高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』を読む
・・・高山れおな
先週と同じパターンであります。つまり去年の出版で、書評を見て読まばやと思いながらそのままにしていた本に、やっと最近出会いました其の二。本は高橋潤二郎氏の『鑑賞 経営寓句』(*1)で、書評というのは丸谷才一氏のものです。ひとつは「(才)」の署名で毎日新聞の「今週の本棚」に出たレヴュー(*2)、もうひとつは読売新聞に載った「棒のごときもの」というエッセイ(*3)なのですが、レヴューの方は短いので全文引いてしまいます。
山本健吉は挨拶と滑稽を俳諧の二大機能としたが、高橋潤二郎はさらに加うるに寓言(ぐうげん)という性格をもってする。芭蕉は「物いへば唇さむし秋の風」をはじめ比喩的な句をたくさん詠んだが、この調子で人生の教訓を五七五で述べることは社会に役立ったと指摘するのである。/正岡子規は美以外の要素を捨てて、俳句を純粋な文学にしようと努力した。しかし山本や高橋はもっと広い視野で俳諧をとらえようとする。大人っぽいものの見方だし、文学史的にも正しい。/数理・計量地理学の権威の著書で、いわば隠し芸だけれど、この慶應義塾大学名誉教授は、よく詩を解するし、筆が立つ。ここ数年の俳諧論のなかで最も刺激の強い本である。(才)
簡にして要を得るとはこのことで、なんの異存もございませんけれど、ひとつ補足しておくと高橋潤二郎氏は、本書の中で〈物いへば唇さむし秋の風〉をとりあげてはおりません。では、丸谷氏が誤まったのかというとさにあらず。この句が登場するのは、高橋氏の本文ではなく、鳥居泰彦氏が寄せた「序にかえて」の方なのです。この鳥居さんも経済学者で、慶應義塾の塾長も務められた権威者らしい。鳥居先生、丸谷先生ともに、なぜ本文に出てこない「物いへば」の句を文中に織り込んでいるかといえば、「寓句」というタームを説明する際の実例としては、これ以上に端的でわかりやすい句はないからでしょう。上に引いた丸谷さんの言葉を借りれば、「比喩的」(=寓喩的)な表現で「人生の教訓」を盛った句がすなわち寓句ということになります。しかし、書名で、その頭に冠せられている「経営」の二文字は? これについてはもちろん高橋氏自身にご教示いただかねばなりません。説明がなされているのは「跋」。曰く、経営=マネジメントというとまず企業のそれを思い浮かべるが、経営のカヴァーする範囲はそれにとどまらず、国や自治体、諸団体から個々の世帯まで、収支のあるところ必ず経営がある。それどころか、地球規模の熱循環や生物個体・細胞レベルの物質交換だって経営の一分野なのだ……。
さらに、金銭上の収支だけでなく、人生の諸局面で生ずるさまざまな恩誼の授受や貸借を考えれば、人生そのものが経営の対象だといえる。実際、われわれは皆胸中に自分しかわからないバランス・シートを持っており、その収支を合わせることに苦慮しているともいえよう。/その意味で、本書は、初老から次第に老境に近づく中で、そろそろ人生の決算書を書きあげねばならぬ一人の「経営者」が日々の所感を年来親しんできた俳諧や俳句に託して語ったものだともいえる。
このような視点により、貞徳・宗因から一茶・梅室にいたる近世の俳諧師四十八人、鳴雪・竹冷から夢道・郁乎まで近現代の俳人十八人の「経営寓句」が選ばれ、鑑賞されているのですが、昨今のエッセイ一般のうちに置いても出色のものに数えられるのではないかと思いました。鑑賞の主たる対象になる句が冒頭に見出しとして立てられ、作者についての紹介や、当該句とその周辺をめぐる考察がなされるといったあたりは、名句鑑賞を看板にした本の通例の書きぶりと同じですが、そこで披瀝される俳句についての見識や鑑賞力はなまなかな俳人では太刀打ちできないようなハイレベルのもので、しかも「経営寓句」という筋が一本通っていることによって文章が俄然生動しております。まさに、「筆が立つ」のです。
さらに鑑賞に引き続いて、イソップなどの寓話や昔話の最後に教訓が付くように、氏の「経営者」としての「日々の所感」が記されるのですが、その話題の転じ方にはしばしばニヤリとさせられました。俗に、木に竹を接ぐ、と申します。物事の条理が通らないことを批判する言い回しですが、高橋氏の語り口の巧妙なること、さながら木に竹を接いでしかも条理を通してしまうおもむきがあります。その条理の通し方はさまざまで、対象が狭義の寓句であればそれでも木に竹を接ぐ度合いは弱く、句の意味自体の展開から比較的自然にオチがつきます。一方、一見するとどこが寓句かわからないような自然詠なども本書にはとりあげられていて、その場合はむしろ高橋氏が付けるオチによって句の方が寓意化される感じです。前者のケースとしては、芭蕉の
この道や行人なしに秋の暮
の鑑賞が好例でしょう。高橋氏は、寓句の魅力は、〈寓喩上の説得力と感性的な訴求力〉という〈二つの力〉の合成によってもたらされるとし、芭蕉はそのような意味での〈寓句作家としても一流であった〉と述べた上で、「かろみ」という新たなモティーフを提示した晩年の芭蕉の孤立感へと筆を進めてゆきます。
なぜ、彼ら(弟子たち……引用者注)には自分にとって自明なこの美的世界(かろみの世界……引用者注)のおもしろさがわからないのかといういぶかしさ、そのおもしろさを作品としてつくりあげることのできぬもどかしさ、更に、人生の暮れ方に近づいた人びとに共通のさびしさとあきらめ、そうしたさまざまな想念や情感がこの一句の中にこめられているように思われる。
晩年の指導者が新規事業や活動に情熱的に取組み、人びとにその意義を説き、積極的参加を呼びかける。だが、もう一つ周囲の共感を得られない。自らの夢を伴送者ではなく、いまだ現われぬ継走者に託さざるを得ない。こうした事態は、芸術や学問だけでなく、政治、経営の分野でもよくあることである。
うーん、よくわかります。俳句はさておき、それ以外のところでの自らを振り返ると、自分はどちらかというと芭蕉の弟子たちに近いかもしれない、なんて思いもしながら。では、その弟子の代表格のひとりである凡兆の、普通の意味では寓句とはみなし難い、
上行くと下くる雲や秋の空
には、どんな寓意化が施されるのか。著者は、例の〈下京や雪つむ上の夜の雨〉の推敲の一件などに触れて凡兆の人となりを一瞥したあと、いきなりインターネットの方へ話を振ります。現代人は、インターネット上をさまざまなスピードでゆきかう多種多様な情報に接せざるを得ないが、それら情報の質は一様ではなく、きわめて雑多でしばしば相矛盾しており、〈事態はまさに秋の空を行きかう雲のようにとらえどころのない〉ものとなっている。その雑多な情報から、自らの意思決定にかかわる情報を適切に選択するにはではどうしたらよいか。
この場合、鍵となるのは「多様度」である。われわれは各自が多様なスケーラー(測定用具)を持つことを要請される。重量計は「重さ」以外をはかることはできない。距離や温度を測るには別の用具を必要とする。次にスケーラーの感度をあげることが重要である。……高感度センサー(機器や人間)をどれほど多く組織の中にとりこむことができるか、これが経営者の資質をはかる規準となろう。/多様で繊細なセンサーを具備する者だけが環境の微妙な差異を識別することができる。
インターネットの世界を雲の行き交う秋の空のようだとするのが寓意化の一ですが、この最後のセンテンスもまた凡兆と結びついて言われています。掲句以外でも、〈渡りかけて藻の花のぞく流れ哉〉〈市中は物のにほひや夏の月〉〈呼び返す鮒売り見えぬあられ哉〉といった句を引いた高橋氏は、聴覚レベル、視覚レベルで感覚を細分化して対象を捉えた上で、そうした複数の感覚を交錯させることのできた点に凡兆の非凡さを見ています。凡兆はまさに、「多様で繊細なセンサーを具備する者」だったわけです。
さて、丸谷才一氏が、本書について「ここ数年の俳諧論のなかで最も刺激の強い本」とまでいうのは、個々の鑑賞のおもしろさに加えて、高橋氏の俳句観が正岡子規が作った近代俳句の枠組を相対化する性格を持っているからであることは、最初に引いたレヴューの記述にあるとおりです。高橋氏自身その点について明確に自覚しており、加賀千代女の項では、子規の月並批判を、〈われわれがそうであるように、明治生れの世代も、それに先立つ時代に対していくつものアンフェアな仕打ちをしているが、これもその一つであろう。〉と述べています。「理屈を含む句」「譬喩の句」「擬人法を用いた句」「人情を現した句」「誇張した形容をもつ句」「語句上の技巧を弄する句」などを否定する子規のレジームは、さすがに現在もそっくりそのまま維持されているわけではありませんが、これは理屈だから、これは比喩だから、といった理由である句に否定的評価をくだすシーンは、こんにちでも幾らでも目にしますし、まして俳句に人生の教訓を読み取るというような読み方は地を払っていると言ってよいでしょう。その限りでは子規の指導はいまだ効力を保っているのですが、では、近現代に寓句が存在しないかといえばそうではなくて、じつはかなり広範に存在はしています。それらの句は高く評価されている場合さえ少なくなく、そして読者はそれらに寓意なり教訓なりを薄々感じてながら、殊更それを指摘しないようにしながら読む、そんないささか捩じれた対応を私たちは読者として取ってきたということかもしれません。ふと思い出したのですが、高濱虚子が自作の
遠山に日の当りたる枯野かな
に対して取っている態度などは、そうした捩じれの好例ではないでしょうか。『定本高濱虚子全集』(*4)の第一巻の解説は、虚子の長男の年尾が担当していますが、そこに興味深いエピソードが見えます。年尾は、地方の俳句会などに呼ばれて話をする際、「遠山に」の句を取り上げる場合が多かったそうです。
目の前に枯野があつて、遠くに山がある景色で、冬の索漠たる景色の中に、かの遠山に日が当つてゐる場合、この枯野もやがて春近くなれば、少しづつ青みが甦つて来る、春もそこ迄来てゐる感じになつて来るといふ、季節の移り変つて来る様子が読みとれると思はれる一種の人生観めいたものが想像されると説明して来てゐた。
まさに寓句としての読みでしょうけれど、このことを聞いた虚子は、年尾を次のようにたしなめたといいます。
「そこ迄云ふのは月並的だね。人生観といふ必要はない。目の前にある姿で作つたものが本当だ。松山の御寶町のうちを出て道後の方を眺めると、道後のうしろの温泉山にぽつかり冬の日が当つてゐるのが見えた。その日の当つてゐるところに何か頼りになるものがあつた。それがあの句なのだ。」
とはいえ、「その日の当つてゐるところに何か頼りになるものがあつた。」というのも微妙といえば微妙な言い方で、それ自体は句を作るプロセスにおける主観的な印象だったとしても、“人生観”的な方向に展開し得る要素に違いありません。事実、『虚子俳話』(*5)には、「遠山に」の句について、次のようなよく知られた記述があります。
自分の好きな自分の句である。
どこかで見たことのある景色である。
……わが人世は概ね日の当らぬ枯野の如きものであつてもよい。寧ろそれを希望する。たゞ遠山の端に日の当つてをる事によつて、心は平らかだ。
烈日の輝きわたつてをる如き人世も好ましくない事はない。が、煩はしい。
遠山の端に日の当つてをる静かな景色、それは私の望む人世である。
これは、人生観に基づく解釈以外のなにものでもないでしょう。つまり虚子自身、この句を寓句ともみなしていたことになります。それでいて息子には、「人生観といふ必要はない。」と指導するのは、虚子の例によっての言行不一致ということになるでしょうか。ただ、ことはそう簡単でないのかもしれません。虚子にとっての子規、虚子にとっての近代文学の枠組み、虚子にとっての俳諧の伝統、そうしたもろもろの要素の輻輳が、この捩れに露呈している、そう考えることも可能でしょう(今回は深入りしませんが)。なんにせよ、同じ寓意的解釈でも年尾のそれと虚子のそれとでは、さすがに虚子の方が格段に魅力的なようです。年尾の方は、いうところの人生観自体が出来合いのもので、それだけ通俗的に感じられます。それに対して、虚子は自分の人生から帰納した認識を自分の言葉で語っています。虚子が述べる内容に共感するかしないかはともかく、やはりこの差は無視できません。
ちなみに『鑑賞 経営寓句』で取り上げられている虚子の句は、この「遠山に」ではなく、
涼しさは下品下生の仏かな
「俳諧スボタ経」などで、いわば易行道としての俳句を説いた虚子の俳句観と結びつけての寓句としての読みが施されており、なるほどと思わされます。虚子の寓句はしかし、この両句に限るものではありません。すぐに思いつくものだけでもこんなのがあります。
年を以て巨人としたり歩み去る
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
龍の玉深く蔵すといふことを
人生は陳腐なるかな走馬燈
去年今年貫く棒の如きもの
昂ぶれる人見て悲し秋の風
香水の香にも争ふ心あり
一、四、六、七句目は狭義の寓句であり、二、三、五句目は、読み方によって寓句として解釈し得る句、ということになりましょうか。
ところで、坪内稔典氏は、俳句をその短さゆえに、〈簡単に覚えてどこででも口にできる口誦の詩。〉と規定したことがあります(*6)。実際には、そうそう簡単に覚えられなかったりもするのですが、しかし中では寓句、とりわけ狭義の寓句は比較的記憶しやすいのではないかと、今、虚子の句を書き写しながら思いました。少なくとも、細密描写に冴えを見せる純然たる写生句などよりは余程覚えやすそうな気がします。これは句の価値とは別の話ですが。ここで坪内氏の名が出たので、氏には寓句があるだろうかと探ってみると、句集『猫の木』にある、
がんばるわなんて言うなよ草の花
は、掛け値なしの寓句ですね。では、ライヴァル攝津幸彦はというと、『陸々集』に、
国家よりワタクシ大事さくらんぼ
があります。どちらも、良い作品かどうかはともかくきわめて覚えやすく、実際、人口に膾炙している句のように思います。このような寓句的作品はまだまだ幾らでもあるはずで、最近話題になっているところでは、高柳克弘氏の句集『未踏』の巻頭句、
ことごとく未踏なりけり冬の星
なんかもそうではないでしょうか。「e船団」の「俳句時評」のコーナー(*7)で、小倉喜郎氏とわたなべじゅんこ氏が『未踏』について往復書簡形式で批評し、それについて「週刊俳句」で上田信治がやや批判的に言及、神野紗希も自分のブログで意見を述べる、などの動きがありました。
この句は、一義的には叙景句ということになるかと思います。「鷹」誌に初出の時から知っていますが、満天の「冬の星」を「未踏」のものとして捉える発見の鮮やかさ(機知といってもいいでしょう)と、重厚端正な句姿にまずはしびれました。もちろん、「未踏」の語が呼び出された時点で、その対象はいずれは踏破されるべきものとして(その不可能性と共に)認識されたことになりますから、そこに一定の寓意性が生まれます。加えて句集の巻頭に据えられたことで、この句は完全に俳人高柳克弘の出発を期する決意表明の寓句と化しました。それも高橋潤二郎氏がいう「寓喩上の説得力と感性的な訴求力」を併せ持った、すぐれた寓句です。でもって、まさしくその寓句性を批判するのが上述の小倉氏なのです。
『未踏』の始まりにこの句を置く感覚があり、またそれを当たり前のように受け入れる俳壇がある。この感覚では句集が面白くなるはずがない。そもそも詩を志すことは「未踏」の地をゆくことであり、だからこそ表現活動をやっていると言っていい。表現活動の原点なのだ。そのことを今更句集の冒頭に示す必要はない。作品の冒頭に「ガンバリマス」と言ってしまったようなもので、後の句にも影響を残す。つまりこの句集のスタンスは身内へ、或いは俳壇の狭い範囲内への自己紹介的なものになってしまっている。句と句集の表現の可能性を狭めてしまっている。「角川 俳句」に書く彼の様々な視点からの「現代俳句の挑戦」をいつも興味深く読んでいるだけに、このことが残念である。俳人はもっとentertainerになるべきなのだろう。そうでないと、他ジャンルの人たちから「俳句なんて芸術でない」と言われかねない。
小倉~わたなべ往復書簡中にも、関東/関西の差異についての発言があったのですが、決して出鱈目ではないにもかかわらず全く首肯し難い小倉氏の意見を読みながら、地域性などを持ち出しての議論の不毛さを承知の上で、結局そういうことなのかしらと言ってしまいたい誘惑も感じるのです。というのも、わたくし『新撰21』巻末の座談会で、小倉氏と真逆の意見を申し述べているからであります。〈高山 北大路翼氏はエンターテイナーと自称しておりますが、高柳氏もそうとうエンターテイナー的なところがあるんじゃないかな〉云々。わたくしが高柳氏をエンターテイナーではないかというのは、もちろん「ことごとく」の句をあえて巻頭に据えるような立ち居振る舞いを含めて、というかむしろそれあればこそですし、髙柳氏のエンターテイナー性は少なくとも座談会出席者(高山の他、筑紫磐井、対馬康子、小澤實)の間では了解を得ていたと認識しています(当該項の最後の小澤氏の発言を見よ)。そうした地点から、「『未踏』の始まりにこの句を置く感覚があり、またそれを当たり前のように受け入れる俳壇がある。」などという反撥の仕方を見ますと、小倉さんどんだけナイーブなのよ、と思わず口走りそうになります。氏のトータルな発言を読むとそんなにおぼこい人とも思えませんから、とすればやはりentertainmentとは何かをめぐる文化の差なのかな、と。あるいは単に氏が、“俳壇” というものに高を括っている結果の発言なのかも知れませんが。
ちなみに「現代詩手帖」六月号の短詩型特集(*8)に、詩人の杉本徹氏が「曇り日の薄陽のこと 髙柳克弘『未踏』をめぐって」のタイトルで一文を寄せています。まさに「ことごとく」の句について透徹した論が展開しており必読。杉本さんの文章のシリアスな雰囲気はいかにも小倉さん好みではなさそうですが、「つまりこの句集のスタンスは身内へ、或いは俳壇の狭い範囲内への自己紹介的なものになってしまっている。」というような批判が、半分当たっているようでいて、しかし根本的には的外れであることだけはわかるのではないでしょうか。
(*1)高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』
二〇〇九年 慶應義塾大学出版会
(*2)毎日新聞 二〇〇九年十月四日
(*3)これは「バッグの本 ベッドの本」という
三回続きのエッセイの第二回である。
讀賣新聞 二〇〇九年十一月四日
(*4)『定本 高濱虚子全集』
第一巻 俳句集(一)
一九七四年 毎日新聞社
(*5)『定本 高濱虚子全集』
第十二巻 俳論・俳話集(三)
一九七四年 毎日新聞社
(*6)坪内稔典「俳句の楽しさ」/
『俳句 口誦と片言』
一九九〇年 五柳書院
(*7)「e船団」/「俳句時評」
四月二十七日~五月十一日
http://sendan.kaisya.co.jp/sendanjihyo.html
(*8)「特集 短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」
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