2010年3月28日日曜日

第84号

第84号

2010年3月28日発行

『超新撰21』を告げる

40代作家を中心に21世紀を見据える

          ・・・筑紫磐井   →読む


「セレクション俳人」を読む4 『佐々木六戈集』

勇気ある逃走の「質」

          ・・・外山一機   →読む


俳句九十九折(76)

七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅨ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔52〕家を出て夜寒の医師となりゆくも

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

あとがき           →読む

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あとがき(第84号)

あとがき(第84号)



■高山れおな

なぜかは知らねど忙しい。いや、なぜかはわかっている。職場で人事異動があったりしたためだ。自分が異動したわけではないが余波がきた。なので原稿書いてる暇がない。いや、じつは暇があった時、つい分厚い本に手を出してしまったのだ。イギリスの伝記作家サイモン・セバーグ・モンテフィオーリの『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』(染谷徹訳 一月二十日刊 白水社)という上下巻合わせて千頁もある本だ。これでつぶれた四、五日があれば、少なくとも八十三号には原稿を出せたのだ。いやあ面白い本でした。で、これを仁平勝さんからいただいた『虚子の読み方』(一月二十一日刊 沖積舎)とつなげて一席ぶつ、という構想があったのだが、こう忙しくっては(土日も出張なのだ)構想のまま流れてしまいそうなので、ここにメモっておくのだ。構想というのは要するにひとつの妄想の提示であって、それは『高濱虚子 俳句の王様と廷臣たち』という虚子伝の妄想なのだ。仁平さんの本も面白いし、その他にも虚子本はいろいろあるようだけれど、しかし案外、本格的な虚子伝というのはないのである。本格的というのはやっぱりトータル千頁くらいは欲しいということである。規模に加えて、“俳句の王様と廷臣たち”なる視角が、モンテフィオーリ氏の本にインスパイヤされての、この架空虚子伝のミソなのだ。・・・というそこから先は略。



■中村安伸

あいかわらず記事を書いておりませんが、句会や連句の会などにはできるだけ積極的に出るようにしています。


俳句九十九折(76) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅨ・・・冨田拓也

俳句九十九折(76)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅨ

                       ・・・冨田拓也

3月21日 日曜日

本棚の資料の様相が随分乱雑となっているので、すこしばかり整理しようという気になった。その作業の途中、本で埋まっていた棚の奥の部分から、一体何時どうやって入手したのかと思われるようなそれこそその存在自体をほとんど忘れてかけていたような句集が何冊も出てきて、なかなか興味深い思いのするところがあった。

そのような資料といったものをここにいくつかあげてみると、船川渉『黒漫漫』(俳句評論社 1961)、立岩利夫『時間』(夜盗派の会 1965)、山上康子『泊夫藍』(書肆季節社 1986)、中烏健二『愛のフランケンシュタイン』(書肆季節社 1989)、研生英午『水の痕』(沖積舎 平成2年)、などということになる。

これらの句集の中にも、しっかりと読んでみれば現在においても割合面白いと思えるような珠玉の作品が眠っている可能性もあるかもしれない。いずれしっかりと作品に目を通して、ここにも取り上げてみたいところである。

アパートが角砂糖になる朝のコーヒー  船川渉

あいまいな夜を突つ走る目玉の光芒  立岩利夫

自然に扉開く丸腰の軟体動物  山上康子

ぐらいだあかあぶしてくる接骨医  中烏健二

水流に水の音淡し千年の枕邊  研生英午


3月24日 水曜日

なんとなく「橋」という言葉が思い浮かんだ。

父の忌にあやめの橋をわたりけり  永田耕衣

春月や犬に生れて橋架かる  和田悟朗

西行忌雌雄求(と)めあふがに架橋  竹中宏

凍蝶のゆくさきざきに橋架かり  宗田安正

春眠の朱塗りの橋にさしかかり  佐々木六戈


3月25日 木曜日

書店で、『俳句』、『俳句四季』、『俳句あるふぁ』、『俳壇』などの総合誌を立ち読み。『俳句界』の最新号が、今回訪れた書店にはなかったのが少々残念であった。

あと、『文藝春秋増刊 くりま』2010年5月号(総特集 俳句のある人生)という雑誌も出ていた。珍しく「俳句特集」である。そういえば、この前も『サライ』において俳句の特集が組まれていたこともあったな、ということを思い出した。しかしながら、この雑誌の「くりま」とは、一体何のことなのか、見当がつかない。とりあえず、それは置くとして、ぱらぱらと誌面を見た印象ではどちらかというと俳句の初心者向けの内容で占められているといった趣きであるように見受けられた。


3月26日 金曜日

先週、ネットでの古書の購入のことについてすこし書いたのだが、自分の持病(?)ともいうべきネットでの句集の購入を繰り返す行為というものは、やはりこのところ相当に本格化してきているようで、自らの意志ではなかなか歯止めがきかず、気が付いた時にはすでに10冊以上の句集を注文してしまったあとであった。

一応、今回購入したのは、小原啄葉『而今』(角川書店 2008)、古館曹人『繍線菊』(角川書店 平成6年)、奥山甲子男『奥山甲子男句集』(海程新社 1981)、奥山甲子男『飯』(海程社 1986)、穴井太『穴井太』(花神社 平成9年)、和田悟朗『桜守』(書肆季節社 1984)、佐藤鬼房『愛痛きまで』(邑書林 2001)などということになる。

これまでに、読みたい句集や詩歌関係の本といったものについては、一応すでにある程度入手したようなところもあるのだが、どういうわけか自分にはこれまでにまだあまり読んでいない作者や作品の存在というものをわざわざ執拗に見つけ出してきては、自らすすんで購買意欲をかきたてようとするとでもいったようななんとも厄介な習癖が潜んでいるようである。

ともあれ、手元に届いた品物の数々を眺めていると、やはり割合満足のする思いがしないでもない。しかしながら一方で、これから郵便局にこれらの商品の代金を支払いにゆくことになるのかということを考えると、なんとも気鬱な思いがするのも事実である。


3月27日 土曜日

そういえば、今回購入した句集の作者の内の、小原啄葉、古館曹人という作者は、ともに山口青邨門の作者ということになる。

いつだったか、この山口青邨には全句集及び全集といったものがいまだに存在しないということを何かの機会に偶々知って、少しおどろいたことがあった。この作者のみならず、割合名の知れた作者であっても、現在までその生涯の句業が全句集などで纏められておらず、その全貌に容易に接することができない例というものが、意外にも少なくはないのである。

あと、思えばこの青邨には、割合優れた門下生の数が結構多いのではないかという気のするところがある。あまり詳しくは知らないのだが、先に挙げた啄葉、曹人の他に有馬朗人や齋藤夏風、黒田杏子などといった後進の存在、また東大の俳句会や、「子午線」といった俳句誌に対しても、その影響というものはやはり小さなものではなかったのではないかと思われる。

前述したように、この山口青邨にはいまだに全句集が存在しないようである(季題別のものはあるようだが)。この作者の句業の全貌というものは、一体どのようなものであったのか、若干ながら興味がないでもない。

そばの花山傾けて白かりき  山口青邨

はなやかに沖を流るる落椿   〃

みちのくの乾鮭獣の如く吊り   〃

みちのくの鮭は醜し吾もみちのく   〃

よろこびはかなしみに似し冬牡丹   〃

祖母山も傾山も夕立かな    〃

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「セレクション俳人」を読む4『佐々木六戈集』 勇気ある逃走の「質」・・・外山一機

「セレクション俳人」を読む4『佐々木六戈集』
勇気ある逃走の「質」

                       ・・・外山一機

今日において俳句を選ぶということは、それが自覚的なものであるならば、悲劇(あるいはその反転としての喜劇)を伴わざるをえない。ならば、たとえば俳句・短歌・詩といった形式を飛び越えて活動する佐々木六戈の場合はどうか。

俳句用語の一つである「二物衝撃」とは、異なるイメージをもつ具体的な二者を対峙させることによって一句を成立させる方法のことである。いまでは俳句入門書の類でも紹介されているくらいだから、仮に「二物衝撃」という言葉自体は知られていなくても作り手にとってはごく一般的な方法として認知されていると言ってよいだろう。
「二物衝撃」の切り札は、作り手にとっても読み手にとっても思わぬイメージを引っ張り出してくるところにある。六戈はしかし、このような誘導の仕方がすでに機能不全に陥っていることを指摘する。

ところで、この「二物衝撃」という詩法は、もはや、わたしを驚かせない。ロートレアモンの『マルドロールの歌』の一節である「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのようにうつくしい」がシュルレアリストたちに与えたような衝撃をわたしに与えない。偶然の言葉の組み合わせが開拓した無意識の沃野はすでに日常の風景に化してしまっている。(「草木の弟子―わたしの自然詠入門」『俳誌童子』二〇〇〇・七)


ここで六戈が「無意識」という言葉を用いていることは重要である。六戈は「二物衝撃」を、人間の無意識のレベルにおいて何がしかを表出・受信するための方法としてとらえている。そもそも「二物衝撃」には、戦後、俳壇で「社会性」が叫ばれるとともに俳句表現の抽象化していったことへの反措定としての意味があった。いわば「意識」上から発信される表現に生じた抽象化・観念化を打開するべく、俳人たち(たとえば山口誓子)は、知覚できる事物に即して表現する方法を模索したのであった。

ところが、具象か抽象かに関わらず、そもそも俳句は、七七以下を切り捨てたときから―この意味において「個室」の文芸となったときから―自己表現の形式としての色合いを強めてきたのではなかったか。今日、俳句表現に行き詰まり感があるとしたら、それは、そもそも俳句形式で自己表現するという袋小路を多くの俳人が問い直すことなくきてしまったことの方にこそ根本の原因があるだろう。
六戈はこうした問題に対して、「自然詠」の方法を提示する。

わたしが提出(再提出)しようとする「自然詠」の方法とは次のようなものである。
「近くにありすぎる物と物の関係を無関係なものに返してやる。」
たとえば、「花」とは、根と茎と花びらと蕊とを人間的に統一し、表象した「ことば」にすぎない。なぜなら、ある虫にとって茎だけが「花」であるやも知れないし、葉だけが「花」であるやも知れない。(略)

わたしは「わたし」の死後においてその花を見るのである。あるいはわたしの未生において憧れとしてのその花を見るのである。その中間は存在しない。(略)

わたしの「自然詠」。これは無知無能の詩法であり、書き手が持ち合わせているものの一切が役に立たない詩法である。
(「草木の弟子―わたしの自然詠入門」)

六戈が唱えるのは、花鳥諷詠とも飯田蛇笏ら『雲母』の方法とも異なる「自然詠」である。

  寒の枝たがひちがひにあはざりき
  仄暗くして白梅のひらきかけ
  ひるがほのはなひるがほのはなにふれ
  川蜘蛛の押さふる水の流れゆく
  一匹が出てしばらくを蟻の穴
  冬の皺眞白き紙にありにけり
  秋水や石を鳴らして石の閒


六戈は事物を微細に観察して、そこから発見したことを詠む。自己表現のための具象化ではなく、具象それ自体を言祝ぐための具象化―もっとも、六戈ははじめからこのような場所にいたわけではなかった。『佐々木六戈集』収録の作品から初期のものを引いてみよう。

  連凧の先頭寂しからざるや
  辨当をひろげてをれば馬糞風
  蓮喰うて先づ寂しさよ涼しさよ
  少年少女童話全集蛇苺


「寂しからざるや」、「寂しさよ」のように、饒舌な文体がまず目につく。加えて、「辨当を」の句のようにユーモアを押し出した句。あるいは着地点が明確に過ぎるという点で「辨当を」の句の他に「少年少女」の句を挙げてもいいだろう。「少年少女」の句は「二物衝撃」を用いた句といってもいいのかもしれないが、対比された二つの物(「少年少女童話全集」と「蛇苺」)のイメージの飛躍が大きいものではないために、わかりやすいが俳句の「切れ」を活かしきれていないうらみがある。六戈の作品全体にいえることだが、詩的イメージの大きな飛躍は避けて着地点をはっきりさせるように文体や内容をあえて饒舌にしている句が少なくない。「自然詠」は六戈がこうした予定調和的な地点から抜け出す方法としても有効であったようにみえる。

だが、六戈の「自然詠」に、どこか「以前」の感があるのは否めない。誤解を恐れずに言えば、その方法論の違いにもかかわらず、六戈の「自然詠」の実践によって結実した句は高野素十などのいわゆる草の芽俳句に似ている。このような事態がありうるのは、句作における言葉のとらえかたに理由があるのだろう。先に引いた文章を再び引いてみる。

たとえば、「花」とは、根と茎と花びらと蕊とを人間的に統一し、表象した「ことば」にすぎない。

六戈の「自然詠」とは、「ことば」からの勇気ある逃走である。いま、「勇気ある」と書いたのは、鷲巣繁男について「この人がいなかったらわたしは俳句も短歌も書いていなかった」と述べるほどの六戈が、富澤赤黄男の「蝶はまさに〈蝶〉であるが〈その蝶〉ではない」という言葉を知らないはずがないからだ。六戈はあえてそこに疑問を呈してみせたのである。このような態度は俳句表現史に連なろうとする自覚なしにはあり得ない。そしてこれは無論、「赤黄男以前」の俳人とは似て非なる態度である。

しかし、「ことば」から逃走することは、作家としての敗北ではないのか。このように考えたとき、六戈の次の言葉が重く響いてくる。

そしてまた、ほんとうのことを言えば句が出来なくてもいいと感じ入る。ただ草木の弟子として、草花を見ているだけでもいいと思っている。何か日常を人間的な幸福で包み込んでお茶を濁す体の俳句に飽きてしまったのである。
俳句よりも草がいい。
(「草木の弟子―わたしの自然詠入門」)

「句が出来なくてもいい」という六戈を俳人として批評するのは間違っているのかもしれない(実際六戈の俳句が、少なくとも六戈にとって「俳句」であるか否かについては疑わしい)。それでもあえて言うならば、「何か日常を人間的な幸福で包み込んでお茶を濁す体の俳句に飽きてしまった」ときに六戈が自らに問うべきだったのは、「俳句よりも草がいい」か否かではなく「なぜ自分は俳句を選んだのか」ということではなかったろうか。

俳句は(主としてその短さゆえに)新しい表現を開拓することがきわめて困難な詩型である。六戈の「飽きてしまった」という言葉は、だからその意味でごく自然な感慨であろう。だが、ここで僕が疑問に思うのは、その程度の「飽き」など、多少とも自覚的に俳句に携わる者にとっては折り込み済みのものではないのかということだ。

すでに袋小路に入っているかに見えるこの詩形式を、それでも選択することが、俳句に携わるということではなかったか。すなわち、「俳句より草がいい」と、あえて言わないことこそが俳句に携わるということではなかったか。

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遷子を読む(52)

遷子を読む(52)

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


家を出て夜寒の医師となりゆくも
     『山国』所収


仲:自分を規定するのに「夜寒の医師」とは実に思い切った表現です。前田普羅の「夜長人耶蘇をけなして帰りけり」に登場する「夜長人」にも匹敵する造語(?)と思いました。「家を出て」とありますから恐らく往診にでも出かける時の句でしょう。普通の外出なら「夜寒の人」であって「医師」とする必然性がありませんから、この時の彼は医師として外へ出たのだと思います。

これまで遷子の晩年の句を多く鑑賞してきた目からすればやや甘さが感じられます。どこか自分を遠くから見ているような切迫感のなさ。俳句の諧謔の底には己れをとことん客観視して笑いのめす態度があると思っている私としては、そのこと自体は悪いことだとは思いません。ただ後の彼の句境を見てしまうとどこか物足りないのです。「なりゆくも」などと万葉調にしたのも、縦令馬酔木の流行だとしても物語の中に自分を置いて満足しているような「ポーズとしての医師」を感じないではいられません。

尤もこの時点の彼としては寒い秋の夜、往診に出かける自分の姿をうまく言いとめたと評価するべきかもしれません。特に「夜寒の医師」の措辞にはどこか淋しさと決意とが読み取れなくもありません。私個人としてはこういう俳句も遷子の句として好きです。しかし医師としての経験を重ね、自ら病を抱えるようになってから彼の俳句はより一層深みが増していきます。同じように往診する自分を詠んでも先に挙げた「凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ」のように凄絶な詠み振りになっていくのです。

中西:この句の万葉調は、馬酔木らしい調べとなっています。遷子の師秋桜子や、兄事していた波郷はこの同じ形でどんなものを作っていたのかと調べてみますと、

アカシヤ咲けり高原の風袖吹くも 水原秋桜子『残鐘』昭和27年刊

秋の風母子相打ちあそべるも   石田波郷 『雨覆』昭和23年刊    

春疾風屍は敢て出でゆくも    石田波郷 『惜命』昭和25年刊   

という句が出てきました。朝日文庫「水原秋桜子集」では『残鐘』に1句ですが、波郷は富士見書房の波郷全集の『雨覆』に2句、『惜命』に10句とこの形で好んで作っています。遷子は『山国』に7句あり、いずれも昭和21年頃から昭和31年あたりまでに作られたものです。掲出句も昭和28年作ですから、馬酔木でこの形が一時流行ったと考えられます。この詠い方は馬酔木という結社の中で流行したのでないでしょうか。

「家を出て」という上五に注目しました。診療が終って自宅に戻り寛いでいたものを、往診に呼び出されたのだろうと思います。家庭人の顔から、また医師の顔になるという、どこか意識的に顔を使い分けていた、つまりは緩めた気持ちをまた引き締めていく、職業に対する自負のようなものを感じたのですが、仲さんはそこに甘さを見ていらっしゃるようです。「ポーズとしての医師」を見るようだと手厳しいご指摘ですが、

 昼寝覚祭りの音となりゆくも  

 農婦病むまはり夏蚕が桑はむも

というように、この詠い方は対象から少し距離をもって詠む方法なのではないかと思われます。そこら辺の詰めの甘さが気にならないこともありませんが、自転車を漕いでいくうちにだんだん気持ちの整理がされ、自分を客観視していると、受け取ることもできるように思いますが。  

原:「ポーズとしての医師」といってしまうと、遷子に少々気の毒かもしれません。一句の語調からは、日々のなりわいとして医業を果たしている医師の姿を思います。夜の往診も日常のことだったのでしょうね。

仲さんの言われる「切迫感のなさ」は、まさにこのときの状況がそういうものだったのでしょう。患者の状態も、急を聞いて駆けつけるような差し迫ったものではなかったとすれば、往診の道すがら、ふとこのような感慨が兆すこともあっただろうという気がしました。

とはいえ、どこか客観的な印象が拭えないのは、「なりゆくも」の「も」の詠嘆語法によるのだと思われます。このような言葉の使用は現在の私たちにとって実感から離れています。遷子句の頃でさえ、一般的には既にそうだったでしょう。時代や場によって、言葉が抱える印象は大きく異なるということをも考えさせられる作品でした。

前回磐井さんが<付言>で述べていらしたことに粛然としました。世代論は無意味と思っていましたが、自己表現の核となる部分で時代的な変質が生じているようです。

この「遷子を読む」で言われてきた「志」という言葉は、どこか大時代な印象で受け取られかねないという懸念を持っていたのですが、「遷子の大事に思った「志」は、たぶん主題の背景にある、主題が選ばれる主体的な必然性のようなものに当たる」と明確に言って頂いて有難かったです。この勉強会(?)の中心部分が改めてはっきり見えるような気がしました。深谷さんの提言にある「芸」と「志」の対置にも目を離さずにいたいと思っています。

深谷:昭和28年の作。馬酔木の万葉調を踏まえた、あるいは誤解を怖れずに言えばそうした表現形式に依存したような趣のある作品だと思います。万葉調の中でも、句の終尾を「も」で止めるスタイルを気に入ったのか、遷子は同じ句集の少し前にも「送らるる山羊に白樺の花散るも」「農婦病むまはり夏蠶が桑はむも」などの作品を収めています。どちらも同じ年の作品です。こうした万葉調は、作品にある種の「格の高さ」めいたもの、あるいは「らしさ」を与えてくれますが、一方でそれに依存した分だけ何処かしら甘さを残してしまう危険性があるような気がします。掲出句に関する仲さんの指摘も同様の問題点を踏まえたものだと思います。

そして、まもなく遷子の脱皮が始まります。句の対象やその内容が社会性を帯びたもの、厳しいものに変遷していくのにつれて、こうした万葉調も影を潜めてきます。秋桜子が理想とした「美しい構図」を表すのに万葉調という表現スタイルは適していたのかも知れませんが、後に遷子が採り上げたような厳しい現実を前に己の抜き差しならない憤怒あるいは哀しみを詠む場合万葉調ではやはり間延びした感が否めず、表現形式として相応しくないと判断したのではないでしょうか。遷子という作家が幾度か作風の変遷を遂げるに際し、その内容と表現に関する興味ある関連性を示してくれた作品のように思われます。

筑紫:遷子の往診の俳句と思われるものには次のような句があります。

星たちの深夜のうたげ道凍り
汗の往診幾千なさば業果てむ
ちかぢかと命を燃やす寒の星
自転車に夜の雪冒す誰がため        
往診の夜となり戻る野火の中
凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ 
   

「星たち」については(26)で、「汗の往診」は(11)で取り上げました。「凍る夜」は仲さんが触れているように(42)で取り上げられています。甘いという意味では最後の句以外、みな馬酔木調の甘さを持っているようです。しかしそれは、当時にあっては、馬酔木そのものも甘く(「愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子」「しづかなり受験待つ子らの咀嚼音 能村登四郎」など甘いですね)、俳壇全体がこの種のテーマに甘く、日本全体が甘かったのかもしれません。「ポーズとしての医師」は言いえて妙で、ポーズとしての父親とか、ポーズとしての燈台守が素材となっていたような気もします。角川書店の「俳句」が創刊したばかりの頃、新しいキャンペーンとして、職場俳句を大いに喧伝したことがありました。社会性俳句などに比べると成功しなかったようで、その後にどうという影響を与えませんでした。しかし、当時のジャーナリズムとして一度はこうした特集を企画してみようと思った動機は十分共感できます。例えばこの句は、医師を教師に置き換えてみれば、容易に次のような句になると思われます。

 穂絮とび教師としての我いつまで 能村登四郎『咀嚼音』
 燃ゆるなき身を置く卒業写真の中
 教師は我一代かぎり露走れ
 東をどりに家庭教師として招ばれ

この頃の句を見ると不思議な気がします。ある時代を感じられても、それぞれの作家の成長過程の一段面としてしか見えないからです。平成の時代にこれらの句が再評価されるとはとても思えません。しかしこの時代にはこうした俳句を必死になって詠んでいたのが、この時代でした。

こうした相対論から私たちの俳句を反省すると、私たちが時代の好尚にあわせて必死になってうまい俳句を作っていることも、30年後には誰も理解できない俳句となっている可能性だってあるのです。不易流行といいますが、不易は時代の子である我々には本当は見えず、永遠に流行を追い求めているのではないでしょうか。

遷子の掲出の句に戻ってみると、遷子の場合は、晩年も医師の目で眺めた俳句を詠み、ついには自分自身を医師として観察をせざるを得なくなります。「ポーズとしての医師」かもしれませんが、「ポーズとしての医師」からだって終生の俳句は位置づけられます。仲さんが言われている通り「なりゆくも」の万葉調は馬酔木の流行かもしれませんが、「家を出て夜寒の医師とな」るは、散文的ではありますが、存在感のある言葉です。疎外された語感が、終生の医師としての俳句につながるように思われます。この句を読んだ当時そう思っていたかどうかは分かりませんが、こうした句を積み重ねていって、ある覚悟を作り出したのではないでしょうか。

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遷子を読む〔11〕 汗の往診幾千なさば業果てむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔12〕 雛の眼のいづこを見つつ流さるる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む

遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔48〕高空の無より生れて春の雲・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔49〕隙間風殺さぬのみの老婆あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

遷子を読む〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む


遷子を読む〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

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2010年3月27日土曜日

『超新撰21』を告げる

『超新撰21』を告げる
40代作家を中心に21世紀を見据える


                       ・・・筑紫磐井

昨年末刊行した『新撰21』(邑書林)は予想外の好評を得た。インターネットで話題になるのみならず、雑誌、新聞でも多くの紙面を割いて好意的に紹介された。今回の企画の質そのものにはいろいろ意見もあるが、こうした若い世代を取り上げるという企画には、ここしばらく俳句界が熱心でなかったという実感がもたれ、この企画にも共感が寄せられたようである。

40歳以下を対象にした『新撰21』は確かに生年月日の40歳で切ってしまっているという点で暴力的であった。21世紀への期待という意味では、『新撰21』で取り上げた作家とほとんど評価が変わらないにもかかわらず、機械的に誕生日ではずされてしまった人もいる。『新撰21』編纂中にもそうした反省はいろいろ出された。

『新撰21』が好評のうちに重版となったこと、次の新『新撰21』を企画しても共感が得られそうだという確信がもたれたことから、今回、『超新撰21』として新しいコンセプトで21世紀への期待作家を特集しようというものである。

参加者は、50歳以下とした。おのずと、40歳以下を対象にした『新撰21』と性格を異にしている。もちろん、

①『新撰21』からもれた40代前半作家がひとつの層をなしている。

一方、

②『新撰21』が取り上げた30代作家も含めようと思う。

『新撰21』が特に20代作家を出来る限り取り上げるようにしたために30代作家は若干人数的な圧迫を受けている。『新撰21』に入るべきで、しかし取り上げられなかった(その際の基準は優劣というより、多様性という基準で判断したと私は思っている)30代作家も『超新撰21』に入る資格があると思っている。そして、

③50歳以下、かつ2000年以前に句集も受賞もないという限定をつけたとたんに登場する40代後半作家がいる。

彼らは40代前半作家と違って、いまさら新人というのはためらわれる確固たる自己世界を作っている作家である。しかし、新星のように現れたから、我々が用意した形式的要件には合致してしまう。私などは、むしろ他の『超新撰21』の作家、『新撰21』の作家の目標として登場してもいいのではないかと思っている。20年前の新人登場の時代の岸本尚毅の役割(20年間にわたって新人の象徴のように「常に最年少」として登場してきた)をこれらの世代は果たせるのではないかと思っている。いま、「―俳句空間―豈weekly」では藤田哲史、外山一機両氏が〈「セレクション俳人」を読む〉を連載しているが、この「セレクション俳人」の第2期に上がってきておかしくない作家たちであるといえよう。

また、今回の特色は、僅かながらも公募枠を設けたことだ。この参考にしたのは、中井英夫・塚本邦雄・大岡信が編集した三一書房の『現代短歌大系』(昭和48年刊)という全12巻のセレクション全集が行った新人賞公募である。3人の編集者が選考した新人賞は、石井辰彦、長岡裕一郎らが受賞したが、歌壇の大御所にこれら新人が並んで登場したことに短歌界は大きな衝撃を受けた。例えば次席の長岡裕一郎は東京芸術大学受験のため浪人していた短歌制作の経験のない18歳の若者であった(無事芸大合格)。〈ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち〉。やがて、これをヒントに、「俳句研究」編集長の高柳重信は五十句競作という新人発掘の企画を始め、多くの新人を世に送り出した。攝津幸彦もその一人である。今回の企画はいうなれば、1回限りの百句競作といえようか。応募条件は50歳以下としたが、広く10代、20代の応募も期待しているところである。

   *    *   *    *   *

『超新撰21』の名称は、「週刊俳句」のさいばら天気氏の冗談のような名づけ(ウラハイ=裏「週刊俳句」2009年12月31日号  〈週刊俳句2010年回顧〉 「十二月/昨年の『新撰21』に続く「00年代の新人たち」シリーズ第2弾『超・新撰21』刊行に合わせた企画が目白押し」)を契機としている。21の勅撰和歌集は、大半を、後撰(後)、拾遺、新、続をつけて命名している。現代的な命名として「超」を採用したものだが、意外にその志は述べ得ていると思う。編者の一人としてはこんなつもりでいるが、ほかの編者はどのように考えているであろうか。『超新撰21』が出るまでのしばらくは、いろいろな批判や憶測もあると思われるのでこんな感想を告げておくこととしたい。

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2010年3月21日日曜日

第83号

3月21日、藤田哲史+外山一機両氏の連載〈「セレクション俳人」を読む〉に、「はじめに」が追加されました(81号)。
おなじく、連載第1回〈「セレクション俳人」を読む1 『田中裕明集』 制御の内外〉(81号)は、改稿されました。
第83号

2010年3月21日発行

俳句九十九折(75)

七曜俳句クロニクルⅩⅩⅧ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔51〕凍りけり疎林に散りし夕焼も

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

「セレクション俳人」を読む3 『仙田洋子集』

把握の正着

          ・・・藤田哲史   →読む

閑中俳句日記(27)

田中裕明「童子の夢」50句

          ・・・関 悦史   →読む

あとがき           →読む

おしらせ           →読む

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おしらせ(第83号)

haiku&me特別企画のお知らせ

Twitter読書会『新撰21』 第三回「山口優夢+佐藤郁良」

Web同人誌「haiku&me」主催の特別企画として、Twitterを使用した読書会を実施します。
昨年末に発行され、各所で話題の若手俳人アンソロジー『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作者と小論をとりあげ、自由に鑑賞、批評を行う会にしたいと思います。開催は不定期で、全21回を予定しております。

第三回は山口優夢さんの「空を見る、雪が降る」と、佐藤郁良さんの小論「叙情か屹立か」をテーマとします。

「haiku&me」のレギュラー執筆者が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)
また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。(傍聴といっても文字を眺めるだけですが。)

・第二回開催日時: 2010/3/27(土) 22時より24時頃まで

・参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者
 +
その他どなたでもご参加いただけます。

・ご参加方法:

(1)ご発言される場合
開催時間にTwitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)

#shinsen21

※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方は、以下のURLからTwitterにご登録
ください。http://twitter.com/

(2)傍聴のみの場合
以下のURLをご覧下さい。
http://twitter.com/#search?q=%23shinsen21

・事前のご発言のお願い

(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

・お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

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あとがき(第83号)

あとがき(第83号)



■高山れおな

八十一号で藤田哲史さんが田中裕明を論じておられましたが、今号では関悦史さんがこれまた田中さんのことを取り上げています。例によってのシンクロ現象でしょうか、じつはつい先日わたくしも田中さんについて書いたばかり。田中さんの俳句仲間であった山口昭男さんがやっておられる同人誌「静かな場所」からの依頼原稿で、「『先生から手紙』時代の文章を読む」というのが与題でした。関さんが触れている田中さんの「夜の形式」は、青年客気というのか、だいぶ韜晦気味の文章のようですが、それから十年を経た『先生から手紙』時代(というのは要するに田中さんの三十代にあたります)の田中さんは、おそらく丸谷才一氏あたりの影響を受けつつ、達意のエッセイストぶりを見せています。「ゆう」誌の巻頭言は雑誌をいただいていたので読んでおりましたが、各所に発表された長短さまざまな文章を読めたのは有り難かったです。

それから大事なお報せを。『新撰21』につづくアンソロジー『超新撰21』(というのはさいばら天気氏のブログにあった書名を予言遂行的に頂戴したのですが)が、おなじ版元(=邑書林)、おなじ編者(=筑紫磐井、対馬康子、高山れおな)によって年内に刊行されます。『新撰21』がU-40の作者二十一人による選集だったのに対し、『超新撰21』はU-50の作者の選集です。入集作者のうち若干名は公募となります。詳しくは邑書林のHPにある「新撰21情報」の項(http://8548.teacup.com/kyouen/bbs)をご覧になってください。ふるってのご応募をお待ちしております。



■中村安伸

発行が遅くなり申し訳ありませんでした。イレギュラーな作業が多くて手間取ったというわけではなく、所要で外出していたためです。


俳句九十九折(75) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅧ・・・冨田拓也

俳句九十九折(75)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅧ

                       ・・・冨田拓也

3月14日 日曜日

ふと、西東三鬼の門下の俳人というものは、一体どのような作者が存在したのであろうか、という思いが浮かんだ。三鬼の弟子として有名なのは当然ながら三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房、ということになるのであろうが、他の弟子たちは、西東三鬼という名に比して、現在に置いては、さほどその名前も作品もともにそれほど多く知られていないのではないかという気がする。

いま挙げた3人以外の他の三鬼の弟子としては、試みに思い付くままその名前を挙げてみるならば、島津亮、杉本雷造、立岩利夫、東川紀志男、大橋嶺夫、清水昇子、山本紫黄、松崎豊、井沢唯夫、木村澄夫、大高弘達、谷野予志、森田智子といったあたりということになろうか。

他にも三鬼の弟子の数というものは少なくないのであろうか。以前、大阪俳句史研究会かなにかの冊子で、三鬼の弟子についてのどなたかの講演記録の資料が手元にあったのだが、どこかに紛失してしまった。


3月16日 火曜日

この間、関悦史氏が塩野谷仁という「海程」の作者について論じておられたのだが、思えば自分はこの「海程」所属の作者というものについて全体的にあまりよく知るところがなく、またその作品についてもこれまであまり深く知ろうとしてこなかった、という事実にいまさらながら気が付くところがあった。

思えば「海程」という俳句誌は、昭和37年(1962)の創刊から現在までなんとほぼ50年(!)に近い歳月にわたってその活動を続けてきており、それこそ相当な歴史を有すまさしく老舗といえよう。ゆえにその作者の数というものについてもこれまでには大変な数が存在したのではないかと思われる。

せいぜいのところ、自分が「海程」の作者と聞いて思い出せるのは、

堀葦男、阿部完市、島津亮、立岩利夫、門田誠一、東川紀志男、大橋嶺夫、仲上隆夫、八木三日女、林田紀音夫、澁谷道、酒井弘司、大沼正明、竹本健司、奥山甲子男、穴井太、小金まさ魚、毛呂篤、福田基

といったあたりの俳人であろうか。

金子兜太編『現代の俳人101』(新書館 2004)を見てみると、他に、安西篤、武田伸一、堀之内長一、森下草城子、森田緑郎、などといった作者の名前の存在が窺える。

さらに、手近にあった『大沼正明句集』(海程新社 1986)を少し繙いてみても、広告に、高橋たねお、佃悦夫、野呂田稔、などといった名前が見られる。

これだけを見ても「海程」の構成メンバーというものは相当に多彩であり、全体を大雑把に俯瞰するだけでもなかなか困難なものがありそうである。


3月18日 木曜日

先週に続き、ネット古書でまた句集を購入した。時折、まるでなにかの発作のように、句集などの書籍をネット販売で見境もなく何冊も一気に購入したくなる衝動に駆られることがあるのだが(また会員登録をしていれば購入の手続きが大変簡単なので、気が付けば何冊も注文してしまった後というケースも多い)このところ、またそのような症状が顕著となる周期がめぐってきはじめているような気配がある。

今回購入した句集は、岩田眞光という作者の『芍薬言語』(書肆季節社 1987年刊)。本の大きさはおおよそ新書のサイズに近い割合に小さなもの。頁についても大体100頁足らずであり、随分と薄い。函入りで全体がグレーで統一されたシンプルなデザインの実に素晴らしい装丁の句集である。装丁の担当は政田岑生。栞文は歌人の塚本邦雄が執筆。限定300部で、おそらくこの句集は現在までその存在自体がほとんど知られていないのではないかとさえ思われる。この岩田眞光という作者は歌人でもあるとのことで、歌集として『百合懐胎』(書肆季節社 1991)という本も存在する。

句集の内容としては、1980年から1986年までの間の作である計125句(跋文中の1句を入れて計126句)が収録されている。句集としては、大体6、7年ほどの期間から僅かにこれだけの選出であるから随分厳選であるといえよう。

泡となる男もゐるや晩夏光

旅人よ水彩の青に溶けてしまへ

アスファルトに腐りかけたるキャベツかな

硝子屑くだきて運ぶ男たち

露の眼に単彩色のカレンダー

もりあがる横断歩道はおんがくだ

雲のなかからずりおちている網戸かな

ピンクのアンダーラインは春の鳥だね

B級のワニがとびだす絵本かな

檻のなか五月の砂が撒かれをり

これらの作品というものはその軽やかさと口語の使用から、いうなれば、単なる伝統的な方向を目指す「新古典派」の作風でもなければ、耽美主義的な方向性を追求した作風とも異なる様相の、まさしく「ライトヴァース」とでも言う他にない作風ということになろう。

思えば、この句集の作品の生み出された1980年から1986年という期間は、短歌の世界において、仙波龍英、荻原裕幸、穂村弘、俵万智などの歌人たちが登場した時期と重なるということになる。

また、著者はその跋において〈70年代を代表する句集の一つとして摂津幸彦の『鳥屋』をあげたいと思う。この挑発的な句集によって、秋櫻子にはじまり波郷によって受けつがれた「現代俳句」が、私のなかでがたがたと崩れ去りその有効性を失ってしまったことを知った。〉と記している。


3月19日 金曜日

『芍薬言語』を読んでいて、この岩田眞光という作者には、この第1句集のみならず第2句集の存在というものもあったはず、ということを思い出した。

塚本邦雄の短歌誌『玲瓏』の誌上に掲載された、誌上句集である『枇杷の歌』がそれである。

これが一体何時の頃の作品であるのか、手元にはその部分のコピーしかないのでその掲載号と年代についての詳しいことまではよくわからないのであるが、おそらく1990年前後のものなのではないかと思われる。そして、この句集における作品の数は、総計でおよそ219句ということになる。

真っ黒なダンクシュートの冬が来た

アルミニュームのジョバンニといて水曜日

灰色の男がばらす非常口

冬の田に飛びこんでしまう冷蔵庫

サランラップにくるまれている春の雨

迷宮に超然といる烏賊若し

桜鯛鋼の台車置かれけり

はつはつと露ひとつぶの涅槃かな

秋の部屋 ギブスを割ってはずしけり

希釈液のむこうで土手が終っている

冬の眼に投げつけている石榴かな

大いなる愚かなるもの枯野踏む

こんこんと神のみぞ湧く水飲場

翼なき男に冬の祈りあり

神の眼を溶接したる配管工

透明なあごのかたちが冬を見る


この句集も前句集と同様、ライトヴァース的な書き方による作品でほぼ全体が占められているといった感がある。第1句集の跋からも窺えるように、作品のシュールさから攝津幸彦の影響というものが若干見受けられよう。ただ、攝津幸彦の影響というものを受けつつも、攝津幸彦の句ほどの重厚さというか重心の低さといったものはこれらの作品においてはさほど認めることができず、どちらかというとそういった攝津幸彦の作風のポイントからすこしばかり意図的に身を翻すことによって得られる結果となった軽快さといったものが作品の全体からは感じられるところがある。

しかしながら、このような俳句の書き方は、短歌形式においてならばこのようなライトヴァースによる叙法というものもその作品の成立させるために有効な手法であったということになるのであろうが、どうもこの俳句形式の場合においては、いまひとつ作品の上において凝縮度や重厚さといったものに欠ける側面があり、1句の印象そのものがやや薄っぺらなものとなり拡散してしまうケースが多いようで、なかなか優れた成果をあげることは容易なものではないように見受けられるところがある。上に抄出した句については、まだある程度の完成度を宿した句として成立していると見受けられるところがあるのではないかと思われるが、句集全体としては、やはり若干完成度の面で覚束ないように思われてしまう作品の数というものも少なくはない。

しかしながら、このようなやや特殊な方向での俳句の試行といったものが、嘗てあまり目立たない場所においてひそやかに存在していたという事実については、なかなか興味深いものがある。

また、思えば、このようなライトヴァースとでもいうべき作風というものは、もしかしたら当時の俳句総合誌『俳句空間』で活躍した新鋭たちの作品と若干共通するところのある作風であるといえる面もあるのかもしれない。以前にも記したことがあるように、この当時におけるアンソロジーとして『燦 ―「俳句空間」新鋭作家集』(弘栄堂書店 1991年)、『燿 ―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店 1993年)が存在する。

この作者がその後如何なる俳句を成したのか(あるいは成さなかったのか)について、また、現在でも俳句を書き続けているのか否かなど、自分は何一つ知るところがない。


3月20日 土曜日

邑書林のアンソロジーである『超新撰21』の人選が一体どのようなものとなるのか、随分と気になるところである。

今回の『超新撰21』に収録される予定の作者の年齢は50歳以下ということで、そこから50歳以下の作者ばかりというわけではなさそうであるが、何年か前に現在活躍中の俳人たちのアンソロジーが刊行されていたということを思い出した。

少し調べてみると、その内容は以下の通りのものであった。やはり、様々な条件からこれらの内容とも『超新撰21』の人選は割合異なるものとなる可能性が高いのではないかと思われる。

・『現代俳句最前線 上巻』(北溟社 2003)

藺草慶子 石田郷子 石嶌岳 稲畑廣太郎 岩田由美 上田日差子 大石雄鬼 小川軽舟 小澤實 如月真菜

・『現代俳句最前線 下巻』(北溟社 2003)

柴田奈美 仙田洋子 田中裕明 谷口桂子 辻美奈子 中田剛 夏井いつき 二村典子 日原傳 皆吉司 山西雅子 吉原文香 依光陽子 和田耕三郎

・『現代俳句 新世紀 上巻』(北溟社 2004)

いのうえかつこ 岩月道子 遠藤若狭男 大竹多可志 奥坂まや 加古宗也 坂本宮尾 嶋田麻紀 島村正 鈴木多江子 高野ムツオ 谷中隆子 筑紫磐井 戸恒東人

・『現代俳句 新世紀 下巻』(北溟社 2004)

中西夕紀 中根美保 西川徹郎 西山睦 野木桃花 能村研三 林桂 平田繭子 福本弘明 ふけとしこ 松尾隆信 南うみを 村上喜代子 山﨑十生

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俳句九十九折(52) 七曜俳句クロニクル Ⅴ・・・冨田拓也   →読む

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凍りけり疎林に散りし夕焼も
     『雪嶺』所収

原:昭和41年作。「沓掛にて 六句」の前書をもつ最終句。この6句は次のようなものです。

風鳴るや枯れ立つものを靡かしめ
尾長ゐて淡青ともす枯るる中
寒林をとよもして雉おどろけり
枯れ果てて落葉松林裡青む
谷深く行く白波は氷れるや
凍りけり疎林に散りし夕焼も

沓掛は北佐久郡、というよりも中軽井沢あたりと言ったほうが分かりやすいでしょうか。掲題句の「疎林」は、4句目から類推して落葉松林と思われます。そういえば北原白秋のよく知られた「落葉松」の詩碑も建っているとのことです。この句、単に林とせずに「疎林」というおよそ情感のない語が使われていますが、この「疎」の有無が成否を分けたと言いたいくらい効果的だったと感じています。これは遷子が凡手ではないことを示すのか、はたまた、彼の律儀な言葉の使い方によるのか、どちらともいえませんが、いずれにしろ、林に性格が生まれたことで、この空間のありようが明らかな形象となって読み手に受け取れます。

決めかねていることが1つあるのですが、それは雪景色かどうかという点です。6句いずれにも雪を感じさせない乾燥した印象が残りますが、沓掛だったら、冬には積雪があるだろうと思うのですけれど。こんな風にこだわるのは、ここでの「疎林に散りし夕焼」の光や色は、地上の積雪に映っていると捉えると、かなり視覚的になるなと思ったせいです。

どうも現実の場所にこだわりすぎたようです。繰り返し読んでみて、これは最初の印象通り、夕焼の光の拡散がひえびえと捉えられたということでよいのでしょうね。現実の雪が地上にあろうとなかろうと、1句の焦点は別にあると。

中西:原さんのご指摘の〈疎林〉という言葉は馬酔木調の華美を抑えているような働きがありますね。〈疎林〉に注目されたところ感心しました。沓掛六句は、馬酔木の詠いかたですが、まるで水墨画を見ているような落ち着きと、色の濃淡はあっても、色彩をあまり感じさせないものです。尾長と雉が点景として出ていますが、これも淡い色と言えるでしょう。また掲出句も夕焼が色を提供していますが、夕景ですから、色を抑えて描いているのかもしれません。枯淡というと言いすぎですが、質実剛健なところは風景句にも当て嵌まるようです。

原さんが雪を問題にされていますが、色を追及すると気になる点ではあります。しかし、雪があっても、あたりは雪を青く見せるほど暮れていたと考えますとどうなのでしょう。「凍りけり」が「夕焼」にも掛かっています。落葉松の木と木の間を染めている夕焼の色を凍っているようだと強調して言っているのだと思います。

この句を美的な鑑賞から、少し放して鑑賞しているのが原さんの面白さだとおもいます。確かに、原さんのおっしゃるように、色彩より冷え冷えしているという体感もこの句から強く感じます。

「疎林に散りし夕焼」は寒々しい景色ですから、「凍りけり」がありますと、身震いするような寒さを連想させられます。「疎」は寒さを誘発させる仕掛けとも受け取れますね。

深谷:凍る(或いは凍つる)は「風凍つる」「鐘凍つる」など比喩的に用いられることも多いため、(本来、凍る筈のない)夕焼の光までもが凍った、という見立ては取り立てて目新しいものではないでしょう。むしろ、そうした寒々とした風景を過不足なく的確に描写した表現に注目すべきかもしれません。「散りし」或いは原さんが仰った「疎林」という措辞は、この景を描写するのに最適な用語選択だったと思えます。確かにこの時代の教養人は皆多少の差はあれ漢学の素養を身に着けているため、彼らの言語感覚からすると「疎林」という言葉も現在よりもっと近しいものだった可能性はありますが、それにしても「疎」の一文字で寒々とした景が眼前に広がってきます。句に弛みは感じられません。巧みな叙景句だと思います。

そこで思い出すのは、この遷子研究の初期に筑紫さんが提起された「遷子は巧緻な俳人ではなかったかどうか」という命題です。もし、遷子がこうした句を作ることに専念し、己の力の全てをそうした方向に傾けていたとしたら、もっともっと巧緻性は向上していたような気がします(もちろん、虚子や龍太の域に辿り着くかどうかは別にして)。つまり「芸」の部分はもっと巧みになっていたと思います。しかし、その一方で「志」の部分は果たしてどうなったのだろうかという疑問が湧いてきます。もちろん、「芸」と「志」の両者が高い次元で全うされていれば、それに越したことはないでしょうし、俳人はそれを目指すべきだという指摘には文句の付けようがないかもしれません。しかし全てを器用にこなせる人間は稀でしょう。いえ、両者を追い求めるのは、ある意味で二律背反の傾向があるような気がします。少なくとも遷子はそうできなかった、あるいはしたくなかったのではないかという気がします。巧緻性を犠牲にしても、ストレートに己が内面の叫びをそのまま句にしたかったのではないでしょうか。掲出句を読んでいるうちに、また先日の中西さんの講演録を拝読して、そんなことに思いが至りましたが如何でしょうか。

なお、雪があったか否かという点に関しては、私も原さん同様、雪がない時期の枯れ果てた林の景でよいと思います。雪原では美し過ぎて、遷子が眼にした野趣が読む者に伝わらないような気がします。

仲:沓掛は中山道69宿の江戸から19番目、軽井沢宿と追分宿(ここから北国街道が分岐しました)の間にある宿ですね。この3宿は「浅間三宿」と言って飯盛女が多かったそうです。長谷川伸の股旅物の代表である「沓掛時次郎」はこの地名に由来するのでしょう。市川雷蔵の映画、橋幸雄の歌、と言っても私達の世代にはあまり馴染みのないものですが…。かつての信越本線、新幹線開業後はしなの鉄道となった路線に「中軽井沢駅」があります。昔はこの駅を「沓掛駅」と呼んだようです。

さて原さんもご指摘の通りこのあたりには落葉松林が多く、疎林は間違いなく落葉松林を指すものと思われます。疎林とは真によく言ったものです。落葉松の林にはあまり他の植物を見かけません。ひたすら落葉松だけがまばらに生えていてとても明るい印象があります。これは落葉松という植物自体が日差しを好み、また成長が早くて他の植物が成長する前に林を形成してしまうからなのでしょうか。また落葉松の落葉は細かくて地面を厚くびっしりと覆ってしまうので他の植物には付け入る隙がないのかもしれませんね。

原さんが雪景色かどうか拘っておられるのは鑑賞する側からすれば大切なことだと思います。軽井沢近辺の気温の低さは皆さんご存知の通りで、先日も佐久では雨だったのが新幹線で通りかかった軽井沢は銀世界でした。しかしそれでも私はこれを雪景色ではなく凍ての厳しい夕暮と取りました。もちろん林のそこここに根雪となった雪は残っているかもしれません。でも「夕焼も凍った」という表現からはむしろダイヤモンドダスト現象が起こる時のような冷え込みを思い浮かべました。尤もダイヤモンドダストは通常朝に起こるもの、この句の場合は夕方なので当てはまりませんが。

疎林なので夕日が林の奥まで射し込み、夕焼も枝に区切られてばらばらとなっている、それを「散りし」と表現したのでしょう。倒置法にすることで「凍りけり」が強調されていて効果的です。

筑紫:キーワードとなる「疎林」は近代の用語(地理学とか林学の)かと思いましたが、むしろ漢詩などで古くから使われた言葉のようで、杜甫の詩「飛仙閣」に「万壑欹疎林、積陰帶奔濤」(万壑 疎林を欹き、積陰 奔濤を帶ぶ)とあり、蘇軾の詩「秋晩客興」に「草満池塘霜送梅、疎林野色近楼台」(草は池塘に満ち 霜は梅に送る、疎林野色 楼台に近し)などとあるようです。さらに近世・近代では絵画の題として盛んに用いられたようで、大雅の「疎林返照図」や福田豊四郎の「疎林雪暮」などがあると言われています。疎林はもともと、木々が密集している状態に比較してまばらな状態を述べた言葉で(密集の極致が密林です)、春夏秋冬を問わずあるわけですが、今日、われわれが冬の枯れ切った樹木を思い浮かべるのは、どうもこうした日本画の影響を受けてしまっているようです。「枯枝に鴉の止まりけり秋の暮 芭蕉」の構図は日本人が大好きなものなのです。馬酔木俳句も絵画的な構図を好みますので、そうした影響を受けていると思われます。

原さんの疑問、「沓掛だったら、冬には積雪があるだろうと思う」は面白く思いました。この句に現れた「文芸上の真」は雪のない風景ですが、「自然の真」である現象として確かに雪はありそうです。馬酔木俳句は、ホトトギスの写生が何でも見出そうとしているのに対し、要らないものを切り落とすことによって成り立っているようです。これは、(43)の「瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり」で述べたように、挟雑物を排除し、純化する詠法と指摘した、馬酔木特有の詠み方だろうと思います。

(付言)深谷さんの「志」に対するご指摘、最もだと思います。先日、若い作家たちの発言の場を作ってみましたが、俳句の素材や主題が論じられているのを聞いていて、――似ているような、違うような微妙な違和感を感じていました。主題という外面的な現象としては似て見えますが、遷子の大事に思った「志」は、たぶん主題の背景にある、主題が選ばれる主体的な必然性のようなものに当たると思います。主体的な必然性がある限り、第三者の評価は二義的になるはずです。作者の目的は、表現した段階で実現しているはずなのです(先日の若い人の発言の場では、賞を目指すというのは純粋ではないか、ほめられようと思って頑張るのはよいことではないか、という発言がありました)。こうしたことは、もうこの世代特有の特徴なのでしょうか。

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閑中俳句日記27 田中裕明童子の夢50句

閑中俳句日記(27)
田中裕明「童子の夢」50句


                       ・・・関 悦史


田中裕明は昭和57年(1982年)に「童子の夢」50句で角川俳句賞を受賞した。

そのときの受賞のことばが「夜の形式」という謎めいた短い文章で、この夜の形式とは何なのかについて長年思い巡らしてきた四ッ谷龍氏がさる1月24日に現代俳句協会青年部勉強会とふらんす堂共催のシンポジウムを開いた。

私は当日参加できなかったが後で資料だけ見せてもらい、「夜の形式」(全文が週刊俳句にアップされているhttp://weekly-haiku.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html)を読みつつ考えたことをまとめた(これも週刊俳句に掲載されている。「《悠久》の介入と惑乱―田中裕明「夜の形式」について私がツイッターでつぶやいたこと」http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/02/blog-post_9333.html)。

そこで私は田中裕明のいう《夜の形式》が《昼の形式》と背反するものではないことを本文に即して確認し、《夜の形式》とは非明示的に(《昼の形式》に)繰り込まれた「時間の久しさ」自体のことだとして、上田氏からの質問、「夜の形式」の最後の一文「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」についてどうとるかについては、語り終わった瞬間分離してしまい《夜の形式》の析出の動きをやめてしまった「夜の形式」という文章自体についての自己言及ではないかとだけ取ったのだが、その後、田中裕明の角川俳句賞受賞作「童子の夢」が掲載された「俳句」昭和57年6月号を見る機会を得てやや見方を拡充させたのでそのことを書く。

このときの選考委員は飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹。田中裕明の他に、作風の違う稲富義明が農村生活を描いた一連で同時受賞している。

どちらも特別強く支持した選考委員がいたわけではなく、討議の末、飯田龍太が田中裕明を1位、桂信子が2位に推し、清崎敏郎と角川春樹が稲富義明を推して、3、4篇が団子状態であった中から上位2人を同時受賞としたようだ(ちなみにこの回の予選通過者には菅原鬨也、三村純也、黛執、長谷川櫂、辻桃子、大石悦子といった名も見られる)。

「童子の夢」50句を『田中裕明全句集』の索引と引き合わせると、この50句の中から後に句集に取られたのは以下の11句のみ。すべて第2句集『花間一壺』に収録されている。

春昼の壺盗人の酔ふてゐる
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな
午後もまた山影あはし幟の日
田草取る僧侶の鼻のうかみ出で
向日葵に万年筆をくはへしまま
草いきれさめず童子は降りてこず
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
宿の子の寝そべる秋の積木かな
物音も雨月の裏戸出でずして
待春のほとりに木々をあつめたる
二月絵を見にゆく旅の鷗かな

他の39句が削られたわけだが、削られたという目で見るせいか、確かに句集に入らなかった句には多次元的に不定形に多くの時空が畳みこまれた句は少ないようで、田中裕明を待つまでもない非-非定型的な、つまりは平板でまとまりのいい句が多い。

《辛夷咲きたちまち乱れつくしけり》は時間の経過が一直線に辿られて平板に終わっているし、《身にそはぬ春の霙とおもひつつ》も思う自己に平板に世界が回収されてしまったきらいがある。

以前私は田中裕明論(「天使としての空間」。豈weeklyに全文が転載されている)で、複数のものの交雑が通常とは別の時空を晴れやかに引き出す田中裕明句の機微を論じたのだったが《沖見えぬ雨の燕の飛びちがふ》となると、飛びちがう燕が見えぬ沖を悠久の別次元に転じているとはまだ言いがたいし、《絵は壁にこの世ならねど五月闇》では別の時空が「絵」としてごく散文的に分離されてしまっている。

「夜の形式」末尾の一節「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」は、「夜の形式」というきわめてパフォーマティヴな文章自体への自己言及というに留まらず、実作においては確かに夜の形式は探求の途上であったようだ。田中裕明という個人の人生は直線的時間の支配の中にもある。「夜の形式」の多義性は悠久の時空と直線的経時性の両方に文章自体が跨っていることからくるそれであったようだ。

選考会で岸田稚魚が「ちょっと難解」と評し、それを受けて飯田龍太が「草いきれの中を山へ登っていって、そのまま降りてこなかった、それだけのこと」と答えている一句《草いきれさめず童子は降りてこず》についてちょっと触れると、まずこの句は「子供」でも「少年」でも「男の子」でもなく、仏教的にか道教的にか他界性を帯びた「童子」である。

一見何の関係もない「草いきれさめず」と「童子は降りてこず」の二つはテクスト内で隣り合ったものは関係を持ってしまう隣接の論理により、草いきれの熱がさめたら童子が降りてくるという相関を持つことになる。

熱気によって過剰な存在感を放射する「草いきれ」の自己主張が薄れたときに他界性たる童子が介入できるとの予感をそのまま表した句であって、夢の論理において何かが消え、入れ替わりに別の何かが現れた場合、その二つが同じ内容を受けもつことを思えば、熱が放散されつくしたときに入れ替わりに降りてくるはずの「童子」は童形の具体的イメージを帯びつつも、熱のごとく不定形なひとつの状態のようなものとして表出されている。

テクスト内に世界形成の論理自体が現れているわけで、ここでは平板な事実説明に句を還元してしまった龍太よりも「ちょっと難解」と立ち止まり、困惑した稚魚の方がこの句の真価に迫っていたのではないか。

以下、資料として「童子の夢」全句と、選考座談会から「童子の夢」に触れられている部分を抄出しておく。

* * * * * * * * * * * *

田中裕明「童子の夢」(※=第2句集『花間一壺』収録句)

春昼の壺盗人の酔ふてゐる 
あゆみきし涅槃の雪のくらさかな 
畦火まだ川の向うのしづけさに
身にそはぬ春の霙とおもひつつ
辛夷咲きたちまち乱れつくしけり
竹の秀のはなやぎを見て春の海
東風舟にのりたき瑞枝もちて佇つ
しほがれの松をかたへに耕せり
沖見えぬ雨の燕の飛びちがふ
剪らずおく花をかぞへて朝寝かな
ときに鳴る藪の一天別れ霜
草芳し木星ばかり明るき夜
さくらちる髪をつつみて出でしとき
午後もまた山影あはし幟の日
 ※
早苗籠戸口ひらきて月のかげ
老鶯の存分に降り出でにけり
入梅の小夜啼鳥に海の闇
梅雨の月さらに黄花をくはへけり
早乙女とともにあるきて初心とは
人の顔見つめるくせの火取虫
絵は壁にこの世ならねど五月闇
梅雨寒に買ひしさかなの目の大き
柿の花散る冷えにして百姓家
田草取る僧侶の鼻のうかみ出で
 ※
向日葵に万年筆をくはへしまま 
髪長く顔をかくして青芒
郭公に湯を捨てて湯のかがやきぬ
草いきれさめず童子は降りてこず 

ひくく鳴る海のオルガン雲の峰
鯵刺に遠く泳ぎてゆきあはず
天の川貰ひ来し絵を掛けずして
日照るさに秋のはじめの桃畑
葡萄いろの空とおもひし貝割菜
 ※
葉生姜にそれきり琴のならずなり
宿の子の寝そべる秋の積木かな 

物音も雨月の裏戸出でずして 
夜更しの果ての小さきいぼむしり
西へゆく秋の祭の日傘かな
末枯に希ひてこころよき為事
小鳥来るときをさかひに水の音
薬掘る空憑きそめし草のいろ
神無月大きな石のなかに棲む
冬山に不機嫌の文たまはりし
柚子風呂のはじめのこゑを裏山に
歯朶刈のをる山裾の地図を買ふ
ひとりまた遠くくははる山始
待春のほとりに木々をあつめたる 

まだ封を切らぬ手紙を探梅に
人けふの厄を落すに雪を掃けど
二月絵を見にゆく旅の鷗かな 


* * * * * * * * * * * *

参考・第28回角川俳句賞選考座談会
(「俳句」昭和57年6月号 125-126頁)

出席者 飯田龍太・桂信子・岸田稚魚・清崎敏郎・角川春樹

⑫童子の夢

 これは五篇に絞ったうちの二番目で、好きな句が多かったわけです。一番好きな句は〈宿の子の寝そべる秋の積木かな〉です。それから〈柿の花散る冷えにして百姓家〉〈田草取る僧侶の鼻のうかみ出で〉〈向日葵に万年筆をくはへしまま〉〈髪長く顔をかくして青芒〉〈郭公に湯を捨てて湯のかがやきぬ〉〈草いきれさめず童子は降りてこず〉〈葡萄いろの空とおもひし貝割菜〉〈物音も雨月の裏戸出でずして〉〈二月絵を見にゆく旅の鷗かな〉も好きでした。

飯田 私もこれは点がいいんです。この人の作品はかなり自在だという感じを、読み通してまず受けました。〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉という発想……。それをもう少し具体的にとらえた作品としては〈草いきれ……〉もう一つ、自在ということの理由としては、〈田草取る……〉のまじめな諧謔というのかそういうものがある。それとは全然別に〈午後もまた山影あはし幟の日〉という外連味のない作品、これは〈待春のほとりに木々をあつめたる〉もそうですが、かなり作風が自在だという点に魅力を感じましたね。よくできている。

岸田 私もわりあいいい点はつけてあるんです。七・八点かな。でも、八点から上を採ったものですからね。一〇篇ぐらいの中には楽に入るんですが。難点ばかり見てはいけないんだけれど、〈ひくく鳴る海のオルガン雲の峰〉はあまり好きじゃないですね。

飯田 ああ、これはひどいね。

 ええ。チェックしてます。

岸田 それから〈絵は壁にこの世ならねど五月闇〉も、ねえ。〈辛夷咲きたちまち乱れつくしけり〉は何か当たり前の気がする。〈竹の秀のはなやぎを見て春の海〉の「竹の秀のはなやぎ」が実に常套的な表現じゃないかと思ったんです。桂さんが欠点ばかりを見て選ぶのをやめたのと同じように、いい句はあるんだけれど欠点を見てやめちゃったような気がしますね。(笑)いいと思った句は〈春昼の壺……〉ですが、〈草いきれさめず童子は降りてこず〉の句はわからなかった。童子の夢を見ていて、童子が降りてこない。「童子の夢」という題と対照すればわかるような気がするんだけれど、この一句だけだとちょっと難解ですね。

飯田 草いきれの中を山へ登っていって、そのまま降りてこなかった、それだけのこと。

岸田 なるほど。私は考え過ぎちゃったわけだ。(笑)

 題の「童子の夢」とは関係ないんじゃないですか。

飯田 そう。夢とは関係ないね。

岸田 そのほかに〈待春のほとりに木々をあつめたる〉もいい。あと、何か気になる句がありました。

清崎 〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈柿の花散る冷えにして百姓家〉は僕にもよくわかるんです。でも、〈草いきれ……〉は岸田さんと同じく、僕もよくわからなかった。「降りてこず」ということ、木から降りてこないというのではおかしい。どこから降りてこないのか、ちょっとわからなかったですね。

角川 皆さんの採った〈春昼の……〉は私はいまでもわかりません。説明していただければありがたいのですが。

飯田 これは「春昼」という季語にかなりウエートのかかった作品でしょう。季語の理解の仕方というか、想像力をフルに発揮して、幼いときに読んだ童話みたいなものでもいい、そういうものをフッと思い浮かべた。現実に壺盗人がいるということではなくて、ひとつの想像の世界じゃないかな。そういうことは逆に「春昼」の特っているイメージを側面からとらえている。こういう印象を受けましたが、どうでしょう。「盗人」も日本の風景とは思えない。「開けゴマ!」のような世界を思い描いていたのではないか。表現の中にもすでにそういうイメージがある。こういう句はとかく宙に浮いてしまいがちだけれど、そういう意味では確かな表現技巧を持った人だという感じを受けました。

これは持ち味でしょうね、〈草いきれさめず童子は降りてこず〉のような世界、「童子の夢」という題をつけるところからしても。〈草いきれ……〉の句の私の印象を申しあげますと、「草いきれ」はもちろん真夏の日盛りの情景でしょう。子供が山のほうへ行ったか、原のかなたへ行ったか、登る下るだから恐らく草いきれの中を通って向こうへ行ったんでしょう。いつまでたっても下りてこなかった。ということは、逆にいえば草いきれという真夏の情景を側面からとらえている句になります。

岸田 飯田さんと桂さんの採った句の〈田草取る僧侶の鼻のうかみ出で〉はこんなような感じの類作がないかな。

飯田 ないと思うよ。

岸田 「僧侶の鼻」までは言わないけれど、僧侶がフワッ現れたという感じの発想の仕方はないことはないと思うんだが……。

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セレクション俳人を読む 仙田洋子集

「セレクション俳人」を読む3 『仙田洋子集』
把握の正着

                       ・・・藤田哲史

仙田洋子氏は昭和三十七年、一九六二年生まれ。高校時代から俳句短歌の投稿を行い、東京大学入学後、小佐田哲男教官指導の「作句ゼミ」へ。第一句集『橋のあなたに』の序に「東大俳句会のOB会員」の文字もあるから、岸本尚毅と同様東大学生俳句会にも参加していたことが伺われる。また、俳句結社として石原八束の「秋」、有馬朗人の「天為」が経歴に載せられている。

このセレクション俳人『仙田洋子集』に収録されている作品は、仙田洋子第一句集『橋のあなたに』と第二句集『雲は王冠』の再録、およびそれ以後の作品からなる。第三句集に『子の翼』があって、ここに収録されている作品と『雲は王冠』以後の作品とに重複がみられる。

と、ここから私は、ここでルーティーンワークのように彼女の経歴と、彼女の俳句が取り上げている主要な題材――恋もしくは海外の事物――を作家性と見なして論じていくこともできる。それはたとえば、次のような作品である。

つんとせし乳房を抱く月朧 (『橋のあなたに』)
サーフィンやひとりを愛しきれぬ日に
黒人の唇に音楽雲の峰 
(『雲に王冠』)
尺蠖やたかが男の自尊心
ハプスブルクの四輪馬車に落葉舞ふ
サボテンの花ばかり見て行水す
白夜なる氷河に神の爪の跡

だが、それではおもしろくない。海外詠とは数十年前のとある一時代の流行であって、現代それについて新しみとしての価値を見出すことは私にとって至極むずかしい。現代、海外の事物を詠むという新領域の開拓の時代はほとんど収束を見せ(海外詠がことさら目新しくパフォーマティブなものではないということ)、現代の俳句作品の可否はたとえ新しい素材を取り入れていたとしても、素材をいかに破綻なく纏めるか、というより、それをいかに把握しているかという点も問われてはいないか。その点について言及していかねば、仙田洋子氏のこれからの俳句の可能性について論じることはできないとも思っている。

彼女自身、『仙田洋子集』のあとがきに「『橋のあなたに』の世界からは」私は既に遠ざかり、『雲は王冠』を踏まえた上で新しい世界を探し求めつつある。」と記しており、『子の翼』を繰ってみても『雲の王冠』に見られるあからさまな海外詠はなく、普遍的な題材を半ば意図的に選択して作品をなしている。

存分にしだれて月の桜かな (『子の翼』)
虫籠に虫ゐぬ空の青さかな
太陽の排泄物かくわりんの実

また、二〇一〇年の「天為」誌二月号(ほぼ最新号)からも、

佐保姫も秋めいてきしきのふけふ
幸うすき世と思へども石蕗の花
羽根雲を残してゆきし神の旅

などを挙げることができ、その傾向がうかがえる。

現時点では「いかに把握するか」と記しておきながら把握の確かさは見られない、と疑問符をうたれるかもしれない。確かに、同じ「天為」誌二月号に岸本尚毅の作品「水の面埃つぽくて水澄める」があり、これには把握の鋭さがあるが、仙田氏にそのような鋭さは乏しい。

いや、いいたいことは次である。彼女の作品を通読していて思うのは、仙田洋子氏の詩性のベースは、その把握の中庸さにある。中庸とは陳腐ということではなく、その詠みぶりがいかにも的確で、正着であるか、ということだ。その狭間にちらりちらりと感覚で押し込んだ句が存在するのだが、私はそれが彼女の本領だとは思わない。

酔芙蓉天に言霊はじけゐて
灯を消して闇にあそべる海鼠かな
駆くる子のこゑを秋風うばひけり

第一句集の『橋のあなたに』から数句引いてみた。「はじけ」「あそべる」「うばひ」などがやや気張った動詞の使い方で、感覚的、主観的なおもむきが青年性とうまくリンクしている。そしてそれが恋愛句、海外詠とあいまって青年性を称えられてきたのがこれまでのこの作家だろう。しかしその青年性を脱ぎ捨てていく過程で現れるのは、そういった青年期固有の感覚なのではなく、先述した把握の中庸さであり、それを保証するのは、一見凡庸とも取れる把握力をいかに措辞の弛緩につなげないかといった言葉の技術にある。そして、彼女にはその技術が確かに備わっている。

海明けの鳥はひかりのかけらかな
雲の峰水の子にしてひかりの子
実むらさきほどの恋ならこのさきも

いずれも『雲は王冠』以後から引いた。無駄な動詞を極力使わず、それでいてうまく韻律と措辞のバランスが取れた佳品と思う。断定してしまえば、最も詩人の特性があらわれるのは動詞の斡旋の仕方で、詩性の中庸さを持つ彼女に課せられるのは、個性派の詩人がするような華美な詩語の斡旋でなく、永遠性に結びついた何気なく、かつ動かしようのない静謐な言葉の連なりである。

ここで私がイメージしているのは、たとえば、
祖母山も傾山も夕立かな(山口青邨)」や、「晩秋のはるかな音へ象の耳(有馬朗人)」、あるいは、「十六夜のきのふともなく照らしけり(阿波野青畝)」といった作品で、いずれも先に挙げた条件を満たしていようか。

(そもそも山口青邨を師系とする有馬朗人、および「天為」調の肝は、海外詠などを代表とした果敢に新しいモチーフを詠みこむ「前衛的な」点にあるのではなく、その裏にある、どんな新しいものも俳句的措辞として俳句形式に定着してみせる「伝統的な」把握の的確さとそれを裏付ける言葉遣いにある。強靭な胃袋を持っているからこそ、どんなものでも消化してみせることができる、そういう文体である。懐の深さといいかえてもいい。彼女に関しても、そのような措辞のよろしさを押し出す展開をしていないか、と考えている。)

あるいは、彼女の本領は既に私の目の中に入っていて、全く衒いなく青年性や海外の事物を衒い無く詠みこめるその姿勢自体こそ、「把握の正着」であったのかもしれない。彼女は彼女自身の人生における様々な私的トピックに対して何の恥じらいをも見せない。だからこそ彼女は『子の翼』前半においても、膨大な量の吾子俳句を連ねきってみせる。しかし一読者としてはやはり後半を中心に展開される余裕をもった詠みぶりがこのましい。今後、彼女の作品はますますおおらかになるだろうし、その技量の確かさも更に輝きを増して作品に現れてくるだろう。

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2010年3月14日日曜日

第82号

第82号

2010年3月14日発行

遷子を読む

〔50〕燕来て八ヶ岳(やつ)北壁も斑雪なす

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

「セレクション俳人」を読む2 『小澤實集』

青年は何処へ向かう

          ・・・外山一機   →読む

閑中俳句日記(26)

塩野谷仁『独唱楽譜』 

          ・・・関 悦史   →読む

俳句九十九折(74)

七曜俳句クロニクルⅩⅩⅦ

          ・・・冨田拓也   →読む

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小澤實集を読む

「セレクション俳人」を読む2 『小澤實集』

青年は何処へ向かう

                       ・・・外山一機


詩を書くこととは、同時に、詩によって自らを、そして自らの詩を問い続ける行為であろう。小澤實はこうした行為に自覚的な俳人の一人である。

小澤の俳句的出立を大づかみに示すと、一九七七年に「鷹」に入会、八〇年に「鷹」新人賞を受賞、八六年には第一句集『砧』を刊行、同年、『現代俳句の精鋭Ⅰ』(共著)や『俳壇』八月号の「二十代三十代作家八十人集」にも参加している。すなわち、他の多くの戦後生まれ世代の俳人と同様に、小澤もまた八〇年代の新鋭アンソロジーや新鋭シリーズの参加者の一人として登場したのであった。

『砧』は小澤の二〇代の句を収めた句集であるが、句集全体から漂ってくるのは、小澤の俳句表現者としての天才である。

春深し机の下に犬のゐて
鰹節削る音して春の家
ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな
鷺草や引手のまはりよごれをり

こうしたさりげないモノゴトを一句に結実させることは、あるいは小澤にとってすでにたやすいことだったのかもしれない。実際、『砧』以降の小澤の作品にも、あたかも呼吸をするようなリズムで作られたかのような顔をしている名句が少なくない。

ほたるぶくろほといふときの口の形 『立像』
夏帯や噛めば音あるもの食うべ 『立像』
紅梅や渡れば橋のよろこべる 『瞬間』
脱衣籠十重ねあり春の暮 『瞬間』

一方で、小澤の三つの句集を通じて気がつくのは、エロティシズムを含む作品群の存在である。

かげろふやバターの匂ひして唇 『砧』
明易し汝が眉ぼくろ愛しめば 『立像』
無花果割る親指根元まで入れて 『立像』
人妻ぞいそぎんちやくに指入れて 『瞬間』
好色や牡丹の芯に雨たまる 『瞬間』
前席のうなじ見てをる夜学かな 『瞬間』

とりわけ「無花果割る」、「人妻ぞ」、「好色や」の句に見られるような、体内の深部とあるいはそれへの侵入とは、小澤の作品における重要なモチーフである。この三句に類似する作品としては、たとえば「親指を入れて海鼠の内洗ふ」などもあるが、思えばずいぶんグロテスクでもある。そう思って句集をひもとけば、小澤の句にはグロテスクなものもずいぶんあることに気づかされる。

腹剖かるる青鮫の笑ふなり 『瞬間』
穴子の眼澄めるに錐を打ちにけり 『瞬間』

あるいは、本論の最初に掲げたような端正な句と、こうした残虐性を孕んだ句とが同居する世界こそが、実は「小澤實」の作品世界なのではないか。

ここであえて個人的な事情を挟めば、僕が初めて『砧』を読んだのは、すでに小澤實が『砧』以後の句業を成して以後のことであった。だからこそ、『砧』には衝撃を受けたのだった。それまでの僕にとって、「小澤實」とは、端正な俳人としてのそれであり、「俳句は謙虚な詩である」と述べてしまうような俳人としてのそれであった。ところが、『砧』において僕が出会ったのは、たとえば次のような句であった。

透谷の死に方はうれん草ゆでる
妹をすこしいぢめる烏麦
なめくぢに塩かける子のうしろにゐ
中庭に馬冷えてをり娶りたし
胴ながきわれあり桜ふりつづく

『砧』にはまぎれもない「青年」がいた。鬱屈し、過剰な自意識にまみれた、繊細な「青年」がいたのだった。そしてそれはまさに僕自身であり、だからこそ、僕はたしかに衝撃を受けたのだった。『小澤實集』の「あとがき」で小澤は『砧』『立像』について「このたび再読して、その作品の幼さ、生硬さに驚いた。ただ、これも僕の俳句の展開における一過程である」と述べている。小澤にとってこの二つの句集は若書きとしてのそれなのであろう。けれど、若書きゆえの熱度は何ものにも代えがたいものだ。

翻って、小澤の作品に見え隠れする残虐性について考えてみると、それは、青年らしいねじくれた羨望と愛情の表象なのではないかと思う。「澄」んだ「穴子の眼」に「錐を打ち」こむのは、そうでもしなければ「澄」んだ「眼」の美しさに耐えられないからである。また「無花果割る親指根元まで入れて」からは、退廃的な愛情や、それゆえの虚無的な暴力の赤裸々な吐露がうかがえる。

ところで、この「加害者」は同時に、卑怯であり、また臆病でもあるのだった。「妹をすこしいぢめる烏麦」ならば、「いぢめる」のは弱者としての「妹」であり、「なめくぢに塩かける子のうしろにゐ」ならば、戯れになめくじを殺そうとする「子」の「うしろ」にいて傍観するのみで、決して当事者として立ち会うことはないのである。それはちょうど、後ろの席から「前席のうなじ」を覗き込む行為とも似ていよう。

むろん、この「加害者」にはそんな自身の卑怯さや臆病さを知っている。「腹」を「剖か」れる「青鮫」とは、自身の象徴にほかならない。「腹」を「剖か」れながらも「笑」うのは、だから、自らの弱さを自嘲気味に示しているのである。

ところで、富沢赤黄男の句に「大露に 腹割つ切りしをとこかな」がある。赤黄男は「青鮫」の句を書くことはできなかっただろうし、小澤の句業からは赤黄男の「をとこ」は登場しない。それは究極的には時代との対峙のしかたの相違という問題につながってこよう。赤黄男の「をとこ」は時代を背負い、時代と生真面目に向き合ったために自決してしまう。一方で、小澤や、あるいはそれ以後の僕らは、時代と真面目に対峙することにしらけてしまったところから出立したのではなかったか。とすれば、「腹」を「剖か」れながら自嘲気味に「笑」うだけの「青鮫」とは、読み手自身の姿でもあるはずだ。

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あとがき(第82号)

あとがき(第82号)


■高山れおな

花粉症の季節ですが、勤務先のすぐ近く(隣のビルの隣の家の隣)に新しい耳鼻咽喉科が出来て、まだ存在が周知していないためか、患者が少なくすぐ診て貰えるのが有り難いです。自宅の方の駅前の耳鼻科なんて、この時期は芋の子を洗うごとしですから。花粉みたいに細かい話で済みません。


■中村安伸

現俳協青年部のシンポジウムが昨日終了しました。私は録音、撮影といった裏方のみでの参加でしたが、最前列の「進行係席」で聞いていて、なかなか面白い部分が多かったです。またどこかに詳しいレポートが出ることでしょう。

はやくもF1がバーレーンGPで開幕しました。ハミルトン、ヴェッテルなど二十代のドライバーが活躍するなか、四十代で復帰したミハエル・シューマッハをなんとなく応援してしまいます。


俳句九十九折(74) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅦ・・・冨田拓也

俳句九十九折(74)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅦ

                       ・・・冨田拓也


3月7日 日曜日

先週、「北斗賞」、「超新撰21」についてすこしふれたのだが、やはり、このところ「新鋭ブーム」とでもいうような流れが、徐々に顕在化しつつあるというべきであろうか。

『新撰21』(邑書林)だけを例にとって見ても、現在においても優れた存在というものはけっして皆無ではないという事実が明らかになったところがあるのではないか、という気がする。

やはり何時の時代であってもそのような存在というものを如何にしてピックアップしてゆくことができるか、というところが大事なポイントということになるのであろう。

今後も「俳句甲子園」、「芝不器男俳句新人賞」、「北斗賞」、「超新撰21」などを通して、優れた人材がまだまだ登場してくる結果となるであろうことは、おそらく間違いのないところではないかと思われる。


3月8日 月曜日

なんとなく、岩片仁次という俳人の方が、もし資金があればある句集のシリーズを刊行したい、といったような内容のことをどこかで書いておられたな、ということを、ふと思い出した。

どこでそのような記事を見かけたのだろうと思い、色々と資料を探っていたのであるが、それが俳句誌である『鬣』の19号(2006年5月)の林桂氏の俳句時評「喪失と拾遺」の中における内容のものであったことがわかった。

この時評によると、岩片氏は、5千万円あれば「紙飛行機屋俳句文庫」として全50冊による、現在の俳句の歴史からこぼれ落ちてしまった俳人の句集のシリーズを出すことができる、と書いておられた、とのことである。

当時の時評が2006年のものであるから、この「紙飛行機屋俳句文庫」の50冊の構想というものは、現在では一体どうなってしまったのであろうか。やや無粋な意見であるかもしれないが、資金の問題で書籍というかたちではこの句集シリーズの刊行が不可能であったとしても、現在ではインターネットの上でデータとして残すことは可能なのではないか、という気のするところもある。


3月10日 水曜日

昨日、安田笙という俳人の『きりぎりすの退屈』(冬青社 1993)という句集をネット古書で見つけたので、早速注文してみた。注文後、すぐに発送していただけたようで、本日早くも自分の手元へと到着。

この安田笙という作者は、宮崎重作という俳人の主宰誌「葦」に所属していた作者であるとのことである。序文はその宮崎重作ではなく、版元である宮入聖が執筆している。思えばこの宮入聖という俳人は、その作品については言うに及ばず文章の方面においてもまさに一級の作者であった。

ともあれ、このようなやや特殊な句集というものは、自分のようなある種の重度の「俳句中毒者」にとっては、まことに喜ばしい逸品であることはいうまでもないところである。よく考えてみれば自分のこれまでの俳句人生というものは、振り返ってみるとこういった類の資料ばかりを手にして一人でただ喜んでいるだけのものであった、というような気もしないではない。

一応、句集の収録句は合計で200句となっており、この句集刊行時において作者は既に句歴18年のキャリアを誇るということになるようで、それだけの期間の内からたったの200句であるからやはり相当に厳選であるように思われる。

以下、句集より興趣をおぼえた句をいくつか。

幻の鹿見る我もまぼろしか

君が見し六千回の夕陽かな

青あらし李白になれぬ漢たち

帰れない一人のための雪明り

眺めてる瀬戸内海になる雨を

鳶の輪も春にて候トートロジー

古写真花野の端から燃えてゆく

遠雷をたづねて歩くセールスマン

これきりと霧をこぼれて化野へ

玄関へ来た夕立を入れもせず

夜霧へと戻れぬことを怖れつつ

炎帝や篠原鳳作いま不在

春愁と並走している馬鹿な俺

転生の最後はきっとキリギリス


句集全体から感じられるのは、この世界への軽い諦念とそれに対する軽微な自嘲の感情といったものが溶け合ったような色合いの作風ということになろうか。そして、これらの句を見ても分るようにどこかしら形式の内部において確かな骨格というかある「裏打ち」による手応えとでもいったものを感じさせるところがあるのは、やはりある程度の伝承的な俳句技法をこの作者が身に付けていたがゆえということになるのであろう。

また、現在の視点から見た場合、この句集の中にはただ華美な言葉の印象やイメージに頼っただけの趣きの作品というものも少なからず散見されるところがあり、そういった側面がこの句集における弱点ということにもなるのであろうが、ただそういった範疇の内にとどまることのない作品強度を示す句の存在といったものもいくつも見出すことができ、またそのような単なる耽美主義的な作風から身を翻した結果としての、口語による道化的な笑いを誘う句(「セールスマン」、「馬鹿な俺」、「キリギリス」など)の存在などをも若干確認できるところもあり、このあたりにもこの句集における一律ではないよさというものがあるといえよう。


3月12日 金曜日

書店で『文学界』の4月号を立ち読み。

小笠原鳥類氏の詩が巻頭に掲載されている。クジラなどの動物が登場し、いつもながらの小笠原鳥類の世界がそのままに展開されているといった感じである。また、今回の詩作品の中には「俳句歳時記」といった言葉も出てきて、このあたりにもこの詩人のやや独特な側面が窺えるように思われる。

この詩から、以前そういえば「もっと現代詩の世界と俳句の世界との交通が盛んにならなければならない」といった意味の発言をご本人がしておられたことを思い出すところがあった。いまから考えると、大分まともな意見も仰っておられたのである。

あと同号に高柳克弘氏のエッセイが掲載されており、その内容は、相子智恵氏の作品を引用しての都市空間の中における自然の存在とそのリアルについての言及。

しかしながら、よく考えてみれば、文芸誌における「俳句」の扱いというものはいつも随分と僅少というか、それこそほぼ不問に付されてしまっているような感すらある。一応『文藝春秋』には、毎月俳句の作品欄があるが、俳句が恒常的に取り上げられているのはせいぜいのところこのくらいであろうか。

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