七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅧ
・・・冨田拓也
3月14日 日曜日
ふと、西東三鬼の門下の俳人というものは、一体どのような作者が存在したのであろうか、という思いが浮かんだ。三鬼の弟子として有名なのは当然ながら三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房、ということになるのであろうが、他の弟子たちは、西東三鬼という名に比して、現在に置いては、さほどその名前も作品もともにそれほど多く知られていないのではないかという気がする。
いま挙げた3人以外の他の三鬼の弟子としては、試みに思い付くままその名前を挙げてみるならば、島津亮、杉本雷造、立岩利夫、東川紀志男、大橋嶺夫、清水昇子、山本紫黄、松崎豊、井沢唯夫、木村澄夫、大高弘達、谷野予志、森田智子といったあたりということになろうか。
他にも三鬼の弟子の数というものは少なくないのであろうか。以前、大阪俳句史研究会かなにかの冊子で、三鬼の弟子についてのどなたかの講演記録の資料が手元にあったのだが、どこかに紛失してしまった。
3月16日 火曜日
この間、関悦史氏が塩野谷仁という「海程」の作者について論じておられたのだが、思えば自分はこの「海程」所属の作者というものについて全体的にあまりよく知るところがなく、またその作品についてもこれまであまり深く知ろうとしてこなかった、という事実にいまさらながら気が付くところがあった。
思えば「海程」という俳句誌は、昭和37年(1962)の創刊から現在までなんとほぼ50年(!)に近い歳月にわたってその活動を続けてきており、それこそ相当な歴史を有すまさしく老舗といえよう。ゆえにその作者の数というものについてもこれまでには大変な数が存在したのではないかと思われる。
せいぜいのところ、自分が「海程」の作者と聞いて思い出せるのは、
堀葦男、阿部完市、島津亮、立岩利夫、門田誠一、東川紀志男、大橋嶺夫、仲上隆夫、八木三日女、林田紀音夫、澁谷道、酒井弘司、大沼正明、竹本健司、奥山甲子男、穴井太、小金まさ魚、毛呂篤、福田基
といったあたりの俳人であろうか。
金子兜太編『現代の俳人101』(新書館 2004)を見てみると、他に、安西篤、武田伸一、堀之内長一、森下草城子、森田緑郎、などといった作者の名前の存在が窺える。
さらに、手近にあった『大沼正明句集』(海程新社 1986)を少し繙いてみても、広告に、高橋たねお、佃悦夫、野呂田稔、などといった名前が見られる。
これだけを見ても「海程」の構成メンバーというものは相当に多彩であり、全体を大雑把に俯瞰するだけでもなかなか困難なものがありそうである。
3月18日 木曜日
先週に続き、ネット古書でまた句集を購入した。時折、まるでなにかの発作のように、句集などの書籍をネット販売で見境もなく何冊も一気に購入したくなる衝動に駆られることがあるのだが(また会員登録をしていれば購入の手続きが大変簡単なので、気が付けば何冊も注文してしまった後というケースも多い)このところ、またそのような症状が顕著となる周期がめぐってきはじめているような気配がある。
今回購入した句集は、岩田眞光という作者の『芍薬言語』(書肆季節社 1987年刊)。本の大きさはおおよそ新書のサイズに近い割合に小さなもの。頁についても大体100頁足らずであり、随分と薄い。函入りで全体がグレーで統一されたシンプルなデザインの実に素晴らしい装丁の句集である。装丁の担当は政田岑生。栞文は歌人の塚本邦雄が執筆。限定300部で、おそらくこの句集は現在までその存在自体がほとんど知られていないのではないかとさえ思われる。この岩田眞光という作者は歌人でもあるとのことで、歌集として『百合懐胎』(書肆季節社 1991)という本も存在する。
句集の内容としては、1980年から1986年までの間の作である計125句(跋文中の1句を入れて計126句)が収録されている。句集としては、大体6、7年ほどの期間から僅かにこれだけの選出であるから随分厳選であるといえよう。
泡となる男もゐるや晩夏光
旅人よ水彩の青に溶けてしまへ
アスファルトに腐りかけたるキャベツかな
硝子屑くだきて運ぶ男たち
露の眼に単彩色のカレンダー
もりあがる横断歩道はおんがくだ
雲のなかからずりおちている網戸かな
ピンクのアンダーラインは春の鳥だね
B級のワニがとびだす絵本かな
檻のなか五月の砂が撒かれをり
これらの作品というものはその軽やかさと口語の使用から、いうなれば、単なる伝統的な方向を目指す「新古典派」の作風でもなければ、耽美主義的な方向性を追求した作風とも異なる様相の、まさしく「ライトヴァース」とでも言う他にない作風ということになろう。
思えば、この句集の作品の生み出された1980年から1986年という期間は、短歌の世界において、仙波龍英、荻原裕幸、穂村弘、俵万智などの歌人たちが登場した時期と重なるということになる。
また、著者はその跋において〈70年代を代表する句集の一つとして摂津幸彦の『鳥屋』をあげたいと思う。この挑発的な句集によって、秋櫻子にはじまり波郷によって受けつがれた「現代俳句」が、私のなかでがたがたと崩れ去りその有効性を失ってしまったことを知った。〉と記している。
3月19日 金曜日
『芍薬言語』を読んでいて、この岩田眞光という作者には、この第1句集のみならず第2句集の存在というものもあったはず、ということを思い出した。
塚本邦雄の短歌誌『玲瓏』の誌上に掲載された、誌上句集である『枇杷の歌』がそれである。
これが一体何時の頃の作品であるのか、手元にはその部分のコピーしかないのでその掲載号と年代についての詳しいことまではよくわからないのであるが、おそらく1990年前後のものなのではないかと思われる。そして、この句集における作品の数は、総計でおよそ219句ということになる。
真っ黒なダンクシュートの冬が来た
アルミニュームのジョバンニといて水曜日
灰色の男がばらす非常口
冬の田に飛びこんでしまう冷蔵庫
サランラップにくるまれている春の雨
迷宮に超然といる烏賊若し
桜鯛鋼の台車置かれけり
はつはつと露ひとつぶの涅槃かな
秋の部屋 ギブスを割ってはずしけり
希釈液のむこうで土手が終っている
冬の眼に投げつけている石榴かな
大いなる愚かなるもの枯野踏む
こんこんと神のみぞ湧く水飲場
翼なき男に冬の祈りあり
神の眼を溶接したる配管工
透明なあごのかたちが冬を見る
この句集も前句集と同様、ライトヴァース的な書き方による作品でほぼ全体が占められているといった感がある。第1句集の跋からも窺えるように、作品のシュールさから攝津幸彦の影響というものが若干見受けられよう。ただ、攝津幸彦の影響というものを受けつつも、攝津幸彦の句ほどの重厚さというか重心の低さといったものはこれらの作品においてはさほど認めることができず、どちらかというとそういった攝津幸彦の作風のポイントからすこしばかり意図的に身を翻すことによって得られる結果となった軽快さといったものが作品の全体からは感じられるところがある。
しかしながら、このような俳句の書き方は、短歌形式においてならばこのようなライトヴァースによる叙法というものもその作品の成立させるために有効な手法であったということになるのであろうが、どうもこの俳句形式の場合においては、いまひとつ作品の上において凝縮度や重厚さといったものに欠ける側面があり、1句の印象そのものがやや薄っぺらなものとなり拡散してしまうケースが多いようで、なかなか優れた成果をあげることは容易なものではないように見受けられるところがある。上に抄出した句については、まだある程度の完成度を宿した句として成立していると見受けられるところがあるのではないかと思われるが、句集全体としては、やはり若干完成度の面で覚束ないように思われてしまう作品の数というものも少なくはない。
しかしながら、このようなやや特殊な方向での俳句の試行といったものが、嘗てあまり目立たない場所においてひそやかに存在していたという事実については、なかなか興味深いものがある。
また、思えば、このようなライトヴァースとでもいうべき作風というものは、もしかしたら当時の俳句総合誌『俳句空間』で活躍した新鋭たちの作品と若干共通するところのある作風であるといえる面もあるのかもしれない。以前にも記したことがあるように、この当時におけるアンソロジーとして『燦 ―「俳句空間」新鋭作家集』(弘栄堂書店 1991年)、『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店 1993年)が存在する。
この作者がその後如何なる俳句を成したのか(あるいは成さなかったのか)について、また、現在でも俳句を書き続けているのか否かなど、自分は何一つ知るところがない。
3月20日 土曜日
邑書林のアンソロジーである『超新撰21』の人選が一体どのようなものとなるのか、随分と気になるところである。
今回の『超新撰21』に収録される予定の作者の年齢は50歳以下ということで、そこから50歳以下の作者ばかりというわけではなさそうであるが、何年か前に現在活躍中の俳人たちのアンソロジーが刊行されていたということを思い出した。
少し調べてみると、その内容は以下の通りのものであった。やはり、様々な条件からこれらの内容とも『超新撰21』の人選は割合異なるものとなる可能性が高いのではないかと思われる。
・『現代俳句最前線 上巻』(北溟社 2003)
藺草慶子 石田郷子 石嶌岳 稲畑廣太郎 岩田由美 上田日差子 大石雄鬼 小川軽舟 小澤實 如月真菜
・『現代俳句最前線 下巻』(北溟社 2003)
柴田奈美 仙田洋子 田中裕明 谷口桂子 辻美奈子 中田剛 夏井いつき 二村典子 日原傳 皆吉司 山西雅子 吉原文香 依光陽子 和田耕三郎
・『現代俳句 新世紀 上巻』(北溟社 2004)
いのうえかつこ 岩月道子 遠藤若狭男 大竹多可志 奥坂まや 加古宗也 坂本宮尾 嶋田麻紀 島村正 鈴木多江子 高野ムツオ 谷中隆子 筑紫磐井 戸恒東人
・『現代俳句 新世紀 下巻』(北溟社 2004)
中西夕紀 中根美保 西川徹郎 西山睦 野木桃花 能村研三 林桂 平田繭子 福本弘明 ふけとしこ 松尾隆信 南うみを 村上喜代子 山﨑十生
--------------------------------------------------
■関連記事
俳句九十九折(48) 七曜俳句クロニクル Ⅰ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(49) 七曜俳句クロニクル Ⅱ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(53) 七曜俳句クロニクル Ⅵ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(55) 七曜俳句クロニクル Ⅷ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(58) 七曜俳句クロニクル ⅩⅠ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(61) 七曜俳句クロニクル ⅩⅣ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(63) 七曜俳句クロニクル ⅩⅥ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(68) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅠ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(69) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅡ・・・冨田拓也 →読む俳句九十九折(70) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅢ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(71) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ・・・冨田拓也 →読む俳句九十九折(72) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ・・・冨田拓也 →読む
俳句九十九折(73) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅥ・・・冨田拓也 →読む
-------------------------------------------------
■関連書籍を以下より購入できます。
0 件のコメント:
コメントを投稿