2010年2月28日日曜日

第80号

第80号

2010年2月28日発行

遷子を読む

〔48〕高空の無より生れて春の雲

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

俳句九十九折(72)

七曜俳句クロニクルⅩⅩⅤ

          ・・・冨田拓也   →読む

あとがき           →読む

豈同人の出版物      →読む

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あとがき(第80号)

あとがき(第80号)


■高山れおな

蒼龍、LAに去って空しく画布を残し

皓歯、夢に入るべし青山の夜

思いきや八十号、泥濘の裡

愁殺す二月雲雨の情


■中村安伸

前号の「おしらせ」に掲載させていただいたTwitter読書会を昨夜実施いたしました。発言を以下にまとめましたので、ご覧下さい。

http://togetter.com/li/7379


俳句九十九折(72) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ・・・冨田拓也

俳句九十九折(72)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅤ

                       ・・・冨田拓也

2月22日 月曜日

花神社という出版社から「花神コレクション俳句」という俳句の選集のシリーズが、これまでに藤田湘子の監修で出ているのであるが、このシリーズは続刊が出ることなく、いつの間にか立ち消えとなってしまったのであろうか。

一応、これまでには、『飯田龍太』、『桂信子』、『森澄雄』、『三橋敏雄』、『波多野爽波』、『能村登四郎』、『野澤節子』、『鈴木真砂女』、『飴山實』、『古沢太穂』、『角川源義』、『佐藤鬼房』、『高柳重信』、『藤田湘子』、『原子公平』、『野見山朱鳥』、『津田清子』、『赤尾兜子』、『林翔』、『清崎敏郎』、『岸田稚魚』、『草間時彦』、『上野泰』、『飯島晴子』、『広瀬直人』、『鷹羽狩行』、『川崎展宏』、『中村苑子』、『後藤比奈夫』、『赤城さかえ』、『宇佐美魚目』、『岡本眸』、『鷲谷七菜子』、『平井照敏』、『原裕』、『石原八束』、『稲畑汀子』、『金子兜太』、『森田峠』、『伊丹三樹彦』、『木下夕爾』、『楠本憲吉』、『香西照雄』、『上村占魚』、『細見綾子』、『上田五千石』、『有馬朗人』が刊行されているようである。

このシリーズは全50冊の刊行が予定されていたようであるのだが、平成14年6月に『有馬朗人』の選集が刊行されて以来、以後現在に至るまで続刊が出ていないのではないかと思われる。

このあと、たしか『鈴木六林男』と『堀井春一郎』の選集の刊行が予定されていたはずであるのだが、それらの刊行を待たずして、現在ではこのシリーズの監修者である藤田湘子も、鈴木六林男もすでに他界してしまった。

鈴木六林男については、その死後において全句集が纏められ、他にも選集が何冊か出ているのでまだいいとして、堀井春一郎の選集が刊行されなかったのは、やや残念な思いがしないでもない。

堀井春一郎は、昭和2年東京生まれ、昭和25年に「天狼」入会し、昭和30年「氷海」入会。昭和33年に句集『教師』、昭和34年に句集『修羅』、昭和46年に句集『曳白』を出版。昭和51年に49歳で亡くなっている。「氷海」時代において、その存在が鷹羽狩行、上田五千石、齋藤慎爾などの作者へと及ぼした影響というものは相当に甚大なものであったという。

その堀井春一郎の作風というものについてであるが、そのおおよそは「天狼」の色合いを主な基調としているようではあるのだが、数多い「天狼」の作者の中でもその作風は相当異色ともいうべき部類に属するものということになるのではないかと思われる。

それこそ堀井春一郎の作品というものは、山口誓子、橋本多佳子、西東三鬼の3者をそのまま混在したような作風でありながら、時としてこの3者の作品の上にすら見ることのできない、句の意味性をすらをも放擲し振り払ってしまうかのような言葉の迸りと、そこから生じる独特の韻律による手応えといったものが実感できるところがある。

このような下手をするとばらばらに拡散してしまいかねない言葉の連なりといったものを一気に掬いあげ、ある的確を以てコントロールし、作品としての強度を損なうことなく生動させることができる優れた言語感覚と高い技量の持主であったということが、この堀井春一郎という作者における特徴であると同時に非凡さであったという気がする。

以下、いくつか堀井春一郎の作品を抄出しておくことにしたい。

冬海へ石蹴り落し死なず帰る

寒風の突如と黒い郵便夫

少年の壺中にぐみの実と涙

黄落や人形は瞳を開けて寝る 

冬鳩の老けごゑ宝石筥からっぽ

されどプールの白き柩形冬青空

少年の櫂は朽ちゆく滴る間も

さらばされば父を愛してもぐらの夏

山百合や母には薄暮父に夜

兜虫汨羅のほとりにて消ゆる



2月24日 水曜日

俳句総合誌『俳句界』(文学の森)の最新号である3月号が本日手元に到着。

この『俳句界』の中の「ピックアップ 話題の新鋭」という栗林浩氏のインタヴュー記事に、愚生が登場しているのである。今回このように漸く総合誌に載せていただくまでに苦節(?)10年、自分も割合メジャーになったなと「勘違い」しつつ、当該の頁をやや感慨深い思いをもって眺めた。

これまでのこの「ピックアップ 話題の新鋭」のコーナーには既に、高柳克弘、マブソン青眼、神野紗希の各氏が登場しており、いずれも現在の若手の俳句作者が俳句という文芸に対してどのような考えを抱いているのか、ということについて割合深く知ることのできるなかなか優れた内容の企画となっている。

今回の記事には、自分のこれまでの作品が10句選として自選で掲載されているのであるが、いつもながら、あの句は削除すべきだった、あの句を入れておけば良かったなどと、これまでと同様後悔の思いを幾度となく繰り返し続けている。

また、今回掲載された発言内容については、全体的に自分の言いたいことをあまり慎みもなく喋ってしまったようなところがあり、またもやどこやらの俳句誌の主宰や俳句関係の方々から「お怒り」「叱責」「苦言」「顰蹙」などを相当に買ってしまう結果となりそうな内容で、毎度のことながら随分と冷汗の出るような思いのするところがある。

あと、今回、発言の内の何箇所かについて訂正をお願いした部分があったのであるが、それが修正されないままそのまま掲載されてしまっており、その点が少々残念なところであった。一応、おおよその意味内容については大体伝わるようではあるので、とりあえずのところはこれでよしとすべきか、と思っているのではあるが……。

ただ、どうしても訂正しておく必要があると思われるのは、自分が自由律俳句について発言している箇所で、そこで自分は自由律俳句について「求心性のある短い句の方が良いでしょう。」と一方的に断定する発言内容となってしまっているのであるが、実際のところは、当然ながら定型を超過するような自由律作品にもけっして表現としての可能性がないなどということを単純に言うことはできず、また言うつもりもないゆえに、それを糺すために「求心性のある短い句の方が良いでしょうか。」という表現へと訂正していただきたいとお願いしていたわけなのであるが、どうやら適わなかったようである。とりあえずのところ、今回この箇所については、このような断定的な発言をするつもりはなかったということだけは、この場をお借りして付言させていただくことにしたい。

ともあれ、このコーナーに今後如何なる顔ぶれの新鋭が登場することになるのか、おおいに期待のされるところであるのは間違いないであろう。



2月25日 木曜日

『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)をいまだに読み続けている。

今回は、前回に引き続き第8句集『樹影』について少し見てみることにしたい。この『樹影』は、平成3年11月に刊行されたもので、昭和61年冬から平成3年春までの5年間の作品690句を収録したものである。年齢的には作者の大体70代の前半における作品集ということになるようである。

前回、第5句集『初夏』、第6句集『緑夜』、第7句集『草樹』の作品について、その特徴として「円熟」、「平明」といった傾向が見られることを指摘したが、この第8句集の『樹影』については、単純にこれまでも第5句集から第7句集までにおける「円熟」や「平明」といった言葉のみでは説明のつかない作品傾向というものが、ここにきて再び見られはじめるようになってくる。

薄原笛吹童子現れよ

姫御前の人形の立つ夜の薄

京過ぎて黍嵐また葛嵐

草の根の蛇の眠りにとどきけり

鷹渡る襞荒立てし祖谷の嶺

地の底の燃ゆるを思へ去年今年

夢に見し魔神をいまに寒月夜

山の神地の神集ふ寒月夜

裘銃身に似し身をつつむ

雄叫びのいづこふりむく寒の闇

荒海へ眸を燃やし過ぐ鷹一羽

虚空にて鷹の眸飢ゑてきたりけり

虚空にてかすかに鳴りし鷹の腹

国造りの神も朝寝や夏霞

化野をめぐりて今宵蛾となりし

陽炎や絵馬へもどりし黒神馬

藻の花を地の神過ぐるまひるかな

山霊に囲まれて居り青蜥蜴

亡年や身ほとりのものすべて塵


無論、集中にはこのような傾向の句ばかりで占められているというわけではないが、ここにきて単なる「実」の世界の把握のみならずやや荒々しさの伴った「虚」の世界への比重が高まってきているように感じられるところがある。それはまるで、作品が従来通りのオーソドックスな作風へと収斂してしまうことから、それこそ「寝返り」を打って逃れようとするかのような抵抗の姿勢を窺わせ、そこに作者の中に内在している意志の存在というものを明確に認識することができよう。

また「身ほとりのものすべて塵」という句については、桂信子の代表句のひとつとして喧伝されているところがあるが、こう見ると、この句の存在もよく桂信子という作者を語る際に引き合いに出される「平明な作風」といった傾向の中から偶発的に生み出される結果となった作品というわけではなく、今回の句集に見られるように作者としての常凡へ堕することへの抵抗即ち意識的な「虚」への作品志向といった流れの上において生み出されることとなった作品であると言うことができるはずである。

思えばこの桂信子のみならず、金子兜太や鈴木六林男などの作者の全句業における流れなどを見ていると、その句業において新たな作品展開といったものがあまりはっきりと確認できなくなり、停滞に近いムードが漂いはじめるようになると、まるでそのことに抗うかのように話題作や異色作が突如として出現してくるということがしばしばあり、作者としての衰退の気配をなんらかのかたちで振り払おうとするような動きが見られるということが少なくない。どうもこの世代の作者というものは非常に「粘り強い」ところがあるというか、作者として大変「しぶとい」のである。

こういった事実から見えてくるのは、これらの作者というものが、自らの作品展開というものが停滞することに対して、常に危機意識もしくは警戒心といったものを抱き続けており、意識的にその修正に努めてきた、ということになるのかもしれない。

また、今回のこれらの信子のやや猛々しいともいうべき作品展開といったものを見ていると、この桂信子という作者にとっての重要なキーワードというものは、その最初期から一貫してその根底部において常に蟠っているように感じられる「内なる激情」ということになるのではないか、という気のするところもないではない。



2月26日 金曜日

また、この桂信子の第8句集である『樹影』には、やや荒々しい作品傾向のある一方で、それに反するかのような、いい意味で肩の力の抜けた「ただごと俳句」とでもいうべき作品の存在もいくつか見られる。

白鳥の白鳥らしからざるもあり

新幹線車中を鰻飯通る

初旅や練り歯みがきのひとうねり

闇ヘ打つ豆鬼にあたつたことにして

滝涸れて一応滝と思ふだけ

うぐひすと思ひしときはもう鳴かず

草餅のだんだん重くなつてきし

俎のどちらむいても海鼠なる

眠りゐていやいや出でし雛もあらむ


こういった軽い諧謔というか、やや飄逸味とでもいったものを感じさせる作品というものは、若い頃の桂信子の作品にはほとんど見ることのできなかった作品傾向であるといえよう。ここにきて長年培ってきた技量というものが、作風の幅の広さとともにある種の余裕といったものをももたらし、その作品の上に影響を及ぼしている結果となっているということになるのかもしれない。

そして、第8句集『樹影』以降の第9句集『花影』(平成8年刊)においても、同じようなやや軽やかな作品の傾向というものを若干確認できるところがある。

夏逝くやガラスの奥のわからぬ絵

佇みてどぶろく呑みに入るつもり

秋深むスワンの朱きまなじりも

鴨てふ字出来し前より鴨泛かぶ

巴里祭知らずに巴里祭を詠む

何もゐぬ冬の生簀をみなのぞく

年逝くと鮃平たくなりにけり


無論、このような飄逸気味な傾向の作ばかりでなく、これまで同様やや真顔ともいうべき表情の作品やある種のすごみを伴った佳句の存在も少なくない。あと、前句集の『樹影』に比べると、今回の『花影』における作品群には「虚」の要素といったものの介入については、それほど顕著というわけでもないように思われるところがある。

木も草もいつか従ひ山眠る

神在ます熊野の冬のしんの闇

闇に泛く日本列島去年今年

備中や削られし山片笑ひ

魂遊ぶ空如月の望のころ

花の中わが身も水を吸ひ上ぐる

冬滝の真上日のあと月通る

死ぬことの怖くて吹きぬ春の笛



2月27日 土曜日

桂信子の第10句集『草影』とそれ以後の作品について見てみることにしたい。

『草影』は、平成8年から平成14年までの作品が収録された桂信子の最後の句集ということになる。そして『草影』以後の作品については、この『桂信子全句集』に収録されているものということになり、その内容としては、主宰誌「草苑」2001年10月号から2004年11月号までに発表した作が収められている。桂信子は、2004年の12月に89歳で亡くなり、この「草苑」の2004年11月号に掲載された作品が最後の発表作品ということになる。

『草影』より

秋立つや観念の墨磨つてをり

赤芋の地中に太り耕衣の死

涅槃図の裏側をゆく人の声

桃流れくるやも川の靄の奥

一心に生きてさくらのころとなる

春の石亀の手足のやをら出て

亀鳴くを聞きたくて長生きをせり

大蓮の間ベッドを浮かしけり

萍の中を進みて白枕

白露や三界に身の置処(おきど)なし

現(うつつ)とも夢とも過ぎて初夜(そや)の雁

水に映りいま敗蓮となる途中

月の中わが魂いまは珠なして

くろがねの魂いだき蛇ねむる

万物の一塵として年迎ふ

花のなか魂(たましい)遊びはじめけり


『草影』以後より

本重ね年を重ねていつか死ぬ

いづれ消ゆるそれぞれの背の花明り

はなびらのいま花屑となる途中

蝌蚪散つて天日のみの残りたる

冬泉に一花となりてわれの舞ふ

夏野ゆく夏野の果も夏野なる

この世また闇もて閉づる夏怒濤

昨夜(よべ)よりのわが影いづこ冬の朝

冬真昼わが影不意に生れたり


これらの桂信子の最晩年における作には、いずれも現実の事象とフィクショナルな要素の双方が混在して作品の上に展開されているような色合いが、やや強く感じられるところがあるといえよう。これまでに見てきた第8句集『樹影』においてもフィクショナルな要素というものが多分に混在しているところがあったが、今回の第10句集『草影』とそれ以後におけるこれらの作品の上にもやはりそういった傾向が割合強いところがある。

ただ、今回の『草影』の作品傾向については、第8句集の『樹影』の作品傾向と比べると、若干その「生」と「死」の意識の度合いの強さにおいて、やや印象が異なる側面があるように見受けられるように思われる。いうなれば、これらの作品からは、それこそ作者自身の存在が「幽明」の境を往き来し、ひたすらさ迷い続けているとでもいったような印象が強く窺えるのである。そのことは「魂」という言葉からも感じられるところであろう。そして、この作品における雰囲気というか気配というものは、それこそ以前に見てきた第4句集の『新緑』の中における「母の死」というテーマを扱った連作の存在というものが、そのままに髣髴としてくるように感じられるところがあるように思われる。

その第4句集の『新緑』における「母」の作品といえば、〈母の魂梅に遊んで夜は還る〉〈母細眼薄明界の野に遊び〉〈梅が香や母の常着は闇に垂れ〉〈白湯たぎるなか幻の蝶の昼〉〈明暗の際とぶ蝶を見失う〉〈花冷えの壺が吸い込む母の息〉〈薄紙につつむ花びら最晩年〉〈花種を蒔いてみつめるただの土〉〈新緑のなかまつすぐな幹ならぶ〉〈雁帰る酒瓶に映る夜の顔〉〈貌映し泉をくらくする午前〉といったように、あたかも現世と彼岸の世界を往還するかのような内容を持つ作品であった。

そして、思えば、桂信子という作者の俳句の歩みにおいて、その作品の上に大きな変化をもたらす結果となったのは、それこそ、夫、師の日野草城、母といったかけがえのない存在との死別であったようにも思われる。この桂信子という作者が、様々な人々との別れをその作品の上に刻み付けながら、その最晩年において、その作品の上に写し取ることになったのは、自分自身の最期、即ち自らという存在との別れ際における、「虚」と「実」の双方の相が混淆する幽明の境の風景であった、というべきであろうか。

一応、今回で漸く『桂信子全句集』所載の全5218句にとりあえず目を通し終えることができた。思えば、桂信子という作者は、そもそもそのはじめの第1句集の時点において既にほぼ完成された作者であった。それゆえ、その後の作品展開というものについては、なかなか容易なものではなかったのではないかと推察されるところがある。そのことは第1句集から第4句集である『新緑』までにおける起伏に富んだ作品展開といったものを瞥見すれば明らかであろう。

そして、その後の第5句集以降から最終句集である第10句集『草影』とそれ以後の作品に到るまでの句業についても、確実にある一定以上の水準による作品展開とその成果を常に自らのものにしてきたという事実が見受けられ、そういった多くの作品の成果の堆積による重厚さを感じさせる営為を長期間にわたって維持し続けることが可能であったのは、やはり並々ならぬ作者精神というものの存在がこの桂信子という作者の内部において深く存していたがゆえということになるのであろう。

また、人口に膾炙している作だけを見れば、桂信子は単純に「平明」な表現による作風の作者ということになろうが、これまでの句業を俯瞰した場合やはり単にそれだけの作者というわけではなく、内なる静かな激情、青年期における若くしなやかな肉体性とナルシシスム、都市的なモダニズム、誓子的な事物そのものへの強い肉迫と虚や不可視のフィクショナルな世界への志向、老いの意識と飄逸味、そして幽明の境における風景などといった様々な要素を、その長い歩みの過程において内側に抱え込む結果となった懐の広い作者であったと言うことができるはずである。


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■関連記事

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2010年2月27日土曜日

遷子を読む(48)

遷子を読む〔48〕

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


高空の無より生れて春の雲
 『山河』所収

中西:昭和49年、胃癌の疑いで 一度目の入院のときの句です。『山河』では、この句の次が〔35〕で取り上げた

わが山河まだ見尽さず花辛夷

です。癌という当時難病とされていたものに自分自身が罹ってしまって入院しているのです。これから一度退院して、再入院となり亡くなるほんの少し前まで句を作り続けるのですが、遷子の句の昂揚は、この句を前触れにして始まるように思います。実質的には次の〈わが山河まだ見尽くさず花辛夷〉からでしょう。

しかし、この思惟的な句もなにか訴えるものがあります。「無から生まれて来た」というこの無が何をあらわしているのかが、読み始めたときから疑問でした。今も実はわかりません。春の雲はベッドに横たわって見える景色なのです。入院という特殊な拘束状態になると、ベッドから見える景色が環境として大きなウエートを占めます。入院したてですから、雲を見ながら、癌を「無より生まれて」きたように自分には納得できないと思う心があったのかもしれません。しかし、この「無」にはもっと大きな哲学的な意味があるのでしょうか。どこか暗示的な句です。

遷子句が病苦を詠んで昂揚していく過程で、森羅万象に自分の心を合せようとしているのが見受けられます。その中に「山河」という言葉もあるわけで、それは以前に問題となりましたが、この句はもっと混沌とした「無からうまれた雲」を詠っています。これをどう解釈するのか皆さんに伺ってみたいのです。

原:背後の状況抜きにこの一句を見れば、自然現象の不思議を詠んだ句として受け取れるでしょう。科学的説明のそれはそれとして、空に浮かぶ雲には素朴に感嘆します。

ただし、この作品からはいきいきと弾むような童心、といったものは感じられません。「自然」に対して無心に没入しているとは思えないのです。むしろ知的な理屈っぽささえ感じてしまいます。その印象は「無」の語の使用からも来ているようです。

中西さんがこの句の前後の状況に目をとめていらっしゃるのは親切な読みだと思いました。遷子の意識の反映が知らず知らず作品に影響しているのかもしれません(勿論、無自覚に、です)。とはいえ「無」の語にあまり深い意味を置きすぎるのも考えものでしょうね。身体不調や病いへの不安を抱えつつ、遷子の作品らしい凝縮力が見えてくるのは、次の〈わが山河まだ見尽さず花辛夷〉以降と思われます。

深谷:平明な叙述が目立つ遷子の作品の中にあって、確かに掲出句の「無」という抽象的な表現は異彩を放っています。もちろん単に「雲の生成」という気象現象を詠んだものと無機質に解することもできないわけではありませんが、遷子が敢えて「無」という表現を持ち出したことが気になります。とは言うものの、どう解すべきか思い悩んで句集を眺めているうちに、掲出句の三句後に置かれている

無宗教者死なばいづこへさくらどき

という句がふと目に止まりました。そして何度か読み返すうちに、この句が掲出句と対になっているように思えてきたのです。人は何処から来たりて、何処へ去るのか。己の死を身近なものとして意識した時、遷子の心にそのような想念が生れて来ても不思議ではないでしょう。とすれば、この「春の雲」は遷子が己自身の姿を投影したものにも思えます。さらに「無より生れ」たのは遷子自身であるとして、中七で切れが入り下五に「春の雲」という季語を斡旋した二句一章の句とみる解もありそうですが、さすがに若干無理があるでしょう。ここは素直に、遷子が自己の思いを「春の雲」に仮託したものと解した方がよいように思われます。

仲:中西さんのおっしゃるように遷子の句業と闘病の歴史を重ね合わせれば、この句から何らか象徴的な意味、例えば癌という病気が己の身に起こったことなどを読み取ろうとすることもできそうです。しかし私にはそこまでして遷子のこれ以後の自然詠すべてに象徴的な意味を見出すのは俳句というテキストを読む上では行き過ぎのように思うのです。

写生という言葉は定義を曖昧に用いると誤解を招くので使いたくないのですが、この句は純粋に作者の見たままの光景を一句に定着させた所謂「写生句」ではないかと私には思われます。山の稜線付近をじっと見ていると雲が生まれては消えていく様子がよく分かります。そういう風景ならば山国に住む者はいつも目にしていて珍しくもありません。しかしこの句の場合は一見何もない空の高みに目を凝らしていると春の雲が手品のように生まれてくるのが見えたと言うのでしょう。実際には水蒸気が雲の粒になるのだということを科学的知識を持った我々も遷子も知っています。でも見た目はあたかも「無より生まれて」としか言えないような光景なのです。その面白さに興じている句ではないかと思われます。

筑紫:無から生まれたものは無へ帰るはずで、その意味では

冬麗の微塵となりて去らんとす

とつながっているような感じがします。とはいえ、この句、私にはあまり観念的には見えず、春の雲を見あげてどこから来たのだろうか、と遷子の素朴な疑問として述べただけのように思うのです。春の雲は淡いものです。いつ生まれ、いつ流れていくか、茫としてベッドから眺めている遷子には定かではありません。この句の本当の主人公はそうした時間の流れなのではないかと思われます。

佐久の春はまだ寒いのではないかと思われますが、いったん病院のベッドに収まってしまえば、外部の刺激から隔絶されて、不安はあるものの無為な時間が患者には与えられます。その序章としての、淡々とした句として読めば良いのではないでしょうか。

馬酔木昭和49年7月号「手術前」の7句を掲げます。

萬愚節おろそかならず入院す
同病に烏頭子三鬼春寒し
(この句のみ句集になし)
高空の無より生れて春の雲
わが山河まだ見盡さず花辛夷
癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ
無宗教者死なばいずこへさくらどき
遺書書けば遠ざかる死や朝がすみ

第2句目の「烏頭子三鬼」は、一人は軽部烏頭子で馬酔木の幹部同人で水原秋桜子の盟友、西東三鬼は周知の新興俳句のスターでありのち天狼同人。烏頭子は未確認ですが、ここに登場する作家は癌で死んでいるはずです。ここでは遷子自身、病名をはっきり意識していたのでしょう。

* *

中西さんの主宰する「都市」2月号が届きました。ふんだんにエッセイや評論があふれているのをいつも楽しく拝見していますが、本号では、しぐれ忌俳句大会で行われた「俳句の中の私」という講演録が掲載されています(平成21年11月7日伊賀市ふるさと会館)。7頁に渡る長編であり力作で皆さんにはぜひ読んでいただきたい講演ですが、ここで、中西さんが出会い、影響を受けた宮坂静生・宇佐美魚目・藤田湘子の一句を取り上げて解説されています。そして4番目に、この遷子を読むのブログを取り上げて紹介し、相馬遷子の俳句について、〈実は遷子をやるようになってから、俳句で志を詠えることを実感しました〉と述べられています。このように、われわれの「遷子を読む」の一番最初の成果が現れたのはうれしいことです。特に遷子から「志」を読み解くことは確かにここしばらくの連載からは自然な成り行きかと思いますが、従来の遷子論にはあまり見られなかった特徴のように思われます。高原俳句とか、社会性とか、晩年の闘病とか、郷土愛とかすこし月並みな感想に比べれば、ユニークな論旨ではないかと思います。

それと同時に、現代俳句のあり方としてみても、「俳句は志を詠む」はかなり挑発的な言葉のように思えます。俳句は楽しくなくても、うまくなくてもいいのだという(ちょっと言いすぎですが)開き直りのような覚悟にもつながると思います。多分どんな俳句の主張よりもそのほうが「文学」に近いのではないかと思われます。いちど、俳句は文学なのか、を問い直してみたいと思います。

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■関連記事

はじめに・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔1〕 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔2〕 冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔3〕 銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔4〕 春の町他郷のごとしわが病めば・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔5〕 くろぐろと雪片ひと日空埋む・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔6〕 筒鳥に涙あふれて失語症・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 読む

遷子を読む〔7〕 昼の虫しづかに雲の動きをり/晩霜におびえて星の瞬けり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔8〕 寒うらら税を納めて何残りし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔9〕 戻り来しわが家も黴のにほふなり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔10〕 農婦病むまはり夏蠶が桑はむも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔11〕 汗の往診幾千なさば業果てむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔12〕 雛の眼のいづこを見つつ流さるる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む

遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む
遷子を読む〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井  →読む


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2010年2月21日日曜日

第79号

第79号

2010年2月21日発行

閑中俳句日記(24)

西澤みず季句集『ミステリーツアー』

          ・・・関 悦史   →読む

俳句九十九折(71)

七曜俳句クロニクルⅩⅩⅣ

          ・・・冨田拓也   →読む

遷子を読む

〔47〕蒼天下冬咲く花は佐久になし

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

おしらせ           →読む

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おしらせ(79号)

haiku&me特別企画のお知らせ

Twitter読書会『新撰21』 第二回「藤田哲史+榮猿丸」

Web同人誌「haiku&me」主催の特別企画として、Twitterを使用した読書会を実施します。
昨年末に発行され、各所で話題の若手俳人アンソロジー『セレクション俳人 プラス 新撰21』より、各回一人ずつの作者と小論をとりあげ、自由に鑑賞、批評を行う会にしたいと思います。開催は不定期で、全21回を予定しております。

第二回は藤田哲史さんの「細胞膜」と、栄猿丸さんの小論「アスファルトの上の砂」をテーマとします。

「haiku&me」のレギュラー執筆者三名が参加予定ですが、Twitterのユーザーであれば、どなたでもご参加いただけます。主催者側への事前の参加申請等は不要です。(できれば、前もって『新撰21』掲載の、該当作者の作品100句、および小論をご一読ください。)
また、Twitterに登録していない方でも、傍聴可能です。(傍聴といっても文字を眺めるだけですが。)

・第二回開催日時: 2010/2/27(土) 22時より24時頃まで

・参加者: 
haiku&meレギュラー執筆者三名
青山茂根
榮猿丸
中村安伸
 +
その他どなたでもご参加いただけます。

・ご参加方法:

(1)ご発言される場合
開催時間にTwitter上で、ご自分のアカウントからご発言ください。
ご発言時は、文頭に以下の文字列をご入力ください。(これはハッシュタグと呼ばれるもので、発言を検索するためのキーワードとなります。)

#shinsen21

※ハッシュタグはすべて半角でご入力ください。また、ハッシュタグと本文との間に半角のスペースを入力してください。

なお、Twitterアカウントをお持ちでない方は、以下のURLからTwitterにご登録
ください。http://twitter.com/

(2)傍聴のみの場合
以下のURLをご覧下さい。
http://twitter.com/#search?q=%23shinsen21

・事前のご発言のお願い

(1)読書会開催中にご参加いただけない方は、事前にTwitter上で評などをご発言いただければと思います。

(2)ご参加可能な方も、できるだけ事前に評などを書き込んでいただき、開催中は議論を中心に出来ればと思います。

(3)いずれの場合もタグは#shinsen21をご使用ください。終了後の感想なども、こちらのタグを使用してご発言ください。

・お問い合わせ:
中村(yasnakam@gmail.com)まで、お願いいたします。

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あとがき(第79号)

あとがき(第79号)


■高山れおな

週末にスーツを買いまして、考えてみるとこれは(喪服を別にすれば)じつに十七年ぶりのスーツ購入。つまり就職一年目以来ということです。社会人一年生は、当たり前ながらスーツをたくさん誂えます。

年のくれ破れ袴の幾くだり 杉風

なんていう古句もございますように、ふつうはその後も新陳代謝が続く(順次買い換えてゆく)ところ、わたくしの場合、就職二年目からはスーツをほとんど着なくていい(いいというか着ないで済ませている)部署に異動になり、スーツを全く購入しないままおそろしい歳月がたってしまったのでした。就職初年に買った大半は安物でしたが、いちおうちゃんとしたのが二着あり、さらにそのうち生き残った一着だけでもう長らくやり過ごしてきた(なにしろスーツ着用はせいぜい年十回くらいなもので)のでしたが、なんか急に新しいスーツが欲しくなったのです。次なる要検討物件は、壊れたままでもう五年ばかりになる書斎と寝室のエアコン。これも買おうか買うまいか迷っているうちに、十年くらいはあっという間に過ぎてしまうに違いありません。

ここしばらくは、大塚ひかりさんの『源氏物語』の新訳を読み上げ、かつ各所の展覧会を見倒すという二つの仕事を全うすべく、二宮金次郎と化して都下を徘徊しておりました。必然的に脳内源氏濃度は最高潮となり、俳句濃度は最低調。関さんが紹介している西澤みず季さんの

マッサージ機に腹揺れてをり十三夜

という情景と同じくらい(俳句的には)寒い寒い春の日々でございました。


■中村安伸

妻が現在バンクーバーに滞在中であり、私もテレビでオリンピックばかり視ているので、自然と生活時間があちらに同期してしまったようです。こちらの夕方が向こうの深夜、こちらの深夜がむこうの早朝にあたるため、夕方に眠り、早朝に目がさめるという生活になっています。

そんななか、18時半開演の能を観に行ったところ、ちょうど就寝時間にあたったため、睡魔との戦いは壮絶を極めました。結局負けてしまいましたが「魔」の字を生々しく感じました。

眠ってしまうと自分でも何をしでかすかわかりません。周囲の人々にご迷惑をおかけしていなければ良いのですが。


俳句九十九折(71) 七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ・・・冨田拓也

俳句九十九折(71)
七曜俳句クロニクル ⅩⅩⅣ

                       ・・・冨田拓也

2月15日 月曜日

家にあった川柳の総合誌『月刊 川柳マガジン』(新葉館出版)をいくつか引っ張り出してきて、気儘に目を通していたのであるが、その中に「川柳一人百句」というコーナーがあることに気が付いた。これは川柳の作者の1人からその作品100句を選出し、その作者の略歴を付したアンソロジーということになっているようである。詳しくはわからないが、この連載は同誌上において相当長期にわたって続いているものということになるようで(10年以上?)、現在までにゆうに100人以上の作者が取り上げられているのではないかと思われる。おそらくこれらは資料として相当に貴重なものなのではないかという気がするところがある。

俳句の総合誌などでは、これに類する企画があまり見当たらず(せいぜい総合誌『俳句界』の「魅惑の俳人」くらいか)、長い期間にわたって恒常的に試みられてこなかったという事実については、もしかしたら俳句という文芸にとって随分と大きな損失であったのかもしれない、という気のするところもある。

以下、『川柳マガジン』のバックナンバーに掲載されてあった「川柳一人百句」からすこし作品を引用しておくことにしたい。

奇蹟なし雑草ふんで子へ還る  河野春三(『川柳マガジン』2003年1月号より)

地を匍えば絶えだえにあるけものみち  〃

流木よいそげ 北指す鳥の 北  〃

狼のごと月明に咽喉かわく   松本芳味(『川柳マガジン』2007年7月号より)

空の奥恋ふ いつぴきの魚なれや  〃

ぼろぼろの船が出てゆく 丘まひる  〃

生きて行く技巧まずしく歯を磨く  定金冬二(『川柳マガジン』2001年10月号より)

なんとなく人の世がある水ぐるま  〃

冬の旅人 冬を出でんとして斃れ  〃



2月17日 火曜日

久しぶりに古書店をいくつか回ってみた。

大西泰世『世紀末の小町』(砂子屋書房 1989)、渡辺隆夫『宅配の馬』(近代文藝社 1995)、鈴木石夫『風峠』(現代俳句協会 平成4年)、杉本雷造『火祭』(ぬ書房 昭和51年)、花谷和子『五月の窓』(毎日新聞社 2000)、『こころの秀作百選シリーズ 清水基吉篇』(東京美術 昭和62年)を購入。

大西泰世、渡辺隆夫の句集は川柳のもので、他のものは俳句関係ということになる。

しかしながら、俳人の数や句集の数というものは、本当に尽きるところがなく、これまでに自分がいまだに手にしたことのない資料の存在というものも、それこそ相当な数にのぼるように思われる。そういった例のひとつとして、自分がこれまでに資料を探している過程において、いまだに1冊たりとも出会うことができていないものとして、「長谷川草々」という名の俳人の句集がある。

この長谷川草々という作者は、大阪の俳人であり、現在自分の暮している場所から割合近くのところに住んでいたようで(どうでもいいことであるかもしれないが、現在の自分の居住地の半径約2キロの範囲内には、この長谷川草々の他にもかつて、歌人塚本邦雄、俳人西村白雲郷、俳人小川枸杞子などが暮していたようである)、1921年に生れ、2000年に没、「頂点」「海程」「未完現実」などに所属し、1971年に「投影」を創刊主宰、句集に『雲山間思』、『餓鬼の田』、『長谷川草々句文集』、『その折々』などがあるそうである。

俳句誌のバックナンバーなどから、これまでの作品のいくつかをここに抜粋しておくことにしたい。

星座さがす三葉虫の淋しさで

梅雨の瀧仏らあまた落ちゆけり

五月雨や机上に古りし俳愚伝

関東ローム霜柱また人柱

地球病む天の川より水もらい

白粉花や月の出端は闇に似て

青虫太る胎臓界にわれを置き

葛の花生きて戻るに遠かりし



2月19日 金曜日

『桂信子全句集』(ふらんす堂 2007)を、断続的に読み継ぎ続けているのであるが、思った以上に読み進めるのに時間がかかっている。現在までいまだに読了できないでいるのである。

現在の時点で漸く、第5句集『初夏』(昭和52年)、第6句集『緑夜』(昭和56年)、第7句集『草樹』(昭和61年)を読み終えたところということになる。

第5句集の『初夏』のはじまりが昭和48年秋からの作品ということになり、桂信子の年齢はこの時で大体58歳ということになる。もはや、ほぼ還暦といってもいい年齢である。そういった年齢的な要素も反映しているためか、この第5句集『初夏』のあたりから、その作品の傾向が全体的にやや圭角が取れてきたというか、まさに「円熟」の気配へと傾き始めているように思われるところがあり、おおむねマイルドな「程良い」読み応えといった感じで、それこそいうなればまさしく「平明な作風」という桂信子の作品に対する一般的なイメージというものがそのまま当て嵌まるように感じられるところがあるといえよう。

そして、これ以前の第4句集『新緑』の時期における、誓子を淵源とする「実」の把握への強烈なまでの志向と、草城の影響さえをも振り切ってしまうかのような「虚」の世界への飛躍の意志とを併せ持つ、まさしく気魄そのものに充ちた句境というものを思い起こしてみた場合、この第5句集『初夏』以降の句にもけっして見るべき作品がないわけではないのであるが、若干ながら句集の作品全体としてはこれまでのものと比べてみるとなにかしらの不満というかやや物足りない側面があるように思われてしまうところがあるというのが読み手としての正直な感想ということになろうか。

とはいえ、以下のような作品を見るとやはり、さすがに「桂信子」だけあるといった感に打たれるのも事実ではある。

新緑の顔映るまで茹で卵  『初夏』

一日の奥に日の指す黒揚羽  〃

水底に泥のかぶさる月の村  〃

きさらぎをぬけて弥生へものの影  〃

微塵ともならず真向う寒入日  〃

涅槃会の拇指太く宙にあり  『緑夜』

十二月遠くの焰消しにゆく  〃

蟇大きな月がうしろより  〃

母のせて舟萍のなかへ入る  〃

皿叩く子がひとり居て夏の果  〃

ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く  『草樹』

下京や生麩ふくらむ花の昼   〃

穂芒や水よりくらく馬過ぎる  〃

口開けてすこし雪受く空也の忌  〃

陸橋の遠く日あたる冬至かな  〃



2月20日 土曜日

とある方より、とある機縁により邑書林の「セレクション俳人」シリーズの数冊をいただくことができた。このことによって、現在までに刊行されている「セレクション俳人」のシリーズの全てが、一応自分の手元において揃う結果となった。内容としては以下の通りである。

『大木あまり集』、『小澤實集』、『櫂未知子集』、『岸本尚毅集』、『佐々木六戈集』、『仙田洋子集』、『高野ムツオ集』、『田中裕明集』、『筑紫磐井集』、『対馬康子集』、『中田剛集』、『中原道夫集』、『行方克巳集』、『西村和子集』、『仁平勝集』、『橋本榮治集』、『正木ゆう子集』、『四ッ谷龍集』

このうちいまだに刊行されていない選集は、『あざ容子集』、『藺草慶子集』、『上田日差子集』、『宮崎二健集』、『セレクション俳論』ということになるようである。現在までなお全冊刊行までには至っていない様子を見ると、どうやら想像以上に時間がかかっているシリーズであるように思われる。

思えば、このシリーズが刊行されはじめたのは一体何時からのことであるのかというと、どうやら『櫂未知子集』の刊行が、2003年5月1日の発行ということになり、いまからおよそ約7年も前ということになる。

あと、このシリーズでは何人かの作者が入集していないように思われ、当然ながらそういった人選における欠落が少しばかり見受けられるのはある程度仕方のないことであるには違いないが、読者としては少なからず残念な気もする。また、他にもこういった俳句の選集というものは、「ふらんす堂」と「砂子屋書房」などの出版社からも何点か出版されているが、ここにもやはり名前の見られない作者というものの存在が少なくないように思われる。

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閑中俳句日記 西澤みず季句集

閑中俳句日記(24)
西澤みず季句集『ミステリーツアー』


                       ・・・関 悦史


西澤みず季『ミステリーツアー』は1951年生まれ、「街」同人の作者の句集。略歴にそれ以前の著書名はないからこれが第一句集らしい。同じく「街」同人の小久保佳世子『アングル』と同様、現代都市風俗や時代批判の要素が際立つ。結社共通の特徴だろうか。

あとがきによると《幼い私を捨ててまで、社会運動に没頭していった母》に対し《私の中にある母の束縛を解き離ちたい》という動機が句集制作にあたってあったようで、全体は「縄文の穴」「母の居た街」「途中下車」「方舟」「プールの底の部屋」の5部から成り、そうした句は「母の居た街」の章に纏められている。

雪の中少女のままで二百年
縄文の穴から遠足の足音
人形のための席ある夏館
素裸の集まつてゐるシャンデリア
ヒロシマの手足の長き子供たち
橙やそこは信長の席ぞ

どれも時空を超えてあらわれる何物かの怪しみをさらっと言いとめた句で、気配や内面に踏み込むよりは怪しげなものの表面を明快に定着する作風。《素裸の集まつてゐるシャンデリア》も耽美や背徳の世界に語り手自身が没入している気配はないし、《ヒロシマの手足の長き子供たち》もその無念に霊媒的に共振するというよりは、どこにも片のつかない消化できないものが意識に入り込んできたときに、その外形をごくニュートラルに言いとめたといった句である(「手足の長き」が痩せたということの鮮やかな修辞というにとどまらず、光に押し包まれて消え入りそうな姿のまま歴史と現在の間をさまよっている者たちのよるべなさに不意に出くわし、デジカメで定着したような感触がある)。

アメリカの嫌ひな母や秋の蝉
朧夜の玩具に弟の匂ひ
日雷ジャグジーの母人魚めく
オリーブの切断面に父の顔
秋の雲母といふ名の少女ゐて
花辛夷納骨あとの土匂ふ

以上は「母の居た街」から。《日雷ジャグジーの母人魚めく》が「日雷」の乾いた激しい愛憎と、「人魚めく」のユーモラスな赦しとがごく散文的・即物的なジャグジーにあっさりと媒介されていて面白い。おそらくもう若くはない「母」が「人魚」ぶりはどちらかといえば人魚のモデルになったジュゴンに近いものであろうし、さまざまな思いと歳月をともに積み重ねてきた「母」が浴槽の水流にあおられてたゆたっているさまが何とも融和的。しかしここでも語り手の目はその全体はごく外形的に描出するにとどまっていて、この冷淡とも見える距離感は母との関係よりは作者の特質によるものだろう。似た感触の句に《マッサージ機に腹揺れてをり十三夜》というのもある。

大正のガラスの歪み春日差
総芽吹きの斑尾高原散骨す
地下室に蜂の焼酎漬け匂ふ
大西日ミステリーツアーのバス連なる

表題となった《大西日ミステリーツアーのバス連なる》の柄の大きさが良い。商業企画に過ぎないいかにも浅薄な「ミステリーツアー」との対比で「大西日」のなかに連なる「バス」の大振りな量感がざっくり掬われ、そこはかとなく虚無も漂う参加者たちの気分の浮き立ちが下塗りのように透けて見えて、これは現代ならではの旅情を描いた佳句ではないか。

方舟に乗せるとすれば男と蛇
少年はパセリ唇赤すぎて
百日紅満開鬱の出口なし
冬芽立つ過食とリストカットの痕

ここまでの句にはなかった情念に直に向かい合った作。特に《方舟に乗せるとすれば男と蛇》は外形の提示ではなく、思惟の内容そのままの句である。男と女だけならばエデンの園の平安が保たれるものを、敢えて失楽園の因となった蛇まで同乗させてしまう。無意識に成長はなく、過ちは繰り返す。過ちの反復を覚悟を持ってわが身に引き受けるというほどのことでもなく、これも大西日のバスやジャグジーの母と同じでそういうなりゆきを辿るものとしての《私》を淡々と視認しているかのようだ。

ハンモックの下機関車の散乱す
トラックのタイヤの溝に櫟の実
鮟鱇の口の迷路に入り行けり
春隣森にピアノの捨てられて
夜のプール底に私の部屋がある
コインロッカー閉ぢ少女等の長き夜

内界に一度踏み込んだ目が冷ややかに捉えなおし、定着させた事物たちの句が並ぶ。《鮟鱇の口の迷路に入り行けり》《夜のプール底に私の部屋がある》といった象徴性があらわな句よりも、遠近感の狂った明晰な眩暈とでもいうべきものの中で死物を改めて死体に変えてみせた《ハンモックの下機関車の散乱す》《トラックのタイヤの溝に櫟の実》《春隣森にピアノの捨てられて》といった、重量級の名句というわけではない句たちの、小味な即物性がそのままシュールさに転じた姿が面白い。

以下、その他の句を引く。

芥にも名前のシール寒明くる
自動ドアから真つ白な祭足袋
蟷螂の入り行く真夜のネットカフェ
コート着て今テロップに誤爆報
屋根裏にユニコーン棲む春隣
冷蔵庫の中の明るき祭かな
ひんやりと掌認証青葉潮
モーニングサービス窓にバッタの腹
アリスの鏡梟の眼の中に
春の雨三日続けて靴を買ふ
建国記念日マッコリ飲み干せり
春の虹ビル崩落の瞬間に
朧夜やフランスパンの凶器めく
夕虹やワイングラスの中に森
敗戦忌ピエロの口の中の口
秋草に金のマイクの置かれたる
バッテリーの放電雪野からガザへ
極月の万の携帯万の飢餓

 (『ミステリーツアー』は著者からお送りいただきました。記して感謝します。)

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2010年2月20日土曜日

遷子を読む(47)

遷子を読む〔47〕


・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


蒼天下冬咲く花は佐久になし
『山河』所収

仲:そんなことはありません。佐久にだって冬咲く花はいくつもあります。縦令「蒼天下」であろうと蠟梅も寒梅も、冬桜ですら存在します。しかし遷子が「佐久になし」と言い切ったのは実際に花がある・ないの議論をするためではなく彼のこの時の心情としてこう言わざるを得なかったということでしょう。

この句は『山河』の掉尾から6句目、つまり最晩年の句、もちろん病室で詠まれたであろう一句なのです。前後には食欲がないとか身体の衰えを詠んだ句が並んでいます。「温室の花病室賑やかなるがよし」という句もありますから彼の周囲には大勢の見舞い客が置いて行った花で埋め尽くされていたに違いありません。「われにその価値ありや」と彼らしい謙遜の前書きの後「かく多き人の情に泣く師走」ともありますから本当に見舞客はひっきりなしだったのでしょう。してみると「この病室には所謂室の花がたくさんあるけれど、窓の外を眺めると冬空の下に咲いている花は一つもないなあ」との感慨かもしれません。佐久の地を疎ましく思っているのでなく、純粋にこんな寒いところに咲く花はあるまいとの感想でしょう。

ただ最晩年ということを思うと深読みかもしれませんが別の読み方もできる気がします。「自分は良くなると信じて闘病してきたがこんな寒空の下咲く花がないように私の命もこの冬を越せそうもない」との心の内を反映しているのではないか。実際彼は「食思なき食事地獄や冬の鳶」などと珍しく泣言を吐いていて愈々近づきつつある死を覚悟していたようです。「わが生死食思にかゝる十二月」句集の最後の一句ですが、まことに食べられなくなれば人の命は終わるのです。

中西:寒蝉さんは佐久で臘梅も寒梅も冬桜も咲くと書いていらっしゃいますが、実は今まで佐久の冬は厳しくて花など咲かないのではないかと思っておりました。と言いますのも、『山国』『雪嶺』『山河』の冬の句を見ますと、冬は、寒さの厳しさを表わす季語、虎落笛、雪嶺、寒満月、霧氷、霜天などが多く使われ、花の季語はなかったからです。

遷子にとって冬は凍るような寒さを描くのが美学だったか、或は今より本当に寒くて花が咲かなかったととるかではないかと思いました。

この句は病室から、もう起き上がることもできずに書いた句ではないかと思います。としますと、今まで住んできた佐久への深い思いと重なって出てきた「冬咲く花は佐久になし」という措辞だったのではないでしょうか。

そこには佐久への愛着と、否定形であらわされていますが、冬の佐久への一種の礼賛が述べられているように思いました。今ベッドから見える真青な深い空こそが佐久の冬の誇るべき美しさなのであって、それに比肩するような花などないのだということではないでしょうか。

原:願わくばあと僅か生きながらえて、春の花盛りを見せたかったと思わせられる句です。
遷子の死は昭和51年1月19日。句帳に記録されている昭和50年11月26日までにこの句は載っていませんから、それ以後12月までの間に詠まれたもののようです。佐久綜合病院7階の病室からは雪嶺の連なりがよく見えたことだろうと想像します。麓に続く平地もまた雪に覆われていたでしょうか。

おそらく春まで生きのびることは出来まいという心情がこの作品の底流をなすように感じますが、同時に、遷子は自分という存在を、冬咲く花のようでありたいと思っていたかもしれません。「なし」の強い言い切りは断念に通じるかのようです。

深谷:最晩年の句です。仲さんが提示された二つの読み。どちらもありそうですね。

確かに、寒さの厳しい佐久でも冬季に咲く花はあるかもしれません。でも、仲さん御指摘の通り、この句はそんなことにお構いなしに詠まれている作品でしょう。遷子がこの句に込めたのは、そのような「現実」ではなく、「象徴」あるいは「そのように断定した」佐久の風土への想いだったような気がします。佐久の風土こそが、遷子が愛憎綯い交ぜに執着した、あるいはせざるを得なかった、生涯のモチーフだったわけです。句調も素っ気なく、断定したような、どちらかと言えば突き放したようなトーンですが、それだけに、この佐久という土地に対する、遷子の愛着が滲んでいるように思えます。この句では厳しい冬の寒さが前面に出ていますが、一方で、かつて「田を植ゑてわが佐久郡水ゆたか」(『雪嶺』)などと、手放しと言ってよいほどのお国自慢の句を詠んだこともあります。先に「愛憎綯い交ぜに」と書いたのは、佐久に対する遷子のこのようなアンビバレントな評価を踏まえています。

一方、あらためて句集にあたってみると、少し印象が変わります。端的に言えば、仲さんが示された、もうひとつの読みの方が本筋のような気もします。この少し前の作品で遷子が辞世の句とした、例の「冬麗の微塵となりて去らんとす」と同様の系列に属するものと考えたほうが良いように思えるのです。すなわち、死にゆく自分自身を自然の事物(前句の場合は微塵、掲句の場合は花)に託した作品という読み方です。以前、筑紫さんも指摘された、遷子の「美学」が成した作品という解の方が相応しいと考える次第です。

結局、仲さんの基調コメントをなぞったような形になってしまいましたが、以上が現時点での正直な感想です。

筑紫:面白い句です。「冬咲く花」に、不謹慎ですが「夜咲く花」「ネオンに咲く花」などを思い出してしまいました。仲さんが言われるまでもなく、まったくの比喩ですが、そうした言語構造から見ると大きな違いはないからです。言葉を飾るという意味では、立派な文学も歌謡曲もそれほど隔たるものではありません。いや、「冬麗の微塵となりて去らんとす」でさえ、真理の探究よりは美しい表現の探求であるという点では共通しています。

「蒼天下」も、青空にとどまらない言葉の響きが、しみわたる空の青さを印象付けます。これも修飾の一種でしょう。

遷子の最晩年は、仲さんの引用するところに従えば、「食思なき食事地獄や冬の鳶」のような泣き言の句、「かく多き人の情に泣く師走」のような周囲の意図人を意識した句、掲出句や「わが山河まだ見尽さず花辛夷」に見られる美しく言いとめた句など、大きく揺れていますが、やはり興味深いのは最後の傾向の句です。

遷子の作品をまとめたメモについては以前取り上げましたが、死ぬことを見つめながら俳句という記録をとっておくことは俳人の業(ごう)のようなものを感じます。本来闘病には最大の目標があるわけですが、それを客観視して記録します。しかしにもかかわらず、そこにより効果的、ないし美しい言葉を求めるというのは、確かに不思議でもなくありえることですが、それだけにやはり「業」なのです。

最晩年の句稿メモから添削例(業の一端)を眺めて見ましょう。

鰯雲人は働き人は病む(9月26日)
   ↓
いわし雲人は働きわれは病む
   ↓
いわし雲人は働き人は病む

門に出て釣瓶落しに金縛り(10月17日)
   ↓
門にして釣瓶落しに縛さるる

わが思ひすさまじければすぐ返す(10月18日)
   ↓
思ひいますさまじければすぐに消す
   ↓
思ひいますさまじければすぐ返す[矢島渚男氏の最終稿]

病みて恋ふ花野いよゝ遥かなり(10月21日)
   ↓
病みて恋ふ花野いよゝ遥かなり

木の葉散る生涯に何為せし(11月13日)
   ↓
木の葉散るわれ生涯に何為せし

霜天や食絶ちて死すはいさぎよし(11月25日)
   ↓
霜天や食絶えて死すはいさぎよし

あきらめし命なほ惜し霜の朝(11月26日)
   ↓
あきらめし命なほ惜し冬茜

冬麗に何も残さず去らんとす(同上)
   ↓
冬麗の微塵となりて去らんとす

なお掲出句の「花」の持つ意味ですが、「遷子を読む(44)」で引いたように、遷子は夏の段階で、

来年は遠しと思ふいなびかり

で余命1年以内、

  病急激に悪化、近き死を覚悟す
死の床に死病を学ぶ師走かな(11月26日)

で「この間の状態では、今年(51年)までは、もつまいと思った」と述べていますから、その意味で原さんの「おそらく春まで生きのびることは出来まいという心情」は遷子の思いをよく伝えていると思います。

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2010年2月14日日曜日

第78号

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2010年2月14日発行

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〔46〕卒中死田植の手足冷えしまま

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あとがき(第78号)

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■高山れおな

俳句月間になる予定でしたが、夢は破れました。


■中村安伸

先週号掲載の拙稿について、反応してくださったみなさまに心よりお礼申し上げます。

今週号か近いうちに補足のような続編のようなものを書くつもりでしたが、個人的に重要なテーマであり、性急にまとめないほうが良いという気がしています。そのような訳で、しばらくの間凍結させていただきます。


遷子を読む(46)

遷子を読む(46)

・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井


卒中死田植の手足冷えしまま

 『雪嶺』所収

深谷:昭和41年の作。何の技巧もない、鉈彫りのような句です。まず上五に「卒中死」という措辞が、一切の感情を拒むように置かれています。まるでカルテあるいは死亡診断書から抜け出てきたような印象さえ受けます。そして中七以下も、死の直前までも農作業に追われていた一人の農夫の死に様あるいは生き様を、余すところなく表しています。私事になりますが、私も北関東の出身で、塩分過多の食生活、(信州や東北ほどではないにしろ)寒さの厳しい住環境といった中で育ちました。子供の頃の記憶では、その頃(昭和40年前後)周囲の老人たちの死因は群を抜いて脳卒中が多かったような気がします。正確な統計にはあたっていませんが、現在死因トップを占める癌を遥かに上回っていた筈です(この辺りに関しては、専門家の仲さんの適切な(?)フォローを、勝手に期待しています)。すなわち脳卒中は長野を含む寒冷地に住む農民たちの、謂わば「職業病」であったと言えるのではないでしょうか。さらに言えば、掲出句の農夫の死は一種の「戦死」といった趣すら漂っています。だとすれば、その死を看取る遷子の姿は、友の無念を弔う戦友のそれであったように思えてなりません。そしてそうした現実は、佐久の風土と切り離すことのできないものでした。句作当時、遷子は佐久に居を構え、既に20年が経過した頃です。その歳月は、佐久の風土への愛着を育む一方で、こうした哀しみにも直面せざるを得ないという事実の積み重ねだったのでしょう。そして、それらのなかから遷子の風土詠、ヒューマニズム、社会性に対する志向などが生れたのだと感じます。その意味で、遷子作品の特質の一端をあらわしている作品だと思います。

中西:素気ない表現の句です。死が突然にきた農民の状態を表わしているようです。よく季語が入ったと感心してしまう内容なのですが、この句は一応田植の句なのです。
句作の動機はたぶん往診に行って診た患者の死です。医師として地元と深く係わっているわけですが、医師の目から見た農民は、かなり厳しい生活をしているのが描かれています。卒中が農民の「職業病」で、この句の農夫の死を「戦死」という深谷さんのご意見に、減塩の食事、たんぱく質の摂取の必要を説かれる以前は、成程そうだったのだろうと思いました。
深谷さんの哀しみに直面していった中から遷子の風土詠、ヒューマニズム、社会性に対する志向がうまれたとしていることに同感します。
その上で言えることは、この句が何かを訴える力を感じさせていることです。決して見下しているわけではないのですが、浮き上がってくる農夫の姿はあまりにも惨めに感じられます。この惨めな農夫の死を、遷子は社会に訴えかけるように俳句にしています。
ちょっと余談になりますが、この句もそうなのですが、遷子にとって、柔らかい言葉とゆったりとした表現は性格的にも、風土的に言っても受け入れられなかったのかもしれませんね。どちらかと言いますと、その対極の、単刀直入に詠い、無骨な表現です。

 障子貼るかたへ瀕死の癌患者
 初蝶に農夫家出づ鍬かつぎ

この無骨な味わいが山国の生活者の、そして山国生まれの気質なのではないかとつくづく思うのですが。


原:深谷さんが「鉈彫りのような」と仰った通りの直截な句です。事実の持つ厳しさ・重さがこういう形をとらせるのでしょう。
遷子は平畑静塔への私信の中で「あなたのように精神医学の勉強をしたかった」(「詩人の生涯覚書」昭和51年「俳句」4月号)と言ったことがあるそうですが、これが研究者の道を指していたかどうかは判然としませんが、結果的に一村医としての境涯を選びとったことで、この句をはじめ、人間生活に深く関わった作品を残しました。もし研究者の道に進んでいたら「馬酔木」流の美を抜け出すことが出来ただろうか、仮定の話は虚しいことですが、そんなことをふと思います。

仲:卒中は広辞苑によると「脳溢血(脳出血)または脳血栓・脳塞栓発作など脳の循環障害により、突然意識を失って倒れ、深い昏睡状態に陥る症状」ということになります。脳卒中はStroke かApoplexyの訳語で、より広い範囲の「脳血管疾患CVD=Cerebrovascular Disease」に含まれます。脳血管疾患には脳出血、脳梗塞(脳血栓、脳塞栓)、くも膜下出血がありこのうち動脈硬化によるものは脳出血と脳血栓…などと市民向けの医療フォーラムの講演みたいになってしまいました。言いたかったのは医療関係者の間では現在「脳卒中」というターム(専門用語)はあまり使われなくなり、もっぱらCVDと呼んでいるのだということです。遷子の当時はもちろんまだ「卒中」という言葉が一般用語としても専門用語としても普通だったのだなという点に隔世の感を抱いたのです。今同じ内容を詠むとすれば、カルテには「CVD」と書きながら(勿論「脳卒中」という語を使うこともありますが)俳句ではやはり「脳卒中」と詠むのだろうな、と考えていたのです。そう言えばいつの間にか「心臓まひ」という独特の味わいのある語はほとんど死語になってしまいました。
ちなみに深谷さんの「勝手な期待」にお答えしますと、おっしゃる通り昭和40年代までは日本人の死因のトップは脳血管疾患でした。昭和50年代には癌に、その後心疾患に抜かれて現在では第3位となりました(図1)。

・図1.






















また遷子のいた(つまり私のいる)佐久は今でこそ長寿日本一などと威張っておりますが、昭和40年代までは日本一脳卒中による死者の多い地域だったのです。それが今のように長寿の地となったのは、私の勤める佐久市立国保浅間総合病院初代院長吉沢国雄らが各戸にまで入って行って減塩運動のキャンペーンを張ったり、一部屋暖房運動を展開したり、健診を通じて疾患の予防に努めたたまものと理解しています。その証拠として佐久市の脳卒中の死亡率の急激な減少を図2に示します。遷子の行っていた医療もこの死亡率減少に貢献していたのだと思うと、私など医師の立場から彼への尊敬の念が芽生えてくるのです。


・図2.





















それはさておき、この突き放したような詠みぶりにはちょっと驚かされます。対象を見る角度が冷徹(非情ということでなく抑も感情を交えずに対象を見る態度)で、詩人というより科学者の目なのでしょう。ひょっとしたらこの死人は彼の患者ではなく、警察から頼まれて検死に及んだということではないでしょうか。一句全体から来る機械的、事務的な印象がそう思わせるのです。下村槐太の「死にたれば人来て大根煮きはじむ」を初めて読んだ時もその冷淡な雰囲気にびっくりしたものですが、この遷子の句は死者に対する態度というより見る目そのものが違う、やはり科学者の、検死官のそれなのです。

ただこの句を検死報告でなく詩たらしめているのは「田植の手足冷えしまま」という表現に込められた「人の生活、日々の営みへの共感」ではないでしょうか。死に至るそのときにまで田植という生業をやめることのなかった、そのことへの憐れみと敬意が感じられる気がするのです。深谷さんのご指摘のように遷子もこの頃には佐久の地やそこに暮らす人達に対して仲間意識を覚えるようになっていたと思われます。

筑紫:「田植の手足冷えしまま」にリアリズムが漂っています。死んだときの手足が冷えているのが、田植えのさなかの手足が冷えていたのと連続して描かれているからです。
西洋的リアリズムというものには、倫理観が背景に存在しています。江戸文芸の「うがち」や国学の「まこと」と違う所以です。そしておそらくリアリズムの倫理観は人間の平等性と密接不可分な関係にあるように思います。
ではこの卒中死する農民は誰と対比して平等でないと思われているのでしょうか。田植えをしている農民と対比される生産に携わらない地主でしょうか、劣悪な環境の佐久と比較される肥沃で広大な農地を持ち機械化の進んだ南や北海道の農作地帯の農民でしょうか、あるいはそうした目で見ている医師遷子のような有閑階級の職業の人間でしょうか。このように順番を追って見て行くと、急にそうした階級意識は萎えてくるようです。遷子にあっては、厳しいリアリズムの向こう側にあるのは、日本的な宿命の観念のように見えてきます。例えば、

生きかはり死にかはりして打つ田かな 鬼城

の水準のように思えるのです。とすれば一見社会性俳句の仲間のように見えながら社会性俳句にくくられることのなかった遷子の理由も分かるような気もします。西洋的リアリズムに比べていきおい不徹底といわざるを得ないからです。

     *      *

とはいえ、根付くことのなかった社会性俳句に比べ、遷子の社会性俳句は「社会性俳句」という運動よりもはるかに長く、遷子のなかでつづいてゆきます。西洋的リアリズムと違った、遷子固有のリアリズムがこれらの俳句の動機となっていたからでしょう。遷子の俳句にこれらのリアリズムが肉化したためであろうと思います。

そういえば不思議なのは、社会性俳句的リアリズムの背後に「田植え」のような季語があることです。沢木欣一でさえ、そのピークの俳句は無季俳句となることがありました。社会性俳句のきわめてまれな成功には、無季俳句が控えていました。それはそうでしょう、リアリズムは約束を否定するものですから。にもかかわらず遷子が季語や季節を離れなかったのは、なぜでしょう。ふと私は、馬酔木俳句の中にリアリズムが存在していたせいかもしれないと思いはじめました。
一番いい例が飯田龍太で、龍太は生涯を境川村ですごし、その風景を詠み続けましたが、詠む対象や詠み方はきわめて禁欲的でした。職業は医師ではないのでもとより遷子との比較は無理ですが、それにしても村人たちの詠み方がまったく違うのです。遷子が境川村に生まれそこで医師として開業したら、きっと境川村の農民の悲惨な生活や、元凶となった(蛇笏や龍太らの)地主としての自省、農民たちに対する憤り、地域の医療に対する矛盾を詠んだに違いないと思います。
遷子にとって佐久は特別な佐久ではなく、日本全国にある佐久であったような気がします。そこに描かれる佐久は、実は現実の佐久以上に、遷子の心の投影された佐久であったように思えるのです。遷子を培ったものが馬酔木的リアリズムであったとすれば、それが投影された佐久、―――言っておきますが、馬酔木は単に耽美的な自然描写だけではありません、生活や境涯についても独自の枠組みを持っていました、そのぎりぎりを探索していたのが遷子であったのだと思います。

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遷子を読む〔3〕 銀婚を忘ぜし夫婦葡萄食ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔4〕 春の町他郷のごとしわが病めば・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔5〕 くろぐろと雪片ひと日空埋む・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔6〕 筒鳥に涙あふれて失語症・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 読む

遷子を読む〔7〕 昼の虫しづかに雲の動きをり/晩霜におびえて星の瞬けり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔8〕 寒うらら税を納めて何残りし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔9〕 戻り来しわが家も黴のにほふなり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔10〕 農婦病むまはり夏蠶が桑はむも・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔11〕 汗の往診幾千なさば業果てむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔12〕 雛の眼のいづこを見つつ流さるる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔13〕 山河また一年経たり田を植うる・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔14〕 鏡見て別のわれ見る寒さかな・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔15〕寒星の眞只中にいま息す・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔16〕病者とわれ悩みを異にして暑し・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔17〕梅雨めくや人に真青き旅路あり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔18〕老い父に日は長からむ日短か・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔19〕田植見てまた田植見て一人旅・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔20〕空澄みてまんさく咲くや雪の上・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔21〕薫風に人死す忘れらるるため・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔22〕山の虫なべて出て舞ふ秋日和・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔23〕百姓は地を剰さざる黍の風・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔24〕雪降るや経文不明ありがたし・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔25〕山深く花野はありて人はゐず ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔26〕星たちの深夜のうたげ道凍り ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔27〕畦塗りにどこかの町の昼花火・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔28〕高空は疾き風らしも花林檎・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔29〕暮の町老後に読まむ書をもとむ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔30〕山の雪俄かに近し菜を洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔31〕一本の木蔭に群れて汗拭ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔32〕ストーヴや革命を怖れ保守を憎み・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔33〕雪山のどの墓もどの墓も村へ向く・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔34〕幾度ぞ君に清瀬の椿どき・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔35〕わが山河まだ見尽さず花辛夷・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔36〕霧氷咲き町の空なる太初の日・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔37〕霧木枯に星斗爛■たり憎む (■=火偏に干)・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕萬象に影をゆるさず日の盛・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔38〕-2 特別編 遷子はいかにして開業医となったのか・・・仲寒蝉 →読む遷子を読む〔39〕大雪のわが掻きし道人通る・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-2 特別編2 「遷子を読む」を読んで(上)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井  →読む

遷子を読む〔40〕夕涼や生き物飼はず花作らず・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む(40)-2 特別編3 「遷子を読む」を読んで(中)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む(39)-3 特別編4 「遷子を読む」を読んで(下)・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔41〕しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔42〕凍る夜の死者を診て来し顔洗ふ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔43〕瀧をささげ那智の山々鬱蒼たり・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔44〕癌病めばもの見ゆる筈夕がすみ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、窪田英治、仲寒蝉、筑紫磐井 →読む

遷子を読む〔45〕秋風よ人に媚びたるわが言よ・・・中西夕紀、原雅子、深谷義紀、仲寒蝉、筑紫磐井   →読む

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連作恋々 高山れおな

俳誌雑読 其の十二
連作恋々

                       ・・・高山れおな


「鬼」誌が「連作俳句:未踏の世界へ」と題して連作俳句を特集しているのが珍しい(*1。数年来、評者も連作を試みているところから、個人的関心もあって読んでみた。特集の目次は下記の通り。

子規俳句〈読み直し〉試論

―連作的構成作品を読む― 復本一郎

講演録 連作俳句を考える 井上弘美

「連作俳句」覚え書き 橋本直

連作俳句を語る 渕上信子

第九回研修会報告

俳句連作を朗読する 三浦郁

先頭に置かれた復本の論文は、副題に「連作」ではなく「連作的構成作品」とあるように、正面きって連作を論じたものとは言い難く、この雑誌の主宰者であり特集テーマを定めた当の本人の文章としては、なんだか位置づけに要領を得ない感じがする。復本がこの文章で目指したのは、「連作ということを睨みつつの、子規俳句の〈読み直し〉の提唱」であるらしい。

従来、子規俳句は、あまりにも一句、一句の質を検討することに、人々の関心が集中し過ぎてしまっており、子規自身が企図した、ある「題目」で統一されている複数句を複数句のままで享受しようとする姿勢に欠けていたと思われる。

と、いうわけだ。復本によれば、これまでの「各種『子規全集』」は、子規の手控えである「寒山落木」「俳句稿」を基礎にしつつ他の資料によって遺漏を補う手法を取っており、そもそも子規が「連作的構成」のもとで発表した作品をそのままの形で読むことができないという事情があった。復本がそのような「連作的構成」の例として挙げているのは、明治二十九年(一八九六)四月の「早稲田文学」第七号に「明治新事物」のタイトルで発表された十二句で、制作年毎に整理された「寒山落木」「俳句稿」では、明治二十六年から明治二十九年にかけての項に分散しているという。復本はこれらの句を、子規が「連作的趣向で新機軸を出そう」とした「明治新事物」の形で読むことの意義を説いていて、そのこと自体に異議はないのであるが、やっぱりこれは第一義的には“編集”の問題であって“連作”の問題ではないだろう。もちろん復本もそう思っているからこそ、「連作的構成作品」と言っているわけだが。ちなみにくだんの「明治新事物」十二句は以下の通り。

ぼうと行けば鷗立ちけり春の風

うつくしき桜の雨や電気灯

行く春を電話の糸の乱れかな

薔薇深くぴあの聞こゆる薄月夜

甲板に寝る人多し夏の月

電信の棒かくれたる夏野かな

聖霊の写真に憑るや二三日

はらはらと汽車に驚く螽かな

菊の花天長節は過ぎにけり

燐寸売るともし火細し枯柳

きやべつ菜に横浜近し畑の霜

煙突や千住あたりの冬木立

一句目の「ぼうと」は「茫と」ではなく「ボート」。それ以外には難しい言葉はないだろう。

この特集で、連作を正面から論じているのは井上弘美の講演録である。彼女が連作俳句について考えるようになったのは、「短歌・俳句における連作について」という講演における井上宗雄(*2の示唆によるらしい。

井上宗雄先生、この先生はご自身が俳句もお詠みになる研究者でいらっしゃいますけれど、この先生が短歌と俳句における連作について、現実には総合誌を開いても、あるいは結社誌を開いても、連作というふうに思える作品があるにもかかわらず、誰も連作俳句という言葉を使わなくなった、連作俳句は文学史的には終わってしまったけれども、そこから生まれた名句がたくさんある、連作俳句から生まれた作品があるにもかかわらず、そこが評価されないのは一体、どういうことなのか、連作俳句について、もう一度考えてみてもよいのではないかということを提言されました。

井上弘美の話題は、かなり多岐にわたってゆくのであるが、いちばんキモになる要素は、井上宗雄の意見を祖述したこの一節に尽くされていると言っても過言ではない。要するに、現に連作俳句は存在しているのであるが、なぜかその名を口にすることをみな避けているのである。講演が質疑応答に移ってからの井上弘美の発言に、「連作俳句という言葉には、一句の独立性が弱いというふうなイメージが、どうしても付いて回りますから」とあるような事情や、新興俳句時代の無季俳句の問題などに絡んで連作という言葉が俳句の世界で帯びている歴史性が、この言葉を持ち出すのを億劫がらせる結果になっているわけだが、もうひとつ、昨年末のシンポジウム(*3でも述べたことだが、俳句の世界にある主題回避の圧力が連作の積極的な意義づけの壁になっているということもあるだろう。井上弘美によれば井上宗雄は、

A 独立している複数の作品に関連・連続性があること

B 一句の独立性の強弱にかかわらず、複数の作品によって一つの作品世界を表現していること

を「連作の定義」として挙げたそうだが、「一つの作品世界」が主題の結晶にまで達しないような場合は、制作する側にせよ、読解する側にせよ、当該の作品を連作としてどこまで意識する必要があるのか、その意義は相対的に弱いものになるであろう。単に“事実上の連作”であるだけでは、特に読み手側にとって、対象を連作として読解する必然性は余程薄くなる。総合誌に“事実上の連作”は幾らでも載っていながら、そのうちの佳句を幾つか鑑賞して終わるというのが基本的な読みのパターンになっているのはそのためである。そして、井上弘美が言うように、「連作が力を持つのは、まず旅吟」であり、「境涯詠ですね。一番分かりやすいのは病気」ということになるのは、そこに否応なしに主題が成立しているからで、これまた旅吟や病中詠については連作という言葉はさておき、連作としてしかるべく読解することが普通に行われるわけだ。

井上弘美は、講演の冒頭で、母親が交通事故のため十一年もの間寝たきりになっており、「俳句に逃げながら、母のことを俳句」にし、句集を編んだこと、だから『汀』というその句集もまた「一つの連作俳句というふうに読んでいただけるのではないか」と述べている。それでいて質疑応答の時間になると、「私は連作作品を作ったことはありませんね、意識として。」というのだから、なんだか腰が定まらない。それはともかくここで評者なりに連作の定義を考えると、相互に関連した複数の句で構成されるという前提条件に加えて、(1)作るプロセスと読みの枠組が一致しており、(2)かつ全体がひとつの主題に貫かれている場合を狭義の、そして連作としての意義ある連作というべきかと思う。(1)の要件を満たしても(2)の要件を満たさないものは連作としての意義が薄くなるし、(2)の要件を満たして(1)の要件を満たさないものは厳密には復本のいう連作的構成作品に相当するであろう。井上弘美の場合は、後者に相当するために上のような発言になったわけである。なお、言うまでもないけれど主題は素材とは異なるわけで、例えば水原秋桜子を例に取れば『葛飾』所収の「筑波山縁起」や「古き藝術を詠む」、あるいは『残鐘』の「浦上天主堂」などは(1)(2)を兼備して十全に連作であろうが、『秋苑』に見える寒鯉を詠んだ一連などは(2)に関して不満が残る。つまりは連作としての意義の薄い連作であり、実際、我々はこの一連から〈寒鯉を真白しと見れば鰭の藍〉〈寒鯉はしづかなるかな鰭を垂れ〉あたりを記憶して済ませているのだし、それでよいに違いない。

ところで、井上の講演録には、「終了後に―」という付記があって、

講演後の質疑応答で「質問者C」の方が、現代の俳人で連作俳句を作っている方はいらっしゃいますか、と聞いてくださいました。その質問に私は、多分いらっしゃらないのではないかとお答え致しましたが、詩人の高橋睦郎氏が連作作品を発表していらっしゃることがわかりました。

などと書いている。これは「澤」誌に高橋が連載していた「百枕」のことを指している(*4。それにしても、一方で「連作が力を持つのは、まず旅吟」みたいなことを言っていながら、連作俳句を作っている人間が「多分いらっしゃらないのではないか」などと答えてしまう井上さんというのは、矛盾を気にしないかなり天然なお人のようである。高橋に限らず、近年の作品で評者の印象に残っている範囲でも、長谷川櫂の「追悼」(*5とか伊東宇宙卵「非場所/巣穴掘り編」(*6とか谷雄介の「気分はもう戦争」(*7とか、いずれも(1)(2)の要件を兼ね備えたすぐれた作品であり、連作俳句を作る人がいらっしゃらないなどということは全くない。

そんなこんなでふらふら頼りないところもある井上講演ではあるけれど、連作の嚆矢は寒川鼠骨の『新囚人』(明治三十四年/一九〇一)の巻頭・巻末に入っている碧梧桐と虚子の作品ではないかとか(復本一郎に論文があるらしい)、「ホトトギス」の課題句選者になった前田普羅が連作を称揚したとか、そんな普羅を島村元が批判して、普羅も反撃したが結局この時点で「ホトトギス」内での連作への否定的評価が定まってしまったとか、いろいろ勉強になる情報も多い。もちろん秋桜子・誓子については大きく時間を取っていて、「馬酔木」に「深青集」という連作専門の投稿欄があり、成果も大きかったがやがてマンネリ化して戦後ひっそりと消えたこと、秋桜子に『連作俳句集』という編著があることなど、恥ずかしながら知らなかったので面白かった。『連作俳句集』は、ネット古書店にそう高くもない値段で出ていたので早速入手。昭和九年(一九三四)、交蘭社の発行で、昭和五年から九年にかけて「馬酔木」に発表された二十九俳人(*8の八十七編を収めている。高屋窓秋による装丁も、簡素で美しい。

(※)「鬼」誌は、編集部より贈呈を受けました。記して感謝します。

(*1「鬼」第24号 二〇〇九年十二月一日発行

(*2井上宗雄は、和歌史の方の偉い研究者。俳句もお作りになるとは、こんどの「鬼」を読んで始めて知りました。

(*3「俳句空間―豈weekly」第七十三号/新撰21竟宴 パネルディスカッション「今、俳人は何を書こうとしているのか」記録

(*4「百枕」は二〇〇九年十二月号で連載終了。翌月からは「新竪題(しんたてのだい)」という、これも連作の連載が始まっている。

(*5)「週刊俳句」二〇〇九年十二月十三日号

(*6)「―俳句空間―豈」第四十七号(二〇〇八年十一月)

(*7)「週刊俳句」二〇〇八年四月六日号

(*8二十九人の顔ぶれは――水原秋桜子・塚原夜潮・大橋一楼・小林七歩・串上青蓑・加藤かけい・山科晨雨・高屋窓秋・軽部烏頭子・相生垣瓜人・宮崎軒月・小山寒子・中村秋晴・瀧春一・中村三山・木津柳芽・井上白文地・篠田悌二郎・藤後左右・佐野まもる・石田波郷・石橋辰之助・杉山岳陽・百合山羽公・五十崎古郷・清宮筑峰・中西香夢・加藤楸邨・石井白村

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