平成十三年」の章の先鋒として置かれたのが、この「天の鷹」一句。最初の、そして再度の出発を期するにふさわしい調子の高さを、それぞれに帯びているだろう。これら二句に限っても、関の書評に言う〈精神的・人間的高みへの熾烈な希求と憧れ〉をしかと看取することができる。片や「大緑蔭」と名指された自然のうちに、こなた「一切経」の語によって示された智の法悦へと、一句のエネルギーは溌溂と解放されてゆく。一方で、両者の間には方法論的な差もいちじるしい。素朴実在論の範疇でも鑑賞可能な「列車いま」に対して、「一切経をゆくごとし」の表現には、天地山川はさながら一切経に明かされた真理の世界そのままではないかとする、いわゆる自然法爾の考えが反映している。この比喩を観念であるとして退けて顧みない人は、所詮、男波の俳句とは縁が無い。自然法爾の世界観そのものに共感するかどうかはさておき、それに共感する男波を肯定するのが、男波の俳句を読むための必要最小限の前提ではあるだろう。

唐突だが、今、交通事故に遇った。オートバイで走行中、露地から出て来た車の横腹に激突して大破した。五、六メートル吹っ飛んだが、体の方は肘を擦りむいた程度だから心配はない。運転手にはこれから原稿を書くから、壊れたバイクを修理して家に送ってくれ、と言った。不思議そうにこちらを見ていたが、そこから走って家まで帰ってきた。

これは男波の「海牛なうなう」と題されたエッセイの書き出しの一節。岡井省二が亡くなる直前に編まれたムック本『岡井省二の世界』(北宋社 二〇〇一年)の「省二の象徴語解題」というパートを、十二人の論者が「鯛・水母考」「蛸・烏賊・象・犀考」といった形で分担執筆しているうちの一篇で、つまり男波は「海牛考」を担当したわけである。この一節に続いて男波は子ども時代の“海牛体験”について述べはじめるのだが、その本論以上にこの書き出しにこそ男波が居るように思う。まずは、突っ込んでゆく速度と出合いがしらの衝突。いや、突っ込む速度だけではない、“現場”からの足早な離脱、それも見落としてはなるまい。そしてさらに、この記述自体が嘘のようなほんとのような、一種のケレンになっているところ。なにしろ、「かくかくの交通事故に遇ったことがある」ではなく、「今、交通事故に遇った」なのだ。当方のような散文的な人間としては、警官を呼んで書類を作っておかないと保険がおりないぞとか、そういったあたりも気になって、やはりこれはフィクションかと思うものの、こんどはそんな悪趣味なこしらえごとを書く筆者の底意が知れないというものだ。

上記引用に見て取れる以上のような要素は、男波の俳句における言葉たちの振る舞いにまるでそっくりに感じられる。これを男波の人となりの問題に置き換えれば、彼が句集後記でみずから記すように、〈思い込みの激しい人間〉ということになるのだろう。思い込みの激しい言葉たちがハイスピードで突っ走る――とは、じつは岡井省二の俳句の特徴でもあって、あるいはいちばん重要な特徴なのかもしれない。そう思ったのも、この句集を読んであまりにも岡井省二そのものではないかと舌を巻いたからである。それでいて、師風の縮小再生産との印象も持たなかったのも妙だ。古人の跡ではなく、古人の求めたところを求めよという原則を、男波が実践し得ているということなのだろうか。

曼珠沙華 曼珠沙華 こゑに出てをりし

岡井省二といえば空海の真言密教に依拠しつつの曼荼羅俳句、曼荼羅ルネサンスを称えた人である。男波の方はといえば〈私には空海は巨大過ぎた。〉と半ば音をあげながらではあっても、それについてゆこうとしているのはそもそも句集名が『阿字』なのだからして明らかであろう。掲句は、曼珠沙華が咲いているのを見て、あわれ曼珠沙華が咲いているぞと思ううちに、知らず知らずその花の名を声に出していたというくらいの意味には違いないけれど、男波の俳句のバックボーンを考えれば、空海の『声字実相義』などを思い出さないわけにもゆかない。

初に釈名とは内外の風気わづかに発すれば必ず響くを名づけて声という。響きは必ず声による。声はすなわち響の本なり。声発して虚からず、必ず物の名を表するを号して字という。名は必ず体を招く。これを実相と名づく。

ここで空海は、響きから声が生じ、声から物の名称が生じ、物の名称から文字が生じると述べながら、同時に名称が実体を招来するとも言っている。それに従えば、上に記した句意もじつは話が逆で、声に出して名を唱えたことで曼珠沙華の実体が生じたのかもしれない。してみれば、曼珠沙華とは「こゑ」として咲く花なのであるとの看破がこの句の眼目ということになろうか。一見、五八五の一字余りの句のようだが、むしろ五五八ないし五五三五の破調の句とすべきかと思う。特異な「こゑ」=リズムが、内容の「こゑ」に相応している。なお、岡井省二には、〈秋海棠なむあみだぶは声あげよ〉の句がある。

早鐘となりたる螢てのひらに

螢が早鐘となるとは、「心臓が早鐘のように鳴る」という比喩的な用法に準じれば、螢の明滅の激しさを意味するのであろうが、しかしそうではなくそれこそ螢の心臓が早鐘のように鳴っているのではあるまいか。いや螢のように小さなものに心臓もへったくれもない、螢の全身が早鐘のように鳴っているのであろう――とはつまり「早鐘となりたる螢」という掲句の表現そのままであって、この句の言葉は別段、分析や言い換えを必要とはしていないらしい。早鐘は、もともとの語義としては火事などの危急を知らせるため、鐘を続けざまに打ち鳴らすこと。この螢は何かの危急を知らせようとして早鐘となったものだろうか。あるいは、比喩的な用法の場合のように、恐怖とか恋情といった極度の緊張のゆえの早鐘であろうか。危機の知らせか、恐怖か恋か、それはもとより言葉の上からは決定することができない。という以上に、危機も恐怖も恋も混沌とひとつになった闇から「てのひら」にこぼれ出た螢に感じた哀憐こそが「早鐘」の語に凝縮していようか。

櫂の先はみ出してをる焚火かな

福永耕二に、〈昼顔や捨てらるるまで櫂痩せて〉(『踏歌』)という有名な句がある。掲句に詠まれているのは、同様にして打ち捨てられた櫂が、浜焚火の中にくべられ、燃やされている情景である。なんでもない写生句としても読めるし、そう読んでおもしろさが減じるわけでもないとはいえ、やはり「櫂」の語にこめられているかもしれない思い入れを探っておいても悪くはないだろう。福永句が、痩せたと目に立つほど櫂を丁寧に使いこんできた舟人の心であるとか、それが使われてきた時間の長さなどを優しく描きだし、昼顔の花まで手向けているのに比べると、男波句の櫂のありようはいかにもぶっきら棒に見える。もちろん櫂は櫂であり、そこには福永句にもあったような、海浜の生活であるとか、海上の旅への感傷が欠けているというのではない。岡井省二にも〈春潮や艪をあやつれば九鬼の海〉のような句があるわけで、そもそもこの師弟は海や海の生物にことさらこだわっている人たちなのだ。その上で、この「櫂の先」のみずからの差し出し方のそっけなくも潔いことよ、と思うわけである。みずからを焼く火さえ楽しんでいるようなといっては過剰な擬人法になるのであるが、そういってしまいたい気にさせるのが男波の俳句なのでもある。

梅雨深しピカソの青に鯉の棲む

こんな句もあって思わず笑う。いうまでもなく、三橋敏雄の〈少年ありピカソの青のなかに病む〉(『青の中』)換骨奪胎。三橋少年の自意識のドラマをありふれた実景に翻して、それこそがわが「ピカソの青」なりとしたおかしみが味わい深い。パロディーのやり方としてまずは間然するところがない。其角の〈草の戸に我は蓼くふほたる哉〉を、芭蕉が〈あさがほに我は食(めし)くふをとこ哉〉と切り返したやりとりをちょっと連想した程だ。ちなみに『阿字』には、〈朝顔に吾はごそつく男かな〉という、これまたおもしろいパロディー句も見えるから、芭蕉・其角師弟のエピソードも男波は先刻承知しているし、実際そこから学んでもいるのだろう。

鯵の群れ色を変へたる涅槃かな

この句集を代表する秀作のひとつかと思う。「鯵/アジ/阿字」とも読み取れるものの、そこまで作者が狙っているかどうかはわからない。永田耕衣の〈近海に鯛睦み居る涅槃像〉(『吹毛集』)学んでいるだろうが、「鯵の群れ」の速度と言葉の速度が相乗するこの気分の良さはやはり岡井省二ゆずりか。耕衣句が涅槃像の側に視点を置いて鯛が睦む「近海」を観想しているのに対して、男波句は刻々と彩りを変える海中の光を感じさせてまことに清爽。この場合の「涅槃」は単に季節をさすだけではなく、仏陀入滅という“事件”の方にひきつけてうけとるべきだし、それを経由するからこそ見えるはずのない海中の光景が見えてくるのだ。

引きに引く撞木ぞ見えし十夜寺

「引きに引く」は、鐘楼の撞木をぎりぎりまで引いてさあ鐘を衝こう、というその一瞬を捉えている。見えるはずのないものを見た前句からは打って変わって、これは手堅い写生句とも読める句。ではあるけれど、ざっくりとした世界の切り口の提示になっているという意味では両者に違いはない、のではないか。「十夜寺」の光景を描きながら、お十夜の行事そのものとは未練なくすれ違って振り向かない風なのがいい。

這入つてこい六波羅蜜寺鯨の頭(づ)

川端茅舎に〈蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ〉(『川端茅舎句集』)があり、攝津幸彦にも〈秋風の机上に六波羅蜜寺かな〉(『四五一句』)があるように、六波羅蜜寺が俳人に妙に人気があるらしいのはもちろんミステリアスな寺名の魅力があずかって大きいのであろう。また、ここは真言密教の寺だから、岡井省二の弟子が俳句にするのにはなんの不思議もない。その上でなぜ六波羅蜜寺か、なぜ鯨かと考える時に、あの境内の雰囲気は外せない要素かと思う。攝津幸彦などは、六波羅蜜寺の実際の様子などは気にもとめずに一句ものしたに相違ないが、男波の句には現実の六波羅蜜寺を感じるのだ。かつてはかなり広壮な寺であったことは、南北朝時代に造営された本堂の立派さから察せられるが、その後は衰微して、かつての寺地のあらかたが住宅地になってしまっているのが現在の六波羅蜜寺。豪壮な本堂のぎりぎりまで屋並みが迫っているところは、元からの町寺とは異なる光景であるし、それでいて西国三十三観音の札所なものだから参拝者は多く、境内は雑然とした活気に溢れている。この、狭いのに建物は豪壮であり、落魄しながら賑やかといったアンバランスを思い浮かべると、掲句には案外な説得力があると知れる。現代の下町風景の中にあって、六波羅蜜寺本堂そのものが「鯨の頭」のごとき異物であり、古代都市平安京という異界から漂着した異物なのである。これが「這入つてこい教王護国寺鯨の頭」では、語調の問題はさておいても、境内が立派すぎてイメージに密度が生まれない。庶民的な観音信仰の香煙蒙々とした活力を、現代俳句の諧謔的幻想に奪った一句。

蟋蟀や女体にて水呑み終る

コオロギが鳴いている。女が水を呑んでいる、やがて呑み終わった。と、果たして書いてあるのかどうか。書いてはあるが、同時に、コオロギ即女体、女体即コオロギとも書いてある、のである。いや、そのような弁別よりもむしろ、「女体」であって「女」ではないことに注意する方が大事なのではないかとも思う。男波が「女体」について何かを知っているとも思えないし、じつは当の女たちだって知らないのが「女体」なのではないか。だから「女体」がじつは「蟋蟀」だった、ということだって大いにあり得るのだ。こういう真実の発現ほど痛快なものはない。そしてまた、こういう詭弁のためにこそ男波の速度が、つまり逃げ足が用意されているということだっていえるだろう。「言ひおほせて何か有る?」ならぬ、言い逃れれば何かが有る、そんなところに賭けられているのが男波の俳句のような気がする。そして、それも決して男波ひとりの話ではない。以下、興に入った句若干を好みのままにあげて終わる。

サーカスのジンタこの先鮫の海
誘蛾燈をとこかをんなか言うてみい
月日貝を開いてみたら粉骨なる
だんだんに梵字が読めて胡瓜揉む
蘇鉄咲き十三面の版木ある
鰓蓋がいま止まつたよ笑つたよ
遍路みち鱗散乱してをるか
順番に百足虫の足の外れをり
とめどなく亀の入りゆく穴一つ
金泥のやうにチベット僧をりし
源氏みな生殺しなり春の暮
すつこみし磯巾着よ純金よ
淵の鯉猫の如しや天の川
夏すでに紡錘形の教師たち
浜焚火乳房まさぐる如捩れ
一穴をくまなく廻る揚羽蝶

◆男波弘志句集『阿字』は著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

--------------------------------------------------

■関連記事

閑中俳句日記(30) 男波弘志句集『阿字』・・・関 悦史   →読む
-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。

0 件のコメント: