2010年6月13日日曜日

俳句九十九折(87) 七曜俳句クロニクル XL・・・冨田拓也

俳句九十九折(87)
七曜俳句クロニクル XL

                       ・・・冨田拓也


6月6日 日曜日

『現代詩手帖』6月号において、髙柳克弘氏が「ゼロ年代」の100句選を担当されたわけであるが、今回この「―俳句空間―豈weekly」の94号において、高山れおな氏が『「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする』と題し、その髙柳氏の100句選をもとに自らの100句選を提示されているのを見て、その反応の迅速さになんとも驚いてしまうところがあった。

ともあれ、これで「ゼロ年代」の俳句の成果を選ぶのにもっともふさわしい選者である2人によって100句の選出が成されたということになる。やはり現在、資料とともに、優れたバランス感覚を以て俳句の世界を広く見渡す視野と見識を備えているのは、この2人を於いて他にはいないであろう。

そういえば、誰も憶えていないであろうが、自分はこの連載「俳句九十九折」の第1回目で何人かの俳人が「百人一句」のようなものを作成してみたら面白いのではないか、といったような企画を提案していたのである。少々異なったかたちであるとはいえ、今回このようなかたちで100句選が実現の運びとなったことはなんとも喜ばしい。

しかしながら、高山氏の選の、なかはられいこ、岩下四十雀、佐藤成之、ことり、曾根毅といったあたりの作者の作を選び出してくる意外性、そして、岡井省二、安井浩司、阿部完市、竹中宏、矢島渚男といった実力派の作者の作をしっかりと組み込んでゆく構成力というものは、やはり並みのものではないといえよう。他に、草間時彦、山上樹実雄、川崎展宏、茨木和生、綾部仁喜、大牧広などといった作者の句の選出にしても、よくこのような作品の存在まで把握しておられるものだなと感嘆してしまうところがあった。あと、社会的なテーマ性を備えた句が散見されるのも、この選者ならではの見識ということになろう。ともあれ今回のような選を行うことが可能なのは、おそらく現在のところ高山氏の他にはまず存在しないのではないかという気がする。

また、このように作者の名前と作品を眺めてみると、もしかしたらゼロ年代における俳句の成果というものも割合ヴァリエーションに富んでいて、それほど悪いものでもないのかもしれないという思いのしてくるところもある。

そして、今回の髙柳、高山両氏の選を目にしてみると、もはや自らの手によって100句の選を行う気にはあまりなれない気がしてくるようなところがある、というのが正直なところであろうか(そもそも自分には100句を選んでみようという気持は、非常に大変そうであるゆえ、最初からさほど持ってはいないところがあるのであるが)。

ともあれ、あとこの自分にできることといえば、せいぜいのところこれらの100句選から洩れている作者とその作品の存在というものをいくつか拾い集めて、ここに提示することくらい、ということになろうか。

というわけで、以下に髙柳、高山両氏の100句には選ばれていない作者とその作品を選出してみた。

ちらちら雪弟よもう寝ましたか   清水径子 『清水径子全句集』(2005 発行 清水径子全句集刊行会 発売 らんの会)

「ひかり」のなかを歩いて西へ麦の秋   鈴木六林男 『鈴木六林男全句集』(2008年 草子舎)

ゆく雁やひたすら言語(ラング)たらんとして   小川双々子 『荒韻帖』以後(『現代俳句』2005年7月号より)

青梅の落つるは天地玄黄に   和田悟朗 『人間律』(2005年 ふらんす堂)

鯛焼のはらわた黒し夜の河   吉田汀史 『俳句年鑑2004年版』(角川書店)

白鳥のこゑ劫(かふ)と啼き空(くう)と啼く   手塚美佐 『猫釣町』(2006年 角川書店)

暗きより来たり暗きへ踊りゆく   西村和子 『心音』(2006年 角川書店)

一粒の葡萄のなかに地中海   坂本宮尾 『木馬の螺子』(2005年 角川書店)

夭折や稀には見ゆる蜘蛛の糸   中田剛 『俳句年鑑2007年版』(角川書店)

白髪の姉棲む桜大樹かな   皆川燈 『舟歌』(2003年 《白》発行所)

机上あり鷹匠鷹を追ふごとく   佐々木六戈 『俳句研究』2004年2月号(富士見書房)

銀河濃し水の宅急便届く    浦川聡子 『水の宅急便』(2002年 ふらんす堂)

白息に置き忘れられたるは人   小林千史 『風招』(2006年 富士見書房)

つぐみつぐみ死ぬほどの青知らないか   仁藤さくら 『光の伽藍』(2006年 ふらんす堂)

桜満開おのが身に皮膚いちまい   辻美奈子 『真咲』(2004年 ふらんす堂)

湾岸道路分岐繰り返して晩夏   山根真矢 初出不明(『澤』2007年7月号「自選」50句より)

ことごとく未踏なりけり冬の星   髙柳克弘 『未踏』(2009年 ふらんす堂)

以上が一応の結果となるわけであるが、資料の問題などにより、これらの作品以外の優れた句の存在というものを相当見落としてしまっている可能性が多分にあり、おそらくゼロ年代における成果というものは、まだ他にも存在するのではないかという思いも少なくない。

ともあれ、何人かの作者について簡単に解説しておきたい。

小川双々子は、1922年生まれ、2006年に83歳で逝去。『荒韻帖』という句集が2003年に邑書林から出ているが、そこに収録されている作は1990年から1997年までのものとなっており、その後の1998年から2006年に亡くなるまでの作品というものはまだ句集といったかたちで纏められてはいないようである。掲出の句以外に、この作者の最晩年にあたる時期の作にも〈まだ遠し聖夜の街を通り過ぎ〉〈ひかる雁帰るゆうふらてすふはふは〉〈雨蛙のみどたつぷり五大とは〉〈海市なる邂逅さ揺れ人の世は〉〈黄落のはじめぶるうす誰があるく〉〈浮き氷とぞ現存在は光りつ〉などといったなんとも謎めいた句がいくつも見られる。こういった作品を見るとこの作者は83歳で亡くなるまで、異色の作家としての姿勢を貫き通した実に稀有な存在であったということが理解できるであろう。現在においてもあまり語られることの少ないこの作者の実態というものは、いまだに謎に包まれたままであるといえそうである。

皆川燈さんは、永田耕衣の晩年の弟子で、現在鳴戸奈菜の「らん」所属。『舟歌』は第1句集。耕衣はもとより清水径子、中尾寿美子の作風をそのまま受け継ぎつつも、そこに童話的な物語性を加味したような作風の持主であり、他に〈えごの花この世に小さな駅ひとつ〉〈春のような手毬をひとつ持たせやる〉〈手を足を濡らして帰る青山河〉〈妹の産み落とさるる紅葉山〉〈影のうさぎと秋風を遡る〉〈魚泳ぐ石夕焼の棲む石も〉などといった作品がある。

小林千史さんは、現在竹中宏主宰の「翔臨」所属の作者で、学生時代は山西雅子さんと同級生であったとのこと。『風招』は第1句集で、他に〈薄紅のまじる墨色蝌蚪の腹〉〈老人が雪を払ひぬ鷹のごと〉〈交番に素足の揺るる桐の花〉〈葱坊主きつと助けてあげるから〉などといった作品がある。

自分がもし、これからゼロ年代の100句を選出するとするならば、当然ながら髙柳、高山両氏の選んだ100句選と、いまここに選んだこれらの作品をベースとしてその構成を考えてゆく他ないわけであるが、どの作品を残してどの作品を変更するかなどといった作業の困難さを考えると、いまからなんとも頭の痛くなってくるようなところがある。

一応、とりあえずのところ今回自分が選出したこれらの作品というものは、ゼロ年代の俳句における成果の「補足」ということにしておきたい。これらの作品については、髙柳、高山両氏の100句選と併せてお読みいただければ幸いである。



6月7日 月曜日

ここ数週間の「ふらんす堂」のHPの「草のこゑ」の執筆者は、高山れおな、関悦史、永末恵子の3氏というなんともすごいラインナップ。

しかしながら、

老婆たちまち没す怒号の薄原

や、

蝸牛まひるの崖をころげ落つ

という句は、自分も全句集を通読したわけなのであるが、どちらも全く記憶にない句であったので少々驚くところがあった。

また、これまでに掲載されている文章を読んでゆくと桂信子という作者は、やはり随分と多面的な要素を内包していた作者であったということがよくわかるところがある。



6月8日 火曜日

「週刊俳句」のコメント欄を見ると、上田信治さんも「自家版100句選」を行う予定であるとのことである。非常に楽しみであるが、その結果については全く予想がつかないところがある。

現在の髙柳、高山両氏の100句選が提示された後において、他の方が100句を選べば一体どのような結果となるか。このあたりも注目されるところであろう。



6月12日 土曜日

今号で「―俳句空間―豈weekly」も95号ということで、この連載もあと残すところ5回ということになる。

しかしながら、このラストに近い局面において、突如「ゼロ年代」の100句選という面白い「催し」が発生することになるとは思わなかった。何事も先の展開というものはなかなか予想のつかないものである。

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