2010年6月21日月曜日

後藤貴子句集 前篇

蛸の吸出し、ブログの討ち死に
後藤貴子句集『飯蛸の眼球』を読む(前篇)


                       ・・・高山れおな

後藤貴子の第二句集『飯蛸の眼球』(*1)が出たので感想をと思ったのだが、時間不足いかんともしがたく、前後篇にてお届けします。

そもそも後藤の名前が評者の脳裏にすりこまれたのは、ヌードとネイキッドがどうこうと述べている彼女の文章を読んだことによってだった。どうこうでははじまらないのでちゃんと探しますと、それが載っているのは「俳句空間」誌の第二十三号。一九九三年六月に出たその号の特集は「現代俳句の可能性――戦後生まれの代表作家――」で、攝津幸彦、西川徹郎ら団塊の世代から田中裕明、岸本尚毅たちまで、八十年代の俳句シーンに登場した十八人の中堅若手を、これも当時新進の書き手が論じている。その特集で、江里昭彦論を担当していたのが、すなわち後藤貴子なのである。

……先号の「俳句空間」を読んでいたら、意外な箇所があった。それは川名大が、八木三日女の「満開の森の陰部の鰓呼吸」をひいて、性表現を「白昼堂々のオモテ俳句としてフェティッシュにやったりする若者」の例として、江里と私の句を並列に扱っている点だ。句のレベルや作家としてのキャリアや、その他はっきりわかる江里と私の差をうんぬん言いたいのではない。言いたい事は、私と江里の句作の方法の確たる差異である。同じく同号の上野遊馬の言を借りるなら、セックスを俳句の題材として扱っていても、江里がnudeであるなら、私はnakedなのだ(と自分では思っている)。

後藤が言及している先号の川名大の文章とは、「俳句空間」第二十二号の、やはり特集中のもの。「俳句の新しい読み方――俳句をダメにした××――」というテーマのもとで長々と論じた仕舞いの方で、昨今(当時における)のダメな表現の例として引かれているのが江里と後藤の句というわけだ。

腰で番い夜へ漕ぎ出す楽器かな 江里昭彦
右曲りなる銀漢の灌(そそ)ぎ口 後藤貴子

なるほど、この二句に限れば特に弁護したい気にはならない。無論それ以上に、川名の非生産的良識派風シニシズムにはいささかの共感もおぼえないが。それはともかく、この際、あげつらいたいのは句ではなくて後藤の文章の方である。自分とあまり年齢も違わないらしい女性作者が、一回り以上先輩の俳人の作品と自作を比較して、「方法の確たる差異」を明言して一歩も引かない態度(いちおう謙辞らしきものはありますが)に打たれたからこそ、この一節が記憶に残ったものであろう。ちなみに、nudeとnakedとは、英国の美術史家ケネス・クラークが、名著『ザ・ヌード』(一九五六年)で提示した対概念で、服を脱いだ裸がネイキッド、人体を理想化して昇華したのがヌードということになる。この二句でいえば、江里の句の「夜へ漕ぎだす」や「楽器かな」のような文学性の強い表現がヌード的ということになるか。後藤の句だって、「銀漢」に同様の文学性への傾きが感じられるとはいえ、比較すればより即物的には違いない。

ところで川名大が引いた後藤貴子の句が収められているのは後藤の第一句集『Frau』(*2)で、一九九二年春に刊行されている。一九六五年生まれの後藤は二十七歳になったばかりだった。同書については、やはり「俳句空間」誌に橋本七尾子による書評が載り、また当時、後藤が所属していた「未定」誌の一九九二年十二月号では小西昭夫と豊口陽子が論じている。これらの書評が一様に帯びる熱っぽさゆえに『Frau』には大いに興味をそそられたものの、実際の入手はずいぶん遅れ、二〇〇〇年代に入ってからだった。それらの書評の熱っぽさのよって来たる所以は、それこそ「性表現を『白昼堂々のオモテ俳句としてフェティッシュにやったりする若者』」という川名の批判にもあるような性表現の問題がかかわっている。なにしろこの句集、富澤赤黄男の「ズロースを脱つた俳句」云々(*3)の発言をエピグラムに掲げ、「あとがき」ではそれを次のように受けているのだ。

「ズロースを脱つた俳句」を手中にすることを目標にして来ました。この処女句集は、そんな私の討ち死にの記録です。しかし、戦績は、なまあたたかいうちにまとめておいた方がよかろうと考えたので、本集を上梓することに決めました。全百七十句、年代的には、私の十六歳から二十五歳までの作品が収められています。……

自ら「討ち死にの記録です」というごとく、『Frau』における性表現はかならずしも成功を収めているわけではない。しかし、同じ討ち死にでもそれは逃げ隠れした末のものではなく、向こう傷を受けてのものであるのも確かで、上記の書評子たちも失敗は失敗として指摘しながら意気に感じた書きぶりになっているのである。とりわけ、小西昭夫と豊口陽子のものは長さも長く、滅多にないほど丁寧で愛情に満ちた書評であり、それがゆえに評者がようやく同書を読み得た時いささか失望を感じたほどである。つまり、こちらが読者として新たな発見をする余地がほとんど残されていなかったということなのだが。こんなふうに説明で引っ張るだけではなんであるから、作例を挙げよう。まずは、小西と豊口が揃って失敗作としている句。

放尿す貝うつくしくとぐろ巻き
(つま)という字の重心の股座よ
漆黒にわが陰浮かすような月
小便小僧のとがりに朱を塗りこまん
産道を駆けゆく亀よ文化の日
まんげつや骨太胡瓜Occupied
(使用中)

小西はこれらの句を、〈下品なだけの句である。女性が、男性でも口にしないような句を口にした面白さだけの句である。〉とし、豊口は豊口で、〈赤黄男の挑発に後藤貴子はまじめに反応したのだが、しかし下半身の構造や生理について開陳したところで、そんなものは人類発生時より先刻ご承知のことではないか。〉と手厳しい。彼らの言葉はその通りではあるだろう。とはいえまったく救いがないかといえばそうとも思えず、結構、惜しいところまでは行っている気はする。ただ、何かもう一歩が足りないのは確かで、その一歩が足りないことがかくも激しい反撥を買ってしまうところに、性という危うきに遊んだ後藤の面目があるのに違いない。中で、掲出した最後の句は女性の自慰を詠んでいるわけで、若気の至りというのは凄いものである。この句に関していえば、足りない一歩が上五「まんげつや」の曖昧さにあることははっきりしている。中七下五がここまでえげつない以上は、上五で強力に抑えこまなくてはならないのだが、現状ではまったく効いていない。ちなみに豊口はこれらの句を批判しつつも、〈ともかくも、これらの作品の救いはその句意にもかかわらずあっけらかんと開放的で卑しくないことである。〉とも述べていて、これも納得のゆく感想である。ひきつづき豊口、小西が賞賛している句も駆け足で紹介しておく。小西が挙げているのは、

疊のようにおんぶおばけのように雪
泣くだけ泣いて器用に乾く夏畳
春霞食べつくし舌残りけり
原爆忌 姉が乗りたる鬼やんま
つばくらめ津和野に指をくれてやる
念力をたくわえ鹿は鹿を待つ

特にラストの鹿の句について小西は、〈美しい句だ。とても美しい恋の句だ。〉と述べている。鹿/恋、というのは王朝古典以来の連想関係にあるが、なるほどその古い皮袋に新しみの一滴を加え得た句かと思う。次に豊口。彼女は、性的なモティーフの句のうちでも以下のものは、〈より詩的説得力を持っている。〉と評価する。

網目よりあらわれ男焦げており
尼寺や刈らずじまいの血止め草
美声挙ぐ三本杉の陰四つ
六月の水母のごときを産みおとせり
逆光の二人は葦でff
(フォルテシモ)

しかし、豊口がさらに強く推すのは、

さびしきとき 白く結球する双手

という句。自分で読んだ時には気になりながらもはっきり読み得た感じがしなかったのだが、〈ここには後藤貴子の一途な精神と肉体がある。正座した膝の上で、血の気も失せるほどに拳をにぎりしめ、さびしさに耐える女性の姿が《結球》一語に凝縮されている。〉という見事な鑑賞を得て、忘れ難い句となった。なんだか小西と豊口におんぶでだっこするばかりで恐縮である。今回、再読して評者なりに出会いの思いを持った句を幾つか挙げてみよう。

訃報はいつもやさしく腕を螺旋せり
こいびとの四肢で発酵するセロリ
たばこぐさつかむこの手の腕曲よ
ひとり寝の木は流される疊ごと
笹の葉づれの快楽
(けらく)の日々を集め来よ

冒頭のヌードとネイキッドの話題に戻れば、はたしてこれらはそのどちらに当たるのか。いやヌードとネイキッドが、所詮、油絵という共通の画材でどう描くかの違いだったとすれば、これらはさしずめ墨で描いたような、いわば前提から異なる俳句なのではないか、そんな気もする。「こいびとの」「ひとり寝の」「笹の葉づれの」の三句が直接的に性愛にかかわっているのはもちろんとして、「訃報はいつも」「たばこぐさ」もまた質感においてそれらと同じ世界を描いているとしか思えない。既出の「産道を駆けゆく亀よ」あたりとは格段に洗練された詠みぶりである。しかし、この水準の句が集中にかならずしも多くないのは、そのような完成度の獲得が困難であるからというのみならず、一方でこの作者に「産道を駆けゆく亀よ」と無残に討ち死にしてみせたい欲望が、それはそれで強固に備わっていたからではないかとも思う。

ところで、『Frau』という書名はドイツ語で、英語のミセスにあたる単語である。集中には、“Frau”という言葉を使った句は見当たらない。若い女性の性を柱のひとつにした句集なのだからこのタイトルが選ばれて別に不思議はないのだが、ひとつ気になる暗合に気づいた。句集の刊行は奥付に従えば一九九二年二月二十日日。一方、講談社から出ている女性誌「FRaU」の創刊は、一九九一年九月である。時間的なタイミングからすると、後藤が「FRaU」の創刊を見てこの句集名を思い付いたということもあり得るのだが、実際はどうなのだろう。もちろん単なる偶然かも知れない。あの「あとがき」のしたたかな書きぶりを見ると意図的だったとしても意外ではないし、鳴り物入りで創刊された(のであろう)華やかなファッション雑誌と同じタイトルを偶然に選んでしまう無意識のケレンもなにやらこの作者らしいようだ。

(*1)後藤貴子句集『飯蛸の眼球』
風の花冠文庫8 発行所=鬣の会
五月二十一日刊
(*2)後藤貴子句集『Frau』 冬青社
    一九九二年
(*3)〈僕は甚だ失礼ながら、俳句女流作家に失望しつづけている。しかし絶望はしない。が、彼女等の俳句の文学は衣裳の文学でしかない。――とはつきり申上げる。もし口惜しかつたら、ズロースを脱つた俳句を、ただの一作でも見せて頂きたいものである。〉富澤赤黄男「雄鶏日記」抄


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