七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅨ
・・・冨田拓也
3月21日 日曜日
本棚の資料の様相が随分乱雑となっているので、すこしばかり整理しようという気になった。その作業の途中、本で埋まっていた棚の奥の部分から、一体何時どうやって入手したのかと思われるようなそれこそその存在自体をほとんど忘れてかけていたような句集が何冊も出てきて、なかなか興味深い思いのするところがあった。
そのような資料といったものをここにいくつかあげてみると、船川渉『黒漫漫』(俳句評論社 1961)、立岩利夫『時間』(夜盗派の会 1965)、山上康子『泊夫藍』(書肆季節社 1986)、中烏健二『愛のフランケンシュタイン』(書肆季節社 1989)、研生英午『水の痕』(沖積舎 平成2年)、などということになる。
これらの句集の中にも、しっかりと読んでみれば現在においても割合面白いと思えるような珠玉の作品が眠っている可能性もあるかもしれない。いずれしっかりと作品に目を通して、ここにも取り上げてみたいところである。
アパートが角砂糖になる朝のコーヒー 船川渉
あいまいな夜を突つ走る目玉の光芒 立岩利夫
自然に扉開く丸腰の軟体動物 山上康子
ぐらいだあかあぶしてくる接骨医 中烏健二
水流に水の音淡し千年の枕邊 研生英午
3月24日 水曜日
なんとなく「橋」という言葉が思い浮かんだ。
父の忌にあやめの橋をわたりけり 永田耕衣
春月や犬に生れて橋架かる 和田悟朗
西行忌雌雄求(と)めあふがに架橋 竹中宏
凍蝶のゆくさきざきに橋架かり 宗田安正
春眠の朱塗りの橋にさしかかり 佐々木六戈
3月25日 木曜日
書店で、『俳句』、『俳句四季』、『俳句あるふぁ』、『俳壇』などの総合誌を立ち読み。『俳句界』の最新号が、今回訪れた書店にはなかったのが少々残念であった。
あと、『文藝春秋増刊 くりま』2010年5月号(総特集 俳句のある人生)という雑誌も出ていた。珍しく「俳句特集」である。そういえば、この前も『サライ』において俳句の特集が組まれていたこともあったな、ということを思い出した。しかしながら、この雑誌の「くりま」とは、一体何のことなのか、見当がつかない。とりあえず、それは置くとして、ぱらぱらと誌面を見た印象ではどちらかというと俳句の初心者向けの内容で占められているといった趣きであるように見受けられた。
3月26日 金曜日
先週、ネットでの古書の購入のことについてすこし書いたのだが、自分の持病(?)ともいうべきネットでの句集の購入を繰り返す行為というものは、やはりこのところ相当に本格化してきているようで、自らの意志ではなかなか歯止めがきかず、気が付いた時にはすでに10冊以上の句集を注文してしまったあとであった。
一応、今回購入したのは、小原啄葉『而今』(角川書店 2008)、古館曹人『繍線菊』(角川書店 平成6年)、奥山甲子男『奥山甲子男句集』(海程新社 1981)、奥山甲子男『飯』(海程社 1986)、穴井太『穴井太』(花神社 平成9年)、和田悟朗『桜守』(書肆季節社 1984)、佐藤鬼房『愛痛きまで』(邑書林 2001)などということになる。
これまでに、読みたい句集や詩歌関係の本といったものについては、一応すでにある程度入手したようなところもあるのだが、どういうわけか自分にはこれまでにまだあまり読んでいない作者や作品の存在というものをわざわざ執拗に見つけ出してきては、自らすすんで購買意欲をかきたてようとするとでもいったようななんとも厄介な習癖が潜んでいるようである。
ともあれ、手元に届いた品物の数々を眺めていると、やはり割合満足のする思いがしないでもない。しかしながら一方で、これから郵便局にこれらの商品の代金を支払いにゆくことになるのかということを考えると、なんとも気鬱な思いがするのも事実である。
3月27日 土曜日
そういえば、今回購入した句集の作者の内の、小原啄葉、古館曹人という作者は、ともに山口青邨門の作者ということになる。
いつだったか、この山口青邨には全句集及び全集といったものがいまだに存在しないということを何かの機会に偶々知って、少しおどろいたことがあった。この作者のみならず、割合名の知れた作者であっても、現在までその生涯の句業が全句集などで纏められておらず、その全貌に容易に接することができない例というものが、意外にも少なくはないのである。
あと、思えばこの青邨には、割合優れた門下生の数が結構多いのではないかという気のするところがある。あまり詳しくは知らないのだが、先に挙げた啄葉、曹人の他に有馬朗人や齋藤夏風、黒田杏子などといった後進の存在、また東大の俳句会や、「子午線」といった俳句誌に対しても、その影響というものはやはり小さなものではなかったのではないかと思われる。
前述したように、この山口青邨にはいまだに全句集が存在しないようである(季題別のものはあるようだが)。この作者の句業の全貌というものは、一体どのようなものであったのか、若干ながら興味がないでもない。
そばの花山傾けて白かりき 山口青邨
はなやかに沖を流るる落椿 〃
みちのくの乾鮭獣の如く吊り 〃
みちのくの鮭は醜し吾もみちのく 〃
よろこびはかなしみに似し冬牡丹 〃
祖母山も傾山も夕立かな 〃
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