2010年5月31日月曜日

第93号

5/31(月)「寓句たのしや、未踏論争もちょっと」を追加

第93号

2010年5月30日発行(5月31日更新)


俳句九十九折(85)

七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅧ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔61〕ただひとつ待つことありて暑に堪ふる

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

閑中俳句日記(35)

村上鬼愁『句集 竹箆』

          ・・・関 悦史   →読む

「セレクション俳人」を読む 13 『行方克巳集』

テンプレートのゆくえ

          ・・・藤田哲史   →読む

寓句たのしや、未踏論争もちょっと

高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』を読む

          ・・・高山れおな   →読む

おしらせ(第8回Twitter読書会「中本真人+林誠司」)   →読む

あとがき           →読む

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高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』を読む

寓句たのしや、未踏論争もちょっと
高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』を読む



                       ・・・高山れおな


先週と同じパターンであります。つまり去年の出版で、書評を見て読まばやと思いながらそのままにしていた本に、やっと最近出会いました其の二。本は高橋潤二郎氏の『鑑賞 経営寓句』(*1)で、書評というのは丸谷才一氏のものです。ひとつは「(才)」の署名で毎日新聞の「今週の本棚」に出たレヴュー(*2)、もうひとつは読売新聞に載った「棒のごときもの」というエッセイ(*3)なのですが、レヴューの方は短いので全文引いてしまいます。


山本健吉は挨拶と滑稽を俳諧の二大機能としたが、高橋潤二郎はさらに加うるに寓言(ぐうげん)という性格をもってする。芭蕉は「物いへば唇さむし秋の風」をはじめ比喩的な句をたくさん詠んだが、この調子で人生の教訓を五七五で述べることは社会に役立ったと指摘するのである。正岡子規は美以外の要素を捨てて、俳句を純粋な文学にしようと努力した。しかし山本や高橋はもっと広い視野で俳諧をとらえようとする。大人っぽいものの見方だし、文学史的にも正しい。数理・計量地理学の権威の著書で、いわば隠し芸だけれど、この慶應義塾大学名誉教授は、よく詩を解するし、筆が立つ。ここ数年の俳諧論のなかで最も刺激の強い本である。(才)

簡にして要を得るとはこのことで、なんの異存もございませんけれど、ひとつ補足しておくと高橋潤二郎氏は、本書の中で〈物いへば唇さむし秋の風〉をとりあげてはおりません。では、丸谷氏が誤まったのかというとさにあらず。この句が登場するのは、高橋氏の本文ではなく、鳥居泰彦氏が寄せた「序にかえて」の方なのです。この鳥居さんも経済学者で、慶應義塾の塾長も務められた権威者らしい。鳥居先生、丸谷先生ともに、なぜ本文に出てこない「物いへば」の句を文中に織り込んでいるかといえば、「寓句」というタームを説明する際の実例としては、これ以上に端的でわかりやすい句はないからでしょう。上に引いた丸谷さんの言葉を借りれば、「比喩的」(=寓喩的)な表現で「人生の教訓」を盛った句がすなわち寓句ということになります。しかし、書名で、その頭に冠せられている「経営」の二文字は? これについてはもちろん高橋氏自身にご教示いただかねばなりません。説明がなされているのは「跋」。曰く、経営=マネジメントというとまず企業のそれを思い浮かべるが、経営のカヴァーする範囲はそれにとどまらず、国や自治体、諸団体から個々の世帯まで、収支のあるところ必ず経営がある。それどころか、地球規模の熱循環や生物個体・細胞レベルの物質交換だって経営の一分野なのだ……。

さらに、金銭上の収支だけでなく、人生の諸局面で生ずるさまざまな恩誼の授受や貸借を考えれば、人生そのものが経営の対象だといえる。実際、われわれは皆胸中に自分しかわからないバランス・シートを持っており、その収支を合わせることに苦慮しているともいえよう。その意味で、本書は、初老から次第に老境に近づく中で、そろそろ人生の決算書を書きあげねばならぬ一人の「経営者」が日々の所感を年来親しんできた俳諧や俳句に託して語ったものだともいえる。

このような視点により、貞徳・宗因から一茶・梅室にいたる近世の俳諧師四十八人、鳴雪・竹冷から夢道・郁乎まで近現代の俳人十八人の「経営寓句」が選ばれ、鑑賞されているのですが、昨今のエッセイ一般のうちに置いても出色のものに数えられるのではないかと思いました。鑑賞の主たる対象になる句が冒頭に見出しとして立てられ、作者についての紹介や、当該句とその周辺をめぐる考察がなされるといったあたりは、名句鑑賞を看板にした本の通例の書きぶりと同じですが、そこで披瀝される俳句についての見識や鑑賞力はなまなかな俳人では太刀打ちできないようなハイレベルのもので、しかも「経営寓句」という筋が一本通っていることによって文章が俄然生動しております。まさに、「筆が立つ」のです。

さらに鑑賞に引き続いて、イソップなどの寓話や昔話の最後に教訓が付くように、氏の「経営者」としての「日々の所感」が記されるのですが、その話題の転じ方にはしばしばニヤリとさせられました。俗に、木に竹を接ぐ、と申します。物事の条理が通らないことを批判する言い回しですが、高橋氏の語り口の巧妙なること、さながら木に竹を接いでしかも条理を通してしまうおもむきがあります。その条理の通し方はさまざまで、対象が狭義の寓句であればそれでも木に竹を接ぐ度合いは弱く、句の意味自体の展開から比較的自然にオチがつきます。一方、一見するとどこが寓句かわからないような自然詠なども本書にはとりあげられていて、その場合はむしろ高橋氏が付けるオチによって句の方が寓意化される感じです。前者のケースとしては、芭蕉の

この道や行人なしに秋の暮

の鑑賞が好例でしょう。高橋氏は、寓句の魅力は、〈寓喩上の説得力と感性的な訴求力〉という〈二つの力〉の合成によってもたらされるとし、芭蕉はそのような意味での〈寓句作家としても一流であった〉と述べた上で、「かろみ」という新たなモティーフを提示した晩年の芭蕉の孤立感へと筆を進めてゆきます。

なぜ、彼ら(弟子たち……引用者注)には自分にとって自明なこの美的世界(かろみの世界……引用者注)のおもしろさがわからないのかといういぶかしさ、そのおもしろさを作品としてつくりあげることのできぬもどかしさ、更に、人生の暮れ方に近づいた人びとに共通のさびしさとあきらめ、そうしたさまざまな想念や情感がこの一句の中にこめられているように思われる。

晩年の指導者が新規事業や活動に情熱的に取組み、人びとにその意義を説き、積極的参加を呼びかける。だが、もう一つ周囲の共感を得られない。自らの夢を伴送者ではなく、いまだ現われぬ継走者に託さざるを得ない。こうした事態は、芸術や学問だけでなく、政治、経営の分野でもよくあることである。

うーん、よくわかります。俳句はさておき、それ以外のところでの自らを振り返ると、自分はどちらかというと芭蕉の弟子たちに近いかもしれない、なんて思いもしながら。では、その弟子の代表格のひとりである凡兆の、普通の意味では寓句とはみなし難い、

上行くと下くる雲や秋の空

には、どんな寓意化が施されるのか。著者は、例の〈下京や雪つむ上の夜の雨〉の推敲の一件などに触れて凡兆の人となりを一瞥したあと、いきなりインターネットの方へ話を振ります。現代人は、インターネット上をさまざまなスピードでゆきかう多種多様な情報に接せざるを得ないが、それら情報の質は一様ではなく、きわめて雑多でしばしば相矛盾しており、〈事態はまさに秋の空を行きかう雲のようにとらえどころのない〉ものとなっている。その雑多な情報から、自らの意思決定にかかわる情報を適切に選択するにはではどうしたらよいか。

この場合、鍵となるのは「多様度」である。われわれは各自が多様なスケーラー(測定用具)を持つことを要請される。重量計は「重さ」以外をはかることはできない。距離や温度を測るには別の用具を必要とする。次にスケーラーの感度をあげることが重要である。……高感度センサー(機器や人間)をどれほど多く組織の中にとりこむことができるか、これが経営者の資質をはかる規準となろう。多様で繊細なセンサーを具備する者だけが環境の微妙な差異を識別することができる。

インターネットの世界を雲の行き交う秋の空のようだとするのが寓意化の一ですが、この最後のセンテンスもまた凡兆と結びついて言われています。掲句以外でも、〈渡りかけて藻の花のぞく流れ哉〉〈市中は物のにほひや夏の月〉〈呼び返す鮒売り見えぬあられ哉〉といった句を引いた高橋氏は、聴覚レベル、視覚レベルで感覚を細分化して対象を捉えた上で、そうした複数の感覚を交錯させることのできた点に凡兆の非凡さを見ています。凡兆はまさに、「多様で繊細なセンサーを具備する者」だったわけです。

さて、丸谷才一氏が、本書について「ここ数年の俳諧論のなかで最も刺激の強い本」とまでいうのは、個々の鑑賞のおもしろさに加えて、高橋氏の俳句観が正岡子規が作った近代俳句の枠組を相対化する性格を持っているからであることは、最初に引いたレヴューの記述にあるとおりです。高橋氏自身その点について明確に自覚しており、加賀千代女の項では、子規の月並批判を、〈われわれがそうであるように、明治生れの世代も、それに先立つ時代に対していくつものアンフェアな仕打ちをしているが、これもその一つであろう。〉と述べています。「理屈を含む句」「譬喩の句」「擬人法を用いた句」「人情を現した句」「誇張した形容をもつ句」「語句上の技巧を弄する句」などを否定する子規のレジームは、さすがに現在もそっくりそのまま維持されているわけではありませんが、これは理屈だから、これは比喩だから、といった理由である句に否定的評価をくだすシーンは、こんにちでも幾らでも目にしますし、まして俳句に人生の教訓を読み取るというような読み方は地を払っていると言ってよいでしょう。その限りでは子規の指導はいまだ効力を保っているのですが、では、近現代に寓句が存在しないかといえばそうではなくて、じつはかなり広範に存在はしています。それらの句は高く評価されている場合さえ少なくなく、そして読者はそれらに寓意なり教訓なりを薄々感じてながら、殊更それを指摘しないようにしながら読む、そんないささか捩じれた対応を私たちは読者として取ってきたということかもしれません。ふと思い出したのですが、高濱虚子が自作の

遠山に日の当りたる枯野かな

に対して取っている態度などは、そうした捩じれの好例ではないでしょうか。『定本高濱虚子全集』(*4)の第一巻の解説は、虚子の長男の年尾が担当していますが、そこに興味深いエピソードが見えます。年尾は、地方の俳句会などに呼ばれて話をする際、「遠山に」の句を取り上げる場合が多かったそうです。

目の前に枯野があつて、遠くに山がある景色で、冬の索漠たる景色の中に、かの遠山に日が当つてゐる場合、この枯野もやがて春近くなれば、少しづつ青みが甦つて来る、春もそこ迄来てゐる感じになつて来るといふ、季節の移り変つて来る様子が読みとれると思はれる一種の人生観めいたものが想像されると説明して来てゐた。

まさに寓句としての読みでしょうけれど、このことを聞いた虚子は、年尾を次のようにたしなめたといいます。

「そこ迄云ふのは月並的だね。人生観といふ必要はない。目の前にある姿で作つたものが本当だ。松山の御寶町のうちを出て道後の方を眺めると、道後のうしろの温泉山にぽつかり冬の日が当つてゐるのが見えた。その日の当つてゐるところに何か頼りになるものがあつた。それがあの句なのだ。」

とはいえ、「その日の当つてゐるところに何か頼りになるものがあつた。」というのも微妙といえば微妙な言い方で、それ自体は句を作るプロセスにおける主観的な印象だったとしても、“人生観”的な方向に展開し得る要素に違いありません。事実、『虚子俳話』(*5)には、「遠山に」の句について、次のようなよく知られた記述があります。

自分の好きな自分の句である。
どこかで見たことのある景色である。
……わが人世は概ね日の当らぬ枯野の如きものであつてもよい。寧ろそれを希望する。たゞ遠山の端に日の当つてをる事によつて、心は平らかだ。
烈日の輝きわたつてをる如き人世も好ましくない事はない。が、煩はしい。
遠山の端に日の当つてをる静かな景色、それは私の望む人世である。

これは、人生観に基づく解釈以外のなにものでもないでしょう。つまり虚子自身、この句を寓句ともみなしていたことになります。それでいて息子には、「人生観といふ必要はない。」と指導するのは、虚子の例によっての言行不一致ということになるでしょうか。ただ、ことはそう簡単でないのかもしれません。虚子にとっての子規、虚子にとっての近代文学の枠組み、虚子にとっての俳諧の伝統、そうしたもろもろの要素の輻輳が、この捩れに露呈している、そう考えることも可能でしょう(今回は深入りしませんが)。なんにせよ、同じ寓意的解釈でも年尾のそれと虚子のそれとでは、さすがに虚子の方が格段に魅力的なようです。年尾の方は、いうところの人生観自体が出来合いのもので、それだけ通俗的に感じられます。それに対して、虚子は自分の人生から帰納した認識を自分の言葉で語っています。虚子が述べる内容に共感するかしないかはともかく、やはりこの差は無視できません。

ちなみに『鑑賞 経営寓句』で取り上げられている虚子の句は、この「遠山に」ではなく、

涼しさは下品下生の仏かな

「俳諧スボタ経」などで、いわば易行道としての俳句を説いた虚子の俳句観と結びつけての寓句としての読みが施されており、なるほどと思わされます。虚子の寓句はしかし、この両句に限るものではありません。すぐに思いつくものだけでもこんなのがあります。

年を以て巨人としたり歩み去る
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
龍の玉深く蔵すといふことを
人生は陳腐なるかな走馬燈
去年今年貫く棒の如きもの
昂ぶれる人見て悲し秋の風
香水の香にも争ふ心あり

一、四、六、七句目は狭義の寓句であり、二、三、五句目は、読み方によって寓句として解釈し得る句、ということになりましょうか。

ところで、坪内稔典氏は、俳句をその短さゆえに、〈簡単に覚えてどこででも口にできる口誦の詩。〉と規定したことがあります(*6)。実際には、そうそう簡単に覚えられなかったりもするのですが、しかし中では寓句、とりわけ狭義の寓句は比較的記憶しやすいのではないかと、今、虚子の句を書き写しながら思いました。少なくとも、細密描写に冴えを見せる純然たる写生句などよりは余程覚えやすそうな気がします。これは句の価値とは別の話ですが。ここで坪内氏の名が出たので、氏には寓句があるだろうかと探ってみると、句集『猫の木』にある、

がんばるわなんて言うなよ草の花

は、掛け値なしの寓句ですね。では、ライヴァル攝津幸彦はというと、『陸々集』に、

国家よりワタクシ大事さくらんぼ

があります。どちらも、良い作品かどうかはともかくきわめて覚えやすく、実際、人口に膾炙している句のように思います。このような寓句的作品はまだまだ幾らでもあるはずで、最近話題になっているところでは、高柳克弘氏の句集『未踏』の巻頭句、

ことごとく未踏なりけり冬の星

なんかもそうではないでしょうか。「e船団」の「俳句時評」のコーナー(*7)で、小倉喜郎氏とわたなべじゅんこ氏が『未踏』について往復書簡形式で批評し、それについて「週刊俳句」で上田信治がやや批判的に言及、神野紗希も自分のブログで意見を述べる、などの動きがありました。

この句は、一義的には叙景句ということになるかと思います。「鷹」誌に初出の時から知っていますが、満天の「冬の星」を「未踏」のものとして捉える発見の鮮やかさ(機知といってもいいでしょう)と、重厚端正な句姿にまずはしびれました。もちろん、「未踏」の語が呼び出された時点で、その対象はいずれは踏破されるべきものとして(その不可能性と共に)認識されたことになりますから、そこに一定の寓意性が生まれます。加えて句集の巻頭に据えられたことで、この句は完全に俳人高柳克弘の出発を期する決意表明の寓句と化しました。それも高橋潤二郎氏がいう「寓喩上の説得力と感性的な訴求力」を併せ持った、すぐれた寓句です。でもって、まさしくその寓句性を批判するのが上述の小倉氏なのです。

『未踏』の始まりにこの句を置く感覚があり、またそれを当たり前のように受け入れる俳壇がある。この感覚では句集が面白くなるはずがない。そもそも詩を志すことは「未踏」の地をゆくことであり、だからこそ表現活動をやっていると言っていい。表現活動の原点なのだ。そのことを今更句集の冒頭に示す必要はない。作品の冒頭に「ガンバリマス」と言ってしまったようなもので、後の句にも影響を残す。つまりこの句集のスタンスは身内へ、或いは俳壇の狭い範囲内への自己紹介的なものになってしまっている。句と句集の表現の可能性を狭めてしまっている。「角川 俳句」に書く彼の様々な視点からの「現代俳句の挑戦」をいつも興味深く読んでいるだけに、このことが残念である。俳人はもっとentertainerになるべきなのだろう。そうでないと、他ジャンルの人たちから「俳句なんて芸術でない」と言われかねない。

小倉~わたなべ往復書簡中にも、関東/関西の差異についての発言があったのですが、決して出鱈目ではないにもかかわらず全く首肯し難い小倉氏の意見を読みながら、地域性などを持ち出しての議論の不毛さを承知の上で、結局そういうことなのかしらと言ってしまいたい誘惑も感じるのです。というのも、わたくし『新撰21』巻末の座談会で、小倉氏と真逆の意見を申し述べているからであります。高山 北大路翼氏はエンターテイナーと自称しておりますが、高柳氏もそうとうエンターテイナー的なところがあるんじゃないかな〉云々。わたくしが高柳氏をエンターテイナーではないかというのは、もちろん「ことごとく」の句をあえて巻頭に据えるような立ち居振る舞いを含めて、というかむしろそれあればこそですし、髙柳氏のエンターテイナー性は少なくとも座談会出席者(高山の他、筑紫磐井、対馬康子、小澤實)の間では了解を得ていたと認識しています(当該項の最後の小澤氏の発言を見よ)。そうした地点から、「『未踏』の始まりにこの句を置く感覚があり、またそれを当たり前のように受け入れる俳壇がある。」などという反撥の仕方を見ますと、小倉さんどんだけナイーブなのよ、と思わず口走りそうになります。氏のトータルな発言を読むとそんなにおぼこい人とも思えませんから、とすればやはりentertainmentとは何かをめぐる文化の差なのかな、と。あるいは単に氏が、“俳壇” というものに高を括っている結果の発言なのかも知れませんが。

ちなみに「現代詩手帖」六月号の短詩型特集(*8)に、詩人の杉本徹氏が「曇り日の薄陽のこと 髙柳克弘『未踏』をめぐって」のタイトルで一文を寄せています。まさに「ことごとく」の句について透徹した論が展開しており必読。杉本さんの文章のシリアスな雰囲気はいかにも小倉さん好みではなさそうですが、「つまりこの句集のスタンスは身内へ、或いは俳壇の狭い範囲内への自己紹介的なものになってしまっている。」というような批判が、半分当たっているようでいて、しかし根本的には的外れであることだけはわかるのではないでしょうか。

(*1)高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』
    二〇〇九年 慶應義塾大学出版会
(*2)毎日新聞 二〇〇九年十月四日
(*3)これは「バッグの本 ベッドの本」という
    三回続きのエッセイの第二回である。
    讀賣新聞 二〇〇九年十一月四日
(*4)『定本 高濱虚子全集』
    第一巻 俳句集(一)
    一九七四年 毎日新聞社
(*5)『定本 高濱虚子全集』
    第十二巻 俳論・俳話集(三)
    一九七四年 毎日新聞社
(*6)坪内稔典「俳句の楽しさ」/
    『俳句 口誦と片言』
    一九九〇年 五柳書院
(*7)「e船団」/「俳句時評」
    四月二十七日~五月十一日
http://sendan.kaisya.co.jp/sendanjihyo.html
(*8)「特集 短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」  

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2010年5月30日日曜日

あとがき(第93号)

あとがき(第93号)


■高山れおな

土曜日は小学生の息子の運動会で、朝六時から校門の前に並んで場所取りをいたしました。子煩悩のごとくでありますが、もちろん校門ならぬ後門の狼に強制されたまでです。その他もろもろ差し支えあり、拙稿間に合わず。ただし七割方は書いているので、月曜日までには追加アップいたします。

ふらんす堂がやっている「桂信子全句集を読む 草のこゑ」という一句鑑賞のサイトに、数日前、拙稿も掲出されました。

http://furansudo.com/haiku/kusanokoe/13.html

朝日新聞の俳句時評の第二回が、五月三十一日月曜日の朝刊に載ります。


■中村安伸

月曜日には高山さんをはじめ、数篇の追加がありそうです。


おしらせ(第93号)

haiku&me特別企画のお知らせ

Twitter読書会『新撰21』 第八回「中本真人+林誠司」

「haiku&me」主催のTwitter読書会『新撰21』は前回で三分の一が終了し、次回が第八回となります。
この企画は『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作家と小論をとりあげ、鑑賞、批評を行うものです。
全21回を予定しており、原則として隔週開催いたします。

第八回は中本真人さんの作品「庭燎」と、林誠司さんの小論「季節への肉薄」を取り上げます。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)
また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。(傍聴といっても文字を眺めるだけですが。)

・第八回開催日時:2010/6/5(土)22時より24時頃まで

・参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
 +
その他どなたでもご参加いただけます。

・ご参加方法:

(1)ご発言される場合
開催時間にTwitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)

#shinsen21

※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方は、以下のURLからTwitterにご登録
ください。http://twitter.com/

(2)傍聴のみの場合
以下のURLをご覧下さい。
http://twitter.com/#search?q=%23shinsen21

・事前のご発言のお願い

(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

・お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

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「セレクション俳人」を読む 13 『行方克巳集』 テンプレートのゆくえ・・・藤田哲史

「セレクション俳人」を読む 13 『行方克巳集』
テンプレートのゆくえ

                       ・・・藤田哲史


行方克巳。昭和一九年(一九四四年)生まれ。昭和三五年(一九六〇年)、母光子の影響で短歌を作りはじめる。この頃短歌・俳句を投稿。昭和三八年(一九六三年)、慶応大学に入学。慶大俳句会に入会。清崎敏郎等の先輩と句座を共にする。清崎敏郎指導の「夜長会」に参加。昭和四三年(一九六八年)、「若葉」に投句をはじめる(このころ風生選)。昭和五四年(一九七九年)、「若葉」四月号より敏郎選。平成八年(一九九六年)、西村和子と共に「知音」創刊、代表。

以上の略暦から見てもわかるように、行方克巳の俳句の歩みは、いわば「慶応大学直系」といっていい。富安風生、清崎敏郎の系譜にあって、その作品は、平明でのびやか。この系譜に列する人たちの作品は、すこやかさという点で、「ホトトギス」直系にもまさる。

町の雨鶯餅がもう出たか   富安風生

かなかなのかなかなと鳴く夕かな   清崎敏郎

記述することの無為をおらぶよりも、これらの作品はただ記述するよろこびを示している。とくに一句目は、「約束の寒の土筆を煮て下さい」(茅舎))などとくらべても、くらべるまでもなくだが、全く健全な、一小市民の、視線なのだ。それにくらべて茅舎の切実さは、俳句に安らぎを求める読み手にしてみると、すこぶる苦しい。

そしてまた同様に、行方克巳の健やかさを、集中から引用してみる。

パンジーの小さき花束わたす役   (『無言劇』抄)

スイートピー束ねてありし輪ゴムかな

毛皮あひ似たりロビーの立話

虫の夜のペーパーナイフいとしめる

アスファルト切れて溶岩道赤蜻蛉


あえてカタカナ表記の素材を用いた作品を集めてみた。たとえば、橋本榮治の作品とくらべると、行方の現代的なモチーフの扱い方は、そっけないようで、そのあくをうまく克服している。

そのそっけなさは、大雑把なつくりように見受けられがちだが、その細やかな言葉遣いは、アマチュアのそれではない。同じ内容を異なる言葉のつなげ方で再構築するのは、むずかしいことではないが、適切に言葉に定着させることを怠ったときの不快感を行方は知っている。例として挙げるとすれば、四句目。「虫の夜の」を「虫の夜や」と切れ字を用いることも出来る。「いとしめる」を「いとしめり」にも出来る。けれども解は無数に存在しえない。五七五の制約には推敲をかさねていくと、幾つかの解に絞り込まざるを得ない何かがある。

コスモスに冷たき雨の日なりけり   (『知音』抄)

とんぼうの世界に長居したりけり   (『昆虫記』抄)

ポケットのどんぐり不意に尖りたる

つまみたる切山椒のへの字かな

たかんなの八方睨み効かせをり


第一句集から第三句集までのどれをとっても破綻のない、収め方をしている。基本に、また技法に忠実であることが、その健やかさを失っている点が興味深い。風生・敏郎の代表作は、いわば、ヘタウマ系ともいえる。あるいは、言葉による虚飾のすくなさが、結果的に、私に型(テンプレート)を意識させているのかもしれない。



ここで、型について少し。型(テンプレート)と呼ばれる概念の本質は経験則であって、普遍的な公式というものでもない。だから、新しい作品に対してそのテンプレートを適用しなくてもよいと言われても論破することはできない。

それでも、その反論に対しての反論をしていこうとすると、一つには俳句の有限性が挙げられる。つまり、十七音の俳句の限界点から逆算すると、どう多く見積もっても、未来永劫作品が無限に作られることはない、ということ。それは岸本尚毅によって既に『俳句の力学』に同じようなことが書かれている。

有限性、という点で似たものを探すとすると、たとえば将棋。九×九の形式が初期条件として定められているところからスタートすると、ルールに変更がないかぎりいつか強さに限界点が見えてくる。そこにもやはり「定跡」があって、オリジナリティを加える余地は少ない。形式の自由度が少ないほど、そのジャンルが洗練されるまでにかかる時間もまた短いのだ。

ゼロ年代の俳句の無風状態を、既に俳句形式が完成している可能性に読み替える論者は少ない。悲劇的に。

実のあるカツサンドなり冬の雲   小川軽舟

「ゼロ年代の俳句」の本質をついた作品は、このような、型に極めて忠実な作品にある。彼は、俳句形式がフロンティアを失っていることに極めて自覚的だ。そして小川に対しても、外山一機が「消費時代の詩―あるいは佐藤文香論―」で言及した「俳句形式へのフェティシズム」、を当てはめることはたやすい。

ただそれらが積極的な表現であるかぎり、それらは消費でなく引用と呼びうるものだ。それでも、引用先が他ジャンルに向かわずに、俳句形式からの引用のみで新しい作品が成立しうる状態に不安をおぼえる外山にわたしもすくなからず賛同はする。

その状況に、更に積極的に向かう作家に鴇田智哉がいる。それにまったく反した作家に榮猿丸がいる。「ポスト昭和三十年世代」と呼ばれる俳人達がいるとすれば、その代表格はその二人になるだろう。それでいて、彼らは小川が提示するテンプレートを解体させて、表現のオリジナリティをわずかでも確保している。彼らの振り幅がかつての前衛の域を出なかったとしても、消費時代の俳句形式はたしかに延命している。

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七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅧ

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5月24日 月曜日

古書店で、稲葉直の『定型』(橘書林 昭和57年)という句集を見つけたので購入。

この稲葉直という作者は明治45年生れで平成11年没、西村白雲郷の弟子であり、金子兜太の「海程」の同人。本句集は第6句集にあたるそうで、昭和52年から昭和55年までの作品746句が収録されている。

この作者の作を読んでみて、まず自分はその韻律面において若干阿部完市の作風を連想させるところがあるように感じた。あとになって気付いたのだが思えば阿部完市もこの稲葉直と同じく西村白雲郷の門下生であったのである。ただその作品内容については阿部完市の現実から遊離した童話的な世界と比べた場合稲葉直の作風の方には相当に「泥臭さ」とでもいったものが強く感じられるところがある。この泥臭さというものはやはり西村白雲郷譲りのものということになるのであろう。また、思えば稲葉直は金子兜太の「海程」にも参加しており、よく考えてみると西村白雲郷の野人的な側面というものは、秩父における金子兜太の資質とも割合共通するところがあるようにも思われる。この二人の影響というものをそのまま受け継いだのが稲葉直の作風ということになるのであろう。

ただこの作者の作品というものは一体どこまで面白いものであるといえるのかどうか、これまでその作品を俳句誌などでいくつか見かける度にそのような疑念を抱き続けていた。そして今回漸く句集を読んで見たわけであるが、やはり相当粗雑というか随分と「ひどい」表現の作品がいくつも目につく。しかしながら、それでもそこにはなにかしらの「安っぽさ」というものが免れ難く纏わりついている感がありつつも、多くの通常の作者ではまずありえないであろうと思われる相当に奇抜で面白い表現の作品の存在というものもいくつか見出すことができるように思われたのもまた事実であった。

飛天女や蝶の触れあう晴天や

桜前線喪服の裏を北上す

われ死ぬまで伐折羅の怒髪そのままか

死に場所あるかみみずのあとに蹤きゆけば

滝水どんどん落ち罐ビールどんどん売れる

草刈機ぶるるんぶるぶる蝶黒し

昼顔咲いているぞ船虫いるぞいるぞ

雨震わす工事のエンジンくわくわつと

子規忌祭壇糸瓜のどかつと二つで足る

ロープウエーぶらぶらす女二人のだみ声で

俳句野郎にかまわず蟋蟀もう寝よよ

牡蠣殻山へコンペアベルト牡蠣個々個々

電車一輌牡蠣の海際ことりことり

砂踏んでも砂を踏んでも砂丘砂丘

おれ帰るよ山の蝶みな寄つて来いよ

浪去ぬよ神輿の裾をどどどど洗い

板の間へ零の一つをどんと置く

貌ひとつで生きる鵙め勝手に鳴きやがれ

リフトぶたりんぶたりんむらさきしきぶことりんことりん

がらがらと音たてるか月転ろがせば

朝の落葉に真言童子かさかさす

杉の根つこに馬籠仏がきよとんといる

月ひよいと出ている痩せたががんぼに




5月25日 火曜日

「抽斗」という言葉が思い浮かんできた。

緋縮緬噛み出す箪笥とはの秋   三橋敏雄

密集の破蓮や抽斗の奥暗き   清水昇子

上下に抽斗左右に抽斗ナイアガラ   竹中宏

抽斗をからつぽにして百合鷗   大石悦子

釦屋の千の抽斗冴返る   田中裕明



5月26日 水曜日

書店で、宇多喜代子、黒田杏子監修の『現代俳句の鑑賞事典』(東京堂出版 2010年)と角川書店の『俳句』6月号を購入。

『俳句』6月号の特集は、座談会「若手俳人の季語意識」でサブタイトルが「季語の恩寵と呪縛」。個人的には「呪縛」という言葉が普段の総合誌ではあまり出てこないような概念であるような気がして面白く思った。座談会のメンバーは榮猿丸、鴇田智哉、関悦史、大谷弘至の各氏。内容を読んでいて、季語に対する四者四様の姿勢というかスタンスというものが窺えてなかなか興味深いものがあった。それに加えて、それぞれの自選20句を読み比べるのもまた随分と楽しい。

『現代俳句の鑑賞事典』については、結局購入したわけであるが、その全体像は山頭火から中岡毅雄までの159人の作者が選出され、1人につき作品30句が収録され、その1句に鑑賞文と「ノート」としてその作者の特徴が簡略に付されているといった内容で構成されている。

1人30句ということで若干作品の数については物足りないような感じがしてしまうところがあるが、それぞれの作者の作品をいくつか拾い読みするだけでもなかなか面白い。人選についてはこれまでに出版されたアンソロジーのなかでは平井照敏の『現代の俳句』(講談社学術文庫 1993)がその人選のバランス感覚において割合秀でているところがあったが(ただ選者の平井照敏と同世代の重要な俳人が何人も取り上げられていないという欠点がある)、今回刊行された『現代俳句の鑑賞事典』の人選についてはこの『現代の俳句』のバランス感覚を上回るところがあるのではないかという気がした。

例えば、中島斌雄、田畑美穂女、清水径子、中尾寿美子、馬場移公子、小川双々子などは本書以外のアンソロジーではまずその名前を見出すことのできない作者であろうし、他にも細谷源二、京極杞陽、林田紀音夫、赤尾兜子、宗田安正、折笠美秋、安井浩司、攝津幸彦などといった作者への目配りも欠かしていない。

しかしながらそれでも、相生垣瓜人、下村槐太、阿部青鞋、火渡周平、加藤かけい、斎藤玄、堀葦男、島津亮、八田木枯、福永耕二、河原枇杷男、磯貝碧蹄館、奥山甲子男、山本紫黄、堀井春一郎、吉田汀史、赤松恵子、岡井省二、竹中宏、手塚美佐、長谷川久々子、後藤綾子、正木浩一、小原啄葉、長谷川草々、大沼正明、金田咲子、永末恵子、大木孝子、あざ容子、住宅顕信など、本来その名前があってしかるべきではないかと思われる作者の名前がいくつか欠落してしまっているところがあるように見受けられた。特に河原枇杷男を欠落させてしまったのは、一体何故であるのかと疑問が残る。このあたりが、やはりこういったアンソロジーの限界なのであろうか。



5月27日 木曜日

『現代詩手帖』の最新号である6月号が到着。今月号の特集は「短詩型新時代―詩はどこに向かうのか」。

こういった特集を企画するというのが、まずなんとも立派。編集の方は、今月号の後記を見ると、幼い頃両親とともに月に1回句会に連れられて側で見ていたことがある、と書いている。ご両親は俳人の方であるのであろうか。

座談会が、岡井隆、松浦寿輝、小澤實、穂村弘の各氏、鼎談が城戸朱理、黒瀬珂瀾、高柳克弘の各氏。俳人の執筆者は田中亜美、相子智恵、関悦史、鴇田智哉の各氏と小生。他にも詩人や、歌人の方々も力稿を寄せている。

高柳克弘さんのゼロ年代の100句選は、非常に広汎な範囲からの作品選出となっておりバランス感覚においても大変優れていて、読んでいて単純に相当面白い。また、もし自分が選出するならばどういった結果となるか、などといったことを考えながら読むのもなかなか楽しいものがある。

「現代詩手帖」は俳句雑誌と比べると若干値段が高めであるが、その内容を見るとけっして単純に高いものというわけでもないように思われる。『俳句』6月号と併せて、この『現代詩手帖』6月号の内容は、まさに「俳句の現在」を知る上で必読といっていいであろう。

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閑中俳句日記(35)

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村上鬼愁『句集 竹箆』

                       ・・・関 悦史


村上鬼城と一字しか違わないので見間違われかねないのだが、村上鬼愁は「琴座」の同人だった俳人である。印刷会社「創文社」の社長で「琴座」や耕衣の句集の印刷も請け負っていたらしい。

『竹箆(しっぺい)』はその第2句集で昭和56年刊。師・永田耕衣の栞がつく。

その前の第1句集『拂(ほつ)』の後記によると、本人は《俳人としての自負心の欠如と生来不精者の習癖の故か》句集を作る気は全然なかったという。ところが休み癖がつくのを恐れて「琴座」には20年間無欠詠を通し、その1,200句から南柯書房の渡邊一考と自社の社員が話を進め、耕衣から「拂」(禅語で「はらい去る」「蹤跡を拭い尽す」の意)という句集名を示されるに及んで、とうとう自分では《一指も触れず》に善意の結晶として第1句集が出来上がってしまったのだという。

同じ『拂』の後記にその人生もごく簡単に語られているが、《学徒出陣、特攻隊、吐血と声を失った十年の闘病生活(中略)「元町通りをせめて百米でいい、下駄を履いて歩きたい。」という念願が七本の肋と引換えにかなえられたときは、土を踏みしめた喜びに地を叩いて慟哭し、同時に地引網の一つの目として周辺の人達の集中的な誠に支えられ、生かされて生きている摩訶不思議な身の存在を呼び覚され、さらにすべて天地の呼吸の中に抱きとられ、貫かれ、業(はた)らかれている身の無辺に驚愕させられたのである》という人で、句業においては《耕衣に初まり耕衣に終って行くであろう一凡俗》と己を規定している。

以上から察しがつくとおり耕衣の薫陶が染みとおり、その禅的諧謔に深い影響を受けているのは間違いのない作風だが、一方その来歴からか「墓」や「死」のモチーフが2句集を通じて大変多く、達観という別次元からの把握には達していないなまの心情の投影も窺われて、その暗さと自己というスケールへの固執からは、ときに林田紀音夫をすら連想させられる。しかしそのどちらの要素が強く出た句にしても、演技、韜晦、虚勢といったものは感じられず、耕衣という独特の強大な磁場に身をゆだねつつ、ごく素直に自分の心的現実を句にしていった作家という印象を受ける。こういう衒気のない作家と耕衣との出会い、耕衣の観念性の浸潤という現象によって却って鬼愁の固有性が素直に洗い出されてくる機微がひとつの得難い奇観を成しているとも言える。

老僧の育つは寂し春の潮

落ち際も明日ある顔や寒椿

中吉の初御籤にて老父死す

蘂開きたる石楠花の終りかな

こうした句の吉と凶、希望と寂しさとの混合には、己の中のある弱さから、「蘂開きたる」や「老僧の育つ」と空疎ではないほのかな明るみへの通路を開きつつ、結局は「明日ある顔」をしつつ「落ち」ていく「寂し」さ、「終り」へと主体が落ち着いていくさまが見て取れる。

そうした相克を孕みつつもユーモラスな方向へもう少し傾斜した句もある。

老残の腹を見せ合う鯰かな

提灯の似合う家にて黴臭し

全盲の男女に春の夜の長さ

三老女亀ののろさを喜びぬ

鯉釣つて寡黙となりし老婆かな

寝待ち月一家団子になつて観る

ユーモラスとはいってもカラッと明るいといったものではない。「老残の腹」、「黴臭」さ、「全盲の男女」、「三老女」に「亀ののろさ」と、天上へ突き抜けるような晴れやかさではなく、大津絵のような泥臭さ、古い日本家屋の湿った匂いの中でのもので、耕衣の諧謔に比べると観念性へ突き抜けていく抽象度が低い。鬼愁が耕衣の濁りを身に浴びたときにそこから反射されるものが、こうした生活風土そのものの暗さと親密さの魅惑へと変形されるわけで、こうしたところの面白みに感応すると、つげ義春の漫画の背景のような、なかなかに捨てがたい懐かしさを持ってくる。

紫の花にひそめる黄色かな

白桃の同じ味なる山河かな

夏入日入(にゅう)のごとくに鳥よぎる

  註 入(貫入の略称)は陶磁器のヒビのこと

焼芋を剥けば人類現わるる

高山に登り見下ろす乞食かな

この辺りは、ざっくりと単純明快な言い方が却って深く澄んだ謎を感じさせる佳句。

《夏入日入のごとくに鳥よぎる》などは比喩が比喩に留まらず、鳥が瞬時に夏の夕空を陶磁器の質感に変貌させるダイナミックさがある。

《焼芋を剥けば人類現わるる》も鬼愁における抽象的極大(「人類」)の扱いが、焼芋の質朴で温かみと土臭さのある一様な実体へと集約されているところが特徴的。

寒鴉つまづきしとき羽を上ぐ

墓の蚊と家の蚊と違いありけり

竹林に重なり合いぬ亀の愛

死螢を蠅の屍と見間違う

白桃に住まえる虫の親子連れ

生きものの些細な違和を拾った句もトリビアリズムに陥ることもなく、寓意の提示に終始するわけでもない。《墓の蚊と家の蚊と違いありけり》など現物を観察しての発見感とナンセンスさ、蚊を湧かせる墓の湿った土地の感じが一体となっている。

遊べども遊べども円の中

閉じ込められている感覚と、そこが同時に自在さ、自由さの基盤であるという安心の感覚。鬼愁の耕衣との関係は相克でもなければ被支配でもなく、釈迦の掌ならぬ耕衣の円の中での遊びがそのまま鬼愁の自己形成であり、句業となったという幸福なものであったようだ。ただし食い入りあいつつ別個のものであるというそのありようには、ほんの一抹何か不気味なものも漂っているのかもしれないのだが。

以下、収録句を少し多めに引く。

紅梅の男嫌いの亡母かな

亀の甲羅も鉄路の熱さにて

急流に留まる鮒あり秋の暮

黒足袋のこうの高さの蹴ろくろや

古金魚鯉の仕草を覚えけり

葬列の百合とは知らず蠅こもる

海老天のあたま残しぬ夏夕焼

寝足らねば襖八方張り替えぬ

線香にはマッチがよろしい

蟇死して変らぬ蟇の面構え

羞じらえる雌の蝶追う蝶々かな

雨を得て牡丹神輿のごとく揺れ

勾玉のつらなる如し鬼籍入り

死ぬるまで女に飽きぬ老婆かな

脱糞のあとの鴉の月見かな

凍蝶の風上(かみ)通る草履かな

古池の古き氷や亀の中

恋猫の追われてすくむ火葬場

花杏かの牛糞に負けて居る

渇水の夜も米俵の米こぼれ

夏海に沈まぬ椀の卒寿かな

放ち鮒再(また)釣られくる秋の暮

春嵐心臓薬缶のごとくなり

老梅に栖みつく亀にけつまづく

満開の花弁に皺を素早く見る

豊作やみな抜けている埴輪の眼

秋の蝶社殿の脚の裏で死す

秋水となつて通ろう社殿の裏

紅白の絵具混じりぬ寒の水

大寒の隙なき壺に二人住む

白鷺の優雅に歩き鯉盗む

祠の中白蝶汚れふためくも

うかつに蝉がごごつと鳴いた

螢追う寡婦のうしろの螢火よ

雑巾の忘れ置かれき秋の床

脚上げて鴉がつくる景色かな

紫蘇の葉の穴から紫蘇の葉が見ゆる

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2010年5月29日土曜日

遷子を読む〔61〕

遷子を読む〔61〕

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井

ただひとつ待つことありて暑に堪ふる
     『雪嶺』所収

筑紫:「遷子を読む」の私の基調コメントもこれで12回目です。お約束の各自10句程度を鑑賞してみるという作業も皆さんほぼ達成されることになりました(後から参加された仲さんは次回で9回目となるわけです)。考えてみると、近代俳句が生まれた時代に、碧梧桐や虚子が俳三昧や俳諧散心という不断の修行を行ったわけですが、今回、平成の俳人達がブログを使って評論で行ったところに新しい意味があると思っています。そろそろこの荒行を意味のあるものに収束させたいと思います。ちなみに「遷子を読む」を連載している「―俳句空間―豈weekly」も7月18日で終刊する予定です。切りもよいところではないかと思います。

今回取り上げた句は、昭和41年の作品です。

病者とわれ悩みを異にして暑し〔16〕

の時に触れている句ですが、掲出の句は一層句の詠まれた状況が分かりにくいかも知れません。前書きもなく、ヒントになるのは相馬遷子という作者が詠んでいると言うだけの事実です。もちろん、医業に関連しての待つことであるという保証はなく、直後に〈日焼して痩身老いをしるくせり〉(何と登四郎に似た句の詠みぶりなのでしょう)があることからすれば、初老の男の意志と、そして少しの焦燥感のようなものが感じられるだけかも知れません。

作者の住んでいる空間が、ある静かさに満ちている点では、中西さんが前回取り上げた〈患者来ず四周稲刈る音聞こゆ〉に似たものを感じなくもありません。ただ前の句にくらべてこの句が一層の緊張感があるように思うのは、待つことが必ずしも待望のことだけではなく不測のこと(例えば患者の急変)も含めて待つことも含められていること、だからこそ「暑に堪ふる」という苦行のようなわざを作者は堪えているのではないかと思われるからです。もちろん、意味が解釈しきれない、とか、どんな意味であれ「ただひとつ」は甘すぎる表現ではないか、とか批判はあると思いますが、実はそうした不満な点も含めて、これこそもはや我々には二度と味わうことのできない、昭和30~40年代の風景なのでしょう。

中西:今まで見てきて、遷子の句を作る動機は軽くないと思っています。現実を実寸大で描こうとしています。美しいものは若い頃は風景句や、希望を描いた句などあったのですが、中年になりますと、風景句と回想の句が辛うじて美しく、どちらかと言いますと、辛いことは辛く、憎むものは憎んで、ものの見方も、言葉も飾らないで直情的に描かれているように思います。

この句は具象ではないようです。では何か。「念」ではないかと思っていますが如何でしょうか。「思い」と言いなおすと漠然としてしまいますが、「暑に堪えている」のは、自分に何か課しているからではないでしょうか。

人間の内面を描こうとする句は、俳句に人生を託し、自分の人生を俳句に描こうとしている人が必ず通る道なのだと思います。

私の句もそうなので否定的には言えませんが、現俳壇の流行の軽い淡い小さな思いとの違いをかなりはっきり見るようです。この時代は社会性、風土性など重い内容の句が主流だったことも言えるかもしれません。飯田龍太も遷子を「馬酔木にあって、一番重い風景詠を作る人」と言っていますから、重く作る体質とも言えるかも知れません。

重いというのは、深刻に考えていることです。つまり句に「念」が入っていると言えるのではないでしょうか。

また、この句の表現に甘さは感じられません。「ただひとつ」は遷子個人の問題として重く存在しています。自由に読める句の存在は読み手にとっては、面白いというか有難いと思います。しかし、この句も背景が分かってしまうともう自由ではなくなってしまいますね。

原:「作者の住んでいる空間がある静かさに満ちている」という磐井さんの指摘は、一句の背景についてあらためて考えさせて下さいました。人間の感情や志向は、場や時間のあり方に大きく左右されるものだと思います。現代のように、時間が食い荒らされるような細切れの多忙さや喧噪に囲まれていたのでは、思いを深めることなど出来はしないのでしょう。

掲出句は、「待つこと」の中身にあえて踏み込まず、「暑に堪ふる」存在のみを示すことで、作者の生きる姿勢そのものが詠まれたように感じられます。

深谷:確かに「ただひとつ待つこと」が何なのか、全くわからない句です。どうとでもとれますから、却って解釈は難しいかもしれません。けれども、作者にとってそれは極めて重大な関心事であり、そのことが頭から離れない筈です。このように、掲出句では「意味」を超えた切迫感が、読む者にヴィヴィッドに伝わってきますし、作品としてはそれで充分なのではないでしょうか。もちろん、そうした効果をもたらしているのは、「暑に堪ふる」という措辞の的確さでしょう。こうしたことが可能な文芸は、俳句形式以外にはないように思えます。その意味において、掲出句は極めて“俳句らしい俳句”と言えるのではないでしょうか。

仲:遷子はこの時何を待っていたのでしょう? もちろん開業医が患者の来るのを待っているなどとありふれたことではなかった筈。それなら「ただひとつ」が生きて来ないからです。『ゴドーを待ちながら』のように何者ともつかぬ誰かを待っているとの解釈も不条理で面白そうですが「ただひとり」ではないので人を待っているという線はなし。やはり何事か、起こりそうな、いや起こると分っていることをひたすら待っているのでしょう。磐井さんが触れられた「患者の死(急変なら予測不可能なので想定内の死)」という解釈は遷子の真面目さからすればありそうです。当時でなくとも在宅で看取る時は心電図モニターなどありませんから、じっと脈をとり呼吸の様子に神経を集中したでしょう。「ご臨終です」と言った後に最後の大きな呼吸が来て大恥をかいたなどというエピソードも珍しくありません。しかしそのような場合「ただひとつ待つことありて」という表現になるでしょうか。

東京と比べれば過ごしやすいとは言え佐久の夏も日中は結構暑い。だからこの「暑に堪ふる」は本当にやりきれない気分なのだろうと推察します。そこまでしてじっと待っていることとは本当に何でしょう、大きな謎です。今「じっと」と言いましたが「暑に堪ふる」という措辞からは動き回ったり何かをしながらということではなく矢張りじっと待っているとしか考えられません。磐井さんのおっしゃるような「初老の男の意志と、そして少しの焦燥感のようなもの」は確かにありそうです。ただ私としてはここに時代性を感じることはできませんでした。遷子にしては珍しく不親切な表現なので却って謎を謎のままにしておこうとの意志を感じました。根源的な「待つ」という行為そのものを見据えた作品のように思ったのですがどうでしょう。

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遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む

遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔48〕高空の無より生れて春の雲・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔49〕隙間風殺さぬのみの老婆あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔52〕家を出て夜寒の医師となりゆくも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔53〕かく多き人の情に泣く師走・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔54〕忽ちに雑言飛ぶや冷奴 ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔55〕障子貼るかたへ瀕死の癌患者・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔56〕自転車に夜の雪冒す誰がため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔57〕信濃びと我に信濃の涼風よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔58〕母病めり祭の中に若き母・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔59〕酷寒に死して吹雪に葬らる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む
〔60〕患者来ず四周稲刈る音聞こゆ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

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2010年5月24日月曜日

第92号

5/24(月)「現代俳句のあたらしさとは?」を追加。

第92号

2010年5月23日発行(5月24日更新)

遷子を読む

〔60〕患者来ず四周稲刈る音聞こゆ

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

閑中俳句日記(34)

竹中宏句集『アナモルフォーズ』

          ・・・関 悦史   →読む

「セレクション俳人」を読む 12 『中田剛集』

箱庭の王様

          ・・・外山一機   →読む


俳句九十九折(84)

七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅩⅦ

          ・・・冨田拓也   →読む


松朽ち葉かからぬ五百木無かりけり

岩淵喜代子『評伝 頂上の石鼎』を読む

          ・・・高山れおな   →読む

-Ani weekly archives 012.10.05.24.-

現代俳句のあたらしさとは?

四年前の冨田拓也・森川大和

          ・・・堀本 吟   →読む

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現代俳句のあたらしさとは?

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現代俳句のあたらしさとは?

四年前の冨田拓也・森川大和



                       ・・・堀本吟


前書き

以下に転載する二つの評文は、丁度五年前の二〇〇五(平成十七年)の五月から書き始めた。「やまぐに」は代表が恒藤滋生氏。その創刊と同時に同誌に本文の連載をはじめた「現代俳句鑑賞」文の、創刊号と第二号の転載である。

おりから、関西では、その前年の十二月に、戦後俳句史に新興俳句の作家として大きな足跡を残した鈴木六林男、桂信子が相次いで逝去し、彼らの拠点誌である「花曜」、「草苑」がまもなく終刊の運びとなっている。そのことは、戦後俳句の組織論の総括として、必要があれば又別の構想の下に考えねばならない問題を残しているが、それは。この掲載文の主旨ではない。

とにかく、そこに、二年間の約束が、双方の事情で今日までつづき、丸四年間二十二回書き連ねていて、いまや自分自身の「現代俳句認識」を再見する時期になっている。

それで、最初の書き出しなどをふりかえっていると、これも、めぐりあわせで、目下注目を集めている『新撰21』の冨田拓也の最初の句集について管見している。今度の本では自選百句中の最初に少し取り上げられている。だから、ダブらないのだが、作風に急激な変化は見られない。

そして、あらためて、彼を現代若手の若手とか未来人とかいういわば「青春の偶像的なレッテルをおっかぶせて「新しさ」を見つけ出そうとするこのことの「困難さ」、と、感じてしまう、まさにその感覚が、言い止められているので、これは、現在の私の新撰組や他の未来人への、違和感や関心に、通じている。

(わたしは先日「びーぐる7号」に、今の時点での『新撰21』のことを少し書いた。ここ数年ぐらいで平成時代、二十一世紀、に育ってきた若い俳人たちが表面化してきている事態だということをあらためて考えた)。

まあそういうことで、古いものではあるが転載して、私の「未来人」観察のひとつにくわえておこうという気になった。

どちらも、あまり長文ではない。それで思い切って二号分一挙掲載する。

この「―俳句空間—豈weekly」は、百号で終刊らしいから、終盤期にこういうものを載せることも、あながち無意味ではないとおもっている。

ただし、この五年前に時期に新しい俳句人として私がとりあげているのは、「冨田拓也」と、それから、初期の俳句甲子園で活躍した「森川大和」である。神野紗希、山口優夢、佐藤文香など俳句甲子園出身者の先輩である。【人が変わっても、視点は大幅にはちがってはいない】

森川大和は、一九九二年第二回俳句甲子園の団体と個人の最優秀賞をかちとった青年で、私がであったころには、筑波大学の大学院の学生だった。いまは、もちろん職業人になっているはず。(気になる青年だったので、いずれ補注として紹介報告しておく)。俳句ジャーナリズムには登場しないが、彼はどこかで俳句を書いているのだと、私は信じている。最も、この年齢の時期にねっちゅうしたからといって、彼らが、生涯プロ俳人の道を選ぶとは限らないし、そう言うことを期待してはならない。広い意味での文学的教養を培う高校教育の一環になっているこの種の文学的イベントの特徴である。同時に俳句甲子園から、優れた才能が出てきていることも事実である。これらを含めて、若い世代の登場全体が興味深いテーマを与えてくれる。

 転載 俳誌やまぐに創刊号 「現代俳句鑑賞」1 平成17年8月10

【どういう俳句が新しいのか?】   堀本 吟

1 「現代俳句」のオリジン(古い句の新しさ)

正岡子規が発句を独立させて完結する一行の詩の世界を「俳句」と規定して一世紀。いまや、おもちゃ箱をひっくり返したような雑多なありさまであるが、惚れ込んでマネしたくなるようなのは少ない。どういう俳句に現在的な価値を見いだせばよいのだろうか?かえりみれば現代につながる感受性はずいぶん昔から生まれている、はじめにその古い句の中の新しさの要素、(現代俳句の条件)を考えておきたい。

水枕ガバリと寒い海がある

西東三鬼『旗』昭和十年

頭のなかで白い夏野となつてゐる

髙屋窓秋『白い夏野』昭十一年

銃後といふ不思議な町を丘で見た

渡邊白泉『白泉句集』昭五十年

草二本だけ生えてゐる 時閒

富澤赤黄男『黙示』昭三十六年  

鶏頭の矮醜なるにちかづきゆく

山口誓子『七曜』昭十七年

赫と日が霧の内界照らし出す

山口誓子『七曜』昭十七年

これらの俳句は昭和十年代の新しい動き(新興俳句)のなかで近代俳句から現代俳句への橋渡しをした秀作。「水枕」の内側を「海」と結びつけるイメージ。脳内に異様に静かな風景を浮かべている「白い夏野」。戦争さなかの「銃後の町」の異様な静かさをとらえる時代批評の視線(制作は昭和八〜十五年《涙涎集》)。時代が少し下り戦後になるが、赤黄男の句は「時間」という抽象的な関心を目に見える形に表現しており、俳句形式で作り上げた象徴詩の古典的な傑作、ほのかな哲学的認識さえたちのぼる。それぞれ、次元の違う場面のモンタージュ(取り合わせ)によって、実景と幻景の複合がはたされ、俳句形式を借りてみえぬ内面を表現するようになった。先行者には今一人山口誓子がいるが、その誓子の観察は、モノの裏側、本質を、具象に即して、構成し直すという知的は写生術をもって(写生構成)新鮮な句を次々生み出している。誓子や、三鬼の影響を受けた鈴木六林男は、戦場での観察や経験を深化して、復員後独自のスタイルを切りひらき、戦後の俳句(敗戦以後の昭和後半年代)に大きく貢献した。

遺品あり岩波文庫「阿部一族」

鈴木六林男『荒天』昭二十三年 

五七五のみで構成した無季俳句の金字塔。新興俳句の主張のひとつ、無季俳句の実験が、俳句の現代への架け橋となっている。分節ごとに輪郭が明快、内容の世界が広がってゆく。岩波文庫のちいさな表題は森鷗外作の一族滅亡の小説。作者が亡くなっても、その遺句は現在にもあてはまる深甚な物語の時間を持ちはじめている。このような俳句を経て現在がある。

2 現代俳句の「新しさ」とは何か (空無と形式美)

もっとも若い層の新人二十四歳の冨田拓也のことをいっておこう。

空蝉や暗紅の都市遡り  冨田拓也

何事もなきてのひらに雪苦しむ  

       句集『青空を欺くために雨は降る』

(平成十六年芝不器男俳句新人賞受賞)

レトリックが華麗。イメージ豊かである。しかし、この空白感。「空蝉」と「暗紅の都市」の連結には三鬼の句を、「雪苦しむ」の句には赤黄男の哲学を連想する。今では古典である新興俳句の暗喩の世界を彷彿する。かなりの若者が平坦な日常詠や口語文体を肯っているなかで、この新人の復古調はかなり衝撃的だ。

まず、句の中にほとんど自己言及(私ごと)が出てこない。いや、私性は濃厚であっても、自己の内面とか人生観の中身があるのではなく、そこは空っぽの場所であり、埋めるものがない。確たる自己像がないのである、彼はむしろ他者になりたいのだ。三鬼、赤黄男を支える青春の情熱はヒューマニズムや、むしろ熱っぽい絶望だったり危機感だったりするが、冨田の場合は、人生と俳句の出発点に立ちながら実存上の感覚が早くも、「何事もない」いわば空無や死と結びついている。そして、その空無を支える純粋な華麗な形式美を一時代前の革新スタイルを借りてはたそうとしていること。このタイプの俳人は、マレビトのようにときどきあらわれ、日常の関係にまみれがちな表現の通俗化の批判者となる。

(この現象自体が、いまの若い世代の特徴、つまり新しさなのだろうか?)

どうも、俳句の「新しさ」とは、素材の現代化ということだけではないようだ。虚無感、は単なる感情とも違うようだ、ホットな実存的ニヒリズムに染まっていた私の近代主義などは、このような若者の終末感覚が、形式の原型を呼び寄せ再現しようとしていることに対して、戦場の真ん中の「銃後」、無戦世代の空白感を目の当たりにした複雑な興味を持ってしまう。それは、一種の共感でもあるのだが違和感でもある。次号よりこういう問題も含めて、冨田もそのひとりである現在の俳句を考えてゆきたい。(了)2005514

   (筆者註・ほぼ発表当時の原文どおり。年代表記の書き換えと、最後部分一行ほど付加)

 転載 俳誌「やまぐに」2号掲載・現代俳句鑑賞2 平成1710月 発行 

【 青年の虚無 俳句の虚無 堀本

 

1.冨田拓也の葉書

創刊号の拙文に二十四歳の新人「冨田拓也」のことを書いたらご本人から丁寧な葉書をいただいた。その葉書自分のような若者が「空無」や「虚無」を詠むということに違和感と共鳴を感じた堀本様の感覚に、僕は逆に興味をもった、というような一節。また、問題提起した「現代俳句にとって新しさとは何か」ということは、なるほど決定しにくい問題だ、ということを彼も認めていた。息子いや、孫ほど年齢の違う青年からのまっとうな反応がうれしかった。

俳句鑑賞では、俳句らしさを味わうことがポイントであるが、私は、個作者の人生観や思考の切実なテーマと言葉の実感が上手く定型と融合できているか、という読み方を重視している。特に俳句は短い詩であるから、作品の背後にある世界を理解しなければどうもわかった気がしない、(すくなくとも、これまでは)共同社会の関係あっての俳句の文芸観(俳句観)が広く強固なのである。

しかし、この読み方自体も今までの俳句が育てたのである、時代の刻印を押されている。今や、新しい読み方いでよ!である。

2・森川大和の青春俳句

虫残る男子ばかりの話し合い  森川大和

男子寮八年目なり桜咲く  

野分よりもっと刺激が欲しいんだ  

  引用は、森川大和『大和19

平成十五年・まる書房

言葉遣いの幼さや口語性、素朴な抒情の発露を見ると、いかにもその場しか、あたかも現在しか知らない若者のフレッシュな観察眼や精神の波動がある。じじつ作者は十代の終わりを記念してこの句集を出した。そして、句集のテーマは誰もが通過する精神の季節「青春」である。彼は、自分の現在の位置を古い人達につたえる言葉の器として、俳句形式を使っているのである。これからも使いこなそうとしている。俳句形式の要素をごく自然に日常雑器のように使っているから、青春も俳句も彼の現在形であり、自然に受け入れられる、滅びや死へのベクトルは出てこない、この若者は、人間の精神の機微と伝統形式の再生について、直感的だが理解はかなり深いところへ届いている。

3・世界を否定することも青春のエネルギー

冨田拓也も森川大和もほぼ同じ年齢。

何事も無きてのひらに雪苦しむ  冨田拓也

世界を全否定することも青春の特権である。「苦しむ」という擬人化がむしろおさない、ともいえるとしても。雪に例えたのは、後で述べるが、折口信夫の比喩に通じるものがある。冨田は、(それは、いつまで続くかわからないが)ディスコミュニケーションを自己表現の方法に選んでしまい、しかも、その時間の巡りを環にして自閉してしまったところが他の若者のポジティブに見える作風とは異質なのである。冨田の中心テーマは無であり、死である。ところが、ネガティブなテーマを主張するエネルギーの強さと過剰さは、まさにその年齢のものの生命力の発現である。ここが非常に自己矛盾しており苦しげである。しかし、その逡巡と葛藤によって。彼は、俳句の本質を摑んでいる。

4・定型詩のなかの詩情は「無内容」。雪のように溶ける。

ところで、『小澤實集』(邑書林)巻末に示唆的な文章を見つけた。

《折口信夫はその晩年の歌論のなかで、「無内容」こそが歌の思想であると説いた。その美しさを雪に例えて「その手を握って、きゆつと握りしめると、水になって手の股から消えてしまふ」これが短歌における詩であると言う。(俳句と近代詩)。この美しい比喩は、最良の俳句においても通用しよう。》

引用は 小澤實「俳句は謙虚な詩である・俳句個性考」、同句集巻末散文)

ふはふはのふくろふの子のふかれをり 

   小澤實句集『砧』一九八六年・牧羊社刊

 出典は邑書林収録版による。

小澤實は、折口信夫のこの文章に触れながら、個性や作者名が不必要になる最良の俳句(詩)の思いを馳せる。故藤田湘子の「鷹」」を経て現在「澤」主宰。俳諧的俳句をなす斬新なホープと言えよう。句は作者二十代の作だろう。規矩正しくまた斬新なまとめ方である。小澤の関心もひとつ的を射ている。

青春の関心は自己のアイデンティティ(個性)の探索が大きなテーマとなりがちなのであるが、その「個性」重視の渦の中で、俳諧の無の精神を再現することも、俳句が訊ねようとする時代の新しさなのだ、というべきである。折口信夫の「雪」は無内容の詩の象徴、かたや、わが冨田拓也のからっぽの「てのひら」で溶けもあえずに「苦しんで」いる「雪」でもある。かれらの「雪」は古代からの「雪月花」への美意識も呼び起こし引き連れて現在に至っている。冨田自身のも、若い新人にしてすでに老成した古典主義者の風貌を抱え込んでいる。

現代の俳句は根本で已に「新旧」のさまざまな要素の枝葉がからみあって錯綜している。新しさも様々な意匠を持つ、自分の感受性の実感から、それをわかってゆかねばならない。(了)

  (筆者註。掲載文とちがうところ―誤字訂正。小澤實についての部分を多少詳しく付加。)

C 新稿現在の位置から 

【補注・森川大和句集『ヤマト19』紹介】堀本 吟 以降は次号に続く。

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